エピローグ 『とどかないこえを、あわせて』
「ただいま…」
「お帰り、繭ちゃん。いいタイミングだね、もうすぐお鍋が煮えるところだよ」
ワタシは、菜箸で具材の煮え具合を確かめながら言った。そこに、お仕事を終えた繭ちゃんが帰ってきたのだ。しかし、繭ちゃんの表情は浮かないものだった。というか半分ほど目が死んでいる。おかしいな、繭ちゃんの目の前には色とりどりの食材…豚肉にエビにホタテに白身魚、それにお葱や白菜に大根、あとはニンニクとニンニクとニンニクとニンニクとニンニクとニンニクが沸騰したお鍋の中で美味しそうに踊っていたのに。
ああ、そうか。
「ちょっと疲れてるみたいだね、繭ちゃん。でも安心してね、今日の晩御飯はとっても元気の出るお鍋だから!」
「ボクがげんなりしてるのは、その『とっても元気の出る晩ご飯』とやらのせいなんだけど…」
「え、どうして…?もしかして転生後に発症した反抗期なの?」
繭ちゃんの親権を持つママとしてはどう接するべきだろうか。
…そういえば、今って繭ちゃんの親権を持ってるのはワタシだっけ?雪花さんだっけ?
「お外にまでそのニンニクの異臭が漂ってたからだよ!表の人たちみんなこの家の前を通る時は眉を顰めてたからね!『またニンニク御殿がやらかしてるよ…』とか言ってる声も聞こえてきたからね!」
「まあ、カレーだっておうちの外にまで匂いがするから実質カレーだよね」
「カレーは晩ご飯の横綱だからニンニクと一緒にするのやめてもらっていいかなあっ!?」
「でも、カレーの中にニンニクも一緒に入れると美味しくなるよね」
「なんか久しぶりだねここまで絡みづらい花ちゃんは!?」
そこで、繭ちゃんはワタシではなく慎吾たちに視線を向けた。
「っていうか、慎吾お兄ちゃんたちもいたなら花ちゃんの暴挙を止めてよ…」
「すまない、繭ちゃん…でも、花子はおばあちゃんの記憶を取り戻したんだ」
「それはボクも知ってるけど…」
「花子のニンニク好きは、おばあちゃんから教わったからなんだ」
「教わった…何を?」
キョトンとする繭ちゃんに、慎吾は言った。
「おばあちゃんが子供の頃の花子に言ったらしいんだよ、『ニンニクを食べたら元気になれるんだよ』って…だから、花子はここまでニンニクに信仰を捧げるようになってしまった」
「元気になれる食べ物…」
そこで、繭ちゃんは次の言葉を口にする前に軽く瞳を閉じて俯いた。繭ちゃんが俯いても、この子の長い睫毛はピンと上を向いている。そして、再び口を開いた。
「それならしょうがないかもしれないけど…今回だけだからね、花ちゃん!」
「え、でもこれからニンニクのシーズンだから慎吾がまたたくさんもらってきてくれるって」
「だから慎吾お兄ちゃんは花ちゃんを甘やかすの止めてよね!?」
繭ちゃんは大声で叫んでいた。
よし、繭ちゃんも元気になったみたいだね。
ワタシも、ニンニクをたくさん食べて元気になるよ。おばあちゃんの言葉通りにね。
…向こうの世界にいた頃のワタシだと、病気の所為でそもそもニンニクが食べられなかったんだよね。
だから、この異世界で食べるのだ。食べることは生きることなのだ。
そして、ワタシたちの団欒が始まった。
ワタシ、慎吾、雪花さんに繭ちゃん、それと地母神さまであるティアちゃんに既に酔っているシャルカさん、まだ小さい姿のままのアルテナさま…みんなで食卓を囲んでお鍋をつついていた。あ、お鍋の他にもフライドガーリックとかガーリックステーキなんかも用意しておいたよ。気配り上手だね、花子ちゃんは。
「アルテナさまがこっちにいられるのって、今日までなんですよね」
