126 『悪魔なんかを応援していたら、ろくな大人にはなれませんよ』
「頑張って、リリスちゃん!」
声の限りに、ワタシはあの子を応援する。
叫び過ぎて脳の酸素が足りなくなり、滲むように視界がぼやけた。けど、声のボリュームは梃子でも下げない。
その程度のことしか、ワタシにはできなかったからだ。
ワタシは『転生者』のくせに魔法の一つもまともに扱えないし、『念話』以外に有益なスキルも持ち合わせてはいない。この世界のどこにでもいる、その他大勢のモデルケースのような存在だ。
だからこそ、限界まで声を張り上げる。
だって、ワタシが声援を送っている相手は、ワタシの大切なお友達だ。
そして、そのお友達は、ワタシの家族のために頑張ってくれているんだ。
『先生に一つ言っておきますけれどねぇ…悪魔なんかを応援していたら、ろくな大人にはなれませんよ』
「大丈夫だよ。「つまみ食いばっかりしてたらまともな大人になれないよ!」って繭ちゃんからよく叱られてるから」
『それはそれで悲しくなりませんかねぇ…』
半ば呆れたように、けれど、悪魔らしくリリスちゃんはニヒルな苦笑いを浮かべていた。さっき泣いたカラスではなく悪魔がもう笑っている。
「でも、今はリリスちゃんの方がずっと辛いでしょ…」
そこで、ワタシはリリスちゃんを心配した。
ワタシは大声で応援しているだけだが、リリスちゃんは精神的にも体力的にもきついはずだ。
今現在、暴走する『花子』の邪気を抑えてくれていたのはリリスちゃんだった。
リリスちゃんが意識を取り戻した後、今度は『花子』の中の『邪神』が再び活性化を始めた。
暴走していたのはさっきまでのリリスちゃんだけじゃない。『花子』の中の『邪神』も暴れ回っていた。
「…………」
これまでは、『花子』の暴走はアルテナさまが抑えてくれていた。
天界とのパイプが回復し、再びアルテナさまに天界から力の供給が行われるようになったからだ。けれど、そもそもアルテナさまの力はほぼ空っぽだった。多少の力の供給があったとはいえ、女神さまだってそんなガス欠状態でいつまでも暴走する『邪神』の力を封じていられるはずがない。
今、アルテナさまはワタシの頭の上でグロッキー状態になっている。力尽きる前には『ばったんきゅ~』というかわいらしい鳴き声を口にしていたので、まだ幾許かの余裕はあると思われるが。
そこで、アルテナさまの代わりに『花子』の再暴走を抑えてくれたのが、リリスちゃんだ。
「すごいよ、リリスちゃん…あの黒い竜巻を抑え込んでる」
再び暴走を始めた『花子』は、あの黒い竜巻を発生させた。全てを薙ぎ倒す、あの暴力の具現だ。それをリリスちゃんが抑えて、というか散らしてくれていた。
『抑え込めるようになった、と言った方が正しいですかねぇ。リリスちゃんもさっきまで『毒の魔獣』とかいう怪物の因子に意識を支配されていましたけど、そのお陰か邪気の制御の仕方が分かりました。まあ、その邪気を引き取ってくれる場所があったから可能なのですけれど』
昔々、悪魔であるリリスちゃんは『教会』と呼ばれる宗教組織に封印されてしまった。彼らがこの地での求心力を獲得するための、その人柱として。
その後、リリスちゃんは復活を果たしたが、そのリリスちゃんを復活させたのも同じ『教会』だった。もう少し詳細に言えば、『教会』内部の急進派たちだ。
しかし、彼らは善意や贖罪でリリスちゃんを復活させたわけではない。
彼らが所属する『教会』には、崇拝される『神さま』が存在していない。ワタシは宗教には詳しくないが、大体の宗教には神さまというアイコンは不可欠なのではないだろうか。
当然、『教会』内にもそう考える人間は多く、神さまがいないのならば新しく創ればいいと行動に移した。
その第一歩として、悪魔リリスちゃんを復活させた。
悪魔であるリリスちゃんを復活させ、その後でいけしゃあしゃあと討伐する。
そうすればその人物は英雄と称えられ、後世では『神』として崇拝される…という遠大な計画だ。
…プロットとしては、あまりにも稚拙でお粗末だけどね。
それでも、急進派の彼らはリリスちゃんを復活させた。大昔、この王都に災厄を振りまいた『毒の魔獣』の因子を組み込んで。
そうして、リリスちゃんを暴走させたんだ。悪魔を討滅するという大義名分を得るために。
「結局、『教会』の人たちは返り討ちにされたから『ざまあ』だけどね」
