141 『死んで勝つと死んでも勝つは全然、違うものでござるよ』
「貧乏くじは、引くべき時を選べない」
そもそも、他のダレカのために『損』を引き受けるのが貧乏くじという代物だ。
当然、そんなものを引きたいとは誰も思わない。誰だって自分の身が一番、かわいいものなんだ。
…けれど、それが貧乏くじだと分かった上で引いた人たちを、ワタシは知っている。
ワタシが元いたあの国は、災害の多い国だった。特に、定期的ともいえる頻度で大きな地震が起こっている。ワタシが直接そうした震災を体験したわけではなかったけれど、それでも資料などでは何度も目にした。痛ましい話も、たくさん耳にした。数え切れないほどの人たちの当たり前が、そこで壊されてしまった。そして、壊されてしまったものは、二度と帰ってはこなかった。
「けど、そういう時には現れるんだよね…自ら進んで、貧乏くじを引く人が」
自分が損をすることを厭わずに、その人たちは他のダレカのために貧乏くじに手を伸ばした。
そして、そこで大損をした人たちがいたお陰で、たくさんのダレカが、救われた。
「でも、中には、他の人たちを助けるために、自分が犠牲になった人もいた…」
しかも、その人が助けたのは、日本人ではなく外国人だった。自国の同族ではない外の人を助け、自身は命を落としてしまった。
…いや、いざという時には日本人も外国人も関係ないのか。
兎に角、引くべき時に貧乏くじが引ける人はいる、という話だ。
「ただ、貧乏くじっていうのは引くべきタイミングを選べないんだよね…」
それは当然だ。貧乏くじを引かなければならないタイミングが、いつどこで起こるかなんて誰にも分からない。
「…生け贄、か」
声にならない声で、そう呟いた。
この言葉を、このタイミングで思い出したからだ。
いや、生け贄という言葉を貧乏くじという言葉で濁して逃避していただけか。
『では、花子さんが『生け贄』になりますか?』
先ほど、彼女はそう言った。
その声は、『魔女』そのものだった。
透明だけれど硬質で、その声には人としての温度がない。
しかも、その声で奏でられたのは『生け贄』という不穏が煮詰められた言の葉だった。
しかもしかも、その『生け贄』の対象はワタシだ…。
「生け贄って、何ですか…」
ワタシは、『魔女』に問いかける。
少しだけ、震える声で。
「生け贄は生け贄ですよ」
事も無げに『魔女』は言ってのけた。『魔女』からすれば、生け贄など些末なものなのかもしれないが。
「だから、その生け贄ってこの異世界を滅ぼすためのものなんですよね、そんなものにワタシを…」
いや、違う。
確かに、最初はそう言っていた。この世界を滅ぼすために捧げられるのが『生け贄』だ、と。
過去、その生け贄に捧げられそうになったのがタタン・ロンドさんだ。
ただ、その生け贄にされる寸前、彼女は女神クリシュナさまの手で助けられたのだけれど。
そして、生け贄は世界を滅ぼすためのものではないと、先ほど否定されていた。『魔女』であるドロシーさん本人によって。
「生け贄って、何のための生け贄なんですか…」
ワタシは、『魔女』に問いかける。
心臓が小さく一つ、高鳴るのを感じながら。
「…あの『黒いヒトビト』を止めるための、生け贄ですよ」
観念するように、『魔女』は言った。
それは、世界を救う言葉だった。暗澹たる『魔女』には不釣り合いな、希望の言の葉だった。
「…『黒いヒトビト』を、止める?」
それが、可能なのか?
だって、それができないから、世界は壊れかけているのではないの、か?
「止められる可能性はありますよ、そのための『生け贄』です」
ドロシーさんは、『魔女』の声で『魔女』の理屈を語る。
しかし、そこで語られたのは世界を滅ぼすための『魔女』の言葉ではなかった。
「でも、ドロシーさんはこの世界を崩壊させるために、『魔女』として『黒いヒトビト』に召喚されたんですよね…」
こことは別の世界から無理矢理、召喚されてドロシーさんはこの世界に現れた。
しかも、背負わされたのは『魔女』の烙印だ。
…けど、ドロシーさんは、その『魔女』としての責務を放棄しようとしていたのか?
