147 『やしがぁ、花子さん…ワンの中に、クリシュナさまがいっちょーんのですよぉ!?』
踊る阿呆に見る阿呆、同じ阿呆なら踊る阿呆にワタシはなりたい。
だって、その方がきっと楽しい。みんなで輪になって踊って、屋台の美味しい食べ物を食べて、無邪気で楽しいお祭りを延々と続ける。
そういう阿呆に、ワタシはなりたい。
…元の世界では、踊る阿呆どころか見る阿呆にも、なれなかったから。
「けど…」
そこで、周囲を見渡す。
…少しずつ、人が減っていた。
ベイト神父が立ち去って、『魔女』のドロシーさんも自分の世界へと帰って行った。
賑やかさが減り、寂しさが、少しずつ増えていく。
お祭りの後のような静けさが、そこにはあった。
世界を救ったはずなのに、後夜祭は存在しない。
『クリシュナさま…これから、天界に戻られますよね?』
少しだけ気怠い声で女神クリシュナさまに問いかけたのは、我らが女神アルテナさまだ。まあ、無理もないよね。あれだけの大仕事の後だ、女神さまといえど疲弊していて当たり前だ。
『私は、天界には戻れませんよ』
クリシュナさまの返答を聞いたアルテナさまは、ワタシの頭の上から落っこちそうなほど驚いていた。当然、アルテナさまとしてはその理由を尋ねなければならない。
『どうしてですか、クリシュナさま!?』
『私はもうずっと、あの祠に封じられていました…』
クリシュナさまは、そこで祠を指差した。
そういえば、この女神さまは過去にも世界の崩壊を喰い止めたんだ。この世界を崩壊させるための生け贄に捧げられたロンドさんの、身代わりとなることで…しかし、その所為でクリシュナさまは、あの祠の中にずっと封じられていた。
しかし、結果として世界は救われたが、生け贄の少女だったはずのロンドさんはクリシュナさまと体が入れ代わり、女神さまの体で生きることになった。永い永い時を、ずっとずっと。
…それは、もはや呪いと呼んで差し支えのない旅路だった。
『なので、この体はもう彼女の…タタン・ロンドさんの体ですよ』
クリシュナさまは、静かな声で語っていた。
自身はもはや、この体の主ではない、と。
しかし、アルテナさまはそれに異を唱える。
『ですが、元々、その身体はクリシュナさまのもののはずでし、その…』
そこで、アルテナさまは二の句が継げなくなっていた。
いや、言えるはずはないのか。
…一人の少女と、女神さまのどちらを世界に残すのか、なんて。
そして、何も言えなくなったアルテナさまに、クリシュナさまが言った。小さなアルテナさまの手を、そっと握りながら。
『ありがとうございます、アルテナ』
『クリシュナ…さま』
『私の後任があなたでよかったですよ』
『でも、ワタクシ…今でも、失敗ばっかりなんですよ』
アルテナさまの声は弱々しく、それは、女神の姿ではなかった。
色々とやらかしの多いアルテナさまではあるけれど、それでも、アルテナさまはいつも女神然としていた。
だけど、今のアルテナさまは女神というフィルターを外した、ただの女の子だった。不安そうで、悲しそうで、無力だった。
『クリシュナさまに教わったこと…あんまり、できていないんですよ』
『そんなことはないでしょう、今のあなたは立派に女神をやっていますよ』
『クリシュナさまは、今のワタクシのことなんて分からないじゃないですか。だから、いっ…』
…『一緒に帰ろう』という言葉を、アルテナさまは口にできなかった。
その選択は残酷で、女神に選べるはずもない。代わりに、アルテナさまは黙り込んだ。
『アルテナ…』
クリシュナさまは、今度はアルテナさまの頭に触れた。
やさしい姉が、大切な妹に触れるようにそっと。
『そもそも、ワタクシに女神なんて無理なんですよ。ワタクシなんて、クリシュナさまみたいにうまくできないんですよぉ…あの時、だって』
初めて聞いた、アルテナさまの弱音だった。
…もしかすると、アルテナさまの選択によって、多くの命が失われるような出来事があったのかもしれない。
『思い上がってはいけませんよ、アルテナ』
『ワタクシは、別に思い上がってなどは…』
『そもそも、女神など世界を運営するシステムに過ぎません。世界の命運なんて、ただの女神には変えられないのですよ』
きっぱりと、クリシュナさまは言い切った。
女神の存在なんて、世界のシステムの一部だ、と。
『ですが、それでワタクシが女神として適任ということにはならないのではないでしょうか…』
『私はそうは思いません。だって、この世界を救ったのは、あなたが導いた転生者さんたちではないですか』
