151 『神秘なんて、一皮むけば真相はこんなものじゃないですか?』
世界からは、一切の音が消えていた。
ワタシがそう感じていただけかもしれないけれど、ワタシの耳には何の音も入ってこない。だからそれは、世界が制止しているのと、同じだった。
…だって、みんな、帰っていく。
ベイト神父に『魔女』ドロシーさん。それに、ワタシたちの家族だったシロちゃんにリリスちゃん…。
みんなみんな、それぞれの居場所に、帰っていく。
それが当たり前のことなのに、置き去りにされたようで胸がざわつく。
だから、ワタシは小さなこの子に声をかけた。
いなくなった『あの子』のためにも、今はワタシがこの子のお姉ちゃんを全うしなければならない。という言い訳を免罪符にして。
「りりすちゃん、辛いとは思うけど…」
ワタシは、残された小さなりりすちゃんに声をかけた。
こちらのりりすちゃんは、はっきりそれと分かるほど、泣いていた。
…あっちのへそ曲がりとは、違って。
その涙を、指先でそっと拭った。りりすちゃんも、特に抵抗はしなかった。
「大丈夫ですよ、花子さん…泣くのは今だけです」
「そうだ、ね…泣くのは、今だけだよね」
…実はワタシも、泣いていた。
この段階になるまで、自分でも気付かなかったけれど。
「終わる時は、全部が駆け足で終わっていくね…」
雪花さんが、晴れた青空を見上げながら呟く。
空は、晴れ渡っていた。世界のために奮闘したワタシたちのことなど、素知らぬ顔で。
「そうですね、雪花さん…でも、まだ最後の仕上げが残っているんですよ」
「最後の、仕上げ…?」
小首を傾げる雪花さんに頷いた後、ワタシは振り向いてからあの人に視線を合わせた。
…そう、まだ、最後の仕事が残っている。
ワタシは、涙を拭って仕切り直した。
「おばあちゃんに、お願いがあります」
ワタシの視線の先には、おばあちゃんがいた。その姿は、『花子』というワタシに瓜二つの少女の姿だった。『花子』とワタシが似ているのは、『花子』がワタシの中にあった『邪神』の魔力の塊から顕現した存在だからだ…その魔力の塊も、ワタシがおばあちゃんから受け継いだものだけれど。
しかし、現在、『花子』はいない。その魂の内側にいたおばあちゃんが表層に出てきたことで、『花子』が裏側に潜ってしまった。
…もしくは、もう、『花子』は消えてしまったのか。
『なんだい、花子ちゃん』
口調は似ているけれど、そこはやはり、ワタシのおばあちゃんとはほんの少しだけ違う話し方だった。
…それでも、どうしても元の世界のおばあちゃんを想起してしまうけれど。
「あの、おばあちゃん…『花子』も、『念話』を使えると思うんだけど」
『そうだね、この子もわたしのスキルを受け継いでいるようだね。いや、引き継いでいると言った方が正しいのかな』
おばあちゃんは、あえてそう言い直した。
…少しだけ、無機質な言い方に聞こえた。
元々『念話』はおばあちゃんが持っていたユニークスキルだった。ワタシがこちらに転生する際に、そのスキルをアルテナさまから授けられた。ワタシと『念話』の親和性が高かったからだ。
そして、『花子』にもその『念話』が引き継がれていた。本来なら、ユニークスキルというのはその世界で扱える人間は一人だけと限定されているのだが…どうやらワタシと『花子』は同一人物扱いをされているようで、この異世界ソプラノにおいてワタシと『花子』は同時に『念話』を扱うことができた。
「それで、その、おばあちゃんの…というか『花子』の『念話』のレベルも、最大になってると思うんだけど」
『花子ちゃんは、わたしに『越権』を使って欲しいんだね』
おばあちゃんの言葉に、ワタシは頷く。
さすがはおばあちゃんだ。ワタシの意図を、既に汲み取っていた。