しかも、リリスちゃんは自分の意識を取り戻した。
それだけではなく、リリスちゃんは『邪神』の邪気の被害を抑えてくれていた。
水鏡神社の外れにポツンと設置されていた、あの祠へと邪気を誘導することで。
あの祠は、ただの宗教的なモニュメントではなかった。
過去、この王都に現れた『毒の魔獣』を退治した異世界の神さまがこの地に残してくれた、邪気や呪いといった不浄なモノを吸収、浄化してくれる大変ありたがい聖域だった。
その祠とリリスちゃんのお陰で『邪神』の邪気を祓えていたのだから、世の中の縁というのは本当に分からないものだね。
リリスちゃんが意識を取り戻していなければ、再び暴走した『花子』によって辺り一帯は更地と化していたはずだ。
「本当にありがとうね、リリスちゃん…」
『お礼を言うのは、あの『邪神』の暴走を完全に止めてからにして欲しいところですねぇ』
「そうだね…何とかしなきゃだよね」
ワタシは、そこで『花子』と…もう一人のワタシと、向き合う。
…そうだ、ワタシにできることなら、まだあった。
あの『花子』は、『邪神』の魂だ。具体的に言うのなら『邪神』の魔力の塊だけれど。
そして、おばあちゃんからお母さんを経由して、ワタシの中で眠っていたワタシの半身でもある。
「…だからこそ、『花子』はもう一人のワタシだ」
よく考えると出鱈目もいいところだけどね…。
異世界ファンタジーとはいえ、ここ最近の出来事はちょっと節操がなさ過ぎるのではないだろうか。
…まあ、そのお陰で『花子』とも出逢えたんだけど。
「ただ、ワタシと全く同じ名前っていうのはどうかと思うよさすがに…」
まあ、それでもみんなで喧々諤々やってつけた名前だ。
…いや、反対してたのワタシだけだったか。
でも、今はもう名前の件はどうでもいい。
出鱈目でも不条理でも節操がなくても、『花子』は、ずっとワタシたちの傍にいた。毎日ご飯も一緒に食べた。一緒にお風呂も入って、一緒の布団で寝た。たくさんお喋りをして、ほんの少しだけだったけど、笑顔も見せてくれた。
もう、『花子』はワタシたちの家族になったんだ。
「…今さら、その手を離せるはずがないんだよ」
繭ちゃんは泣く。雪花さんも泣く。慎吾だって隠れて泣く。ワタシなんか人目も憚らずに大泣きする。三日三晩はね。
たとえ『花子』がこの世界を何度も滅ぼしかけた『邪神』の魔力の塊だったとしても、『花子』がいなくなったらたくさん泣くんだよ、ワタシたちは。
「だから、ここで『花子』を止めるよ…これから先も、『花子』と家族でいるために」
…とはいえ、どうすればいいのか。
先ほどから何度も呼びかけてはいるが、『花子』は無反応だった。リリスちゃんの時と同じだ。暖簾に腕押しも甚だしい。
いや、この手応えのなさはそれ以上か…。
「頼みの綱の『念話』も、『花子』相手だと届かないんだよね」
暴走状態の『花子』には『念話』も通じない。というか元々、ワタシの『念話』は『花子』には届かない。ワタシと『花子』が同一人物と認定されているからだけれど。
しかし、その同一人物認定がなければ『花子』が『念話』を扱うことはできなかった。『念話』は、この世界ではワタシだけが扱えるユニークスキルだからだ。
「まだ試していないことは、あるけれど…」
…直接『花子』に触れている状態で『念話』を発動させれば、どうだろうか。
本来、『念話』というのは離れた相手と会話をするためのテレパシーだ。
「でも、これまでに何度も『念話』を使ってきて、少しずつだけど分かってきた気がするよ…」
この『念話』というユニークスキルの、その本質が。これは、ただ遠くの相手とコミュニケーションを図るだけのスキルじゃない。『念話』は、相手との距離をゼロにするためのスキルなんだ。
…そしてそのゼロ距離とは、相手の魂に直に触れることを意味する。
「もし、『花子』の魂に直接、触れることができれば…」
「…駄目だよ」
そこで、繭ちゃんがワタシを制止した。白魚のようなその細い指先で、ワタシのスカートの裾を抓む。
「繭ちゃん…?」
「それは、さすがに危ないよ…リリスちゃんだって、いつまで『花ちゃん』を抑えられるか分からないんだよ」
「でも、このまま『花子』を放っておけないよ…繭ちゃんだってそうでしょ?」
