5 『大きなシノギの匂いがするのぉ』
『う゛わ゛き゛な゛の゛し゛ゃ゛あ゛!』
「ティアちゃん、それもうワタシがやったから…」
『しかし、花子ぉ…!』
「そもそも、慎吾もジェシカさんも婚約したなんて一言も言ってないからね」
『ぬぅ…そうか』
「ダメだよ、ティアちゃん。早とちりは失敗の元だよ」
「すごいね、花ちゃん…ティアちゃんとまったく同じ轍を踏んでたくせに上からアドバイスできるその精神の図太さは見習いたいよ」
ワタシとティアちゃんの会話に繭ちゃんが参加してきた。
そんな繭ちゃんに、ワタシはさらりと言ってのけた。なにせ、ワタシはバリキャリだからね。
「そんな昔のことは忘れたんだよ、繭ちゃん」
「まだ五分も経ってないから現在の範疇なんだよ…」
「憶えておいて、いい女というのは過去を引きずらない生き物なんだよ」
「いい女の人はね、指や唇が油でギトギトになるまでフィッシュアンドチップスを食べないものなんだよ…」
繭ちゃんは、そこで軽く眉をひそめながら続ける。
「というか、花ちゃんはティアちゃんに聞かなきゃいけないことがあるんじゃないの?」
「え、ワタシ今、ティアちゃんとのフィッシュアンドチップスの争奪戦で忙しいんだけど」
「花ちゃんがボケに回ったら話が進まないって口が酸っぱくなるくらい言い続けてるよね、ボク」
繭ちゃんにため息をつかれたので、ちょっと真面目に考えてみた。
…ティアちゃんに聞かないといけないこと、か。
ああ、あれだね。
「ねえ、ティアちゃん」
『なぬ、ふぁ?』
「とりあえず食べるの止めてもらっていいかな…」
この地母神さまは限界まで頬張って食べているので、ちゃんと発音できていないのだ。あの女神さまといい、どうして、女神さまたちは自身の威厳をドブに捨てるようなことばかりするのだろうか。
…というか、お魚のフライがもうほぼ全滅ではないか。
「あのね、ティアちゃん…ティアちゃんがあの商店街を作ったって本当なの?」
先ほど、幼女地母神のティアちゃんは確かにそう言った。ワタシだけでなく、繭ちゃんもそれは聞いている。
『ふむ、そうじゃな』
ティアちゃんは、そこで冷えた牛乳に口をつけた。
この子がそれを認めたことで、リビング内のスイッチが切り替わる。室内の空気そのものが軒並み入れ替わり、肌に触れる空気がひりつく。
『確か、そんなこともあったはずじゃなぁ…はずなんじゃがなぁ』
「え、ちょっとティアちゃん…?」
入れ替わったはずの空気を元に戻すの止めてもらっていいですか?こっちはもうシリアスモードに入ってるんだよ。心中の描写にも気合いが入ってるんだよ。
「なんでそんなに自信がなさげなの…?」
王都自体があの商店街から始まったとも聞いたんだけど?
『仕方ないじゃろ、もうかなり昔のことなんじゃから…それに、わらわ様は最近まで眠っておったからな、昔の記憶は朧気なところもあるのじゃ』
「ほっぺたとかそれだけモチモチなのにお年寄りみたいなこと言わないでよ…」
まあ、ティアちゃんがどれだけ生きてきたのかワタシには分からないけどさ。
『しかし、確かにあの商店街を作ったのはわらわ様だったと思うぞ』
「…でも、どうやって?」
問いかけておいて、すぐに気付いた。
…ああ、そうか。
「ティアちゃんは地面を動かしたりできるよね。それで地面を均したりしたんでしょ」
この辺りの昔の地形などは知らないが、ティアちゃんの力をもってすれば地面を均一にすることも可能だ。しかも、今の幼女姿とは違ってその頃のティアちゃんなら能力も全盛期だ。だから、リアルでシ〇シティみたいなことも容易いはずだよ。
『まあ、そういうこともやった…なぁ?』
「なんでそんなに歯切れが悪いの?」
普段のティアちゃんなら『わらわ様の力をもってすれば当然なのじゃ!』くらいは言うはずだけれど。
『ああ、確かに地形を整えたりはした。その記憶はある。けど、それは本当に大したことはなかったのじゃ。それよりも…』
「…それよりも?」
ティアちゃんの神妙な表情に、ワタシも軽く息を呑んだ。
なんだ?何がある?