ワタシたちに与えられたユニークスキルを最大レベルまで昇華させれば、ただでさえ出鱈目なユニークスキルに、さらに破格の効果…『越権』を付与することが可能となる。『越権』の例を挙げれば、雪花さんの『隠形』なら姿を隠すだけではなく、この世界のあらゆる物質をすり抜けられるようになるし、ワタシの『念話』ならあらゆる障壁を『超越』して別の世界にまで声を届けることができる、といった非常識が可能になる。
…ただし、『念話』に関して言えば、その代償は決して安くはないけれど。
『それで、わたしは何をすればいいんだい?』
「え、でも、おばあちゃん…」
おばあちゃんは、ワタシのお願いを二つ返事で引き受けた。そこに一切の躊躇はない。『念話』による『越権』の代償をこの人が知らないはずはないというのに。
『わたしの中のわたし…というかもう一人の『花子』ちゃんも、何も反対していないよ』
「もう一人のって…え、『花子』もそこにいる、の?」
先ほど、『花子』から急におばあちゃんへと意識が変わった。
もしかして、その時に『花子』も消えてしまったのかと思っていたけれど…ちゃんと、そこにいたんだね。ワタシの目頭が、再び熱を持つ。
「『花子』…」
『いや、いると言っても殆んど眠ってるようなものだからね…花子ちゃんがわたしの胸を執拗にさすっても伝わらないと思うよ』
どうやら、物理的な接触では『花子』に思いを伝えることはできないようだ。
…というか、ワタシより『花子』の方が胸が大きいのはどうしてだろうか。
『で、花子ちゃんはわたしに『念話』で何をさせたいんだい?』
「それはね、おばあちゃん…ちょっと、超えて欲しいものがあるんだけど」
今さら説明することでもないが、『念話』とはテレパシーだ。遠く離れた相手とも会話ができる便利スキルなのだが、これを最大レベルまで鍛え上げれば『超越』という『越権』の付与が可能となる。
しかし、『念話』の『越権付与』は、ワタシが思っていた以上に危険なシロモノだった。
…このスキルの使い方次第では、根底から世界を覆すことも可能なのだから。
『けど『越える』といっても…どこの世界を?どこの世界の、誰に何を伝えるんだい?』
おばあちゃんは、ワタシに問いかける。
本来なら絶対に届かない相手にもその『声』を伝えることが可能となるのが『念話』による『超越』だ。
以前、ワタシはその『越える力』によって別世界にいるアルテナさまに『声』を届けたことがあった。緊急で伝えないといけないことがあったからね。
そして、元の世界にいるおばあちゃんも、その『越える力』を使ってワタシに声を届けてくれた。
…あの日のおばあちゃんの声を、ワタシは死ぬまで、忘れない。
「あ、でもね、おばあちゃん…超えて欲しいのは、世界じゃないんだ」
『世界…じゃない?』
さすがのおばあちゃんも、ほんの少しだけ驚きを見せていた。
そんなおばあちゃんに、ワタシは言った。
「越えて欲しいのは、世界じゃなくて…時間なんだよ」
「…………時間?」
そこで驚いた顔をしていたのは、おばあちゃんだけではなくナナさんもだった。真っ赤な鎧の騎士団長さまは、珍しく空気を読んで沈黙していたが、そこで口を挟んだ。
「時間を超えるって…どういうこと?」
口を挟んでしまったついでという感じで、ナナさんはワタシに尋ねる。
「ハイエンドレベルまで鍛えた『念話』には、あらゆるものを『超える力』が備わるんです。それを使って時を超えてもらうんですよ…ワタシの、おばあちゃんに」
「時を、超える…いや、でも、そんなことできるの?」
ナナさんは、まだ困惑の表情を浮かべている。
そんなナナさんに、ワタシは言った。
「『念話』の『越権付与』は『超越』です…世界が越えられるのなら、時間だって飛び越えられるはずですよ」
できないという意識は、ワタシにはなかった。『念話』を扱えるワタシだからこそ分かるんだ。『念話』は世界だけでなく時間すら超えられると。そして、ワタシは続けた。
「おばあちゃんには…時間を超えて、過去に『声』を届けてもらいたいんです」
「かこぉ…!?」
ナナさんは、大きな鎧を揺らしながら声を上げていた。