もしかすると、ワタシよりも繭ちゃんの方が『花子』と一緒にいる時間は長かったかもしれない。繭ちゃんは、ワタシの裾を抓む指先に力を入れた。
「ボク、『花ちゃん』から言われてたんだよ…『もし、わたしのせいで花子サンが危険な目に遭いそうになったら、止めてください』って」
「そんなこと言ってたんだ、『花子』…」
大体いつも、あの子は無口だった。表情が変わることすら稀だった。それでも、『花子』はワタシたちのことを考えてくれていたのか。
「なら、繭ちゃんだったら分かるよね。『花子』にそんなこと言われたら、ワタシは余計に止まらないって」
「分かってるよ…だから、ボクも一緒に行くって言ってるんだよ」
そこで、ワタシと繭ちゃんは顔を見合わせて笑った。けっこう似てるところあるんだよね、ワタシと繭ちゃんって。
「じゃあ行くよ、繭ちゃ…ん!?」
ワタシは、繭ちゃんを促して『花子』の元に駆け寄ろうとしたが…それはできなかった。
地面が、揺れた。波打つように、大きく。
「なに…地震?」
そう思ったけれど、そう思う間も、なかった。
暴風が、見えざる波濤となって襲いかかる。いや、それと同時に?風よりも音が先だった?耳をつんざく雷鳴?轟音?が頭上から?地面から?鳴り響く。
順番どころか方向すら分からない大異変が、周囲で目まぐるしく起こっていた。
ワタシの中の、時系列が乱れる。何が最初の異変で。その次の異変はなんだ?
…もしかして、世界が壊れたのか?
「大丈夫…ですか、アルテナさま?」
まともに立っていられなかったワタシは、膝をついていた。いや、突っ伏していた。でなければ、暴風に吹き飛ばされていたはずだ。というか、小さなアルテナさまは本当に飛ばされそうになっている。
『げ、元気いっぱい、ですよ…へへ』
「あ、まだ少しだけ余裕ありそうですね」
とはいえこの女神さまにこれ以上の無理なんてさせられないので、何とかアルテナさまが飛んで行っていまわないように手で押さえた。
「りりすちゃん…は?」
ワタシは、次に小さなりりすちゃんの姿を探した。
あの子も、まだ十歳になったばかりの子供だ。この天変地異の中では怖くて泣いてしまうのではないだろうか。
「私も無事…です」
子供のりりすちゃんも、頭を低くして暴風から身を守っていた。というか、シロちゃんが小さなりりすちゃんを庇ってくれていた。
「一体どうして…」
本当に、世界が壊れたかと思うほどの衝撃だった。
「あれ…だよ」
繭ちゃんの体を支えながら、雪花さんが指を差していた。ワタシは、その指先が示す方向に視線を向ける。
…そこには、黒い丘が落ちていた。いや、黒い塊か。
「あれ、まさか…『黒いヒトビト』!?」
砂浜に打ち上げられた鯨のように、その黒い巨魁は悠然とそこに横たわっていた。
…そして、時折り、拍動していた。
「でも、どうし、て…?」
ワタシは、空を見上げる。
空は、未だに『黒いヒトビト』に覆われたままだった。落ちたとはいえ、この空を覆い尽くすほんの一部だけだったようだ。
それで、あの衝撃…だったけれど。
そもそも、『黒いヒトビト』とはこの異世界ソプラノで強い怨嗟を持ったまま命を落とした、報われない魂たちだ。その行き場を失くした魂たちが、寄り添い合って『黒いヒトビト』となった。
…当然、彼ら、彼女らはこの世界を根こそぎ恨んでいる。
この世界を滅ぼす権利が、『黒いヒトビト』にはある。
そして、『黒いヒトビト』は自分たちの代わりにこの世界を滅ぼす存在として異世界から『魔女』と呼ばれる存在を呼び寄せ…。
「そうだよ…ドロシーさんだよ」
その『魔女』が、崩壊しかかっていた『黒いヒトビト』を治してくれているはずだった。
長い長い時を、怨恨を抱え続けていた『黒いヒトビト』は、限界に到達したのか既に自壊を始めていた。
彼ら、彼女らの悲願であるこの世界の『崩壊』は、手を伸ばせば届く距離にまで迫っていた。
ワタシは、その『崩壊』を抑えて欲しいと『魔女』であるドロシーさんに頼み込んだ。自壊による崩壊などではなく、『黒いヒトビト』は自分たちの手でこの世界を滅ぼすべきではないか、と説得を試みて。
ドロシーさんは、それに応じてくれた…はずだった。
…それなのに、ここで『黒いヒトビト』の崩壊が起こっている。
「ドロシー…さん?」
ワタシの視界にはありえない光景が広がっていた。
だって、そんなことが、あっていいはずがない…よ?
