31 『出題編』
ここから先のお話は、繭ちゃんの証言を元に再現したイメージである。
高校一年の夏休み、繭ちゃんは三人の友人…夏木くん、佐藤くん、五十嵐くんたちと、五十嵐くんの別荘に泊りがけで遊びに行った。その別荘の大掃除を条件に、自由に使っていいという許可を、五十嵐くんの両親からもらったからだ。
旅行当日、繭ちゃんたちは、喜び勇んでその別荘に到着した。
別荘は、海が望める高台の上に建てられていた。特急電車やバスなどを使いたっぷり三時間以上はかかったが、それが苦にならないほど、全員がこの旅行を楽しみにしていた。
別荘は、木造のコテージだった。
中に入ってみると、玄関の先は居間とキッチンになっていた。居間には丸太椅子に丸太テーブル、奥にはシンクやガスコンロ、食器棚が設えられていて、快適に寛げそうな空間が広がっていた。
ただ、外から見た時は気付かなかったが、別荘は、このコテージの部分だけではなかった。
居間の奥には扉があり、扉の先にはさらに廊下が続いていた。どうやら、扉の先は増築されたスペースのようで、廊下から先はコンクリート造りになっていた。
繭ちゃんたちが廊下を進むと、その先には二階建ての住居になっていた。
中には壁掛けのテレビがあり、コの字型の大きなソファも置かれていた。重厚な本棚も設置されていて、ハードカバーの小説と文庫本が半々ほどの割合で入っていた。そして、部屋の隅には年代物のレコードプレイヤーまであった。
長い時間を過ごすのなら、こちらの部屋の方が快適そうだった。そして、浴室やトイレもこちらの住居の方に設置されていた。
さらには二階もあり…その上で地下室まで存在していた。
テンションの上がった繭ちゃんたちは、先ずは二階へと上がった。
二階には四部屋があり、内開きの扉を開けてみたが、そのどれもがベッドルームだった。ベッドはサイズも大きく、一人で寝るにはもったいないと感じられるほどだった。ただ、トイレや洗面所は一階にしかなく、そこは不便そうだと感じた。
その後、繭ちゃんたちは地下室に向かう。
一階からの階段を降りた先にあったドアを押し開くと、そこはシアタールームだった。だが、なぜかドアの脇には巨大な熊の剝製が置かれていて(しかも、直立した仁王立ち)、部屋に入った繭ちゃんたちは驚かされたそうだ。しかもこの熊、二百キロ以上もある大物だった。お金持ちの考えることはよく分からないね。
そんなお茶目に驚かされたりはしたが、地下室は防音もしっかりしているそうなので、夜はここでホラー映画を観ようということになり、繭ちゃんたちのテンションはさらに上がった。
けれど、ただ遊ぶだけ…というわけにもいかない。
繭ちゃんたちは、別荘の大掃除を条件に、五十嵐くんのご両親からこの場所の使用許可を得ていたからだ。
そして、繭ちゃんたちは別荘の大掃除を始めた。
五十嵐くんが二階を。
佐藤くんが一階を。
夏木くんが地下室を。
繭ちゃんは、玄関を入ってすぐの、あのコテージを担当することになった。
繭ちゃんはテキパキと手早く掃除を終わらせ、そこで出たゴミを、外のゴミ捨て場に持って行った。
そこで、地震が起こった。
しかも、かなり大きな。
繭ちゃんは別荘の外にいたので大事には至らなかったが、大きな揺れに放心してしまい、しばらくはその場から動けなかったそうだ。
その時、別荘の廊下を、誰かが歩いているのが見えた。
廊下部分はコンクリートに覆われていたので、誰が通っていたのか、外にいた繭ちゃんからは分からなかった。
しかし、廊下の下から三十センチほどはガラス張りになっていたので、誰かがそこを通っていることだけは分かった。その誰かは、そこで何かを拾おうとして、かがみ込んで手を伸ばしていた。その時、ガラス越しに繭ちゃんは見た。
二匹の竜が絡み合っている刺青が、その誰かの手の甲に、刻まれていたことを。
ただ、その時点では、繭ちゃんも特に気にもしなかったそうだ。趣味の悪いシールを張っているな、程度にしか思わなかった。
だが、『現在』の繭ちゃんは、はっきりと証言した。
あれは、雪花さんを攫った連中が入れていた刺青と同じものだった、と。
廊下を歩いていたその人物だが、何かを拾うような仕草を見せた後、元来た方に戻っていった。
そして、繭ちゃんも、玄関から居間に戻った。
地震の影響は少しあったようだったが、大惨事というほどではなかった。
キッチンにはそれほど物が置かれていなかったし、食器棚もカギがかけられていたので、中のお皿などが落下するということもなかった。
その後、佐藤くん、五十嵐くん、夏木くんたちが居間に姿を見せる。
増築されたあちら側の方も、それほど大きな被害はなかったそうだ。
ただ、佐藤くんが担当していた一階は、それなりに大変だったそうだ。レコードや本棚の本がかなり落ちたらしい。本棚が壁に固定されていたのが唯一の救いだったと、彼はぼやいていた。
しかし、それでも幸運だったのだろう。
四人のうちの誰も、大きな怪我はしなかった。
そして、どこかに避難をしなければならない、という事態にもならなかった。
なので、地震という想定外のアクシデントは起こったが、繭ちゃんたちはそこからは予定通りの時間を過ごすことはできた。