そんなナナさんに…この場の全員に、ワタシは言った。
「そう、過去に飛ばす『念話』です。『念話』のことを知らない人に『念話』で言葉を届ければ、きっと驚きます。いきなり心の中に声が聞こえてくるんですから当然ですよね。そして、それを受けた人はきっと、神さまからの『声』だと思うでしょうね」
「神の、声…まさか、それは!?」
次に驚いたのは、ディーズ・カルガだ。悪魔であるリリスちゃんのフィアンセだとかぬかしていた大たわけだ。というか、この人には今回の件では本当に色々と引っ掻き回された。
…まあ、ここにきてその意趣返しができるわけだけれど。
ワタシは、ディーズ・カルガに軽く微笑む。いたずらっ子の瞳を添えて。
「この中では、あなたが最もよく知っているかもしれませんね…そう、その神さまの声というのは勿論、『神託』ですよ」
「しん、たく…」
ディーズ・カルガの表情は、『神託』という言葉に蒼白になっていた。
無理もない。この人にとって、『神託』とは大きな意味を持っている。
ディーズ・カルガの支離滅裂とも言えた行動の数々は、その『神託』が支柱となって引き起こされたものだった。
けど、ここでその卓袱台が引っ繰り返された。
その『神託』は、神さまからの託宣などではなかった。
ワタシによる、過去への入れ知恵だ。
「バカげている。『神託』とは、神による告示だ…そんな、スキルによるものであるはずが、ない」
案の定、ディーズ・カルガは絵に描いたように狼狽していた。これまで信じていたものが根底から崩れた瞬間だった。なんだかんだで、この人は神託を信じていたんだ。
そんなディーズ・カルガに、ワタシは微笑む。これまで引っ掻き回された鬱憤を晴らすためにも。
「神秘なんて、一皮むけば真相はこんなものじゃないですか?」
「だが、しか…し」
言葉を失ったこの人は放っておいて、ワタシはおばあちゃんに向き合う。
「あの、おばあちゃん…神託の内容なんだけど」
『まあ、大体は分かっているよ。もう一人の『花子ちゃん』の記憶も、わたしは共有しているからね』
おばあちゃんは軽く言った。
そんなおばあちゃんに、ワタシは問いかける。
「でも、本当にいいの?『念話』で『越える力』を使えば…」
『ああ、分かっているよ…二度と『念話』は使えなくなる、だろ?』
…当然だが、おばあちゃんはそのことを知っていた。
ユニークスキルというのは、そのままでも強欲なまでに強力だ。なのに、それらを最高レベルまで昇華させればさらに破格の効果を上乗せすることが可能となる。
ただ、今までは理解ができなかった。
どうして、『念話』だけが最大レベルの『越える力』を発動すると二度と使えなくなるのか、と。他のユニークスキルには、そういったペナルティは存在しないのに。
しかし、今になってその理由が理解できた。
数あるユニークスキルの中で、『念話』だけが過去や未来にまで干渉できるからだ。
そんなものを見境なく乱用すれば、世界そのものすら破綻させられる。制限をつけられて当然だ。
そして、おばあちゃんは言った。
『それと、『念話』を飛ばす相手は、さっきまでいたベイトという神父と…そこのカルガという男の二人だね』
おばあちゃんは、ディーズ・カルガを指差していた。
そう、過去に『念話』を飛ばして欲しい相手は、その二人だ。
「うん、それと、その二人に伝えて欲しい『神託』の内容なんだけど…」
『カルガという男に関しては、あのリリスって子のことだね?』
「さすがはおばあちゃんだね…」
ワタシが何かを言う前に、おばあちゃんは察してくれていた。
ああ、懐かしいなぁ、この感覚…。
今になって気付いたけれど、おばあちゃんはいつもそうだった。ワタシが何かを言う前に、大体は察して先回りをしてくれていた。
…そして、ワタシはそれに甘えていた。
甘えていたことにも気付かないまま、おばあちゃんに甘え続けていた。
