123 『つながりこそが、ワタシたちの武器だ』
『花子お姉さん…あの濁った赤色の霧は、ぼくと繭ちゃんで吹き飛ばしちゃうよ』
シロちゃんは、円らな瞳で誓った。
その丸い宣誓は、力強くはなかった。
頼もしくもなかった。凛々しくもなかった。
ただ、筆舌に尽くしがたいほど、超絶にかわいかった。
だって、シロちゃんと繭ちゃんだ。
この王都で、最もかわいい二人がコンビを組んでいるんだ。
シロちゃんと繭ちゃんが手を取り合って、あんなかわいくない濁った毒なんかに負ける道理がどこにあるというのだ。
「シロちゃん…また、あの『咆哮』をお願いしてもいいかな?」
ワタシは、遠慮がちにシロちゃんに問いかける。
先ほどシロちゃんはその『咆哮』を連発して目眩を起こしていた。あの『魔毒』すら浄化できる『咆哮』はシロちゃん自身にも相当な無理を強いることになる。
『もう大丈夫だよ、花子お姉さん…ぼくが倒れそうになっても、繭ちゃんが支えてくれるから』
シロちゃんは微笑みながら言った。けれど、その笑みが既に辛そうでもあった。
それでも、シロちゃんの表情は物語っていた。
ぼくの傍には繭ちゃんがいるから心配ないよ、と。
…そうだよね、シロちゃんは繭ちゃんとずっと一緒だったもんね。
だから、ワタシは頼むことができた。
「じゃあ、お願いするね、シロちゃん…ワタシも、『念話』を発動させるから!」
そこで、『念話』を再点火させる。
心にも、再び火を灯す。
ワタシの『念話』は、どんな壁だって飛び越えて相手に声を届けることのできるユニークスキルだ…それは、この世界でワタシだけが扱えるとびっきり素敵な『奇跡』だ。
「しかもこの『念話』、おばあちゃんからのお下がりっていうのが最高にクールなんだよね」
そう、コレはワタシがおばあちゃんから譲り受けたものだ。
おばあちゃんとは別々の世界に隔てられてしまったけれど、ワタシに『念話』がある限り、ワタシとおばあちゃんのつながりが消えることはない。
『いくよ、花子お姉さん』
「どんとこいだよ、シロちゃん!」
発動させたワタシの『念話』に、シロちゃんが『咆哮』を乗せる。
しかも、今はここに繭ちゃんのブーストまで加わっている。三人がかりの合わせ技だ。
ワタシたちのこの『「声」』が、リリスちゃんに届かないはずがない。
『『ウオオオオゥ!ウオオオオオオオオン!ウオオオオオオオオオオォン!』』
シロちゃんの『咆哮』が響いた。
ワタシの『念話』を通し、リリスちゃんの深奥へと届けられる。
リリスちゃんの足元には、またあの赤錆色をした『魔毒』が蔓延っていた。シロちゃんの『咆哮』が止んでいる間に再び発生したものだ。
『…………!?』
また、リリスちゃんがたたらを踏む。
シロちゃんの『咆哮』が再生していたリリスちゃんの『魔毒』を吹き飛ばした。
よし、こうかはぐんばつだね!
