30 『好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なんだろうね』
「差別が軋轢を生むのか、軋轢が差別を生むのか」
珍しく、らしくないことを独り言ちてみた。
三刻館には、今現在、ワタシしかいない。
それなのに、どうしてこんな殺伐とした独り言を呟いてしまったのか、ワタシは。
「…………」
たぶん、昨日あの老紳士から、話を聞いたからだ。
星の一族の一部の人間たちが、この王都で、なにか悪いコトを起こそうとしている、と。
大昔、普通の人たちでは使用できないスキルが扱える星の一族は、迫害の対象となっていた、と。
そして、星の一族とその他の人間たちの間で、大きな戦にまで発展した、と。
その争いで、双方に、生半ではない死傷者が出ることになった、と。
「…………」
ただ、それは苔むすほどの大昔の話で、現在は和解も雪解けも済んでいた。幾許かの、僅かな蟠りなどは、残っているそうだが。
けれど、大昔のその遺恨を蒸し返そうとしている一派が、星の一族の中にいるらしい。
自分たちを復讐者などと名乗って。
その一派が、この王都で悪事を働こうとしていると、アンダルシアさんは、そう語った。
星の一族が本気でコトを起こせば、被害は甚大なものとなる。それは、この街でたくさんの人が死ぬということだ。
その中に、ワタシの大切な人たちが含まれない保証など、どこにもない。
「…………」
駄目だ。
一人でいると、悲観的な感情ばかりが湧いてくる。
それが、ワタシの日常だったから、だろうか。
転生をする前のワタシは、人生の大半を病床で過ごしていた。
希望もなく。展望なんてあるはずもなく。
ただただ、病室の窓の外のダレカを羨むだけの毎日。
セカイが壊れることを、本気で望んでいた日々。
「…………」
時折り、怖くなる。
今、ここでこうしているワタシは、病の床にいるワタシが見ている、泡沫の幻影ではないか、と。
本当は、女神さまなんかいなくて。
慎吾なんて、存在していなくて。
どこを探しても、雪花さんは見つからなくて。
繭ちゃんとも、ワタシは出逢ってすらいない。
現実のワタシは、まだ、あの無機質な病室で臥せっているのではないか、と。
「…………」
駄目だ。
胸が、痛くなってきた。
感じるはずのない痛みが、ワタシを苛む。
神さま、お願いです。
お願いだから、今のワタシを、一人にしないでください。
…ワタシは、これっぽっちも強くなんて、ないんです。
「ただいまー」
そこで、声が、聞こえた。
幻聴などでは、なかった。
そこにいたのは、王都で一番かわいい、男の子だ。
「おか…えり、なさい」
ワタシは、おかえりの挨拶と同時に繭ちゃんに抱き着いていた。
「花ちゃん?…ただいま」
最初は驚いていた繭ちゃんだったが、二度目のただいまの後、ワタシを抱きしめてくれた。
繭ちゃんの温度が、ワタシの体を巡る。
その温もりが、やさしく教えてくれた。
この現実が、幻覚などではないことを。
…よかっ、た。
ワタシは、ちゃんとここにいるんだ。
「少しは落ち着いた、花ちゃん?」
しばらく繭ちゃんに抱擁してもらった後、ソファに座っていたワタシに、繭ちゃんが声をかけてくれた。そして、繭ちゃんはワタシに温めたミルクを手渡してくれる。
「ありがとう…それとごめんね、変なとこ見せちゃって」
ホットミルクを受け取りながら、繭ちゃんにありがとうを言った。たったそれだけのことなのに、ワタシの中に巣食っていた痛みはどこかに退散していった。我ながら現金なことだ。
…そんな自分が嫌いではないけれど。
「まあ、普段から花ちゃんもっと変なとこばっかり見せてるし…」
「え、そんな変なとこ見せてたかな…」
もしかして、アレがバレていたのか?
