1 『ありもしない親権をコーランみたいに振り翳すのはもはや脅迫なんだよ…』
『ターゲットを捕捉したよ…』
廊下の壁をブラインドに、リビングの中を覗き込む。標的の姿を確認したワタシは、『念話』で『相方』にそう伝えた。
対象はソファの背もたれに深々と背中を預け、淡い湯気が立ち昇るカップを口元に運んでいる。
『今なら完全に油断してるね…のんびりとコーヒーなんて飲んでるよ』
もう一度、『念話』を飛ばした。『相方』は、実はワタシのすぐ背後にいた。本来ならテレパシーである『念話』を使う距離ではないが、どれだけ小さな声でも口に出せば標的に気取られる可能性があるのだ…という体でスパイごっこを楽しんでいた。
『では、いくでござるか?』
このミッションの『相方』である彼女も、『念話』で返事をする。
『それじゃあ、レディ…ゴー!』
軽く目配せをした後、『念話』と共にハンドサインを示した。
いや、ハンドサインなんてこれっぽっちも知らないけどね。あくまでもそれっぽい手の動きをしただけだ。こういうごっこ遊びには、こういうノリが必要なのだ。
サインと共に動き出したワタシたちは音もなく標的に近づく。標的はこちらに背を向けているので気付いていない。すぐ傍まで近づいた時、ワタシはもう一度(意味のない)ハンドサインを示した。彼女もその(意味のない)サインに呼応する。
ワタシが標的の目の前に陣取り、『相方』の月ヶ瀬雪花さんが標的の背後を塞ぐことに成功した。これぞ、諸葛孔明が敷いたかの有名な石兵八陣である(大嘘)。
「ビックリした…いきなり何なの?」
不意に現れたワタシたちに『標的』…甲田繭ちゃんはびくりと震えていた。シックな紺色のワンピースの肩口が、淡く揺れる。というかこの子、男の子なのにワタシ以上にワンピースを着こなしているのはなんなんだろうか。
…いや、今はそんなことはどうでもいい。
今度は目線だけでサインを送り、ワタシたちは息を合わせた。
せーのっ…。
「「どっちの花×花ショー!!」」
右手を高く掲げ、左手は体の前面を抱くカルメンのようなポーズでワタシは決めた。
雪花さんは、どっしりと腰を落として両手で膝を打った後でその手を空に向かってかざす。どうやらハカの動きを再現していたようだけれど…あっちの方がカッコよかったかな。
「本当に何なの…?」
繭ちゃんは、口元に運んだままのコーヒーカップをテーブルに置くこともせず、そのまま宙ぶらりんだった。
困惑する繭ちゃんにワタシは告げた。
「だから、『どっちの花×花ショー!』だよ」
「だからそれが何なのか知らないんだけど!?」
ようやくカップをテーブルに置いた繭ちゃんに、ワタシは問いかけた。
「あのね、繭ちゃん。ワタシのフルネームは?」
「田島…花ちゃんでしょ」
ワタシの意図が読めなくて怪訝な表情を浮かべていたけれど、繭ちゃんは答えてくれた。そんな繭ちゃんに、続けて問いかける。
「じゃあ、雪花さんの名前は?」
「雪花お姉ちゃんは…なんとか雪花お姉さん?」
「もしかして拙者のフルネーム忘れたのでござるか!?」
まあ、それは地味にショックだよね…雪花さんは半泣きで繭ちゃんに訴えかけていた。
…ワタシも忘れてたけど。
「拙者が投獄されてる間、繭ちゃん殿はあれだけ面会に来てくれたではないですかあ!?」
「先ず投獄されてる時点でおかしいことに気付こうよ…」
そういえばあったなぁ、雪花さんがこの異世界にBLとか同人誌の概念を持ち込んだせいでとんでもない騒動に発展した過去が。
というか『BLの獄』なんて奇矯な事件を異世界の歴史に刻んだ『転生者』は『なろう』広しといえど雪花さんが初じゃないの?
