26 『ジャ、ジャンプ力ぅ…ですかねぇ?』
「邪神の亡骸…」
シャルカさんから、あの結界の調査報告を聞いたナナさんは、重い口調で慎重に呟く。
今は兜を脱いでいたので、彼女の小声でも辛うじて聞き取ることができた。素顔の彼女は凛とした表情が似合う、切れ長の瞳をした女性だった。
『ああ、驚きだよ。私もそれなりに長いこと天使をやっているが、邪神の亡骸なんてものは初耳だ』
シャルカさんはさらっと自分が天使だと口にしていたが、ナナさんに驚いた様子はない。ナナさんが転生者なら、シャルカさんが天使ということを知っていても不思議ではないか。
『というか、まさか名もなき魔女が邪神の魂を抱えて異世界に転生していたとはな…そりゃ、魂と体が二つの世界で泣き別れになっていたら、さすがの邪神といえども、おいそれと復活なんてできやしないか』
現在、このソプラノは、邪神の脅威から解放されていた。
ただ、ここ五十年ほど観測されていなかった邪神の魔力が、半年くらい前から観測されるようになっていた。けれど、その魔力が感知されるようになっても、邪神が復活を果たすという兆候は、まったく表れていない。だから、邪神の復活はないのではないか、というのが天界の見解だそうだ。
『だからといって、邪神の亡骸なんてものをこのまま放置しておくわけにもいかないが…』
ギルドの長として悩むシャルカさんに、ワタシは伝えた。
あの人からの、言伝を。
「それなんですけど…アンダルシアさんは、今と同じように結界の中に亡骸を置いておけないかと言っていました。勿論、邪神の亡骸はギルドの監視下に置いてくれてかまわないとも、言っていましたけど」
あの老紳士に…アンダルシアさんに、ワタシたちがギルドの依頼で調査に来たことを伝えると、アンダルシアさんはそう言ってくれた。
『その提案は、ギルドとしてもありがたい、か…元々、ギルドの冒険者でも騎士団でも抜けられなかった結界だ。防壁として申し分はない。ただ、ことがことだけに、ギルドだけで決められる話じゃないが』
そこで、シャルカさんは『深紅のナナ』に…王都の騎士団長に視線を向けた。
あの結界の調査が騎士団からの依頼だとすれば、騎士団とも邪神の亡骸の情報を共有する必要がある。
「騎士団としても、邪神の亡骸なんて放っておくことはできない…ただ、最初から全ての騎士団員たちに知らせていい情報でも、ないと思う」
『ああ、先ずは上層部で情報を共有して、その間に対抗策なり打開策なりを用意するべきだ。全員に知らせるのは、その後にしようか』
「それがいい…いきなりの情報の開示は、無用な混乱を招くことになる」
シャルカさんとナナさんは交互に意見を出し合っていた。
冒険者ギルドと騎士団の連携が、垣間見えた瞬間だった。
『そうなると、次は邪教徒たちが持っているという、もう一つの亡骸も問題になってくるな…その二つが揃ったところで、邪神が復活するかどうかは分からないが』
そういえば、アンダルシアさんは語っていた。
邪神の亡骸は、二つあった、と。
そして、もう一つの亡骸を持っているのが、邪神の信徒である邪教徒たちだ、と。
「そんなモノは、なかった」
深紅の騎士団長は簡潔に、そう口にした。
『なかった…?』
シャルカさんは驚きを言葉で表し、ワタシは瞳を見開くことで驚きを表していた。
「少なくとも、邪教徒たちの本拠地には、邪神の亡骸なんてものはなかった」
騎士団長が、先ほどの台詞の補足をした。
『そうか…ナナたちは、邪教徒たちの根城に踏み込んだんだったな』
シャルカさんが語ったように、そこで、多数の邪教徒たちが捕まった。
「邪教徒たちとの戦いは、かなり激しかった。普段はあまり前線に出ない無望の騎士団まで、総動員した。それでも、騎士団側にもそれなりの負傷者は出た…」