なので、繭ちゃんにカマをかけてみる。
「ええと、慎吾の畑にこっそりにんにくを植えようとしたことかな?それとも、雪花さんのブラを勝手に着けてたとこを見られてた?それか…ティアちゃんと深夜にアヒージョパーティしたことかな?にんにく増し増しの。まさか、繭ちゃんの隠し撮りブロマイドを黙って売りさばいていたこととか?」
「…そんなことしてたの?」
「しまった…謀ったな、繭ちゃん!?」
「花ちゃんが勝手に自白しただけだけど…」
そこで、繭ちゃんはホットミルクを一口、飲んだ。 そして、小さく呟く。小さく微笑みながら。
「誰にだって、寂しくなる時はあるよね」
「繭ちゃん。しっかりしてなくて、ごめんね…ワタシ、繭ちゃんのお母さんなのにね」
「謝るなら、勝手にボクのママを名乗ってることを謝って欲しいんだけど…」
その後、ワタシと繭ちゃん、二人だけの時間が流れた。
ただただ何もなく、冗長なだけの時間。
けど、ワタシがずっと欲しかった時間。
「さてと…カップを片付けてくるね」
飲み終えた二つのカップを手に持ち、繭ちゃんはキッチンの方に行こうと立ち上がる。
その小さめの背中を見ながら、思った。
最初に帰って来てくれたのが繭ちゃんでよかった、と。
慎吾なら恥ずかしくて抱き着けないし、シャルカさんならお酒臭い可能性が高いから抱き着けないし、雪花さんも臭いから抱き着くことができない可能性があった。
繭ちゃんだから、ワタシはすんなりと抱き着くことができた。甘えることが出来た。
…もしかすると、神さまが、ワタシに便宜を図ってくれたのかもしれない。
現在、時刻は三時を少し回ったところだ。
本来なら、繭ちゃんがこの時間に帰って来ることはない。
その繭ちゃんが、ここにいてくれた。
「そういえば、繭ちゃ…ん?」
どうしてこんな早い時間に帰ってきたのか、ワタシは繭ちゃんに訊ねようとしたのだが…。
繭ちゃんの背中を見ていたワタシは、そこで軽く目をこすった。最初は、埃か何かが光に反射しているのかと思った。けど、違った。埃の光り方ではない。繭ちゃんの肩口のあたりが、なにやらキラキラと光っている。
…なにこれ?
繭ちゃん、とうとうG◯粒子とか放出するようになったの?
「…………」
ワタシは、そのキラキラに触れてみた。
何もないはずの空間に、ナニカ、小さくてやわらかいものが、そこにいた。
「…キャァ?」
そのやわらかいものは、小さく驚きの声を発した。
しかも、かわいらしい、声。
…ええと、そこにいたのは。
「「妖精…?」」
繭ちゃんとワタシの声は、シンクロした。当然か。そう呼ぶしかない生き物?がそこにいた。
『あ、ええと…こんにち、わぁ』
人形ほどの大きさの妖精?は、バツの悪そうな笑みを浮かべていた。
「…本当に、妖精なの?」
外見は、確かに妖精だ。ハーフパンツにジャケットというコーディネートだが、背中からは透き通った羽が生えていて、さっきのキラキラはそこから放射されていた。
「繭ちゃん…三刻館はペット禁止だよ」
「ボクが隠れて飼ってるわけじゃないよ!?」
『勝手にペット扱いしないでよ!」
妖精くん…?妖精ちゃん?は、繭ちゃん並みに性別が分からない子だった。そんな妖精ちゃんはペット扱いにプリプリと怒っている。
「じゃあ勝手に入ってきたの?おかしいな、玄関に虫よけの魔石を吊るしてたはずなんだけど」
『羽虫扱いもやめてくれる!?』
さらに妖精ちゃんはプリプリと怒る。
『大体、人間が妖精に会えたらもっと感激したりするものじゃないの!?自分で言うのもなんだけど、そこそこレアな存在だと思うよ!?』
「たしかに珍しいのかもしれないけど…そういえばまだ見たことなかったね、くらいの感覚かな」
『妖精を僻地の珍獣かなにかと一緒にしてない!?』
「まあ、繭ちゃんの方がよっぽど妖精だし…」
繭ちゃんと会う前なら、もっと感激していたかもしれない。
「あと、出てくるならもっと早いタイミングじゃないとインパクトが薄いよ?」
こちとら女神さまをはじめ、エルフや邪神(亡骸)なんてモノまでお目にかかっている。さらに言うと、マスコットの枠には、幼女の地母神さまちゃんが既にいるのだ。
『本当に失礼な人間ね…魔法で悪さとかしちゃうよ!』
「え、どんな…?」
それは少し怖い。
『ええと…化粧水と梅酒の区別がつかなくなる魔法とか』
「ワタシが梅酒でスキンケアとかするようになったらどうしてくれるの!?」
地味に嫌な魔法!
