36 『誉(ほまれ)はコミケで死にました!』
「刮目するでござるよ、花子殿…拙者のクィーンは、天を衝くクィーンでござるからな」
「そうはいかないよ、雪花さん…まだワタシのバトルフェイズは終了していないからねっ!」
「ひょお?」
騎兵によるワタシの奇襲が炸裂した。
しかし、雪花さんは歩兵を盾にすることで致命傷を避ける。
ワタシの全身が、細胞が、歓喜をしていた。
こうして、雪花さんという好敵手と戦えることに。
「さすがは雪花さんですね。ピエロを演じながら上手く捌くなんて…往年の試合巧者っぷりは健在というわけですか」
「…雪花さんが試合巧者だったことなんて一度もなかったはずだが」
「花子殿こそ、その容赦のない攻撃は衰え知らずでござるな…伊達に狂犬の二つ名を恣にしていたわけではない、ということでござるか」
「…花子を狂犬扱いした奴なんかこの王都に一人もいなかったよな?」
そこで、雪花さんが騎士の駒を動かした。
そして、決意を吐露する。
「しかし、拙者にも、負けられない理由があるのでござる…愛する我が子のためにも、ここで花子殿を仕留めさせてもらうでござるよ」
「あまり強い言葉を使わないでください。弱く見えますよ、雪花さん…」
「オレからしたら二人とも弱いとしか見えないんだが…」
「さっきから慎吾うるさい!」
「うるさいでござるよ、慎吾殿!」
ワタシと雪花さんは、ほぼ同時に叫んでいた。
「横からあれこれ言ったのは悪かったけど…これ、決着つくのか?」
慎吾が、眉間に皺を寄せながら盤面を覗き込む。
ワタシも、そこで盤面と持ち駒に視線を落とす。
「繭ちゃんが作った試作品だけどね、将棋だからいつかはどっちかが勝つでしょ」
「いや、繭ちゃんが作ったとか試作品とかいうことじゃなくて…花子と雪花さんが勝負してるから終わらないんじゃないかってことだよ」
「え…なんで?」
「花子も雪花さんも、無駄な動きが多すぎるんだよ。前に動かした駒をまた元の場所に戻したりしてるし…」
「だって、元の場所で守って欲しかったんだもん」
「それが無駄な動きだって言ってるんだよ」
慎吾は、ワタシと雪花さんの持ち駒を交互に眺めていた。
そんな慎吾に、フィーネさんが話しかける。
「そのとおりなんですよ。お二人とも雰囲気だけ盛り上がっていて、戦局は殆んど動いていません。無駄に洗練された無駄のない無駄な動きを繰り返しているだけです。これでは、終わるまでにどれくらいの時間がかかるか…」
「でも、プロの人だって何時間もかけて勝負するんでしょ。だったら、ワタシと雪花さんが戦えば何時間もかかるよ」
「…たまに出てくる花子のそのポジティブさの源泉はどこにあるんだ?」
慎吾がそう言った後ろを、サリーちゃんが通り過ぎた。
「なんか、他に人がいないみたいだけど…今日はもうギルドは終わりなのか?」
そんなサリーちゃんを横目で見ながら、慎吾がワタシに問いかける。
「そうだね…この時間だと、もう依頼は受けられないから終業だよ」
「まだ三時くらいだろ、もう終わりなのか?」
慎吾は、そこでギルドの柱時計を眺めた。
「甘いね、慎吾…この時間からクエストなんて危ないから受理できないんだよ。薬草を取りに行ったり魔獣の討伐に行くのって、大体は山に入らないといけないし、日が落ちると強力なモンスターとかも出やすいんだよ」
逆に、夜しか現れないモンスターの討伐依頼などもあるが、大抵は強力なモンスターなので、最低でも二、三日の準備期間が必要となる。そういう時のパーティのバランスなどにもけっこう気を使う。ワタシだって、ちゃんとギルドの仕事をしているのだ。
「確かに、この時間から山に入るのは危ないな…けど、花子はサリーちゃんの手伝いをしなくていいのか?さっきからサリーちゃん忙しそうに動いてるけど」
「ワタシの分の終業業務もサリーちゃんにやってもらってるんだ。繭ちゃんのブロマイド三枚で」
「…お前、二度と看板娘とか名乗るなよ」
そこで、また通りかかったサリーちゃんに慎吾が声をかけた。
「サリーちゃんも、あんまり花子を甘やかさなくていいよ」
「え、あ…そうですね」
小さく微笑み…のような表情を浮かべて、サリーちゃんはギルドの奥へと消えて行った。やや足早に。
そんな猫耳娘の背中を見送りながら、慎吾が声をかけてきた。
「なあ、花子…今日のサリーちゃんちょっと変じゃないか?」
「んー、なんだか、朝からあんな感じなんだよね。体調よくないの?って聞いても大丈夫としか言わないし…なんか、今日はサリーちゃん尻尾もあんまりふりふりしてないし」
尻尾ふりふりはサリーちゃんの調子のバロメーターとなる。あと、猫耳ピコピコも。サリーちゃんは猫タイプの獣人なのだ。
「花子が繭ちゃんの写真で買収なんかして働かせてるからじゃないか?」
「一週間に一回くらい買収してワタシの仕事をしてもらってるけど、その時のサリーちゃんめっちゃ喜んで働いてくれるよ」