「邪教徒って、そこまで手強い相手なんですか…?」
思わず、ワタシは口を挟んでしまった。この二人の邪魔にならないように黙っていたのだが。しかし、ナナさんはワタシの疑問に答えてくれた。
「手強いというか…数が多い上に、死ぬのを怖がらない。だから、捨て身で抵抗してくる」
『邪教徒の連中とは関わりたくないっていうのが本音だよな、ギルドとしても』
シャルカさんは小さくため息をついていた。
「でも、騎士団の人たちが邪教徒を捕まえてくれたんですよね…?」
「うん、たくさん捕まえた。だから、連中はもうまともな活動はできない」
けど、邪神の亡骸は、見つからなかった。
ナナさんは、念を押すように、そう付け加えた。
『邪教徒たちが邪神の亡骸を持っていたっていう話も、あくまでも噂だったんだろ』
「確かに、シャルカさんの言う通りなんですけど…」
ただ、そうなると、もう一つの亡骸はどこにあるのか?という疑問がワタシの中で浮かぶ。
勿論、邪教徒の残党がどこか別の場所に亡骸を隠している…というケースも考えられるが、捕縛された邪教徒たちが一切の情報を漏らさないため、邪神の亡骸の行方は、ようとして知れなかった。
「邪教徒たちを捕まえられたのは、月ヶ瀬雪花のおかげ」
不意に、ナナさんが雪花さんの名を呼んだ。
ワタシとしても、それには意表をつかれた。
「雪花…さんの?」
「月ヶ瀬雪花が、彼女が誘拐されていたという邪教徒たちの隠れ家から、上手く逃げ出してくれたおかげ」
ナナさんは言葉を簡潔につなげ、説明を続ける。
「彼女がそこから逃げ出してくれたから、騎士団にその隠れ家の場所が伝わった。だから、騎士団はその隠れ家を調べることができたし、その隠れ家で邪教徒たちの本拠地の地図も見つかった。そして、騎士団は邪教徒たちの本拠地に踏み入ることができた。だから、月ヶ瀬雪花のおかげ」
「そうだったんですね…」
雪花さんが褒められると、ワタシも嬉しくなった。
…普段はめったに褒められることがないからな、あの人。
「でも、隠れ家に本拠地の地図とかあったんですね」
「騎士団が隠れ家を調べた時は誰もいなかった…けど、壁に本拠地の地図が貼られていた」
またも、ナナさんは簡潔に説明してくれた。
『意外とちゃんと騎士団長をやってるじゃないか』
茶化すように口を挟んだのは、シャルカさんだ。
それを聞いたナナさんは、その表情を曇らせた。
「でも、騎士団長なんて早く辞めたい…私には向いてない。っていうか、たくさんの人たちの前で話すのとか無理。偉い人たちに報告するのもしんどい。祝賀パレードで先頭を歩くのもいや。王様になんて会いたくない。吐きそうになる。というか吐く」
突如として、『深紅のナナ』が陰キャラみたいな愚痴を言い始めた。
…そういえば、人見知りなんだっけ、この人。
『あんなスキルがあるんだから、簡単に辞められるわけないだろ』
「あんなスキル…?」
そういえば、ナナさんも転生者だとシャルカさんは言っていた。
だとすれば、ナナさんにもあるはずだ。彼女だけが扱える、ユニークスキルが。
『ああ、ナナのスキルはすごいぞ。『結束』っていって、全ての騎士団員の力を束ねて、自分の力に変えることができるんだ』
「漫画とかだと、終盤で主人公が使えるようになるスキルじゃないですか…」
まさに、ユニークスキルに相応しい突飛な効果だ。
だが、騎士団長は浮かない顔で言った。
「けど、アレを使うと他の団員が動けなくなるから、使ったら怒られる…」
「…騎士団長なのに怒られるんですか?」
まあ、他の騎士団員が木偶の坊になるスキルとか使われたら、周りからは非難轟々かもしれないけれど。
「あの時、くじ引きで負けなかったら…騎士団長なんてやらずに済んだのに」
「くじ引きで騎士団長を決めたんですか!?」
うっそだろ!?
