4 『初歩的なことだよ、雪花さん』
「この最終テーマにおいては、『花』の色をワタシが決めさせてもらうよ!」
ワタシは高らかに宣言した。
胸を張り、左手を腰に、右手は掲げて人差し指を天井に向ける。
けど、そんなハイテンションなワタシと対照的に雪花さんも繭ちゃんもぼんやりとした表情を浮かべていた。そして、その茫洋とした表情のまま雪花さんは問いかける。
「ええと、花子殿が『花』の色を決めるとは…どういう意味でござるか?」
「そのままの意味だよ。『花の字に相応しい乙女』を決めるっていっても、花の種類なんてそれこそ千差万別だよね。そして、そのイメージはジャッジである繭ちゃんが自分で決めてた」
ワタシの言葉に二人は頷いていた。腑に落ちない表情のまま、だったけれど。
「だから、最後はワタシがその花のイメージを…色だけでも決めさせてもらうよってことだよ」
「花の色のイメージ…で、ござるか」
ワタシの真意を測りかねていた雪花さんは、考え込む。ここでワタシの条件を呑むことで、自分にどんな不利益があるのか、と。
けど、条件を呑ませたのは雪花さんも同じだ。本来なら最後のテーマを決めるのはワタシだったのに、その権利を繭ちゃんに渡してしまった。しかも、雪花さんは繭ちゃんを誘導し、ラストのテーマを自分に有利な『音楽』というジャンルに決定させている。
なら、ワタシが『花』の色を指定するくらいの譲歩を引き出してもバチは当たらないのだ。
そして、雪花さんではなくあの子ならこう言うだろうね。そろそろ本気で面倒くさくなっているだろうから。
「別になんだっていいよ…これで最後なんだよね」
「繭ちゃん殿…!?」
驚く雪花さんと驚かないワタシに、繭ちゃんは言った。
「じゃあ、ボクはどんな『花』の色をイメージすればいいの?」
「そうだね、繭ちゃんには…『白い花』のイメージで決めてもらうよ」
「…白い花?」
「うん、白い花のイメージで、ワタシと雪花さんのどちらが『花の字に相応しい乙女』なのかを選んでね…テーマは『音楽』で」
本来、『音楽』がテーマとなればワタシに勝ち目はない。雪花さんはお嬢さまだけあってピアノやヴァイオリンにも精通しているからだ。繭ちゃんだって、ストレートに『花の字に相応しい乙女』として雪花さんを選ぶ。
でも、白い花のイメージをワタシが指定したとなれば…風向きは変わる。きわめて無軌道に、ね。
「『白い花のイメージに相応しい乙女』はどちらか、か…音楽に関して、だよね」
普通なら即決するはずのテーマに、繭ちゃんは考え込んでいた。
だけど、考え込んだだけでは結果は変わらない。順当に雪花さんが選ばれるだけだ。だから、ワタシは囁く。負けられないからね、搦め手だって躊躇しないよ。
と、そこで繭ちゃんは思い出したように呟いた。
「あ、音楽といえばこの間のイベントで着た衣装はちょっと派手だったかなぁ…あの赤色はボクには合わなかったかも」
「そんなことは今はいいんじゃないかな!?」
「そうでござるよ!ほら、白いお花のイメージを浮かべてくだされ!」
「…いきなりどうしたの、二人とも?」
「とりあえず白いお花だよ!繭ちゃんだって白いお花は好きだよね!?」
「え…まあ、そうかもしれない、ね?」
ワタシと雪花さんの剣幕に圧されながら、繭ちゃんはそう言った。おそらく、脳内ではアネモネやシロツメクサ、桜などの淡い白色の花弁を思い浮かべている。
…ふぅ、危ない危ない。
「いいよね、ワタシも白いお花が一番、好きなんだ…目立たないけど、でも、周りの花と協調してる感じがしてさ」
「周りの花と協調…?」
「そうだよ、繭ちゃん…白いお花はね、周りのどんなお花とも仲良くできるんだ」
「仲良く…かぁ」
繭ちゃんは、ワタシの言葉を咀嚼するように繰り返す。それを嚥下するために、細かく細かく噛み砕く。
うん、その調子でお願いするよ。
「白いお花はね、周りのみんなを明るくしてくれるんだ…まるで、『あの子』みたいだよね」