「お前ホントに看板娘を名乗る資格ないからな…」
慎吾と話をしている間に、雪花さんは駒を動かしていたようだ。盤面に変化があった。
「ええと、どれを動かしたんですか?」
よそ見をしていて、ワタシは雪花さんが駒を動かした場面を見ていなかった。
「こちらの冒険者の駒を、左斜め前に動かしましたわ」
「なるほど、驚きですよ…いつの間にか、対戦相手が雪花さんからフィーネさんに代わっているなんて」
しれっと、ワタシの対面にはフィーネさんが座っていた。
そして、その背後で腕を組み、仁王立ちの雪花さんが口を開く。
「いつから拙者が対戦相手だと錯覚していた?」
「ベガ立ちで言ってもこれっぽっちもかっこよくないですからね…」
いつからも何も、こっちは最初から錯覚なんてしてないんですよ。だから驚いてるんですよ。
「勝てはよかろうなのでござるよ」
「誉はどうしたんですか、雪花さん!?」
「誉はコミケで死にました!」
「そんなとこで殺されたら誉も浮かばれませんよ…」
…この人なら納得できるけど。
「代打ちは反則ではなかったはずでござるよね?」
「成人した人がやるズルじゃないんですよ…」
普通なら、思いついても指さない一手なんですよ。
だから、ワタシはフィーネさんに言った。
「フィーネさんも、こんな茶番に付き合う必要ないですよ」
「ですが、雪花さんが勝てば繭ちゃんのお母さまになるそうではないですか」
「そうですね、親権争奪戦なので」
「繭ちゃんは一切、認めてないけどな…」
また慎吾が何か言っていたが、そこは本筋とは関係がないので聞き逃してもらってかまわない。
「雪花さんが約束してくれたんですよ。この勝負に勝ったら、『繭ちゃん本』を出してもいい、と」
「…りありぃ!?」
そりゃ、ワタシだって叫ぶぞ。
「ダメに決まってるでしょ!繭ちゃんにだって肖像権はあるんですよ!?」
「繭ちゃんの親権を勝手にどうこうしようとしてる花子が言っていい台詞じゃないけどな…」
「繭ちゃん殿も理解してくれるはずでござるよ。芸術のためならば」
「腐女子の妄想を芸術なんて呼んじゃいけないんですよ!」
それで、今までどれだけの争いが起こったことか。なので、ワタシはフィーネさんに問いかける。
「ちなみに、フィーネさんはどんな本を書こうとしているんですか?」
「そうですね。雪花さんからは、繭ちゃんをモデルにするのなら芸術性のある本でないといけないと言われておりますので…『繭ちゃんVSパン屋のおじさん』というタイトルでいこうと思っております」
「一目でわかる頭の悪いタイトルやめれ!」
そうだった…。
この人、頭はいいけどバカなんだった。
「こうなったら…慎吾!」
「なんだよ…」
慎吾は、壁に貼られたクエスト依頼の紙を眺めていた。
まったく、非常事態だというのにのんびりとしている。
「慎吾が代わりにやって!」
「…なんでオレが」
「繭ちゃんの一大事なんだよ!?繭ちゃんがパン屋さんおじさんにえらい目に遭わされちゃったらどうするの!?」
「花子たちがパン屋のおじさんから訴えられてもオレは助けないからな…」
「繭ちゃんが傷つく姿なんて、ワタシ見たくないよ!?」
「オレはまず、花子たちがこんなことで真剣に争ってる姿を見たくないんだが…」
「慎吾が勝ってくれたら、前から欲しがってあの…西洋大根の種を冒険者さんたちに買ってきてもらうから」
ソプラノにも西洋大根に似た品種の野菜があるそうなのだが、それは王都では栽培されておらず、隣国に行かなければ手に入らない。
「まあ、この後で来る繭ちゃんのためにも勝たないといけないか」
以前からその西洋大根の種を欲しがっていた慎吾は、ワタシの代わりに席に着く。なんだかんだで慎吾も物欲には弱いのだ。
「慎吾殿と代わったところで、うちのフィーネ殿に勝てると思うでござるか?」
フィーネさんの後ろでベガ立ちの雪花さんが不敵に微笑む。
「そっちこそ、うちの慎吾に勝てると思うの?慎吾はね、くさタイプなんだよ」
「それは残念でござったな、フィーネ殿はほのおタイプでござるよ」
なんだよ、くさタイプって…と、慎吾は呟いていたが返事はしなかった。
「では、仕切り直しということでもう一度、きちんと宣誓をしておくでござるか?」
「いいですよ」
ワタシと雪花さんは、お互いに右手をかざし、宣誓した。
「「盟約に誓って!」」
ここに、再び盟約は誓われた。
さあ、ゲームを始めよう(慎吾とフィーネさんが)。
しかし。そこで。
「妖精…?」
最初に気付いたのは、フィーネさんだった。
つられて、ワタシも気付く。
「…フェリちゃん?」
妖精のフェリちゃんが、ふらふらとギルドに入ってきた。
「どうしたの、フェリちゃん!?」
明らかに怪我をしていた。
そして、フェリちゃんは弱々しく呟いた。
「繭ちゃんが…連れ去られた」と。




