3 『身構えている時には、死神は来ないモノでござるよ』
「今回のテーマは拙者の勝ちでござるなぁ!」
「よっしゃ、ここはワタシが取り返したよ!」
「くぅ、テーマの選択をミスったでござるか…」
「え…繭ちゃん、なんでそっちが『花の乙女』なの!?」
ワタシと雪花さんの『花の字に相応しい乙女』の座を巡る戦いは、さらに加速していく。そもそもの『乙女度』が伯仲しているので、抜きつ抜かれつデッドヒートが展開されていた。
「やるね、雪花さん…まさか、ここまでワタシに食い下がってくるとは思っていなかったよ」
「それはこっちの台詞でござるなぁ」
二人で不敵に微笑み合うワタシたちの傍らで、繭ちゃんがため息をついていた。
「ごめんね、繭ちゃん。ワタシたちが盛り上がり過ぎちゃって」
「はしゃぎ過ぎるのも限度があるからね…」
「そうだね。繭ちゃんの言う通り、良くも悪くもちょっとはしゃぎ過ぎちゃったかなー」
「ボクは悪い意味でしか言ってないからね!」
リビングに繭ちゃんの咆哮が響く。
盛り上がってきたね、クライマックスに向けて。九
ここまで行った九戦の戦績はほぼ互角だった。一応、ワタシが一ポイントだけリードしている。けれど、この段階でのリードなんてあってないようなものだ。どうせ、どっちが負けてたとしても『ラストのテーマは一億点だよ!』とか頭の悪いことを言い出すのだから。
そして、残るテーマは後二つというところまで消化していた。
「あと二つ、か…」
聞こえない声でワタシは呟き、表情に出さずサイレントにほくそ笑む。
…これは勝った、と。
テーマは残り二問というところで、現在の選択権は雪花さんが持っていた。仮にここを取られたとしても、次の最終課題のテーマはワタシに選択権が回って来る。
そうなるように、ワタシが仕向けていた。
初期の段階で雪花さんに二戦連続で選択権を譲っていたのもそのためだ。そもそも、この『花の字に相応しい乙女』を決めるゲームはテーマを決める側が圧倒的に有利なんだ。そりゃそうだよね、自分の有利なテーマを決めていいんだから。
なら、ラストのテーマを決定できる方が勝者と断言してもおかしくはない。
「さあ、次は雪花さんの番ですよ」
ワタシは雪花さんに次の課題を出すように促した、きわめて自然体で。
「では、お次のテーマは…『花の字に相応しい乙女』としては、スポーツも得意でなければならないでござるな」
「スポーツ…?」
正直、それはまずいね。腐女子のくせに運動神経がいいからね、雪花さんは…。というか、お嬢さまだけあってこの人は色々と多才なのだ。まあ、そんな相手に一ポイントとはいえリードしている花子ちゃんこそが、中々のモノなんだけどね(自画自賛)。
「そうだね、スポーツかぁ…」
おや、繭ちゃんの様子が…?
てっきり即決するのかと思ったが、繭ちゃんは考え込む素振りを見せていた。スポーツが得意な方が、『花の字に相応しい乙女』のはずだ。それこそ華があるからね。
そして、少しの間、俯いて思案していた繭ちゃんが口を開いた。
「まあ、スポーツできる方が花の字に相応しい、かな…というわけで雪花お姉ちゃんかな」
やや歯切れの悪い言い方ではあったが、繭ちゃんは決断した。
「よし、これで並んだでござるな!」
雪花さんは喜色を露わにしていた。確かに、運動神経すごいからなぁ、この人は。
「喜んでるところ悪いですけど、振出しに戻っただけですよ」
軽く負け惜しみのようなことを言っておく。でも、別に悔しくはない。いや、これは本当に。だって、本番はこれからだ。だから、ワタシは言った。
「これで十問目が終わりましたね」
「では…次が最終問題でござるな」
最初から、十一問目がラストになると決めていた。そして、十問目のテーマを決めたのは雪花さんだった。なら、次はワタシがテーマを決める番だ。前述したが、このゲームにおける勝敗はテーマを決める者が握っているといって過言ではない。
…よし、勝ったね。
元々、この十問目は雪花さんに取らせるつもりだった。テーマを決める順番などは、そもそも決めていない。最初からその辺りはなあなあだった。そういう流れに持っていったんだけどね。
けど、これで主張できるようになった。十問目のテーマは雪花さんが決めたんだから、次はワタシだよね、と。
そして、ここまでの十問である程度は分かってきた。繭ちゃんにとっての『花』とはどういうものか、が。データは十分、テーマもワタシが決める。となれば、ワタシの勝利は揺るがないね。表情には出さず、心中でだけほくそ笑んだ。あとは、踏み出すだけだ。
「さっきのテーマは雪花さんが選んだから…」
「次がラストでござるか」
言いかけたワタシを、雪花さんが遮った。
そんな雪花さんは続けた。ワタシを、横目で眺めてから。
「なら、最後のテーマは繭ちゃん殿に決めてもらうでござるよ」
「な…………?」
…何を言っている、この腐女子は?
最後のテーマを繭ちゃんに決めてもらう?