慎吾が、食後のお茶を啜った後でそう言った。なんだかんだで、みんなワタシの用意したご飯を平らげてくれた。こういうのってやっぱり嬉しいよね。
アルテナさまも、最後に残っていたフライドガーリックに爪楊枝を刺してそのまま口に運ぶ。
『はい、こちらの世界での後処理も終わりましたし、ワタクシもそろそろ天界に戻らないといけません』
「ボクもっとアルテナさまと遊びたいんだけど…」
帰らなければならないアルテナさまに、繭ちゃんは駄々をこねる。繭ちゃんは本気でさみしがっていた。
ワタシもさみしかったけれど、それを隠して窘める。
「仕方ないよ、繭ちゃん…アルテナさまにも事情があるんだからさ」
「でも、花ちゃん…みんな、みんな帰っちゃうんだよ」
繭ちゃんは、俯きながら呟いた。
いや、ワタシたち全員が俯いた。
だって、みんな、みんなそれぞれの居場所に帰ってしまった。
…それが、さみしくないはずがないよね。
しばし、沈黙の帳が下りたけれど、慎吾が口を開いた。場の空気を換えるため、カラッとした口調で。
「花子、先に風呂に入ってきたらどうだ?」
「慎吾…」
「片付けはオレたちがやっておくからさ」
「あ、そうだね…それじゃあ、お先にいただいちゃうね」
一度、自室に戻ったワタシは着替えやら何やらを用意して浴場に向かった。
そして、脱衣所でワンピースのファスナーを下ろして…と、ここから先は割愛だぁ!有料版とかないからね!!
「…今日もいいお湯だった」
風呂上がりのワタシは、リビングにいた慎吾たちにお風呂が空いたことを報告してから自室に戻った。
…今日は疲れたので、もう休ませてもらうことにする。
「久しぶりにはしゃいだから疲れたよ…」
あの事件から一週間…みんながいなくなってから、一週間。
日常を取り戻すために、ワタシは齷齪と動いた。冒険者ギルドで受付嬢…いや、看板娘として働いて、慎吾の畑や雪花さんの漫画の手伝いもした。繭ちゃんのマネージャーもやった。当然、家事も積極的にしていたよ。兎に角、ワタシは動いた。そこまで体を疲れさせて、ようやく夜は眠ることができた。
多分、体力が残っている状態では、眠れなかった。
…さみしくて一晩中、泣いていたはずだ。
「よっと…」
仰向けに、ベッドに倒れ込む。疲労がたまっているからか天井がやけに高く見えて、その分だけ空虚に感じられた。
…やばい、一人になるとすぐに涙が溢れてくる。
「おばあちゃん…」
余計に涙が溢れることは分かっていたのに、ワタシはそう口にしてしまった。
…でも、会いたいよ、おばあちゃん。
「もっと、お話ししたかったよぉ…」
もっと、普通のことでお話をしたかった。こっちに来てから見たもの、聞いたもの、行った場所、出会った人…話題なんて、いくらでもあったのに。
…そのための時間だけが、与えられなかった。
またおばあちゃんに会える保証なんて、どこにもないのに。
花子ちゃん…。
「………………………え?」
今、声が聞こえた。それは、耳慣れた声だった。
…というか、嘘だよね?
あの『声』が聞こえるはずは、ない。
「はは、幻聴が聞こえるようになっちゃったのかな…」
本格的におかしくなってしまったのだろうか。最近はちょっと働き過ぎだったかもしれない。気をつけないといけないね、まさか幻聴が聞こえるなんて。
…なのに、まだ、聞こえてくる。
『花子ちゃん…花子ちゃん』
「おばあちゃんの幻聴…まだ、聞こえてる」
…なんで?
ワタシは、そこで上体を起こした。視線が垂直から水平へと変わる。部屋の中の密度も、そこで変わった気がした。
『花子ちゃん、聞こえてますか…?』
「…………」
…いや、さすがにおかしくない?