そこで、女神クリシュナさまはワタシたちを見ていた。その瞳は、期待と慈愛に満ちていた…と感じてしまったのは、ワタシの思い上がりだろうか。
そして、クリシュナさまは続ける。
『女神に世界は救えません。ですが、人ならばそれが可能なので…いえ、『人』の意思だけが、世界を変えることができるのですよ』
それはアルテナさまよりもワタシたちに向けられた言葉のように、感じられた。
結局、世界を変えることができるのは、その世界の中にいる人間だけだということだろうか。
…クリシュナさまの言葉はすんなりとワタシの胸に染み込んで、馴染んだ。
『では、これからワタクシは、女神としてどうすればいいのでしょうか…』
「今まで通りでいいんじゃないですか?」
そこで、女神さまたちの会話に口を挟んでしまった。ワタシなんて、ただの人の子だというのに。
でも、クリシュナさまは決して嫌な顔なんてしなかった。
『花子さんの言う通りですよ、アルテナ。あなたは、これまで通りの女神でいいのです』
『本当に、いいのでしょうか…腰痛で式典を欠席したり、不用意な発言でSNSを炎上させたり、後で補填したとはいえ結果的にエルフの森を焼いてしまったこともあるのですけれど』
『私がいなくなってから何をしたのですか、あなたは…』
さすがのクリシュナさまもちょっと頬を引き攣らせていた。
ので、またワタシが割って入る。
「でも、アルテナさまがいなかったら、この異世界ソプラノは終わっていました。だから、これからもアルテナさまはとんでも女神のアルテナさまでいいんですよ。その方が、ワタシたちものびのびと転生者をやれるんですから」
それだけは、間違いない。
けど、アルテナさまは不安そうな表情を浮かべていた。
『本当に、そうでしょうか…そもそも今回の『崩壊』だって、もっと早くにワタクシが何とかしておかなければならないことだったのでは?』
…ああ、そうか。
アルテナさまは、そのことを気にしていたのか。
「それは違いますよ、アルテナさま…あの『黒いヒトビト』のことは、ワタシたち人間が対処しないといけなかったんです」
『ですが、花子さん…』
「しかしも案山子もありませんよ。何から何まで女神さまにおんぶにだっこでは、人の歴史はいつか途切れます」
人の歴史なんて、今までは考える余裕がなかった。転生前は難病で手一杯だったし…いや、こちらの世界に来てからもそれほど考えてはいなかったか。病気から解放されたワタシは、今度は二度目の人生を満喫することに必死だったから。
…でも、最近はまた少し、考え方も変わったよ。
幸運にもたっくさんの人たちに、出会ったから。
特に『魔女』や『不死者』に『悪魔』、他にも『女神さま』に『黒いヒトビト』に『地母神さま』…みんな、長い時を経験している大先輩たちだった。
そんな先輩たちに触発されないわけがないからね、花子ちゃんとしても。
「これは実体験なんですけど、お尻に火が付いた時の人間ってそこそこ強いし、それなりに強かですよ」
『花子…さん』
そこで、クリシュナさまも会話に戻ってきた。
『アルテナは心配し過ぎなのです。これで、私が消えたとしても大丈夫だと分かったでしょう…人は、もうとっくに自分たちの足で歩いていますよ。それに、アルテナもいますからね』
『クリシュナさま…ですが、それでクリシュナさまが消えていいということには、ならないはずです』
『いつまでも私が世界に残っていること自体がおかしいのですよ。そもそも、私は彼女の身代わりになった時に消える運命でした』
クリシュナさまは、微笑む。自身の消滅が当然、と口にしながら。しかし、アルテナさまとしてもそれを簡単には受け入れられない。
もう会えないと思っていた人に再び会えたのは、ワタシだけではなかった。アルテナさまもなんだ。
…そりゃあ、女神さまだって駄々をこねたくなるよね。
『クリシュナさま…』
『面倒くさいのぉ』
アルテナさまの苦悶を遮ったのは、この場で最年少の女の子…いや、最年少なのは見た目だけか。だって、この子の中身は地母神さまだ。
『ほれ』
軽い一言と共に、地母神ティアちゃんはクリシュナさまの背中を叩く。それと同時に、クリシュナさまはゆっくりと力なく座り込んだ。糸の切れた、操り人形のように。
「何してくれてんの、このエセ幼女!?」
ワタシを含め、全員の目が点になる。
『エセ幼女とか言うな!立派な幼女なのじゃ…いや、本当のわらわ様はバインバインの地母神さまじゃぁ!』
混乱気味にワタシに言った後、ティアちゃんは『よく見てみい』と座り込んだクリシュナさまを指差した。
『あれ、私は…?』
クリシュナさまは、すぐに意識を取り戻したけれど…いや、違う?
