6 『『言葉』だけではなく『心』で理解できたよ』
「自分が気に入った商店にお布施…出資をすることで、出資者にはお店からのリターンがあるんです」
ワタシは、説明をしていた。
王都の外れを、二人で並んで歩きながら。秋口の日差しは気まぐれで、やさしい暖かさを届けてくれる日もあれば、ツンツンと冷たい時もある。今日は、どちらかと言えば温暖な顔で太陽は微笑んでいた。そんな日差しを受けながら、ワタシは続ける。
「それがどんなリターンになるのかは出資者がお店側にリクエストできますけど、お店側の意向を無視したものにはできません。あくまでも出資者とお店側は対等ですので」
この説明は、繭ちゃんとも話し合っていた内容とほぼ変わらない。商店街を活性化させるためのアイデアではあるが、これはまだまだひな型の段階だ。もっと煮詰める必要がある。ただ、アイデアのブラッシュアップが済んでいるかどうかは、今この場では特に重要ではない。この話を、ここでこの人にすることに意味があるんだ。それは、ワタシの意思表示となるからね。
「ダイレクトに金銭のやりとりが介在していますけど、これは出資者による商店の純粋な応援です。出資者としては、そのお店に…」
「いえ、分かりました」
そこまで言ったところで、ワタシの言葉は遮られた。この人も、ワタシの意図を察したからだ。
「要するに、花子さんは…私の依頼を受けていただけない、ということですね」
二人だけで並んで歩く街外れは、少し閑散としていた。晴天だったので、日差しは潤沢に降り注ぐ。ただ、先ほどまでは温暖だったのに、少しだけ肌寒く感じられるようになった。人通りの少ない道を、歩いていたからだろうか。
「そう、ですね」
少しだけ固唾を呑みながら、ワタシは言った。
あなたの味方にはなれません、と。
婉曲に言ったけれど、要約すればそういうことになる。
商店街の活性化に手を貸すということは、『商店街を壊して欲しい』と頼んできたジェシカさんの言葉を袖にしたことになる。どれだけやわらかく言ったとしても、だ。
「ですが、ワタシはジェシカさんよりも先に商店街の人たちから頼まれていましたし…」
後ろめたさを感じながら、ワタシは釈明をしたが…いや、違うね。早いか遅いかの問題では、ない。
「それがなくても、ワタシにはあの商店街は壊せませんよ、ジェシカさん」
まだ『転生』してきてから日が浅いとはいえ、あの商店街はワタシにとってもオアシス的な拠り所となっている。既に、なくなっていい場所ではないんだ。
視線の先で、ジェシカさんはやや俯いていた。少しウェーブのかかった前髪がブラインドとなり、ジェシカさんの瞳は見えなかった。
「それに、ジェシカさんからはまだ、あの商店街を壊したい理由を聞いていませんからね」
ジェシカさんにも相応の理由があることは、分かっていた。けど、それを話してもらわないうちからこの人の味方をすることはできない。とはいえ、話してもらったとしても助力はできないだろうけれど。
「私があの商店街を壊したい理由、ですか…」
ジェシカさんは、まだ俯いたままだ。俯いたままなので、発せられたその言葉も地面に向かってただ落ちていく。地面に落ちた言葉を、ジェシカさんは口を閉ざしたまま黙祷のように見送る。
なので、ワタシが代わりに口を開いた。
「ジェシカさんのお父さんは、商店街の会長さんですよね」
ジェシカさんの父親であるジェームズさんは、ワタシに商店街の活性化を依頼してきた発起人だ。つまり、ジェシカさんとジェームズさんは商店街という境界を挟んで対立していることになる。
「…あの場所が残っていると、困るんですよ」
ジェシカさんが呟いた言葉は、またポツリと地面に落ちた。その言葉が芽吹くことは、おそらくない。
…けど、困るとはどういうことだ?
その理由の末端すら、見当がつかなかった。
見当がつかなかったのだから、問いかけるしかない。与えられてもいない情報から物事を察せるほど、ワタシは慧眼ではないのだ。
「あの、どうして…でしょうか」
「それ、は…」
言いかけたところで、ジェシカさんは言い淀んだ。言葉を発することが苦痛であるように、表情を歪める。
ワタシは、沈黙を保ったまま待っていた。歩み寄ることも這い寄ることも、今はできない。ジェシカさんの方から来てもらわなければ、意味はない。これはそのための時間であり、決して浪費ではない。
「あの商店街は、隠しているからですよ」
その声に、ワタシの肩が小さく震えた。肩口から発せられた振動は、小刻みに震えながら全身を巡る。だって、それはジェシカさんの声ではなかった。
…なら、ダレの声だ?
「え、あの…」
振り返ると、そこには一人の男性がいた。スーツ姿で(正確にはビジネススーツに似せたこの世界における衣服だけれど)、長めの頭髪を無造作に流していた。
…いや、ホントにナニモノだよ?
