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3 『神さまはお留守だよ、有給取ってベガスに行ってる』

 なぜ、オタクという生き物は自ら『沼』にはまりにいくのだろうか。

 勿論ここでいう沼とは物理的な水たまりのことではない。どちらもキレイな水ではないという共通点はあるけれど。

 各々のオタクたちが興味を持つ世界(ひどく狭い)のことを、『沼』と呼称するのだ。

 当然、その沼は種類も無駄に多岐にわたる。

 オタクの代名詞といえば、やはりアニメオタクだろうか。最近は海外にもアニメの沼にはまったオタクさんたちがいるのだそうだ。他には鉄道やらアイドルやらのオタクがいて、料理やペットにはまる人たちもオタクと呼んで差し障りはない。スポーツや筋トレにはまっている人たちも、ある種のオタクである。要は、望外な時間を注ぎ込んでいれば、なんであれそれはオタクである(暴論)。

 そして、皆さんもご存知だとは思われるが、オタクというのは非常に厄介な生き物である。

 ワタシの身近にも一匹いるけれど、その生態は常人には理解しがたい。自分から望んで沼に沈んでいるくせに、親指を立てながら『アイルビー・バック』とか意味不明なことを口遊(くちずさ)む習性を持っているのだから手に負えない。

 …いや、自分でも何を言っているのか分からなくなってきた。

 ただ一つ理解して欲しいのは、オタクとは無駄に行動力が並外れていて、その結果で周囲に実害をもたらす存在である、ということだ。


「…………」


 そこで、一つ溜め息をついた。

 先日の月ヶ瀬雪花さんの行動を思い出したからだ。

 …あの人、平気の平左でナマモノを描くんだよね。

 ここで語るナマモノとは当然、食品のことではない。煮ても焼いても食えないのがオタクという生き物であることに間違いないけれど…。

 ナマモノとは、実在の人物をそのままモデルにして漫画などの二次元のキャラに落とし込むことだ。当たり前だが、これは許されることではない。肖像権という問題もある。いや、この異世界ソプラノにそういった法があるのかは知れないが、人として超えてはいけないラインの一つであることは間違いない。

 実際にナマモノの被害に遭った人たちは、もれなく微妙な顔をしていた…そりゃそうだよね。

 

「…………」


 そのラインを平気で超えるのが雪花さんなんだよね…いや、雪花さんたちなんだよね。『転生者』である月ヶ瀬雪花さんはこの異世界に同人誌文化を持ち込んだ。まあ、持ち込んだというかこの街の人たちに認知させたというべきか。元々、この王都にも同人誌の文化はあったらしい。ただ、それは内々で回し読みをしているだけの細々とした活動だったようだ。

 そこに、雪花さんは同人誌の即売会というイベントを持ち込んだ。しかも、店側やお客といった商売っ気のあるものではなく、売る側も買う側も参加者で、イベントのスタッフも全員が参加者になれるお祭りだ。こうした互助的なお祭りはこちらの異世界では開催されていなかった。所謂、コミケと呼ばれるあのイベントと同じ方式だ。正直、あの偏屈なイベントを純朴なこの異世界に持ち込むのは無責任に外来種を放流するくらいヤバいと思うのだけれど…。

 いや、この間はそれ以上に頭のおかしいイベントを開いたんだよね、雪花さんたちは。

 …だって、ナマモノ限定の同人イベントを開催するとか、正気の沙汰じゃないよね?

 前にそれで投獄されたことを忘れたのかな、あの人は?