そんな妖精ちゃんにワタシは問いかける。
「そもそも、なんで妖精が繭ちゃんのストーカーとかやってるの?」
『ストーカーなんかじゃないわ!古参ファンよ!』
「なんで古いファンの人って古参アピールするのかな…」
そこは、どこの世界も同じなのだろうか。つまり、初期の頃から繭ちゃんをストーキングしている、ということでもある。筋金入りのストーカーじゃないか。
『違うもん!繭ちゃんのサポーターだもん!繭ちゃんが駆け出しのころは、魔法でサポートとかしてたもん!』
「…え?」
それは、少し聞き捨てならなかった。
繭ちゃんは自力で今のポジションに上り詰めたんだ。そうでなければならない。そうじゃないと、これまでの繭ちゃんの頑張りが嘘になってしまう。
『ただまあ、その…その魔法が暴走して、繭ちゃんの歌を聞いた野菜が畑から脱走したりしたけど』
「あれあんたのせいだったのかー!」
駆け出しのころの繭ちゃんは路上ライブなども行っていたのだが、そこで繭ちゃんが歌っていたら、急に野菜たちが逃げ出した。畑から。
「あの後、慎吾にめっちゃ怒られたんだからね!」
収穫前の野菜を何だと思っているんだ、と。鬼の形相で。
「…っていうか、他にも余罪があるでしょ」
あの頃の繭ちゃんの周りでは、妙な出来事が頻発していた。
『まあ、その色々と…でも、最初の頃だけだよ?』
「それでも、繭ちゃんの足を引っ張ってたってことだよね」
アリアPとしてはおかんむりにもなるよ?
『分かってるよ。自分が役立たずだって。仲間たちからも、そう言われてるし…でも、頑張ってる繭ちゃんの、ほんの少しの力にでもなれたらって、思ったんだ。だけど、ごめんなさい」
「…………」
ワタシはそれ以上、怒ることができなかった。この子は、有名になる前からの、繭ちゃんの理解者だった。ワタシと同じくらい、繭ちゃんの頑張りを傍で見てきたんだ。
「そんなに繭ちゃんの力になりたいなら…一緒にライブにでも出てみる?」
ワタシは、妖精ちゃんにそう提案した。
『あたし…が?』
「妖精と一緒なら、繭ちゃんもパフォーマンスの幅も広がりそうだし…」
実際、演出としては面白そうだ。さっきのキラキラなども、観客受けするのではないだろうか。アリアPとしても興味はある。
「どうかな?」
『でも、一緒にライブに出て、友達に噂とかされると恥ずかしいし…』
「…そのセリフが許されるのはメインヒロインだけだからね」
好きとか嫌いとか最初に言い出したのは誰なんだろうね。
『だけど、やってみたい…役立たずのあたしだけど、繭ちゃんが、ほんの少しでも、喜んでくれるなら』
「よし、アリアPのレッスンは厳しいよ」
『うん…ううん、はい!よろしくお願いします、あたしの名前はフェリです』
「フェリちゃんか…いい名前だね」
こうして、アリアPと妖精のフェリちゃんの結束が強まったのだが。
…繭ちゃんの様子が、少し、おかしかった。
「…どうしたの、繭ちゃん?」
『あ、繭ちゃんね、今日ちょっと調子が悪かったみたいなの』
「そう…なの?」
それなのに、ワタシのことを慰めてくれていたのか?
あ、繭ちゃんが早く帰ってきた理由ってそれなのか?
「大丈夫だよ。熱があるわけでもないし、怪我もしてないよ。ただ、ちょっと頭がボーっとするだ…」
言いかけた繭ちゃんが、そこで、軽くよろめいた。
「繭ちゃん!?」
ワタシは、繭ちゃんに駆け寄る。フェリちゃんも、繭ちゃんの顔を覗き込むように飛んでいる。
「大丈夫?繭ちゃん…」
ワタシは繭ちゃんに声をかけた。
繭ちゃんの瞳は、どこか虚ろだった。
「うん…ただ、ちょっと思い出しただけみたい」
「…思い、だした?」
何を…?
「ボクが、殺された、時のことを」
繭ちゃんは、そう言った。キレイな睫毛の瞳を、閉じたまま。