普通、乙女二人の会話に割り込んでくるかな?しかも、割りと自然に。
「クワンさん…」
ジェシカさんは、スーツ姿の人物に反応していた。どうやら知り合いのようだけれど…。
ワタシとしては、どうにもこの人物が信用できなかった。心の警戒アラートが鳴り止まないのだ。何となく、その理由も分かるけれど。
「こんにちは、ジェシカさん」
クワンと呼ばれた人物は、ジェシカさんに向けて気さくな挨拶をしていた。
…なんか、覚えがあるな、この軽薄さは。
ああ、そうか。
ワタシだけじゃなくて、何ならこの異世界ソプラノそのものを引っ掻き回したあのディーズ・カルガに似ているんだ。そりゃあ、アレに似ていたら心のアラートが鳴り止まないに決まっている。『言葉』だけではなく『心』で理解できたよ。
「今日はいい陽気ですね」
瞳を細めて笑みを浮かべていたが、その仕草がかえって胡散臭いんだよ。この王都には、ディーズ・カルガのような人間が他にもいたのか?あの人だけがレアケースだと思っていたのだが。
「そう、ですね」
相槌を打っていたジェシカさんではあったが、その表情はクワン氏と比べて硬かった。どうやら、ジェシカさんとしてもこの人物に心を許しているわけではないようだ。
…なら、この二人はどういう関係だ?
「初めまして、クワン・カランと申します」
ワタシの視線に気付いたのか、クワン氏は自己紹介を始めた。その声に抑揚はなく、敵意などは感じさせない。とはいえ、あくまでもそれは懐柔のためのテクニックとしか思えなかったけれど。
「は、はじめまして…田島花子といいます」
ワタシも、社会人としての応対で返した。信用に値しないとはいえ、相手にそれを悟られることは避けなければならない。社会人とはそういうものなのだ。しかもワタシは看板娘なのだ。
「これはどうもご丁寧に」
クワン氏は、あの微笑みを張り付けたままこちらに近づいてきた。彼が近づいた分だけ、ワタシは後ずさりをしたくなった…辛うじて耐えたけれど。そして、クワン氏は軽く頭を下げた後、一枚の小さな紙片を手渡してきた。
その紙片を受け取ったワタシは、目を丸くする。
「こん…さるたんと?」
五センチほどの長方形の紙片には、クワン氏の名前と共にそう書かれていた。
っていうかこれは、『名刺』だ。異世界にもあったのか、名刺?
…しかも、コンサルタント?
この異世界で、か?
「コンサルタントという言葉に馴染みがないのは仕方ないとは思われますが…」
クワン氏はそう切り出した。確かに、ワタシが驚いている。この異世界に、コンサルなどという職種が根付いているのか、と。
「簡単に言いますと、地域のお客さまにアドバイスをする仕事をしております」
クワン氏の語るコンサルは、ワタシの知っているあの世界のコンサルと大枠では同じものだったようだ。仔細に異なるところはあるだろうけれど、大まかには同じもののようだ。
…けど、異世界でコンサルだぁ?
次の異世界物のアニメのタイトルかよ?
いや、コンサルという横文字で考えるから珍しく感じるのか。助言を生業にしている人たちならば、昔からいたはずだ。まあ、その人たちは占い師とか霊媒師とか呼ばれていたかもしれないけれど。
ただ、問題はそこではない。問題なのは、どうしてそんな人がワタシたちに声をかけてきたのか、ということだ。ワタシたちなんて、ただのうら若き乙女二人なのに。
「そちらのジェシカさんとは、仲良くさせていただいております」
またも、クワン氏は張り付けた笑みを浮かべていたが、ジェシカさんは無反応だった。分かってはいたけれど、額面通りに言葉を受け取ってはいけない人だね、このヒトは。
…あれ、でもちょっと待てよ?
ワタシは、問いかけた。
「コンサルって、会社の経営とかに助言をする人ですよね?」
「そうですよ、何かお困りごとがありますか?」
「いえ、今はありません…強いて言うなら、ご飯の途中で何杯おかわりをしたか分からなくなってしまうことくらいでしょうか」
「それは、私の仕事の範疇を超えていますね」
クワン氏は真面目な顔で応対していた。あ、これ面倒くさいから適当に流そうとする時の繭ちゃんと同じリアクションだね。
…ただ、ワタシが本当に聞きたかった言葉は、別にある。
商店街から、活性化の依頼はこなかったのですか?と。
本当は、こう尋ねたかった。ただ、その直前で急ハンドルを切って別の質問に変えた。
この人って、コンサルなんだよね?