王都の治安とか大丈夫なの!?
「団長になってから、街の人たちはやたらと私に挨拶してくるし…」
「いい人ばっかりですよ、この街!?」
パン屋のおばさんも八百屋のおじさんも、本屋のおじいちゃんだって、いつもにこにこと手を振りながら挨拶をしてくれる。
「緊張して、たまに挨拶を返せない時がある…」
「アイサツを返さないのはスゴイ・シツレイですよ!?」
実際、アイサツはスゴイ大事なのだ。
「もう鎧なしで街とか歩けない…怖くて」
「それであのフル装備だったんですね!?」
街中で鎧なんて要らないだろと思っていたら、そういう理由だったのか。
『騎士団長なんだから、いつまでも人見知りはダメだぞー』
「ギルドマスターたちの会合にお酒を呑んで参加する人に言われたくない」
ナナさんがそう言っていたが…シャルカさんそんなことしてたのかよ?
『なんでだよー、ああいう集まりって酒盛りをするための口実みたいなもんだろ?』
「村祭りの寄り合いじゃないんですよ!?」
なに考えてんのこの人!?
さすがのワタシも苦言を呈した。
「もうちょっとギルドマスターとしての自覚を持ってくださいよ」
『自称看板娘の人に言われたくないですー』
「自称じゃないですー。パーフェクト看板娘ですー」
『じゃあ、朝からガーリックトースト食って受付けするのやめろよ!ちょいちょい苦情が来てるんだぞ!?』
「そんな…バカな」
ワタシが受付けをしていると、みんな笑顔で並んでくれるし。ちょっと笑顔が硬い時はあったけれども。
『あと、花子、普通に看板娘としてはサリーに負けてるし』
「負けてないですー…」
『じゃあ、どこが負けてないのか言ってみろよー』
ワタシが、サリーちゃんに負けていないところ…。
「ジャ、ジャンプ力ぅ…ですかねぇ?」
『…それも負けてるだろ、お前』
すっごい残念な人を見る目で見られた。すっごい残念な人に。
『ああ、それと花子…昨日、転生者のファイル見ただろ?』
そこで、急にシャルカさんから普通の話を振られた。
「転生者のファイルってあれですよね、転生者たちのスキルとかのプロフィールが書いてあるやつですよね?ワタシ、見てませんよ」
『ええ、そうか…?昨日とファイルの順番が変わってたんだよ』
「二日酔いだから見間違えただけじゃないですか?」
『そんなわけな…かったらいいな』
最後、願望になってるじゃないですか…。
「田島花子…」
そこで、不意にフルネームを呼ばれた。
深紅の鎧の騎士団長殿から。
しかも、いつの間にか距離を詰められていた。
威圧感の塊みたいなこの人に詰め寄られると、けっこう怖いのですが?
「田島花子…いや、お花ちゃん」
「…お花ちゃん?」
それ、ワタシのこと?
「私も…お花ちゃんみたいな陽キャラになりたい」
「…はい?」
ワタシ、どっちかと言えば陰よりのキャラよ?
そう伝えたのだが…。
「ううん、お花ちゃんは陽キャだよ…シャルカさんと喋ってるところを見て確信した」
騎士団長殿は、聞く耳を持たなかった。
そして、さらに距離を詰めてくる。
「だから、私と友達になって…お花ちゃん」
「…はい?」
かなりの距離にまで、肉薄してくる。
かなりの距離にまで、顔を寄せてくる。
「私と、友達になって…」
「…はい」
こうして、ワタシは王都最強の騎士団長と友達になった。
…なにこれ?