異世界暮らしに慣れてきたワタシは、経験則として知っているのだ。
神さまがこういう面持ちをしている時は、ろくなことを言い出さない、と。
『思い…出せぬ』
「…ワタシとしては是が非でも思い出して欲しいけどね」
これ、後で絶対トラブルの引き金になるやつじゃない?
ティアちゃんには他にも聞きたいことはあったけれど、この様子ではどれも憶えてはいなさそうだ。というか、何百年も前の記憶なんてないのが普通なのか。しかも、この子は間に永い休眠を挟んでいる。なので、生き証人としてポンコツだ、なんて責めるわけにもいかないよね。
しかし、『神器』のことくらいは教えて欲しかったなぁ。
あの商店街が、王都の始まりだった。
そして、この国の歴史を調べている学者のガンギさんがその神器について語っていた。商店街の始まりには神器が関わっている、と。つまり、その神器とティアちゃんには何らかの関係があっても不思議ではない。
「神器と商店街、か…」
大した意味もなく呟いてみた。
けど、最近はやたらと商店街という話を耳にしている。というか、ワタシもあの商店街の活性化の依頼などを受けている。無関係というわけではないのだ。ワタシとしてもお世話になっている商店街のために何かしてあげたいという気持ちは、勿論ある。
「どうすればいいのかなぁ…」
「商店街の活性化の話?」
「その通りだよ、繭ちゃん」
相槌のように聞いてきた繭ちゃんに、ワタシは小さく頷いた。そして、ソファの背凭れに体を預けながら考え込む。そんなワタシに、繭ちゃんは言った。
「苦戦してるみたいだね、花ちゃんならもっとパパっとアイデアを出すと思ったけど」
「アイデア自体がないわけじゃないんだよ。ただ、どれもパッとしないっていうか刹那的っていうか…なんか、その場限りのイベントって感じがしてね」
「ああ、商店街に人が根付かないと意味がないんだね」
「そうなんだよ、『次』につながらないと、結局は元の木阿弥で終わっちゃうからね…」
「ただの延命措置にしかならないもんね」
アイドル活動をしているだけあって、繭ちゃんも『集客』という言葉に関しては一家言を持っている。いかに飽きさせず、いかに新規をとりこむか、繭ちゃんはいつもそのことに腐心している。イベントというのは、その『次』のイベントにつながるための試金石でもあるのだ。
「繭ちゃんと話していて思ったんだけど…活性化に必要なものって、やっぱり『応援』なんじゃないかな」
「そうだね、応援がなかったらボクたちみたいな興行は続けることができないからね」
ファンの声を真摯に受け止めているからこそ、繭ちゃんのその言葉にも重みがあった。
…そういえば、最初は閑古鳥が鳴いていたね。
繭ちゃんがこの異世界ソプラノでアイドル活動を始めた頃は、奇異な視線に晒されてばかりだった。アイドルという存在が、この世界では目新し過ぎたからだ。ただ、『転生者』という存在は、この王都に何人もいるし、何人もいた。
けど、その人たちが選んだ生業の殆んどは、地に足の着いた職業ばかりだった。料理人や大工、または製造業に携わったりと、『冒険』をしなかったんだ。二つの意味で。
あの世界での常識が染みついていたからか、『転生者』とはいえ冒険者などの危険な職にはつかない人が大半だった。まあ、現代の日本で安穏と生きてきた人たちが、そう安々と切った張ったの世界に身を置けるはずもない。殺されるのは勿論、殺すのだって躊躇うはずだ。
命の本当の価値を知っているのは、命を奪わない人たちだ。
と、ちょっと横道にそれちゃったかな。
軌道修正のために、先ほどの繭ちゃんの言葉を反芻した。
「応援、かぁ…応援って、純粋なつながりだよね」
純粋に相手を支持するだけなのだから、そこには何の阿りもない。何の下心もないのだから、そこには不純物が介在しない。無垢なそのつながりは、絆にまで昇華される。
…あ、これっていいかも?