そして、商店街の会長であるジェームズさんは、ジェシカさんのお父さんでもある。
なら、この人にその依頼をしてもよかったはずだ。ワタシのようなずぶの素人よりも、よっぽど適任のはずなんだ。それなのに、この人ではなくワタシにお鉢が回ってきた。
…けど、聞けなかった。
ワタシはまだ、この人のことを何も知らない。
ただ一つ分かったのは、クワンという人物が十重二十重に裏の顔を持っている、ということだけだ。そんな人物に、真正面から問いかけるわけにはいかない。問いかけは、裏を返せばこちらの情報を与えることにもなるからだ。
そして、裏の仮面を被ったままのクワン氏は、言った。
「てっきり、商店街の活性化についての意見を求められるかと思いましたよ」
「…そう、ですか」
こちらが距離を置いた話題に、向こうから踏み込んできた。
これは、情報の修正が必要だね。
クワン氏は、ワタシが商店街の活性化について意見を求められていることを、知っている。
つまり、あちらはワタシのことをある程度は知っているということだ。
…あんまりいい気はしないね、そういうの。
「どうでしょうか、花子さん。よろしければ相談に乗りますよ」
「あはは、実はある程度はアイデアがあるんですよね…うちにも優秀なブレーンがいますので」
そのブレーンとは勿論、繭ちゃんだ。他にも、同人イベントに慣れた雪花さんもいるし、慎吾だっている。天使のシャルカさんは冒険者ギルドの責任者でもあり、顔も広い。なので、クワン氏の手を借りなければならない理由は、ワタシにはない。まあ、この人との接点を持ちたくないというのが本音だけれどね。
「そのアイデアは、うまくはいきませんよ」
簡素な声で、クワン氏は断言した。あまりに自然だったので、ワタシはその言葉に反応できなかった。だから、まだ彼のターンは続く。
「ああ、語弊があってはいけないので説明させてください。あなたのブレーンがどれほど優秀かは知りませんが、優秀かどうかは意味がないのです」
「…意味が、ない?」
それこそ、どういう意味だ。
嵩に着るつもりはないけれど、ワタシたちは『転生者』だ。この異世界とは別の世界の歴史を辿り、別の世界の常識やアイデアを持っている異物だ。けど、文化のシンギュラリティを引き起こすのは、そうした異物でもある。
しかし、クワン氏はワタシの思考をぶった切った。想定外の方角から。
「隠し事をしているのですよ、商店街ぐるみで」
「…かくし、ごと?」
そりゃ、商店街側も全てを明かすはずなんてないよね。特に、ワタシのような新参者に対して。
…いや、違う。
ここで考えるべきはそこじゃない。
商店街ぐるみで隠し事をしていると、どうしてこの人が知っている?
「ええ、そうですよ」
「…あの、商店街の隠し事って、何なんですか?」
商店街の人たちは、みんな気さくだ。ワタシが挨拶をすると笑顔で挨拶を返してくれるし、井戸端会議にも混ぜてくれる。買い食いをすればたまにオマケをしてくれるし、たまに値引きもしてくれる。何よりも、商店街の活性化という喫緊の命題に取り組むために、ワタシを選んでくれた。それは、ワタシを信頼してくれている証左だ。
…それなのに、ワタシに隠し事?
しかも、このクワン氏は、ソレを知っているのに?
「商店街は、全ての場所を解放しているわけではありません」
「お客さんは入れない場所があるってことですか?」
部外者が立ち入り禁止の場所なんて、どこにでもある。特に、その場所のルールを知ろうとも守ろうともしない相手に対しては一定の拒絶も必要となる。差別ではなく、それは区別だ。ちなみに、最近ワタシは繭ちゃんの部屋への立ち入りを禁止された。繭ちゃんがいない間に勝手に部屋に入り、オヤツを物色したからだ。
「客というか、商店街の人たちでも一部の人間しか、その場所に入ることはできないのですよ、花子さん」
「どこなんですか、その場所は…?」
あの場所に入り浸っているワタシですら、そんな場所があるとは聞いていなかった。
「詳しい場所は、私にも分かりません。しかし、その場所は確実に存在します」
「詳しい場所が分からないのに、どうして存在してるって分かるんですか…」
それは矛盾だ。まあ、大した矛盾でもないので説明なんていくらでもできるけれど。
ワタシとクワン氏は、陽光の下で対峙していた。いや、クワン氏の頭上に影が差し、その表情を暈す。
「それは言えませんが、一つだけ言えることがあります」
「…何ですか?」
本当は、聞きたくなどなかった。この手の輩が思わせ振りなことを言った後は、ろくでもないイベントが起こるとワタシは学習したからだ。それなのに、聞いてしまった。何らかの引力にでも引きずり込まれるように。
そして、その答え合わせは、すぐに行われた。
やはり、聞くべきではなかった。
なのに、クワン氏は言った。
「あの商店街には、『地母神さま』が封印されているのですよ」
「地母神…さま?」
…え、地母神?
それって、あの…商店街には、ティアちゃんが封じられてるって、こと?
ティアちゃん、昨日もワタシのお魚フライをパクパク食べてたんだけど?