そう思い始めた矢先に、『おばあちゃん』は言った…。
『花子ちゃん…これは『念話』でお話しています』
「え 『念話』?」
…『念話』って、なに?
いや、ちょっと待って、その『念話』って、まさかそれって…。
疲弊した脳ミソが、ようやく事態の把握を始めた。
そして、おばあちゃんは『答え合わせ』を始める。
『花子ちゃんならもう気付いてるかもしれないけど、これは、『未来』の花子ちゃんに向けて飛ばしている『念話』です』
おばあちゃんは、言った。
…これは、『過去』からの『念話』だと。
そうか、『念話』が『過去』に送れるのなら、『未来』に送ることもできるはずだ。『念話』は、あらゆる障壁を超えて相手に『声』を届けられるのだから。
『『神託』の『念話』を飛ばしたあの時、こっそりと『未来』にも『念話』を飛ばしていました…花子ちゃんと、もうちょっとだけお話がしたかったからね』
「おばあちゃん…」
おばあちゃんの声が、ワタシの中に浸透してくる。
疲れて空っぽだった心に、少しずつおばあちゃんが注がれる。
『だって、せっかく会えたのに、あれだけしかお話しできないなんてわたしとしてもさみし過ぎるからね…といっても、わたしは花子ちゃんの記憶が作った『おばあちゃん』の影だけれどね』
「そんなこと、ないよ…」
おばあちゃんは、おばあちゃんだったよ。
どんな姿でも、どちらの世界でも、おばあちゃんだった。
…ワタシにやさしくしてくれる、ワタシのよく知るおばあちゃんだった。
『だから、もう少し話したくて『未来』の花子ちゃんに『念話』を飛ばしました…まあ、お話じゃなくて一方的にわたしが喋るだけなんだけどね』
「おばあちゃん…一方通行なんかじゃ、ないよ」
そのことを証明したくて、相槌を打った。
今まで生きてきた中で、もっとも真剣に。
ワタシが相槌を打ったから、次は、おばあちゃんのターンだ。
『慣れない異世界で生きていくのは、花子ちゃんにとっても大変だろうけど、でもね、そういう時はおじいちゃんを頼れば…こき使えばいいんだよ』
「なんで言い直したの…」
思わず、くすりと笑ってしまった。
…だって、前に向こうの世界のおばあちゃんが似たようなことを言っていたからだ。
『あと、冬は寒いからあったかい服を着るようにね。オシャレは我慢なんて女の子の自己満足でしかないからね』
「なんで急にオシャレ女子を刺したりしたの…」
過去にオシャレ女子と何か因縁でもあったのだろうか…。
その後も、おばあちゃんとはとりとめもない話をした。大半は、この異世界ソプラノを快適に生きていくための知恵袋的なものばかりだった。けど、それはワタシにとっては新鮮に感じられたし、何よりも楽しかった。
…けど、楽しい時間って過ぎるのが早いんだよね、残酷なくらいに。
『ああ、ごめんね、花子ちゃん…そろそろ『念話』の限界だよ』
「おばあちゃん…」
そう、『念話』といえどユニークスキルだ。いつかは終わりが来る。
…でも、少しくらい依怙贔屓してくれてもいいと思うんだけど。
しかし、世界は平等だ。悲しいことが起こる時だけは、特に念入りに。
『じゃあ、最後に一言だけ…』
そこで、おばあちゃんが最後の言葉を紡ごうとしていた。
だから、ワタシは『合わせた』。
『「また会おうね!!」』
おばあちゃんは、言った。
ワタシも、言った。
同じ言葉を。再会を約束する言葉を。
二人の言葉と想いが重なったんだ。
これならきっと、おばあちゃんとも、また会えるよね。
一生懸命な『声』には、魂が宿るんだよ。
「…だから、それまでは石にかじりついてでも生き続けるよ!」
涙の中、ワタシは誓った。
その宣誓が、今は誰にも届かなかったとしても。
いつかは、おばあちゃんに届くはずだから、誓った。
ワタシはここで、生きていくよ、と。 (了)