この国の司法も完全に持て余してたからね。『我々にBLは裁けない!』って裁判官の人たちが嘆いてたよ。
「まあ、そんなわけでね、ワタシと雪花さんは考えたわけですよ」
「さっきからボクの言ってること全力でシカトしてる自覚、花ちゃんたちにあるの?」
繭ちゃんはジト目でワタシたちを眺めていた。
そんな繭ちゃんに、ワタシは説明を始める。
「ワタシの名前は『花子』、雪花さんの名前は『雪花』…二人とも名前に『花』の字が入ってるんだよ」
「あー…そういえばそうだね」
「あ、繭ちゃんも今、気付いたみたいなリアクションをしたね!ワタシたちの名前に関心とかなかったんだね!?」
「そんなことナイヨー」
「関心がある人は棒読みなんてしないんだよ!?」
「でも、今まで花ちゃんと雪花お姉ちゃんの名前で花の字が被ってても誰も気にしなてなかったよね?」
「ぐぅ…まあ、ここに来るまで誰からも指摘されなかったのは事実だけど」
ヤバい、関心を持たれてないことが証明されると本気でへこんできそうだよ…。
ちょっと呼吸を整えるか。
…よし、一息ついたよ。ワタシは続きを語り始めた。
「でね、賢いワタシは考えました」
「本当に賢い人は自分のことを賢いって言わないんだよ…」
繭ちゃんはため息をつきながらコーヒーカップに口をつけて軽く肩を竦めていた。あ、これは『花ちゃんたちの茶番に付き合ってたらコーヒーが冷めちゃったな』って顔だ。
しかし、そんな顔をされたところでワタシたちは挫けないのだ。
「だからね、雪花さんと話をしたんだよ。二人とも『花』の字を持っているなら、決着をつけるべきだ、って」
「…なんで?」
「だって、ワタシたち二人とも『花』の字が…」
「別に二人とも花の字が入ってたっていいじゃない。どうせ、花ちゃんたちだって最近になって気付いたんでしょ?」
「最近になって気付いたのは書いてる人だけどね」
「メタ発言はスベるから止めようよ…」
繭ちゃんは、そろそろ面倒くささを隠そうとしなくなってきた。この反応はマズいね、ちゃちゃっと進めちゃいますか。
「というわけで…『どっちの花×花ショー』なんだよ!」
「だから何なのそれ…」
「ワタシと雪花さんのどっちが『花』の名に相応しい乙女か決めるんだよ!」
「寧ろ、花ちゃんたちが『花』の字に土下座しないといけないレベルだと思うんだけど」
「繭ちゃんの塩対応が青天井だよ!?」
いやまあ繭ちゃんが気分的に落ち込んでるのは知ってるけどさ…。
しかし、ワタシは塩対応程度ではめげないのだ。ちゃんと目的もあるからね。
「だから、繭ちゃんには『どっちの花×花ショー』の審判をしてもらいます」
「普通に嫌なんだけど…」
「今現在、繭ちゃんの親権はワタシが握っているので繭ちゃんに拒否権はありません」
「ありもしない親権をコーランみたいに振り翳すのはもはや脅迫なんだよ…」
そこで、盛大に繭ちゃんはため息をつきながら呟く。
「っていうか、そんなにおふざけがしたいなら慎吾お兄ちゃんに頼めばいいでしょ…ボク、今日はそんな気分じゃないんだけど」
「だって、慎吾はワタシと雪花さんの顔を見た途端に『ちょっと畑の様子を見てくる!』とか言って出て行っちゃったから」
「それ面倒くさいことになるって察して逃げたんだよ!というかあの人、普段は面倒見がいいのにこういう時はさくっとボクのこと切り捨てるよね!?」
「というわけで繭ちゃんは逃げられないのだ」
「…まだシャルカさんがいるんじゃないの?」
どうやら繭ちゃんは『天使』であるワタシたちの保護者(?)のシャルカさんを生け贄の数珠つなぎにするつもりだったようだが、そうは問屋が卸さないのだ。
「シャルカさんなら寝てるよ。朝からお酒の飲み過ぎで」
「ボクの周りにまともな大人がいないの何らかの虐待に当たると思うよ!?」
繭ちゃんは大声で叫んでいたが、退路がないことを理解したのか軽く天を仰いでから口を開いた。
「あー、もう…で、ボクは何をすればいいの?」
「繭ちゃんなら、嫌々ながらもなんだかんだで乗ってくれるって思ってたよ」
「そんな風に思ってたんなら最初から巻き込まないでくれるかな…」
ぶつぶつ言いながら肩を落とした繭ちゃんだけど、ワタシたちを拒絶はしなかった。
だから大好きなんだよ、繭ちゃん。
「それじゃあ、これから繭ちゃんにいくつか質問するから、そのお題でどっちが『花』の名前を持つ乙女に相応しいか選んで欲しいんだ」
「花ちゃんの勢いに圧されたから了承したけど…これ、後で花ちゃんたちがギクシャクしたりしないの?」
「大丈夫、ギクシャクなら一週間に一回くらいペースでやってるから」
「ボクの知らないところで花ちゃんたちがそんなことになってた方が驚きだよ…」
「というわけで、繭ちゃんも納得したところで始めようか!」
「何一つ納得してないのに花ちゃんのそのメンタルどうなってるの…?」
またも深いため息をつく繭ちゃんに、ワタシと雪花さんはお互いに顔を見合わせて意思疎通を済ませた。これでも、雪花さんとの付き合いも長い。正直、ハンドサインどころか『念話』すらいらないくらいツーカーなのだ。
そして、叫ぶ。真っ昼間なのに徹夜明けのようなテンションで。
「それじゃあいくよ…『どっちの花×花ショー』!」
ワタシと雪花さんは、同時にポーズを取る。
今度は繭ちゃんの目の前で、二人で横並びで。
そんなワタシたちを、繭ちゃんは沈んだ瞳で眺めていた。
…あ、先にネタ晴らしをしておきますが、今回のエピソードにオチなんてありませんっ!