「商店街を、応援すればいいんだ…」
ワタシは、小さく呟いた。いつの間にか深く腰掛けていたソファから、少しだけ前傾に過重する。
「応援で商店街を活性化させるの?」
「うん…でもね、ただの応援じゃないんだよ、繭ちゃん」
「ただの応援じゃない?」
繭ちゃんは、かわいらしい眉を小さく顰める。どんな表情をしても大体かわいくなるのはズルいよね、この子は。
「クラウドファンディングだよ」
「この異世界で…クラウドファンディング?」
繭ちゃんは、さらに怪訝な表情を浮かべる。唇の端が、軽く震えていた。むぅ、今日も繭ちゃんのリップはツヤツヤだなぁ。
「それ、もうナナさんがやったんだよね?」
繭ちゃんは、言いながらソファの端に視線を向けた。そこでは、ナナさんが猫のように小さく体を丸めて寝息を立てていた。この人、普段は真っ赤な鎧に身を包んでいるのだけれど、現在その鎧は我が家のリビングに立てかけてある。というか、勝手にナナさんが鎧立てを持ってきたんだよね。なので、我が家の一角はその場所だけ中世の博物館みたいになっているのだ。
と、鎧の講釈はここまでにしてワタシは言った。
「当然、ナナさんがやったようなおふざけとは違うよ」
自分の結婚資金を集めるためのクラウドファンディングなど、聞いたこともない。
「どう違うのさ?」
「リアル街作りをします」
「リアル…街作り?」
オウム返しに疑問を口にした繭ちゃんに、ワタシは続ける。
「そそ、この街の人たちからお金を募って、それを元手に商店街を発展させていくんだよ」
「テレビゲームみたいなことを実際の街でやるってこと?」
「平たく言うとそういうことだね。でも、ここでキーワードになってくるのが『応援』なんだよ」
「…応援?」
繭ちゃんは、さらに怪訝な表情を浮かべていた。それでもかわいいというのは、もはや神さま公認のチートではないだろうか。
「自分たちが応援したいお店に『お布施』をするんだよ」
ここでいうお布施とは元々の仏教的な意味合いのものではなく、オタクの推し活的な意味でのお布施だ。
「でもさ、花ちゃん…この世界にそういうお布施の文化ってないだろうし、うまくいくの?」
「勿論、うまくいかないだろうね」
「え…?」
「そのままだとうまくいかないから、街作りなんだよ」
「どういうこと?」
「お布施をした人は、お店側に要求ができるんだよ」
ワタシは、そこで軽く人差し指を繭ちゃんの目の前で振った。なんだか楽しくなってきたからだ。
「例えば、繭ちゃんがおにぎり屋さんをしていたとするよね。そのお店に、ワタシがお布施をするんだよ」
繭ちゃんは、沈黙したままワタシの言葉を聞いていた。この子はアナログゲームを自作したりするし、顔だけじゃなくて頭もいいんだよね(親バカ)。
「そしたら、ワタシは繭ちゃんにお願いができるようになるんだよ。『新しいメニューを作って』とかね」
「花ちゃん好みの新しいおにぎりってことだね」
「それだけじゃなくて、他にも『内装を青色に変えて欲しい』とか『店の前に座って食べられるベンチを設置して』とかもありだね」
「なるほど…自分の好みにお店が合わせてくれるってことかぁ」
「勿論、お店にはそれを拒否する権利もあるよ。あんまり無茶なお願いとかされたらお店が潰れちゃうからね。こういうのは、あくまでもウィンウィンじゃないといけないよ」
「でも、花ちゃん…金銭的に余裕のないお店とかは、お布施をもらってもその『お願い』に応えられない場合もあると思うよ」
繭ちゃんの意見はもっともだ。けど、それも当然、想定内だよ。
「そういうお店は、お休みの時にお布施をくれた人に個人的なお手伝いをする…とかでもいいと思うよ。何も、お金を使うことだけが恩返しじゃないからね。勿論、これもお店側が拒否することも可能だけど」
「何となく、花ちゃんの考えが見えてきたよ。要するに、お店側とお客さんたちの距離を縮めようとしてるんだね…まあ、それがお布施っていう手段なのは良し悪しあると思うけど、ボクのお仕事もアイドルだからとやかく言えないしね」
「繭ちゃん…」
この子は、意外とお金に対しても真摯なんだよね。お金の使い道というか、使いどころを知ってるっていうか。
「じゃあ、花ちゃん…これで商店街の活性化の方向性も見えてきたってことだね」
「うん、自分がお布施をしたお店が気になるから、商店街に足を運ぶ機会も増えると思うんだよ。それに、お店とお客のコミュニケーションも増える」
「人が増えれば、その分だけ活気も出るってことだね」
その活気の重要性を、繭ちゃんは誰よりも知っている。その活気を味方につけ、アイドルとしてここまで躍進したのが繭ちゃんだからだ。
『ふむ、大きなシノギの匂いがするのぉ』
「…幼女の顔でシノギとか言わないでくれるかな」
というか地母神さまが口にしていい台詞ではない。
結局ティアちゃんにフィッシュアンドチップスのお魚を全て平らげられてしまった。まったく、後で晩ご飯が入らなくなっても知らないからね。
そんなティアちゃんは、ワタシの膝の上に乗ってきて言った。
…あ、この子の手って油でベトベトのままじゃない!?