「花ちゃん、それは…」
繭ちゃんの表情が、微かに曇る。
今の繭ちゃんにとって、『あの子』の話題はタブーに等しい。
誰よりも、『あの子』は繭ちゃんの傍にいた。誰よりも、繭ちゃんと長い時間を共有してきた。
…けれど、二度と会えない遠い場所へ帰ってしまった。
勿論、ワタシたちもそれを望んでいたし、繭ちゃんだって『あの子』が家族の元に帰ることを心の底から願っていた。
でも、二度と会えないお別れが痛くないはずは、ないんだよね。
そして、そのお別れの痛みを、ワタシたちは誰よりもよく知っていた。
だから今、繭ちゃんは『あの子』のことを思い出して胸が痛んでいる。
思い出させたのは、ワタシだけれど。
そして、さらに続ける。
シロちゃんとの思い出を、語る。
「あのお祭りの時もさ、シロちゃんはずっと頑張ってたよね…繭ちゃんのサポートを、一生懸命やってたよね」
「ボクのサポートじゃないよ、あのお祭りでメインを張ってたのはシロちゃんの方だよ」
水鏡神社のお祭りに、繭ちゃんとシロちゃんは巫女として参加した。本来の巫女さんが怪我をしたのでその代理だったけれど、それでも二人はその代役を立派に務めて神楽を舞った…男の子だったけれど、そこには目をつむることにする。お祭りは大盛況だったしね。
「でも、普段のステージとかだとシロちゃんは繭ちゃんをサポートしてくれてたよね」
「シロちゃんのお陰で、ライブでのパフォーマンスは格段に上がったよ…シロちゃんがいてくれるだけで、ボクはリラックスできていたからね」
繭ちゃんは軽く俯いていた。床の木目は、繭ちゃんに何も語ったりはしない。だから、その代わりにワタシが語る。
「そうだね、シロちゃんがいてくれたから、繭ちゃんだって今までよりも輝けたんだもんね」
実際、シロちゃんは裏方として優秀だった。本人は目立つのが苦手だけれど、観察力があったんだよね。その観察眼のお陰で、繭ちゃんも随分と助けられていた。
「ああいう献身って、目立たないけど大事だよね。だから、シロちゃんは…」
「だから、シロちゃんは白いお花と同じだって言いたいんでしょ」
ワタシの言葉を、繭ちゃんは遮った。
「そうだよ。シロちゃんが来てから、繭ちゃんは本当に活き活きしていたからね」
「…………うん」
そこでまた、繭ちゃんの表情が曇る。シロちゃんがいたあの日々を、反芻している。
だけど、シロちゃんがいたあの日常は、もう帰ってこない。その痛みを引きずったまま、これからも過ごしていかなければならない。
でも、シロちゃんのいた日常が無くなっても、何も残らなかったわけじゃない。繭ちゃん自身が、それを絶対に認めない。
何も残っていなかったら、それは、シロちゃんがいなかったのと同じになってしまうから。
「でも…ボクを支えてくれていたのは、花ちゃんも一緒でしょ」
「繭ちゃん…」
「シロちゃんは、ボクをたくさん支えてくれたよ…でも、この世界に来たボクを最初に支えてくれたのは、花ちゃんでしょ」
繭ちゃんは、そこでワタシから瞳を逸らした。逸らしたけれど、言葉は途切れなかった。
「この世界に来てすぐの頃のボクは、ただただ臆病だったよ。自分が死んだ理由も分からないまま…ううん、自分が死んだことすら理解してなかったのに、いきなりアルテナさまから『転生しました』とか言われたしね」
「…そうだったね」
今の快活な繭ちゃんとは異なり、この異世界ソプラノに来た当初の繭ちゃんは塞ぎ込むことも多かった。
「でも、花ちゃんがいてくれた…花ちゃんだけじゃないけど、花ちゃんはたくさんボクとお話してくれたよ」
「うん、懐かしいね」
繭ちゃんとは、二人でたくさん散歩をした。色々な場所に行った。服屋さんに行ったり公園に行ったりドーナツ屋さんに行ったり…そうしていると、少しずつ繭ちゃんの心もほぐれていった。