本当は、元の世界にいた時に気付かなければならなかった。気付いて、恩返しをしなければならなかったというのに。
「…ごめんね、おばあちゃん」
小さく、謝った。
聞こえない声で呟いていたばずだったけれど、おばあちゃんは反応した。
『謝る必要なんてないよ』
「え…?」
『花子ちゃんが謝ることはないんだよ…それはきっと、『向こう』のわたしが好きでやっていたことだ』
「おばあちゃん…」
本当に、おばあちゃんは自然に察してくれていた。
…どこにいてもかなわないなぁ、おばあちゃんには。
けど、いつまでも甘えているだけではいられない。だから、ワタシは言った。
「それじゃあ、おばあちゃんにお願いです。過去に『念話』を飛ばしてください…本当は、ワタシが自分でやらないといけないんだけど」
『分かっているよ、花子ちゃんの『念話』は二度と『超越』ができないことも』
そう、ワタシは一度『念話』を失っている。ワタシが使っている今の『念話』は、元の世界にいるおばあちゃんから譲り受けたものだ。以前と同じように扱えてはいるけれど、『超越』は二度とできなくなっていた。
「ごめんね、おばあちゃん…」
『花子ちゃんの頼みなら、なんでも聞いちゃうよ』
「じゃあ、おばあちゃん。先ず、この人には…カルガさんには、過去のリリスちゃんに接触するように指示をして欲しいの」
『了解だよ』
「あと、リリスちゃんのことも『悪魔』だって伝えてね…」
ディーズ・カルガは、リリスちゃんの正体を知っていた。それは、『神託』によって知りえた情報だった。つまり、ディーズ・カルガにリリスちゃんの素性を教えたのはワタシということになる。
「他には、カルガさんにはジン・センザキさんの動きも止めて欲しいんだけど…あまり派手にやらないように伝えて欲しいんだ、おばあちゃん」
ジン・センザキさんは、センザキグループと呼ばれる魔石で稼働する製品を扱う大企業のトップなのだけれど…ディーズ・カルガは、そのジンさんに大怪我を負わせ、入院までさせている。
ただ、それは『神託』の指示によるものだ。
…つまりは、ワタシの所為ということにもなる。
本当ならそんな危険な『神託』を伝えるべきではないのだろうけれど、あそこでジンさんの動きを止めておかなければならない理由もあった。
センザキグループが、『洗脳装置』なるモノを開発していたからだ。
それは、ジンさんに反旗を翻しているセンザキグループ内の一部の人たちが開発していたものだけれど、後に、ジンさんがそれを完成させて悪用することになる。
ジンさんが入院せずに自由に行動できていた場合、『洗脳装置』がジンさんの手に渡るのはもっと早まっていたし、その完成も早まっていた。
そうなれば、ワタシたちが気付く前にこの世界は丸ごと洗脳されていた。ジン・センザキの手によって。
「それを止めるためにも、ジンさんの動きを制限しておく必要があるんだけど…」
そのために、人を傷つけていいものだろうか。
…しかも、未来などという遠距離から、だ。
『大丈夫、できるだけ穏便に済ませるように伝えておくよ』
おばあちゃんの声は、羽毛のようにやわらかかった。
ワタシの葛藤なんて、おばあちゃんは簡単に見抜いている。
『あとは、ベイトというあの神父に伝える『念話』だね』
おばあちゃんは、あえて事務的に進めていく。ワタシにかかる負荷を、減らすために。
「そうだね…ベイト神父にも、大切なことを伝えないといけないからね」
「大切なこと…ですか」
そこで相槌を打ったのは、小さなりりすちゃんだ。この子も賢い子だからね、きっと気付いている。それが、ワタシとりりすちゃんにとっても大切なことだ、と。
「そう、大事なことだよ…あのベイト神父には、リリスちゃんの封印を解いてもらわないといけないからね」
リリスちゃんの封印を解除したのは、ベイト神父だ。
そして、ベイト神父にその指示をしたのは、『神託』だ。
…つまりは、ワタシだ。
リリスちゃんの封印を解いた真犯人は、ワタシだったんだ。