外見は、クリシュナさまそのものだった。けど、その声や表情はまるで違う。
…これは、『彼女』だ。
「お帰りなさい…ロンドさん」
だから、ワタシが彼女に声をかけた。この中でもっとも彼女と接点があったのは、ワタシだ。それが、少なからず血生臭い接点だったとしても。
『私は、私に戻ったのか…二度と、私には戻れないと思っていたのですが』
周囲を見渡し、先ほどまでの昏い空とは違う青空を仰いで、困惑しつつもロンドさんは全てを察した。
けど、その表情は、曇っていた。異世界ソプラノの空は、絵に描いたように晴れ渡っていたというのに。
そして、ロンドさんはその憂鬱を吐露した。
『しかし、女神さまが抜けて私がまたこの体に戻ったということは…今度は、永劫にこの体で生きる羽目になるのか』
『ならんぞ』
ロンドさんの憂鬱を否定したのは、ティアちゃんだった。
「ティアちゃん、それはどういう…」
問いかけたワタシの声は、遮られた。
女神アルテナさまの、頓狂な声によって。
『あぎじゃびよー!?』
「なんて!?」
『やしがぁ、花子さん…ワンの中に、クリシュナさまがいっちょーんのですよぉ!?』
「いきなり『うちなーぐち』で捲し立てるのやめてもらっていいですか!?」
それが正しい沖縄弁かどうかも判別できないんですよ!
うちなーぐち警察から指摘があったらどうするんですか。
『ええと…ワタクシの中に、クリシュナさまがいらっしゃるようなのですよ』
「それは…アルテナさまの胸の中で、これからもクリシュナさまは生き続ける、とかいう話ですよね?」
『違います、この体の中にクリシュナさまが入っているのですよ!』
「え………?」
………え?
『アルテナの言っていることは、本当です』
そう言ったのは、本人であるアルテナさま…だった?
けど、声が違うし、表情も違う。これは、アルテナさまでは、ない。なら、まさか、本当に…?
そこで、ワタシはティアちゃんに助け舟を求めた。
「ティアちゃん…」
『アルテナの体の中に、クリシュナの魂を放り込んだ』
ティアちゃんは、事も無げに言ってのけた。
…けど、それってすごいこと、だよね?
『あの、ワタクシの中に、クリシュナさまの意識があるようなのですが…!?』
「あ、今度は本物のアルテナさまですね…」
アルテナさまの慌てっぷりを見て、ワタシは安堵した。当人であるアルテナさまはまだ慌てふためいていたけれど。
『なんで、どうしてなのですか!?』
『アルテナは女神のくせにうるさいのぉ』
素っ気ないほどあっさりと、ティアちゃんは言ってのける。
『女神だからといってこの状況で落ち着いてなどいられないのですけれど!?』
『元々、その身体もアルテナの本体ではないじゃろ?』
ティアちゃんの言う通り、アルテナさまの今の体は仮初めの体のはずだ。本体のままではこちらの世界には来られないから、この仮初めの体に精神を移した、とアルテナさまは言っていたはずだ。
『だから、それならクリシュナの精神もそこに放り込めると思っただけなのじゃ』
「じゃあ、本当にアルテナさまの体にクリシュナさまの精神も入っちゃったってこと…?」
『だからそう言っておるじゃろ』
「しれっとすごいこと言ってるけどさ、ティアちゃん…それ、本当にすごいことじゃないの?」
あまりの出来事にワタシの頭が置いてけ堀なのだ。語彙力だってごりごり低下する。
『そりゃすごいじゃろ、わらわ様は地母神だからな…まあ、失敗したらどうしようとはちょっとだけ思っておったが』
「それでゴーサインを出せるティアちゃんがちょっと怖いのですが…」
神さまの倫理観どうなってるの?