「確かに私はあの『黒いヒトビト』からこの異世界の崩壊を命じられたけれど…」
その先の言葉を、ドロシーさんは口にしなかった。おそらく、この人にも一言では語れない思いがある。なら、今はそこを追求するよりも『生け贄』について言及するべきか。
「もし、ダレカがその『生け贄』になれば、『黒いヒトビト』を止めることができるんですか?」
「花子さんに、その覚悟があるのですか?」
あえて底意地の悪い口調で、『魔女』に覚悟を問われた。
お前は、この異世界のための捨て石になれるのか、と。
石ころのように、使い捨てられる覚悟はあるのか、と。
「…………」
自らの命を犠牲にするのだから、本当の意味での貧乏くじだ。
…けど、ワタシがそれを引けば、この異世界は救われる。
ワタシのちっぽけな命一つで、この世界のみんなが明日も笑っていられる。
こんなもの、天秤にかけるまでもない。
だから、『魔女』に問いかけた。
「ワタシが生け贄になったとして、それで、どうやって『黒いヒトビト』を止められるんですか?」
「あのヒトビトの内側に潜り込み、同化すると言えば分かりやすいでしょうか」
「あのヒトたちとの同化…ですか」
生け贄とは、内側からあのヒトビトの呪詛を鎮めるための人柱になる、ということか。
理屈は、理解できた。
…けど、もしかすると、生け贄などなくとも助かるのではないだろうか。
だって、今も『黒いヒトビト』は浄化されつつある。『黒いヒトビト』の同胞たちが、自浄を行ってくれている。
「そうだよ…『黒いヒトビト』だって、『黒いヒトビト』を助けたいんだ」
なら、それを待つというのが最善ではな…。
そこで、空が破壊された。
…いや、そう錯覚するほどの衝撃が、ワタシたちを襲った。
上空から暴風が吹き荒れ、無音が波濤となって押し寄せる。当然、ワタシのような木っ端は簡単に弾き飛ばされる。
「何が…?」
いや、何が起こったのかは明白だった。また、あの黒い大蛇が動いたんだ。たったそれだけで、この王都に深刻な影響が出ている。生き物としてのスケールがまるで違うんだ。『オオカミさま』がまた防いでくれたようだったけれど、あの神さまも満身創痍だ。全身を震わせながら、奇跡的に立っていただけだ。
そして、黒い大蛇は、未だにこの世界の崩壊を、根強く望んでいる。
瞳はないが、存在しないはずの瞳がそう物語っていた。
「…救済を望む黒いヒトたちもいるけれど、崩壊を望むヒトたちとの綱引きが、そもそも不平等なんだ」
最初から、数が違うのだから。圧倒的に、この世界の崩壊を望むヒトビトの方が多いんだ。
今現在、綱引きが成立してるだけでも奇跡としか言えない。
だとすれば、やはり必要になる。
…生け贄という、人柱が。
「もし、ワタシが生け贄になれば、本当に世界は、救われますか?」
再び同じような質問を投げかけた。
覚悟は決めたつもりだったけれど、それでも、この問いかけはただの時間稼ぎのようなものだった。
要するに、ワタシがビビって足踏みをしていただけだ。
…いや、ダレカに止めて欲しくて、わざわざ声に出したのか、ワタシは。
『それはダメだよ、花子お姉さん』
止めて、もらえた。
けど、それはワタシと同じ『転生者』ではなかった。『待った』をかけてくれたのは、犬耳に犬尻尾のシロちゃんだ。そして、シロちゃんはさらに言ってくれた。ワタシがの心が、挫けそうになる言葉を。
『花子お姉さんがいなくなったら、繭ちゃんたちがたくさん泣いちゃうんだよ…だから、そんなのはダメなんだよ』
「シロちゃん…シロちゃんも、泣いてくれるんだね」
シロちゃんは、既にその瞳に涙を浮かべていた。
ワタシなんかのために、泣いてくれてるんだね。やっぱりシロちゃんはいい子だよ。
だから、この子は自分の世界に返してあげないといけない。こんなにいい子であるシロちゃんの家族が、シロちゃんに会いたくないはずがない。今も、シロちゃんが帰ってくることを、祈りながらずっと待っている。これでシロちゃんが家族と再開できない世界なら、それは世界の方が間違っている。
「でもね…多分、ワタシがやらないといけないんだ」
自分でも、どうしてそう思ったのかは分からない。でも、ダレカの犠牲が必要とされるなら、ワタシがそうなるべきだと、思ったんだ。
でも、それは義侠心とかそういうかっこいい言葉ではなく、もっと後ろ向きなものだったけれど。
「シロちゃんがダメって言ったら、ダメに決まってるでしょ!」