夕飯は庭でバーベキューをして、それからお風呂に入って…その後は、地下のシアタールームで映画を観たり、持ち寄ったお菓子を食べながらゲームをしたりと、繭ちゃんたちは別荘での夏休みを満喫した。
繭ちゃんたちは、一週間ほどその別荘に滞在する予定で、翌日は近場の海に行こうと計画していた。
そうして、初日の夜は更けていった。繭ちゃんも、すぐに眠りについたそうだ。
けれど、繭ちゃんは夜中に目が覚めてしまった。
そんな繭ちゃんは、なんとなく外に出た。
そこは満天の星空だった。
空には、たくさんの星たちが、野放図に広がっていた。
繭ちゃんは、そこで不意に腕を掴まれた。
ガッチリと、万力のような力で。
それに気付いた繭ちゃんだったが、次の瞬間には宙に、浮いていた。
自分が、ボールのように投げられたのだと繭ちゃんが気付いたのは、背中から地面に叩きつけられた後だった。
…痛みは感じられ、なかった。そう、だ。
痛覚を感じる部分ごと壊され、たのだと…繭ちゃ、んは思った。そ、うだ。
意識、はすぐ、に薄…れ、仰向けだ、った繭ちゃんの視界に、は星空、と、ぼんや、りと光る、あの、二匹の竜の刺青だ、けが映った、そう、だ。
「…そこで、ボクは死んだんだ」
繭ちゃんは、語り終えた。
自分自身の命が奪われた、顛末を。
「…ひど、い」
雪花さんが繭ちゃんに寄り添い、泣いていた。
「どうして、繭ちゃんみたいないい子に、そんなひどいことが、できるの…」
普段の茶化した口調ではない、素の月ヶ瀬雪花さんが、そこにいた。
そして、雪花さんだけではない。
三刻館のラウンジには、全員が揃っていた。
自分の死の真相を思い出した繭ちゃんが、みんなに聞いて欲しいと言ったからだ。
「…………」
雪花さんは、泣いていた。
慎吾は口を閉ざしていたが、尋常ではない怒気を発していた。
ティアちゃんも無言だったが、瞳を閉じていたその表情から読み取れた。この子も、怒っている。
シャルカさんは、爪が肉に食い込むほど、こぶしを握りこんでいた。
…みんな、知っている。
繭ちゃんが、どれだけいい子かということを。
だから、ここには一人もない。
繭ちゃんのことが嫌いな人間など。
犯人のことを、許せないと思っていない人間など。
だから、ワタシは。
「繭ちゃん…は、誰に殺されたのか、分からなかった、んだね?相手の顔は、見えなかったんだね?」
繭ちゃんに、問いかけた。
残酷な言葉を、不躾に投げかけた。
「…花子ちゃん!」
雪花さんに、頬っぺたを引っ叩かれた。
腐女子のくせに、腰の入った張り手だった。
痛い…けど、気合は入った。
揺らぎそうになるワタシを、雪花さんがつなぎとめてくれた。
「繭ちゃん本人にそんなこと聞くなんて…私、怒るよ」
「いいんだよ、雪花お姉ちゃん…」
ワタシの胸倉を掴む雪花さんを、繭ちゃんが止めた。
「花ちゃんは、ボクのために聞いてくれたんだよ…」
繭ちゃんは、微笑んだ。
儚さを詰め込んだ、微笑みで。
「でも、ごめんね、花ちゃん…その時のボク、意識が朦朧としてたから、あんまり憶えてないんだ」
憶えてたのは、その刺青だけだよ。
繭ちゃんは、そう付け加えた。
ワタシは、次はシャルカさんに質問を投げかけた。
「じゃあ、シャルカさんに聞きます…繭ちゃんは、スキルを使って殺されたんですよね?」
でなければ、そんな命の奪い方は、できない。
『話を聞く限りじゃあ、『剛力』だろうな。人知を超えた力を発揮することのできるスキルだ。そんなモノで、地面に叩き付けられれば…』
シャルカさんは、それ以上を口にはしなかった。できなかったからだ。
「…スキル?」
雪花さんが、小さく呟く。そして、胡乱な言葉で続ける。
「どうして、私たちがいたあの世界で、日本で、スキルなんてモノが使われたんですか?ああ、そうだ。あの刺青。あれは、同じ…どうして、どうして、私たちを襲った邪教徒が、日本にいたんですか!?どうして、邪教徒が繭ちゃんを殺したんですか!?」
雪花さんは、長い髪を振り乱して半狂乱になっていた。
そんな雪花さんを横目に、ワタシは繭ちゃんに訊ねる。この時間を、少しでも早く終わらせるために。
「繭ちゃん…地震があった後、誰かが廊下を通ったんだよね?それが誰かは分からない?その時にも見たんだよね?二匹の竜の刺青を」
「確かに、その時にも刺青は見たんだけど、誰がその刺青をしていたのかは、分からなかったよ…廊下の下の部分はガラスだったから足元は見えていたけど、みんなスリッパをはいてたし、あの大掃除の時は、みんな学校のジャージを着てたんだ」
「そっか…ありがとうね」
ワタシは、またシャルカさんに向き直った。
「シャルカさん、その刺青について教えて欲しいんですけど…」
『ああ、私もあれから調べ直した。繭が見た刺青は、マジックタトゥーと呼ばれているものだ。普段は隠れていて見えないが、スキルを発動すると浮かび上がるらしい。そして、スキルの性能を高める効果があるそうだ』
「そうですか…」
小さく言った後、ワタシは口を閉ざした。
代わりに、思考を走らせる。
胸は焼けるように熱かった。
脳髄が焼けるほど、怒っていた。
だけど…だからこそ、ワタシの中のワタシが叫ぶ。
繭ちゃんを殺したヤツを、炙り出せ、と。
そして、ワタシは…辿り、ついた。
「分かった、よ…誰が、繭ちゃんを殺したのか」
カギは、二度、浮かび上がった竜の刺青だ。