ドロシーさんのお腹からは、剣が生えていた。
いや、背後から、剣で貫かれていた。ドロシーさんの体から突き出た剣からは、鮮血が滴っている。
彼女の後ろに、『教会』の信徒が、いた。
ソイツが、ドロシーさんを、刺したんだ。
「おかしいよ、こんなの…あっちゃいけないよ、こんなの」
その現実を、ワタシは受け止めきれなかった。
だって、人が人を刺したりしていいはずが、ない。
魔族相手に国を守る戦いなら、それも仕方ないのかもしれない。
飢えをしのぐために、魔獣の命を奪うことなら許されるかもしれない。
…けど、人が人の命を奪っていい道理なんて、あるわけないのよね?
「…く、ふ」
ドロシーさんは、口の端から血を滴らせていた。
異様に黒い、血を、そこから…。
…黒い、血?
これも、ワタシの失われた現実感がそう見せているからか?
遠目だから、そう見えているだけか?
「新たな『神』を生み出すのならば、『悪魔』にこだわる必要はない…『魔女』を殺せばいいだけではないかあっ!」
狂ったように、『教会』の信徒は叫んでいた。
人の背後から刃を突き立てておいて、高笑いをしていた。その瞳は、紅く血走っている。
「なんで、そんな得意気にできるんだよ…」
躊躇わないのか?戸惑わないのか?後悔しないのか?
人を、刺したんだぞ?
本当に、何も感じないのか?
…ワタシだったら、そんなこと怖くてできないよ?
「ドロシー、さん…」
ワタシはそう呼びかけたけれど、それに応じられるだけの余裕は、『魔女』にもなかった。
現実感が、急速にワタシから遠のいていく。ワタシの世界は、まだここにあるのか?
「ドロシーさん!?」
次は、強めに叫んだ。
ドロシーさんに駆け寄りたかったけれど、腰が抜けて動けない。
ワタシの現実が、一向に帰ってこない。
…お願いだから、ワタシを見捨てないでよ。
「終われ…終われ、『魔女』よ。新たなる『神』の礎となればいいんだあああぁ!」
ドロシーさんに突き立てていた剣を抜き、もう一度、ドロシーさんに突き立てようと、信徒が狂う。
洋々と。嬉々として。
「やめろよ…失くした命は拾えないんだぞおおお!」
もう嫌なんだよ…。
自分が死ぬのは嫌だ…。
けど、ダレカが死ぬのも嫌だ…。
「みんなで仲良くしていたって…バチなんか当たらないだろ!?」
叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。叫ぶ。
それでも…届かない。届かない。
ワタシの声も。願いも。祈りも。
何もかも、届かない。
だから、世界は、ワタシにはやさしくない。
…はずだった、けれど。
『その通りだよ。仲良くしたって、バチなんか誰にも当たらないんだ』
その声は、『花子』から聞こえてきた。
これは妙な表現かもしれないが、そうとしか言いようがなかった。
だって、言葉を発したのは『花子』だったのに、そこにいたのは『花子』ではないダレカだった。
外見上だけが『花子』のダレカは、ワタシに言った。ワタシの肩に、そっと手を添えながら。
『誰かが傷つくところなんて、本当は誰も見たくないよね』
すごくやさしい言葉だった。
…けれど、ドチラサマ、ですか?