「なんで花子がそんなこと勝手に決めるんだよ」
シロちゃんに続き、反対してきたのは繭ちゃんと慎吾だ。二人とも、目を三角にしてワタシに詰め寄る。
…それだけで、泣き出しそうになってしまう。
止めてくれる家族が、ワタシにもいるんだ、と。
その涙を振り払うために、ワタシは言った。
「このままだと、この世界が壊れちゃうからだよ」
「だから、生け贄なら花子じゃなくてオレでもいいだろ」
「生け贄っていうのは清い乙女って相場が決まってるんだよ」
神話の時代から、生け贄=女の子の図式は成立していた。
少女にはそれだけの価値があると、世界中のみんなが納得しているからだ。
「だったら、食い意地の張った花子は清くないから生け贄として不適格だろ」
「ワタシちゃんと清い乙女だもん!」
「清い乙女は自分で自分のことを清いとは言わないと思うぞ…」
いつも通りの、不毛なやり取りだった。生産性など皆無で、ただただ駄弁るだけの横すべりの会話だった。けど、それが妙に、愛おしかった。
…だって、これが最後の会話になるかも、しれなかったから。
「でも、ワタシがやらないと…」
「だから、なんで花子が生け贄にならないといけないんだよ」
慎吾は、ワタシの手を掴んだ。
ごつごつとしていたけれど、その手の平は柔らかかった。
「だって…繭ちゃんは、アイドルとしてたくさんの人たちから必要とされてるよ」
「…ボク?」
繭ちゃんは、不意に名前を呼ばれて円らな瞳を軽く見開いて驚いていた。
「それに、雪花さんだって立派…かどうかは分からないけど、漫画家になるって夢があるよ」
「その夢には、まだまだ届いてないけど…というか、届く保証なんてどこにもないけど」
雪花さんは、軽く瞳を伏せながら言った。
ワタシは、ワタシの手を握ったままの慎吾に向き合う。
「あと、慎吾はこれからもいっぱい勉強してたくさんの野菜を育てるって夢があるんでしょ」
「それが、オレのじいさんとの約束だったからな…」
「ほら、慎吾も繭ちゃんも雪花さんも…みんな、他の人たちから必要とされてるじゃない!立派な夢があるじゃない!」
ワタシの声には、自然と涙が混じっていた。
…本当は、泣きたくなんてなかったのに。
「ワタシにはないんだよ、そういうのが…ダレカから必要とされてるわけじゃないし、ダレカから褒められる夢もない。ここでいなくなったとしても、損失なんてないのと同じなんだよ!」
ワタシは、叫んだ。
これ多分、ワタシがずっと抱えていた劣等感だ。
…ワタシは、みんなと比べて『転生者』っぽくなかったんだよね。
それに、殆んどの異世界作品では、『転生者』は何らかの夢や目標を持っている。そして、その夢やら目標やらに邁進している。
それは一度、死んでいるからだ。
一度、命を失っているからこそ、次の命は無駄にしないと本気にも躍起になっている。
でも、ワタシにはその熱がない。
「…ワタシの命は、みんなに比べたら軽いんだよ」
そう、軽いんだよ、ワタシの命は…。
いや、軽かった。以前の世界にいた頃から。
そして、ワタシはずっとコンプレックスを抱えていたようだ。慎吾たちに、対して。
「お前だけは…花子だけは、自分の命が軽いとか口にしていいはずないだろ!」
「…慎吾?」
慎吾の声は、激昂していた。
今までに、一度も聞いたことのない声だった。だって、慎吾がここまで怒っている姿なんて、見たことなかったから。
…そんな慎吾を、ワタシが怒らせた。
しどろもどろになりながら、ワタシは言った。
「でも、ワタシは、みんなみたいに、大きな夢があるわけじゃなくて…」
「夢なんて、オレはとっくに破れてるんだよ!」
「え…?」
慎吾は、今、何と言った?
そして、慎吾は語り始めた。
「オレの小さな頃の夢は、野球選手になることだった」
「野球…選手」
「けど、なれなかったんだよ。練習量だけなら、オレは他の誰よりも多かった。それこそ、他のチームメイトの二倍も三倍も努力した…でも、オレじゃ絶対にプロにはなれなかった」
「え、どうし、て…?」
夢は、叶うものだと思っていた。
勿論、それが簡単なものじゃないことくらいは、ワタシにも分かる。けど、誰よりも努力を重ねれば、その努力はいつか報われるものだと、ワタシは信じて疑っていなかった。
…ワタシは、努力そのものができなかった、から。
慎吾は、その理由を吐露した。苦痛に歪んだ、声で。
「食べられなかったんだよ…」
「…食べられなかった?」
何を?ご飯を?
そんなこと、あるの?