 世界を跨いだ文化の持ち込み自体は禁止されてもいないし黙認されてるみたいなところがあるんだけど…限度ってあるよね、やっぱり。怒られなければ何をしてもいいというわけではないのだ。

 というわけで、ワタシとしてはオタクという生き物を恥じています。特に、そのオタクを生み出したのがワタシの故郷である点を鑑みても…。


「…というわけなんですよ!」


 喫茶店のガラスのテーブルに並んで座っていたワタシたちの対面には、先ほど慎吾が助けた眼鏡の青年が座っていた。

 いや、ただ座っていただけではない。この王都の歴史について、熱弁をしていたのだ。熱弁と言いながら、やたらと湿度のある語り口だったけれど。そして、この人の語り口には覚えがある。というか、BLを語っている時の雪花さんと同じなんだよね。

 つまりは、この人もオタクだったというわけだ。

 どうやら、世界を隔ててもオタクという生き物は存在していることが証明された悲しい瞬間である。これ、どこぞの学会で発表してもよろしいのではないでしょうかね。


「それでですね…」


 眼鏡の青年(ガンギさんという名だそうだ)は、先ほどからフルスロットルでこの王都の歴史について語っていた。俗にいう歴史オタクというヤツである。ワタシがいたあの国にもたくさんいたみたいだけどね、歴史方面のオタクも。まあ、あの国には歴史の資料だけではなく、他にも多種多様な資料が山ほど残っていたそうだし、研究者の人たちにとってはやりがいがあったんだろうね。

 いや、資料がたくさん残っている時点で国民の大半がオタク気質だったとも言えるのかもしれないね?


「少々、話過ぎてしまいましたか…」


 一方的に喋り続けていたガンギさんは、さすがに疲れたのかアイスコーヒーでのどを潤した。ガンギさんの声が止むと、周囲の音がよく聞こえるようになった。ワタシたち以外にも、お店の中にはたくさんの人がいて、思い思いにお喋りに興じていた。言葉は悪いが、有閑マダムたちのたまり場とも言えなくはない。そんな格式のありそうな喫茶店にワタシたちのような若輩が混ざっていて場違いではないかと尻込みをしていたのだが、ガンギさんや慎吾はあまり意に介していなかった。でもさ、壁にはお高そうな油絵とかかかってたんだよ?


「すみません、私ばかりが喋ってしまいまして…」


 排熱でもするように、ガンギさんは大きく息を吐いていた。あれだけ喋ればそりゃ熱もこもるよね。失礼ではあるけれど、ワタシだって、疲れて途中からあまり聞いていなかったのだ。


「すごく面白かったですよ。特に、この王都の歴史の始まりのところなんかは」


 疲弊したワタシとは違い、慎吾はガンギさんの話をきちんと聞いていたようだ。男の子ってやっぱり歴史とか好きなのかな?


「はい、私もそう思います…この世界においても、この王都の成り立ちは異質なんですよ」


 慎吾が喰い付いたからか、ガンギさんの表情はまた色めき立つ。黒檀(こくたん)っぽいテーブルに乗せていた手を少し上げ、手ぶりを交えながら第二ラウンドを始める。

 

「なにせ、この王都の歴史は商店街から始まったのですから」

「それって、そんなに特別なことなんですか?」


 問いかけたのは慎吾だったけれど、それはワタシも気になっていた。ガンギさんは、確かにそう言っていた。先ほど、慎吾がひったくりから荷物を取り返したあの時に。


「そうですね、私が知っている範囲での話になりますけれど…国の成り立ちというのは、その地域の有力者が他の地域の有力者を呑み込むことで大きくなっていきます。なので、世界観の根幹にあるのは『人』なのですよね。大体の歴史書にはこう書かれています。誰々が神さまから力や使命を賜った、と。または、『神』がこの世界を創造した、と。しかし、この王都だけは違います。先ずは場所ありきなのですよ。しかも、その始まりの場所が商店街とされているのです」

「最初に商店街ありき、ですか…」

 

 考え込む慎吾と同じように、ワタシも考え込んだ。

 ワタシも神話などには詳しくないが、ガンギさんが語るように、世界の始まりには『神』や『人』などが関わってくるものではないだろうか。それなのに、神さまは無関係なのか?この世界なら、神さまも実在するよね?それで関係ないということは、『神さまはお留守だよ、有給取ってベガスに行ってる』ってことなのだろうか?

