29 『殺してバラして並べて揃えてから晒しますよ!』
「…………」
獰猛なまでの無音だった。
凝縮された静寂だけが、根を張るように裾野を広げる。
場を支配していたのは、不穏の沈黙だった。
先ほど、老紳士はワタシたちに告げた。
「邪神の亡骸が、失われていた」と。
失われていたというのなら、当然、そこには第三者の関与がある。
邪神の亡骸といえど、好き勝手に徘徊したりは、できない。件の亡骸は、この老紳士が張った結界に守られていた。その結界は、これまでに何人をも阻んできた。
ワタシたちを、除いて。
「…………」
だから、自明の理だった。ワタシたちが、邪心の亡骸を持ち出した容疑者として浮上するのは。
ワタシたちは、一度、あの結界をすり抜けている。雪花さんのユニークスキル、『隠形』によって。
最高位まで極めた『隠形』は、使い手をこの世界の全てから遮断することができた。そうして自身の存在を世界から切り離せば、あらゆる障害物をすり抜けることも、可能となった。
「…ワタシたちが、疑われているのですね」
沈黙を掻き分け、ワタシが口にした。
苦渋の言葉を。
「え…いいや?」
老紳士は…アンダルシアさんは、目を瞬かせて驚きを表していた。その表情に、ワタシも驚く。
「ワタシたちを疑ってるんじゃあ…ないんですか?」
「花子さんたちが亡骸を盗んだとは、思っていないよ」
老紳士のその声に、棘はなかった。寧ろ、ワタシたちに対する気遣いすら感じられる。
「でも、ワタシたちはあの結界をすり抜けていますし…」
現状、容疑者としてその最前列にいるのが、ワタシたちだ。そのはずだ。
「けど、花子さんたちは亡骸を盗んではいないだろう?」
アンダルシアさんの口から出た言葉は、糾弾ではなく、ただの確認だった。その言葉に、ワタシは「はい…」と首肯した。
「なら、きっと違うのだろうね」
「ですが…」
「よく当たるんだよ、ワシの勘は。そこは、妻のアリアにも褒められていた」
亡き妻のことを語るとき、この人の表情は柔和になる。きっとその瞬間は、胸中で浮かんでいるんだ。アリア・アプリコットという、名もなき魔女の面影が。
「これでも人を見る目はあるんだよ。年の功というやつだね。ここで花子さんたちと話をして、そこのギルドマスター殿と言葉を交わして、すぐに分かった。邪神の亡骸なんてモノに手を出す人間は、ここには一人もいない、と」
「確かに、シャルカさんは邪神の亡骸とお酒が並んでたらお酒の方を取る人ですけど…」
一切の躊躇なく、シャルカさんならお酒を選ぶ。
そんなシャルカさんは、不服そうに言い返してきた。
『花子だって、邪神とにんにくが並んでたらにんにくを取るだろー』
「にんにく様を邪神如きと一緒にしないでくれます!?殺してバラして並べて揃えてから晒しますよ!」
『そのキレ方は理不尽だろ…』
そんな不毛なやりとりをしていたワタシたちを見て、アンダルシアさんがワタシに問いかける。小さく微笑みながら。
「ほら、花子さんも、邪神の亡骸なんて欲しくはないだろ」
「要りませんよ、そんな呪われそうな物…手元にあったら「呪物は消毒だー!」って火を放ちます」
そんな物、持っているだけでアシクビヲクジキマシターとかの事故が起こりそうだ。
「花子さんの仲間なら、きっと、全員が同じことを言いそうだ」
アンダルシアさんが言ったワタシの仲間たちに、ワタシは視線を向けた。確かに、このメンツなら誰もそんな不吉なモノを欲しがったりは、しない。
…雪花さんが漫画の資料として欲しがらなければ。
この人、腐女子のくせにたまに少年の心とか見せるからなぁ。
『しかし、そうなると亡骸を盗んだのが誰か、ということになるが…』
シャルカさんが、重い口調で呟く。
その呟きに反応したのは、騎士団長である『深紅のナナ』さんだ。
「やっぱり邪教徒…かな」
『まあ、邪神の亡骸をありがたがるのは、連中くらいなものだが…』
そこで、シャルカさんは口ごもる。
邪教徒ならば、邪神の亡骸を欲しがる動機など、はいて捨てるほどある。
それでも、邪教徒たちにはあの結界を超えられなかった。はずだ。
「ワシが迂闊でした…邪教徒らしき侵入者がいたにも関わらず、亡骸の隠し場所を変更しなかった」
項垂れながら、アンダルシアさんが謝罪の言葉を口にした。
そんな老紳士に、シャルカさんが言葉をかける。
『いや、それは仕方なかったはずです。それだけ強固な結界を張れる場所なんて、この王都でも限られている』
「そうなんですか…?」
結界について語るシャルカさんに、ワタシが問いかけた。
『私はその結界の実物を見てはいないが、それだけ強固な結界なら、おそらくは地脈…土地の力を利用した結界のはずだ。だとすれば、どこにでも張れる結界じゃない』
「その通りです。さすがは、冒険者ギルドのマスターですな」
『いや、それほどでも…』
照れるような仕草の後、シャルカさんがしれっとビールの瓶を開けようとしていたので、ワタシがそれを制止した。この流れで呑めると思ったのか?