「オレは、食が細かったんだ…本当ならどんぶり飯の五、六杯は食べなきゃいけないところを、精々、二杯が限界だった。それ以上を食べようとすると、消化できずに、吐いてしまった」
慎吾の声に滲んでいたのは、悔恨だった。
そして、慎吾は続ける。それは慎吾の心の瘡蓋だった。
「成長期って、バカみたいに食べないといけないんだよ。そうじゃないと、体が作れないからな」
「でも、慎吾だってしっかりした体だと思う…よ?」
「本気で上のレベルを目指してる連中の体付きってこんなものじゃないぞ。丸太かよってくらい腕も足も太いんだ。それに、練習量も半端じゃない。そして、それを可能にしているのがどんぶり飯だったんだ」
「お米って…そんなに大切なんだね」
「誇張なしで日本人の魂だと思うよ…けど、オレはその日本の魂をたくさんは、食べられなかった。だから、途中からどんどん置いて行かれたんだよ、チームメイトたちから。他のみんなは、どんどん体がでかくなっていったのに」
慎吾は、そこで軽く歯噛みしていた。
その口元から、慎吾の苦悶が零れ落ちる。
「しかも、その米は、オレのじいさんが差し入れてくれていたものだったのに…」
「慎吾のおじいさん、が…」
「本来ならオレが一番、その米を食わないといけなかったんだ…でも、どうしても多くは食べられなかった」
…ああ、そうか。
それが、慎吾の悔恨の源泉だったのか。
おじいさんに対する申しわけない気持ちが、慎吾を追い詰めていたんだ。
「ただ、うちの連中ってさ、本気で美味そうにじいさんの米を食ってくれたんだ…いや、米だけじゃなくて、じいさんの野菜も本当に美味そうに食べていた。悔しかったのと同時に、誇らしかったよ。じいさんの野菜は日本一だって」
「だから、慎吾は…」
「ああ、野球選手にはなれなくても、農家になりたいって思ったよ…じいさんと一緒に」
「すごいよ、かっこいいよ…慎吾は」
慎吾は、挫けなかった。理不尽とも言える理由で夢を諦めさせられたのに、それでも次の目標を打ち立てていた。
…夢が破れる痛みを、知っているはずなのに。
「やっぱり、慎吾みたいな人は生き残らないと…」
「だから、夢なんてどこででも見つけられるんだよ。いや、夢なんかなくたって、そもそも人は他のダレカのために生きてるんだよ。花子が知らないだけで、な」
慎吾は、そこでワタシの鼻にデコピンをしてきた。
ビックリはしたけれど、かなり加減していたので痛みはなかった。痛みよりも、別のものがワタシの胸を満たした。
…満たしたからこそ、逆の感情も溢れてきた。
どうしようもない理不尽というのは、やはり存在するよ、と。
「けど、やっぱり…ワタシは、みんなを守りたい、よ」
そのための貧乏くじなら、ワタシが引くべきではないだろうか。
そこで声をかけてきたのは、雪花さんだ。肩幅に足を開いて、真っ直ぐにワタシを見据えていた。
…あれ、これもしかすると雪花さんが一番、怒っているのでは?
「拙者たちを守るためなら、自分はどうなってもいい、と?」
「そういうわけじゃないですけど、そうしないといけない時は、あるじゃないですか…」
「花子殿…死んで勝つと死んでも勝つは全然、違うものでござるよ」
「それは、そうかもしれませんが…」
『なら、その生け贄とやらにはわたしがなりますか…』
「おばあ…ちゃん?」
そこで、ワタシのおばあちゃん、アリア・アプリコットにして邪神の魂である『花子』が割って入ってきた。
そして、告げる。ワタシの知っている、あの声で。
『元々、この体は『邪神の魂』ですからね、ちょうどいいのではないですか』
「でも、駄目だよ、おばあちゃん…」
『だから、わたしはあなたのおばあちゃんでは…』
「おばあちゃんには、後でやってもらわないといけないことがあるんだよ」
『やってもらわないといけない、こと…?』
そこで、おばあちゃんは目を見開いて驚いていた。
…昔、数回だけ見たことのある表情だった。
ああ、おばあちゃんは、ここにいたんだ。
胸の中を、そんな想いが満たした。
「と、今はそれどころじゃないね…」
聞こえない独り言を口にして精神をリセットした。
今は、あの『黒いヒトビト』を止めることが先決だ。
…そのための方法が、生け贄という選択肢しかないのだけれど。
『あの、その生け贄というのはあちらの祠に捧げられるのですよね?』
そこで、ワタシの頭上のやけに近いところから声が聞こえてきた。
そういえば、まだいたんだった。ワタシの頭の上に、女神アルテナさまが。
今は、力を失って小さくなってしまっているけれど。
「…ええ、そうですね」
アルテナさまの問いかけに反応したのは、『魔女』であるドロシーさんだ。
そして、ロンドさんが言っていた。ロンドさんは生け贄として、あの祠に捧げられそうになった、と。
けど、どうしてアルテナさまはこのタイミングでそんなことを問いかけたのだろうか。
全員の視線がワタシの頭の上のアルテナさまに注がれる中、アルテナさまは口を開いた。
『でしたら、あの祠には生け贄の先客がいらっしゃるのではないですか?』