「それで、ボクがこの世界に慣れてきた頃に花ちゃんは言ってくれたよね。『アイドルをやってみたいならやるべきだよ』って…ボク、最初はけっこう尻込みしてたけど」
「そういえばそうだったね」
今の繭ちゃんからは想像できないけれど、あの頃の繭ちゃんは自分に自信がなかったんだよね。まあ、今まで何の経験もなかったのに、いきなりアイドルというのは中々にハードルは高いよね、
「けど、花ちゃんはそんなボクの背中を押してくれた…やりたいことができるのにやらないのはもったいないよって。後悔なんて、元の世界に置いてくればいいんだよって」
「ワタシはやりたいことなんてほぼほぼできなかったからね…」
元の世界でのワタシは病魔に蝕まれ、好きなことも、嫌いなこともろくにできなかった。だから、繭ちゃんにはそう言ったんだ。後悔なんて元の世界だけで十分なんだよ、ワタシたちは。
「とまあ、そんな感じで…花ちゃんはボクを応援してくれたよね」
「繭ちゃんが頑張ってると、ワタシも何者かになれた気がしたからね」
繭ちゃんみたいに、ワタシには明確な夢や目標はなかった。元の世界では、夢を見ることも許されていなかったからね。
だけど、こっちにきてからのワタシはそれでもよかったんだよね…というか、健康な体があるだけで、自分の足で好きにほっつき歩けることにワタシは満足していた。幸せって意外と相対的なものなんだよね。
「だから、不本意であるけど、この最後のテーマは…花ちゃんの勝ちだよ」
繭ちゃんは、そこで勝者としてワタシの名を呼んだ。
ワタシは、勝利の咆哮を雄叫ぶ。こぶしを握り締めて。
「よっしゃあああああぁ!!」
「異議あり!本件のテーマは『音楽』だったはずでは!?なら選ばれるのは拙者のはずでござるよね!?」
当然のように、雪花さんは異を唱えた。
当然のように、ワタシはそれに反応する。
「初歩的なことだよ、雪花さん!」
「花子殿…」
「勝負の結果を決めるのは、あくまでも審判である繭ちゃんだからね。その繭ちゃんが白だって言えばカラスだって白になるんだよ!」
「それは詭弁では!?」
「詭弁は勘弁なんて神さまは言ってないんだよ!」
「だから、なんでこんなゲームでそんなに二人とも必死なのさ…」
鬼気迫るワタシたちに繭ちゃんは呆れ顔だった。
しかし、呆れ顔のままではあるが、繭ちゃんは雪花さんに言った。
「確かに『花の字に相応しい乙女』を音楽のテーマで選ぶなら雪花お姉ちゃんの方が相応しいよ」
「では、繭ちゃん殿…」
「ただ、音楽ってさ、一人でできないことも多いよね。少なくとも、ボクはそうだったよ。花ちゃんがいて、他のスタッフさんたちがいて、シロちゃんがいた…だから、ボクは舞台に立ち続けられたんだ」
「ぐぬぬ、それは…」
「そもそも、ボクにとっての『音楽』って誰かとつながることだからさ…一緒にやってくれる人たちがいないと始まらないんだよね」
繭ちゃんは、そこで軽く微笑んだ。美少女であり、美少年でもあるデュアルな微笑みがそこにあった。
雪花さんもその笑顔には勝てなかったようで、すごすごと引き下がるしかない。
「それが、繭ちゃん殿の『音楽』でござるか…」
「ごめんね、『演奏』ってテーマなら雪花お姉ちゃんの勝ちだったんだけど」
再び、繭ちゃんは笑顔を浮かべていた。今度は、少しだけ悪戯っ子のような少年寄りの微笑みで。
「仕方ないでござるな…まあ、その繭ちゃん殿のスマイルが見られただけで良しとするでとざるよ。では、失礼するでござりまする!」
と、雪花さんはワタシたちに背を向けてリビングから立ち去ろうとしていた。きわめて自然だったので、ワタシはその背中を呼び止める。
「雪花さん、何処に行くんですか?」
「え、いやぁ…ゲームも終わったでござるから、自分の部屋に戻ろうかな、と」
「あらあら、解散するのは早いんじゃないですかねえ…ゲームはまだ終わっていませんよねえ、雪花さん」
苦笑いを浮かべる雪花さんと、薄笑いを浮かべるワタシを、繭ちゃんが不思議そうに眺めていた。




