32 『解答編』
「分かった、よ…誰が、繭ちゃんを殺したのか」
ワタシは口にした。厭な、言葉を。
それは誰も救われず、誰も報われない言葉。
呪詛と紙一重の、空疎な言の葉。
「ごめんね、花ちゃん…」
いつの間にか、繭ちゃんがワタシの手を握っていた。繭ちゃんの手は、いつでもやわらかい。繭ちゃんのそのやわらかさが、今は逆に、辛かった。
これからワタシがやろうとしていることは、繭ちゃんの古傷を抉る行為だ。
しかも、無為だ。
ここで犯人を特定したとしても、ワタシたちにとっては、それはもう終わった世界の話だ。
ワタシたちは、その世界には、誰も帰ることができない。
だから、これからワタシがやろうとしていることは、繭ちゃんの死を、根掘り葉掘り、ただ意味もなく掘り返すだけの、無為な行為でしかない。
…なのに、繭ちゃんはワタシに『ごめんね』を言った。
「どうし、て…繭ちゃんが謝るの?」
ワタシは繭ちゃんに問いかける。
繭ちゃんは、ワタシを責めてもいいんだよ。
なのに、この子は謝った。
「花ちゃんに辛い思いをさせちゃってるから、その『ごめんね』だよ」
「ワタシ、なんかよりも…繭ちゃんの方が、辛いでしょ」
「じゃあ、どうして花ちゃんが泣いてるの?」
言われてから、涙が頬を伝っていることに気が付いた。
目の奥が熱い。鼻の奥もツンとする。
指先も震えていて、足に力も入らない。
喉が焼けるようで、鼓動がうるさかった。
それでも、続けろと叫ぶ。
ワタシの中の、ワタシが。
「…ちょっと、ワタシの心の汗がオーバーフローしちゃってるだけだよ」
「花ちゃんってけっこう泣き虫さんだよね…」
繭ちゃんが、ワタシに微笑みかける。
そして、訊ねる。
「…でも、本当に分かったの?」
「分かったよ…けど、繭ちゃんは席を外しておいた方が、いいんじゃないかな」
これからワタシの口から出てくるのは、繭ちゃんにとっては、呪いとなる言葉だ。その呪いは繭ちゃんの中で沈殿し、これからもずっと、繭ちゃんを濁らせる。
「ううん、聞くよ。花ちゃんが一生懸命、考えてくれたんだよね。だったら、ボクは受け止める…けど、ちょっとだけ怖いからさ、ボクの手、しっかり握ってて欲しいな」
「繭ちゃん…」
ワタシは、繭ちゃんの手を握るその手に、力を入れ直した。
繭ちゃんの手は、当たり前のように震えている。
…こんなに怯えているのに、繭ちゃんはそこから逃げないと、そう言った。
「…じゃあ、始めるね」
何の捻りもない台詞だった。これがミステリならば、『名探偵、皆を集めて「さて」と言い』…となる場面かもしれないが、ワタシにその資質はない。その度胸もない。ただただ、繭ちゃんが必要以上に傷つかないことを祈っていただけだ。
「勿論…犯人は、繭ちゃんと一緒に旅行に行った、あの三人の中にいたんだ」
「…………」
「当然、犯人はこのソプラノからの『転生者』だよ」
全員が、ワタシの言葉を聞いていた。
…けど、きっと全員が、楽しくはなかった。
当たり前だ。
誰が、好き好んで繭ちゃんの死の真相なんて、知りたがる。ワタシの家族に、そんな悪趣味なヤツはいない。
そんな中、シャルカさんがワタシに問いかけてきた。
『だが、花子はどうしてそれが分かったんだ?』
「スキルですよ…」
喉の渇きを感じていたが、ワタシはそのまま続ける。ここで、悠長に飲み物などを飲む気にはなれなかった。
「犯人は、その日…二度のスキルを発動させていました。それが、犯人特定の決め手になったんですよ」
『二度のスキル発動、か…』
シャルカさんは、沈黙の時間を作らないように合いの手を入れてくれていた。
「犯人は、『剛力』というスキルで繭ちゃんの命を奪いました。けど、その時よりも前に、犯人はその『剛力』を一度、使用していたんですよ」
ワタシは、そこでシャルカさんに視線を向けてから続けた。
「シャルカさんは言ってましたよね。スキルを発動させると魔法の刺青が浮かび上がるって」
『ああ、あの刺青には、スキルの効果を底上げする特性がある…けど、それがどう犯人の特定とつながる?』
「あの日、繭ちゃんは二度、その刺青を見ています。ということは、犯人は二度のスキル発動をしたということですが…一度目のスキルの発動は、犯人にとっても想定外だったんです」
ワタシの鼓動は、早鐘を打っていた。
「犯人としても、その時点ではスキルを使いたくはなかったんです。スキルを使えば刺青が浮かんでしまい、繭ちゃんたちに見られてしまいますから」
『それはそうだろうが…』
「それなのに、犯人はスキルを使った…いえ、使わざるをえなかったんです」
犯人は、必要に駆られてスキルを使用した。
「繭ちゃんが最初にその刺青を見たのは、大掃除の時に起こった、大きな地震の直後です」
ワタシは、そこで繭ちゃんを見た。