「それで相談なのですが…スキルを使い、亡骸を盗んだ犯人を探し当てることはできませんかな?」
アンダルシアさんは、そこで一拍の間を置いた。
そして、続ける。
「ここには、転生者が多く揃っているようですから」
老紳士の言葉は、場を凍りつかせた。
「て、てててて…転生者ちゃうわ!」
ワタシは動転し、わけの分からない文言で否定をしていた。
「隠さなくても分かっているよ」
狼狽えたワタシを見て、老紳士は軽く笑っていた。
その笑みを見て、ワタシも隠し切れないことを悟る。
「し…慎吾?慎吾のせいでバレちゃった?それとも繭ちゃん?ああ、やっぱり雪花さんがやらかしちゃったから?」
「いや、花子だろ」
「こういう時は花ちゃんだよね」
「花子殿しかおりますまい」
三人から一斉に責められた。
「まさかの満場一致!?」
そして、アンダルシアさんは軽く微笑みながら言った。
「先ほど、花子さんはギルドマスター殿に言っていたよ…「アンダルシアさんから大事な話があると伝えて『いた』のに」、と」
アンダルシアさんは、さらに問いかける。
「花子さんは、いつ、どこで、どうやって、マスター殿に伝えていたのだろうね?」
アンダルシアさんは、言った。
「ワシがギルドマスター殿に会わせて欲しいと花子さんに頼んだ後、花子さんはワシと一緒にここに来た。その間、花子さんは一度もギルドマスター殿には会っていなかった。なのに、花子さんはギルドマスター殿に『伝えていた』と断言していた」
アンダルシアさんは、言った。
「それは、『念話』だね?」
アンダルシアさんは、ワタシに訊ねた。
「…………ごめん、なさい」
蚊の鳴くような、小声しか出せなかった。
この『念話』の元の持ち主は、『名もなき魔女』だ。
この老紳士が、世界と秤にかけるほど大切に想っていた人が持っていたスキルだ。
…ワタシのような、ぽっと出の転生者が持っていていいスキルでは、ない。
「隠すつもりは、なかったんです。いえ、言い訳ですよね。ただ、言い出せなかったんです。『念話』は、あの人の…アリア・アプリコットさんの」
そこで、老紳士はワタシの言葉を遮った。
「花子さんでよかったと思っているよ」
「え…?」
「アリアの『念話』を受けついでくれたのが、花子さんでよかったと、心底から思っているよ」
老紳士…アンダルシア・ドラグーンさんは、目尻に皺を刻みながら微笑んでいた。一切の虚飾のない、原色の微笑みだった。
「ワタシは…英雄では、ありませんよ」
「それでいいんだよ」
「冒険者ですら、ありませんよ…」
「きっと、それでいいんだよ」
老紳士は、やさしい声で力強く、言った。
「おそらく、アリアも『念話』を使ってくれるのが花子さんでよかったと、思っているよ」
「そう…でしょうか」
目頭が熱くなり、言葉を発することができなくなった。言葉では伝えられない感情が、ワタシの中で溢れてきた。『念話』の以前の持ち主である『名もなき魔女』…そのパートナーであるこの人に認められたことが、嬉しかった。
「それに、あの結界は普通の人間が超えられるものじゃない。最初から、花子さんたちは転生者だろうと思っていたよ」
『星の一族も、転生のスキルを持っているから…ですか』
シャルカさんが静かな声でそう口にした。
「星の一族も、昔から転生スキルを使用しておりました。この世界から、こことは違う世界に一族を転生をさせていたのです」
そこで、老紳士はカップに口をつけて紅茶を飲む。喉を潤してから、アンダルシアさんは続けた。
「そして、星の一族の間でも、異界から訪れる転生者の存在は、昔から知られておりました。こことは違う世界で命を落とした若者が、強い未練を持って死んだ若者が、清く正しく美しい女神の手でこの世界に転生してくる、と」
「…………」
全員が言葉に詰まっていた。
あの女神さまが微妙に美化されて伝えられている…。
「そして、転生者と呼ばれる若者たちは、珍しいスキルを与えられてこの世界に訪れる、とも伝え聞いておりました」
老紳士は、丁寧に言葉を紡いでいた。
「だから、きっと花子さんたちは転生者なのだろうと…アリアが、花子さんたちに出会わせてくれたのだと、思ったのですよ」
そしてまた、老紳士は微笑む。
ただ、この人が微笑んでいたのは、ここまでだ。
「そして、今日ここに来たのは、伝えられなければならないことが、もう一つあったからです」
老紳士は、表情を変えた。
明から、暗に。
「同郷の者から聞いたのです。復讐者を名乗る星の一族の急進派が…王都でコトを起こそうとしている、と」