ワタシが面食らっている間に、雪花さんは語る。つらつらと。しゃあしゃあと。
「審判だけでは退屈でござろうから、最後くらいは繭ちゃん殿にテーマを決めてもらってもいいでござろう?」
「いや、でも…」
それではワタシのプランが崩壊する。先ほどのテーマは雪花さんが決めた。雪花さんがポイントを獲得した。この流れなら、ワタシがラストのテーマを決定しても問題はなかった…はずだった。
…まさか、ここで繭ちゃんを巻き込んでくるとは。
しかも、これは偶発的な思いつきじゃない。雪花さんは、最初からこの展開を想定していた。ワタシが、最後のテーマで決定権を握りに来ることを読んでいた。だから、審判であるはずの繭ちゃんを巻き込んだんだ。
「さあ、繭ちゃん殿…最後のテーマを決めてくだされ」
ワタシが雪花さんの思考をトレースしている間に、雪花さんはさらに進めようとする。
当然、ワタシは抵抗した。
「雪花さん、いきなりそんなこと言われても繭ちゃんだって困るだろうし…」
「ボクが困るって言うなら、最初から巻き込まないで欲しかったんだけど…」
「楽しみでござるなぁ、繭ちゃん殿がどんなテーマを打ち出してくるか」
「…もしかして、さっきから二人にはボクの言ってることがスワヒリ語か何かに聞こえてるの?」
繭ちゃんがそこで黙ると、時間の空白が生じていた。
…くそ、まさか雪花さんがこんな手で来るとは思わなかった。
どうあってもワタシに主導権を渡さないつもりだね。
絶対に負けられないんだよ、このゲームは…けど、それは向こうも同じか。だからこそ、雪花さんも形振りをかまわない。
なら、このゲームは行く末は繭ちゃんの匙加減一つということになる。
「でも、『花の字に相応しい乙女』って言われてもなぁ…」
テーマを押し付けられたにもかかわらず、繭ちゃんは真面目に考え込んでいた。
そんな繭ちゃんに、雪花さんは語りかける。
「では、繭ちゃん殿の好きなものをテーマにすればいいのでは?」
「ボクの好きなもの、かぁ…」
「ほら、繭ちゃん殿は歌手活動などもしているわけですし、それに関係することをテーマにしてみる…とか」
繭ちゃんのアイドル活動、か…。
と、何の気になしに雪花さんの言葉を聞いていたが、そこで気付いた。
…雪花さんは既に仕掛けている、と。
これは、誘導だ。
遅蒔きながらそのことに気付いたワタシは口を挟もうとするが、それより先に繭ちゃんが口を開いた。
「だったら、その最後のテーマとやらは『音楽』でいいよね?」
「オーケーでござるよ!」
ワタシが何かを言う前に雪花さんが了承した。こうなっては、ワタシがごねたところでもう遅い。完全に後手に回ってしまった。というか、雪花さんがここまで周到だと考えていなかったワタシの落ち度だ。
…何しろ、音楽だ。
「おや、どうしたのでござるか、花子殿」
「何でもないよ…何でもないけど、テーマは音楽で決定なの?」
「まさか、花子殿ともあろうお方が怖気づいたのでござるか?」
「くぅ…」
見え見えの挑発だったけれど、ここで乗らないのはそれこそ乙女が廃る。しかし、この『音楽』というテーマでは圧倒的なアドバンテージが雪花さんにある。お嬢さまだけあってこの人、ピアノとかヴァイオリンが弾けるんだよね。こちとら口笛さえまともに吹けないというのに。
「身構えている時には、死神は来ないモノでござるよ」
勝ち誇ったように、雪花さんはほくそ笑んでいた。
…本当にくっそ腹立つなぁ、腐女子のにやけ面は。
「さて…」
どうするべき、か。
ここでごねてテーマを変えさせるという手もあるにはある。ただ、それだと『花の字に相応しい乙女』ではないと繭ちゃんに印象付けてしまうことになる。別のテーマに移ったところで、その悪印象は消えやしない。
なら、ここで負けた後で、泣きの一回を申し込むべきか?
いや、展開としてはそれもあまりよろしくないね。
仮に泣きの一戦が実現したとしても、一度は負けているという事実がネックになる。繭ちゃんの性格からすれば、泣きの一戦が成立した時点で雪花さんに加点が入る可能性が高い。あと、そもそも『面倒くさい』と言われて泣きの一戦が存在しない可能性も高い。
…あれ、これってけっこう積みじゃない?
「では、繭ちゃん殿…『音楽』というテーマで『花の字に相応しい乙女』はどちらか決定してくだされ!」
既に価値を確信したのか、雪花さんは大げさなポーズで声高に叫ぶ。
マズい、このままでは本格的にワタシの負けだ。それだけは、何としても避けなければならない。
…けど、どうすればいい?
ここで負けたとしてもリカバリのできる方法…。
それとも、そもそも負けない方法…。
咄嗟に思案をするけれど、負けを取り戻す方法も、負けない方法も浮かばない。
「…いや」
できることは、まだあった…。
「そうだね…」
またも、盛大なため息をつきながら、繭ちゃんが勝者を宣言しようとしたその刹那…。
ワタシは、言った。
「ちょっと待ってよ」
「なんでござるか。決着ならもうつくでござるよ」
「その前に、雪花さん…ワタシにも、一つ条件をつけさせてよ」
「条件…でござるか?」
「繭ちゃんにテーマを決めてもらおうって提案したのは雪花さんなんだから、ワタシの言うことも聞いてもらうよ」
そう言われては、雪花さんも口を閉ざすしかなかった。
雪花さんが黙った間隙を縫い、ワタシは言った。
「繭ちゃんがテーマを決めるのはいいよ、そこに異論は挟まない…けど、それならそれで、ワタシからの提案も呑んでもらうよ」
「何が言いたいの、花ちゃん…?」
「そうだね、ワタシが言いたいことはただ一つ…この最終問題においては、『花の字に相応しい乙女』を決めるその『花』の色をワタシが決めさせてもらうよ!」
ワタシの声がリビングで反響し、それらは増幅された。
さあ、反逆の時だよ!