『しかし、それでよいのか、花子?』
「確かに、もっと細かい点を煮詰めていかないとうまくはいかないだろうけど…」
ワタシは、ティッシュでティアちゃんの指をキレイにしていく。
『そうではない。ほれ、言われておったんじゃろ…商店街を潰して欲しい、と』
ティアちゃんは物騒な言葉を口にしたけれど、それをワタシに頼んだのはティアちゃんではない。商店街の会長の娘であるジェシカさんだ。
「ああ、そのことか。でも、ワタシにそんなことを言われても困るよ…商店街なんて壊せるわけないからね」
物理的にも、存在的にも。
「そもそもなんでジェシカさんがそんなことを言ったのかすら分からないんだよ」
結局、理由を教えてはくれなかった。理由をきいたところで、そんな依頼を受けられるはずもないけれど。
『まあ、そうじゃろうなぁ』
ティアちゃんは、ワタシの膝の上で腕を組んでいた。
そこで、次の会話の流れをどうしようかと考えていた矢先に、呼び鈴が鳴った。ティアちゃんが全く動かなかったのでワタシも動けず、繭ちゃんが応対をしてくれた。玄関に向かった繭ちゃんが戻って来た時には、ワタシの見知らぬ若い男性を連れていた。はて、どちら様だろうか?
…まさか、繭ちゃんの彼ピとか言わないよね!?
そんなの許さないよ、繭ちゃんのお母さんとしては!
「繭ちゃん、そちらの方は…?」
場合によってはあの男性と差し違える覚悟で、ワタシは問いかけた。
「ええとね、騎士団の人だって」
「騎士団…?」
繭ちゃんは騎士団という単語を使ったが、ぱっと見は薄手のセーターを羽織ったニット帽の優男にしか見えなかった。
「お久しぶりですね、花子さん」
「あ、お…お久しぶりです?」
ニット帽の男性に声をかけられ、おどおどと返答したワタシだった。
…っていうか、向こうはワタシのこと知ってる?ワタシが忘れてるだけ?
だとしたら、ワタシ、とんでもない失礼をかましてることになるんですけど!?
そんなワタシの様子から察したのか、騎士団の男性はワタシに言った。
「ディーダです、団長をお迎えに来ました」
「あ、それはそれは…お疲れさまでございます」
名前を忘れていたという負い目があるので、ワタシは狼狽えた返答しかできなかった。
そして、そんなワタシたちのことなどおかまいなしに、当の騎士団長殿はよそ様の家で高鼾を決め込んでいる。
「ほら、ナナさん…騎士団からお迎えが来ましたよ…団員さんたちに迷惑をかけちゃ駄目でしょ」
おかんムーブで場を整えながら、ワタシは自分のペースを取り戻していく。よし、今ならディーダさんとも普通に会話ができそうだ。
「大変ですよねぇ、ディーダさんも…ナナさんのお世話で」
「そうですね…特に、今は怪盗の件で騎士団も天手古舞ですから」
「え…怪盗?」
今、ディーダさんは怪盗と言ったのか?解答でも解凍でもなく、怪盗と?異世界なのに?
…これ、確実に面倒事が起こる流れだよね?