繭ちゃんは、真っ直ぐな瞳でワタシを見ていた。
「つまり、犯人はその地震の時にスキルを使った…ということになります。しかも、『剛力』のスキルを」
『…どうして、犯人が使ったスキルが『剛力』だと断言できるんだ?』
シャルカさんが、当然の質問をワタシに投げかける。
「さっきも言いましたけど、犯人にとっても、その時点ではスキルを使う予定ではなかったんですよ。スキルを使えば刺青が浮かびますし、それを繭ちゃんたちに見られてしまえば不自然に思われますから。その魔法の刺青は、すぐには消えないようですしね」
ワタシはそこで雪花さんを見た。
雪花さんは、まだワタシに対して険しい表情をしていたが、真っ直ぐな瞳でワタシを見てくれていた。
…後でちゃんと仲直りしようね、雪花さん。
「つまり、犯人は、その『剛力』のスキルを使わなければならない事態に陥っていたんです…地震が起こった、その時に」
『けど、繭はこうも言っていたはずだ…地震が起きても大した被害は出なかった、と』
シャルカさんが、繭ちゃんの言葉を繰り返した。
「確かに、誰も怪我はしなかったみたいですね…でも、怪我がなかったからといって、非常事態ではなかった、とは言えないんですよ」
『…非常事態?』
「犯人にとっての非常事態です…たとえば、部屋から出られなくなった、とかですね」
ワタシはそこで慎吾とティアちゃんを見た。
二人とも、ワタシを無言で見ていた。無言だったけれど、ワタシを信じてくれていることは、その瞳から判断できた。
『…部屋から出られなくなった?』
シャルカさんは、やや驚いた声で言った。
「部屋の中にいる時に地震が起こり、その部屋から出られなくなったとしたら…焦るでしょうね」
『いや、しかし…地震が起こったからって、部屋の中から出られなくなることなんて、そうそうないだろ』
「あったんですよ」
ワタシは、シャルカさんに断言をしてから続ける。
「大掃除の時、二階を掃除していたのは、この別荘の持ち主である五十嵐くんです。二階は基本的にベッドルームでしたから、大きな揺れが来てもそこまでの危険はなかったはずです」
ワタシは、呼気を整えてから続ける。
正念場は、ここからだ。
「一階を掃除していたのは、佐藤くんでした。地震の後、彼は、本棚の本が大量に落ちてきたとは言いましたが、ここも、大怪我をするほどの危険はなかったはずです。大きな本棚があったそうですが、そちらは壁にがっちりと固定されていましたから」
ワタシは、そこまでを一息で言った。
「けど、地下室だけは状況が少し違いました。その場所は、地震の時に出口が塞がれてしまったんです」
『出口が塞がれた…?』
疑問の声を発したシャルカさんに頷いてから、ワタシは続ける。
「繭ちゃんは言いました。地下室に入る時は、扉を押して中に入った、と…つまり、地下室の扉は内開きだったんです」
外開きと内開き、たったこれだけの違いが、大きな結果の差を生んだ。
「扉が内開きだったということは、地下室の中から外に出る時は、内側にドアを開かないといけないんですよ。けど、扉を閉じていた時、もし、この扉の前がナニカで塞がれてしまったら…扉を開くことができなくなり、中にいる人間は、外には出られなくなります」
『扉を開けられなくなるって…そんなの、そのナニカを退ければドアは開けられるし、外にも出られるだろ』
シャルカさんは、当然の言葉を口にした。
「普通ならそうですよ。けれど、地下室を掃除していたその人物には退けられなかったんですよ。扉を塞いでいたそのナニカは、とてつもなく重たかったからです…『剛力』のスキルを使わなければ、ならなかったほどに」
『けど、地下室はシアタールームだろ?そんなに重いモノなんてあ…』
言いかけた途中で、シャルカさんも気が付いた。
「そうです…地下室には、その扉の脇には、大きな熊の剥製が置かれていました」
ワタシは口にした。結論の下準備を。
「地震の時、その熊の剥製が倒れ、地下室の扉を塞いでしまったんですよ」
ワタシは、結論を口にした。
「そんな大きな地震があった後では、地下室にいたその人物も冷静ではいられなかったでしょうね。しかも、閉じ込められたのは、地下室という閉鎖空間です」
地震に加え、閉じ込められた地下室、その人物にとってはかなりのストレスとなったはずだ。
『しかし、一階に戻るためには、扉を塞ぐ熊の剥製が邪魔だった…』
そう語ったシャルカさんの言葉を受け、ワタシは続ける。
繭ちゃんの手を、握りながら。
繭ちゃんも、ワタシの手を力強く握り返していた。
「だから、その人物は熊の剥製を退けるために使うしかなかったんですよ…『剛力』というスキルを」
そして、結論を口にした。
「つまり、繭ちゃんをその手にかけたのは…地下室の掃除をしていた、夏木くんです」




