28 『これだけは、「私このパイ嫌いなのよ」って言われても仕方ないと思うよ!?』
「せっかくだから、拙者はこの赤の箱を選ぶぜ!」
雪花さんは大仰な声を出しながら、これっぽっちも赤くない箱を揚々と手に取った。
そんな雪花さんを、嘆息しながらワタシは窘める。
「雪花さん、こういう時はお客さまに先に選んでもらうものじゃないですか?」
あと、妙なところでネタ元をリスペクトするのやめれ。
ワタシじゃなきゃ見逃しちゃうからね。
ここは、ワタシたちの家である三刻館のラウンジで、テーブルの上には色とりどりの小さな箱が並んでいた。箱の中には、それぞれパイやケーキなどの焼き菓子が入っている。それらは手土産だった。アンダルシア・ドラグーンさんからの。
ギルドのお使いを終えたワタシとナナさんは、帰路の途中でこの老紳士と再会した。
そこで、アンダルシアさんに言われた。
ギルドマスターに会わせて欲しい、と。
その表情から、ただならぬ要件があることは察せられた。
そして、現在ワタシたちは家に戻り、そのマスターの帰りを待っているところだ。
「…それと、ナナさんはそろそろワタシの腕を放してください」
放してくれないと、ワタシが自由に動けなくてお茶とか用意できないのだ。看板娘の名折れになるのだ。
「でも、でもね…」
ナナさんは初対面のアンダルシアさんに怯えているようで、ワタシの腕を掴んだまま固まっている。
本当に誰もいなかったのか?
この人が騎士団長になることに反対する人は。
そんなワタシとナナさんを、雪花さんが無言で眺めていた。どうせ、この後しょーもないこと口走るんだろうな、この人。
「大丈夫でござるよ、花子殿。拙者、そういうの嫌いじゃないでござるから!」
「知ってた…」
この人は、もう一回くらい投獄されてくるべきではないだろうか。
「本当にすみません、アンダルシアさん…騒がしくしてしまって」
とりあえず、この人にはお詫びをしておくべきだ。
…というか、何度目のお詫びだ。
「そんなに気にしないでくれ、花子さん」
「あの、シャルカさんに大事な話があるんですよね…もう少ししたら帰ってきますので」
先ほど、『念話』を飛ばしてシャルカさんにアンダルシアさんの来訪は伝えてあるし、そろそろ戻って来るはずだ。
…帰りに一杯ひっかけてくるようなバカをやらかさなければ、だけど。
「ありがとう、ゆっくり待たせてもらうよ」
そこに、繭ちゃんが紅茶を持ってきた。のだが。
、
「はい、お茶が入ったよ、おじいちゃん」
「ちょっと繭ちゃん!?」
ワタシは繭ちゃんの言葉に慌て、注意をする。
「お客さまにその言い方は失礼だよ。ワタシ、繭ちゃんをそんな子に育てた憶えはないよ?」
「…ボクだって花ちゃんに育てられた憶えはないんだけど」
…ん?
それはおかしいな。
「だって、アンダルシアさん遊びに来たんじゃないの?だったら、お客さんみたいな堅苦しい扱いより、おじいちゃん的に接した方が喜ぶと思うよ?」
「さすがにそれはないんじゃないかな…」
どうやら、繭ちゃんはアンダルシアさんが遊びに来てくれたと思っていたようだ。
「でも、ボクのおじいちゃんもこんな感じだったよ。ボクに会いに来る時は、お菓子とかたくさん買ってくるの。ボクが喜ぶから」
「アンダルシアさんはお孫さんに会いに来たわけじゃないんだよ…」
そこで、ワタシはあの老紳士に視線を向けた。
アンダルシアさんは、なぜかワタシから目を逸らした。
…これ、どういうリアクション?
本当に繭ちゃん目当てで会いに来たのか?
孫にする気か?繭ちゃんの親権は渡さないぞ。
『ただいま戻ったぞー』
玄関から声が聞こえ、少ししてからシャルカさんはラウンジに姿を見せたのだけれど…。
「なんでシャルカさんからお酒の匂いがしてるんですか!?」
…いや、理由は明白だけれど。
そして始まる、シャルカさんの言い訳フェイズ。
『帰ってくる途中でな、のどが渇いたから、そこら辺の店で飲み物でも買おうと思って寄ったんだよ。そしたら、たまたま入ったその店には水も茶も置いてなくてなー、仕方がないから酒を買ったんだ。いやー、あの店に水さえ売っていればなー』
「そりゃ、寄ったのが酒屋さんだったらお酒しか置いてないでしょうねぇ!」
もう少しマシな言い訳はなかったんですか。
「もー、アンダルシアさんから大事な話があるって伝えてあったじゃないですか…」
『心配するな、花子。私はな、酔えば酔うほど冴えてくるんだ』
「…まさか、昨日の二日酔いをもう忘れたんですか?」
ギルドのマスターとして、それが本当に正しい姿なんですか?
『それに、大事な話っていうけど、なんか誕生会みたいじゃないか?』
「そんなわけないで…」
そこで、後ろを振り返ったワタシの目に映ったのは、テーブルの上に並べられた数々の焼き菓子と紅茶の入ったティーカップだった。しかも、地母神さまは両手にブルーベリーのパイを持って頬張っ…。
「ちょっとティアちゃん!ブルーベリーのパイはワタシも食べたいって言ったよね!?」
なんでこの子、同時に二つも食べてるの!?
せめて片方は別のパイにしてよね!?
ブルーベリーのパイはね、世界で二番目に美味しい食べ物なんだよ!?
『ブルーベリーはわらわ様も好きなのじゃ。お主はそっちの、イワシの頭とか飛び出てるパイを食べればよいではないか』
「誰だよ、この世界にスターゲイジー・パイとか持ち込んだのは!?」
これだけは、「私このパイ嫌いなのよ」って言われても仕方ないと思うよ!?
それに、なんかさっきからイワシがワタシの方を見てる気がするんだよね!?
そして当然、ここでワタシとティアちゃんのブルーベリーパイ争奪戦が始まる。
その横では、アンダルシアさんとシャルカさんが挨拶を始めていた。
「花子さんから貴女のことは聞いておりました。貴女が、冒険者ギルドのマスターですな。私は、アンダルシア・ドラグーンと申します」
『私はシャルカです。こちちも、花子から聞いていますよ。アンダルシア・ドラグーン殿…なんでも、あの有名な星の一族で、世界を救った英雄だ、と』
「私は、英雄の器などではありませんよ…貴女に比べれば、ただの小さき人です」
アンダルシアさんとシャルカさんは交互に言葉を交わしていた。そこに、軋むような緊張感を孕みながら。
…この老紳士は、たぶん、シャルカさんが普通の人間じゃないことに、気が付いている。
『それで、アンダルシアさん。ご用件というのは…』
問いかけたのは、シャルカさんだ。
「実は、あの結界の中の邪神の亡骸が、失われておりました」
アンダルシアさんの言葉を聞き、ワタシは食べかけだったブルーベリーのパイを吹き出してしまった。パイを吹きかけられたティアちゃんは『なにをするだァッー!』と叫んでいたが、それどころではない。
『邪神の、亡骸が…』
シャルカさんの顔色も変わる。声色も、変わる。
「なので、早急にこちらに、連絡に来させていただきました」
老紳士は慇懃な言葉だが、それが事態の深刻さを物語る。
「…そういう、ことか」
誰にも聞こえない声で、ワタシは呟く。
邪神の亡骸が、あの場所から失われた。
となれば、当然だ。
ワタシたちが、疑われるのは、当然の帰結だった。