 …だとしても、国の歴史が商店街から始まるとは思えないのだけれど。


「それは、どういうことなんですか?」


 一頻(ひとしき)り考え込んだ後で、慎吾は問いかける。そうだよね、考えて答えが出る問題じゃないよね、これは。


「ええと…国の(おこ)りが商店街というとピンとこないかもしれませんが」


 ワタシたちの表情から察したのか、ガンギさんはそう前置きしてから続きを語った。


「要するに、この辺りには交易所…人や物が集まっていたということですよ」

「人や物が集まってくれば、国ができるっていうことですか」

端折(はしょ)っていえばそういうことですけれど…勿論、それだけで国は興りません」

「それだけじゃない?」


 慎吾が合いの手を入れてくれるからか、ガンギさんは嬉しそうに話していた。


「人が集まるためには、何らかのアイコンが必要です。しかも、国が興るとなればそれなりに格式のある象徴的なアイコンが必要となります」

「国が興るほどのアイコン…」


 そう呟いていた慎吾に、ワタシが横から割り込んだ。だって、気になってしまったのだ。


「もしかして、そのアイコンがあるってことですか…あの商店街に?」


 ワタシがよくコロッケを買い食いするあの場所に。よくチキンサンドを買い食いするあの場所に。よくソフトクリームを買い食いするあの場所に。よく肉まんを買い食いするあの場所に。よく…。


「そういうことですよ」


 ガンギさんは、我が意を得たり、といった面持ちをしていた。

 …けど、国に始まりに関わるほどのアイコンってなんだ?


「『三種の神器』…?」


 思わず、ワタシは口に出してしまった。

 ワタシがいたあの国に存在している、象徴的なアイコンの名を。


「さんしゅのじんぎ…?」


 ワタシの言葉を、ガンギさんはオウム返しに呟いた。


「あ、その、ええと…」


 慌てて誤魔化そうとしたけれど、うまく返答できなかった。


「ああ、それは花子がいつも持ち歩いている調味料のことですよ」

「…調味料?」


 ガンギさんの瞳が、驚きでさらに丸くなっていたけれど、それ以上に丸くなっていたのがワタシの瞳だ。

 ワタシがいつも持ち歩いている調味料?

 なんで慎吾がそのことを知ってるんだよ。誰にも言ってなかったはずなのに…でも便利なんだよね、買い食いをする時に味変できるから。


「確かに、神器というのは存在しています」

「「…え?」」


 ワタシと慎吾は、同時に言葉を失っていた。

 神器が、確かに、存在している?

 …いや、この異世界にはホンモノの神さまも存在している。

 なら、神器と呼ばれる存在が実在していても不思議ではないが。


「その神器って、どんなものなんですか?」


 少しだけ、前のめりで問いかけた。あの商店街には割りと入り浸っているワタシではあるが、神器なんてものの話は聞いたことがなかった。


「私も実物を見たことはないのですが…」


 と、前置きをしてからガンギさんは語り始めた。

 …というか、この言い方だと今でも現存していそうだよね、その神器は。


「夢を、現実に変えることができたそうですよ」

「夢を…現実に?」


 え、それって…どんな荒唐無稽な絵空事も現実化できちゃうって、こと?もし〇ボックスってこと?

 …………ちょっと、シャレにならなくない?

 やらかし女神のアルテナさまや酔いどれ天使のシャルカさんも、その神器については何も語らなかった。もしかすると、それだけアンタッチャブルなシロモノなのかもしれない。


「先ほども言いましたが実物は見ていませんし、歴史書を読んだだけなので、私も正確なことは分かりません。しかし、少なくとも過去にそういった奇跡が起こったことは残されています」

「あの、それって…」


 問いかけたのはワタシだったが、隣りの慎吾も気になっている様子だった。普段の慎吾は、奇跡やらファンタジーやらにはあまり興味を示さないところなのだけれど。

 しかし、ワタシのその疑問は遮られた。低く、そして不機嫌を隠さない声に。

 