『まあ、失敗してもクリシュナが消えるだけだからな…本人だってその覚悟はあったようだし、もう長いこと生きておるから十分じゃろ』
「ティアちゃん…」
ティアちゃんの声には、やや厭世的なものが混じっていた。その声音は初めて聞いた。ティアちゃんと喧嘩をした時も、そんな寂しそうな声は出していなかった。
『ま、まあ…とりあえず、クリシュナさまの魂も残りましたし、これで良しといたしますか』
そう言ったのはアルテナさまだったが、それに異を唱える人物がいた。
『よくはありませんよ…私は、これから先もずっと、この姿のままで生き永らえなければならないのですか?』
「ロンドさん…」
それは、もう一人の当事者であるタタン・ロンドさんだ。この世界を崩壊させるための生け贄にされかけた過去を持ち、クリシュナさまが身代わりとなって生け贄からは解放されたが、今度は入れ代わった女神さまの体で長い時を生きる羽目になった。
そんなロンドさんの声は、倦んでいた。
『私は、これからもまた、一人で長い時を生き続けなければならないのですか…』
ロンドさんの声は、神さまに対する非難の声でもあった。
…これ以上、まだ私を苦しめるのか、と。
しかし、それを否定する声がティアちゃんから上がった。
『そうはならんぞ』
『え…?』
『お主がその体で長く生きてこられたのは、体が入れ代わった後もその体にクリシュナの魂の片鱗が残っていたからじゃな』
子供のような声で子供のような腕組みをしながら、ティアちゃんは淡々と語り続ける。母親が、幼子に言い聞かせるように。
『しかし、今のその体からはクリシュナの魂は完全に分離した…つまり、お主のその体はただの人間と変わらないということじゃ』
『では、私は…』
『ああ、普通に年をとって普通に死ぬ』
『…そう、ですか』
ティアちゃんの言葉を聞いたロンドさんは、俯いていた。俯いていたけれど、それは悲嘆していたからではない。寧ろ、解放されたとことに対する安堵だ。
…そうか、解放なんだね。
やっぱり、普通の人間には耐えられるものじゃないんだね、永遠の命なんて。
『すみません、あなたを助けたいと思っての行動だったのですが…逆にあなたを苦しめてしまったのですね』
そう言ったのは、アルテナさまではなくクリシュナさまだった。
『いえ、そうしなければ、あの時に世界は崩壊していたはずですから』
ロンドさんは、クリシュナさまを責めたりはしなかった。『不死者』という人類のカテゴリの外に置かれることになったロンドさんではあるが、クリシュナさまをその元凶だと責めたりはしない。結局、ロンドさんも根っこの部分ではお人よしなんだ。
「なかなかやるね、ティアちゃん」
『なんじゃ、子ども扱いするでないわ!』
唐突に頭を撫でたワタシにティアちゃんは反発はしたが、拒絶はしなかった。
ティアちゃんを撫でながら、ロンドさんとクリシュナさまの眺めていた。
長い長い時の果てに、二人の和解は果たされた。
それをもたらしたのが、ティアちゃんだ。ティアちゃんがいなければ、ロンドさんとクリシュナさまは話をすることもできなかったのだから。
…少し、楽しくなってきた。
今のこの空気が、祭りの後の余韻のようで。
けど、祭りというのは、いつかは終わる。その余韻も、少しずつ消えていく。
『あの、そのね…』
そう言った『あの子』の真っ白な尻尾は、儚く揺れていた。
かわいらしい唇から漏れるその声も、儚く揺れていた。