「まだこんなところをうろちょろしているのか」


 その声は、排他的だった。好意など微塵もなく、ただただ威圧をするためだけの声。いや、台詞そのものが、そもそも既に排他的だった。

 恐る恐る、ワタシはその声の主に視線を向けた。そこにいたのは、無骨な作業着に身を包んだ、いかにもな職人姿の男性だった。その飾り気のない作業着姿が、やけに板についている。それだけの年月を、その作業着と共に過ごしてきたことはワタシにも分かった。

 そして何より、ワタシはその声に覚えがあった。


「会長…さん?」


 思わず、口に出してしまった。

 不機嫌を隠そうともしていなかったのは、あの商店街の会長さんだ。そして、商店街の会長ということは、ワタシたちに『商店街を壊して欲しい』などと言ってきたジェシカさんの父親でもあり、ワタシに『商店街の活性化』依頼してきた人物でもある。

 ただ、今のこの人はジェシカさんの父親の『顔』でも、商店街の会長の『顔』でもなかった。

 ガンギさんという学者に敵意を向けるだけの、ただの男性だった。


「やあ、花子さん」


 ワタシの声を確認した商店街の会長さん…ジェームズさんは、気さくな表情を浮かべていた。その瞳は、微塵も笑っていなかったけれど。


「そっちにいるのは、慎吾ちゃんだね」


 ワタシの名を読んだ後、ジェームズさんは慎吾の名を読んだ。それも、ワタシよりも親し気に。思わず、小声で慎吾に問いかける。


「慎吾も会長さんのこと知ってたの?」

「言ったろ、うちの野菜は大体あの商店街に卸してるって」

「そういえば言ってたけど…」


 …でも、けっこう親しそうだよね?


「慎吾ちゃん、この間の試合は楽しかったよ。野球をやる時にはまた俺も呼んでくれよ」

「勿論ですよ、ジェームズさん」


 という二人の会話を聞いて、何となく察することができた。慎吾はこの王都に野球を持ち込んだ先駆者でもあるし、仕事上の付き合いだけじゃなくてプライベートでも接点があったんだね。

 と、ワタシたちとは朗らかに挨拶を交わしたジェームズさんだったけれど、そこまた視線がガンギさんに戻ったところで、その熱が急速に冷えた。


「しかし、慎吾ちゃん、花子さん…こんなどこに馬の骨とも知れないヤツとは縁を切った方がいいよ」


 ジェームズさんは、ガンギさんに敵意を隠そうともしなかった。

 …けど、なぜだ?

 ガンギさんはただの研究者じゃないのか?しかも文無しだよね?

 そんなガンギさんは、ジェームズさんに反論をしていた。


「ジェームズさん…確かに私は無名の学者ですけれど、この街で悪さをしようとは思っていません」

「こんな寂れた商店街にのこのこ顔を出す時点で怪しいんだよ」

「いえ、この商店街は歴史的にみても価値がありますし、もっと調査をするべきです」

「お前のような身元の胡乱(うろん)なヤツの言葉など信じられるか」


 ガンギさんの言葉を一蹴した後、ジェームズさんはさらに語気を荒げた。


「何よりも…ジェシカを(たら)し込んだヤツの言葉など信じられるか!」


 …ジェシカさんを、誑し込んだ?

 ガンギさんが?

 何やら、事情が込み入って来たぞ?

 この場にいていいのか、ワタシたち?


「いえ、私はジェシカさんに色目など使ったことはありませんよ…?」


 ガンギさんも本気で困惑しているようだった。

 …これ、素のリアクションじゃない?

 ガンギさんとしては、ジェシカさんに言い寄ったりしていないということか?

 それなら、どうしてジェームズさんはここまで怒気を隠そうともしていないんだ?


「兎に角、うちのジェシカとの交際など認めんからな!うちのジェシカの婿は、そこにいる慎吾ちゃんと決まっているんだよ!!」

「え?」


 …………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………………え?

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