『『オオオオン!オオォン!ウオオオオオオオオオオンッ!』』
シロちゃんは、矢継ぎ早に何度も吼える。
リリスちゃんを包む『魔毒』は、シロちゃんが吼えるたびに浄化されていく。
希望の白が、淀む赤色を駆逐する。
「いける…いけるよ、シロちゃん!」
もう少しで、完全にあの濁った赤色の毒は浄化される。
…そうしたら、届く。
本当のリリスちゃんに、ワタシたちの声も届く…はずだ。
『ウぉ…ケホっ!?』
けれど、そこでシロちゃんは再び咳き込んだ。
やはり、『念話』越しの『咆哮』はシロちゃんの体に大きな負担をかけている。普通の『咆哮』よりも繊細な集中が必要なようだ。
「シロちゃ…」
「花ちゃんは『念話』を解いちゃダメだよ!」
シロちゃんが心配で振り返ったワタシを、繭ちゃんが制止した。
「花ちゃんは、そのまま『念話』に集中しててよ…シロちゃんは、ボクが支えるから!」
「繭ちゃん…」
本来なら、誰よりもシロちゃんを止めたいはずの繭ちゃんが、ワタシを制した。
この世界の誰よりも信じているからだ、シロちゃんの本気を。
…本当は、繭ちゃんが誰よりもシロちゃんを心配しているのに。
「分かったよ、繭ちゃん。それとごめんね、シロちゃん…あともう少しだけ、頑張って!」
祈るように、ワタシは言った。
…きっと、ここが分水嶺だ。
リリスちゃんを助けられるかどうか、の。
いや、リリスちゃんを取り戻せるかどうか、の。
『『勿論だよ、花子お姉さん…ウオオオオオオオオン!』』
一瞬だけ苦悶の表情を浮かべたシロちゃんだったけれど、即座に『咆哮』を再開した。
何度も何度も、そこから繰り返す。
これほど気高くて健気な咆哮を、ワタシは聞いたことがない。
「…いける、もう少し!」
リリスちゃんを取り巻いていた『魔毒』が、シロちゃんの『咆哮』によって散り散りになる。
もはや、あの赤錆色は殆んど残っていない。
「頑張って、シロちゃん!」
背中越しに、シロちゃんを励ます繭ちゃんの懸命な声が聞こえてくる。
繭ちゃんも、必死に戦っているんだ。
その声に応えるように、シロちゃんはさらに叫ぶ。
『『ウッッオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオンッ!』』
シロちゃん全霊の『咆哮』が、周囲に響く。
空気を振動させ、この場の全てとこの場にいる全員の心を震わせる。
これまでで最も熱のこもった、渾身の『咆哮』だった。魂ごと削るほどの。
刹那、全ての音が制止した。
音だけでなく、空気の流れすら停滞する。
セカイの全てが、停止した瞬間だった。
…その後。
つむじ風が、巻き起こる。
シロちゃんの『咆哮』を引き金にして。
リリスちゃんを包む赤錆色の毒の靄が、完全に霧散していた。
「消えたっ…!」
リリスちゃんの全身が、露わになる。
タイミングは、ここしかない!
「ありがとね、シロちゃん…次は、ワタシが身を削る番だよ!」
鼻と口から同時に息を吸い、それらを肺に届ける。
それらの酸素を全て消費して、叫ぶ。
『「リリスちゃーん…あーそーびーまーしょっおー!!」』
声帯が切れるほど、声を張り上げた。
その『声』と想いを、『念話』越しに届ける。
台詞はひどく幼稚だったけれど、これでいい。
ワタシとリリスちゃんは、仲良しこよしのお友達だ。
だったら、これくらいシンプルで稚拙な方がワタシたちらしくていい。
『「リーリースーちゃー…ん!」』
再び全霊で、叫ぶ。
同時に『念話』も維持していたため、その疲労は生半ではなかった。こめかみのあたりに、乾いた痛みも走る。
…だからって、ここで泣き言なんて言えないよね。
シロちゃんが頑張ってくれた。限界以上に『咆哮』を酷使してくれた。疲弊したシロちゃんは、繭ちゃんに肩を支えられてやっと立っていられる状態だ。
「ここで踏ん張らないと、『お姉さん』として顔向けできないんだよ…」
だって、『次』は存在しない。
このデッドラインの線上で、ワタシの声をリリスちゃんに届けないといけないんだ。
…そうじゃないと、みんなが悲しい想いをするんだよ。
『「何回だって呼ぶよ…居留守なんて使わせないからね、リリスちゃん!!」』
声と『念話』を重ねる。
それは、ワタシにしかできない精いっぱい。
ワタシが届けたい、胸いっぱいの精いっぱい。
『「リーリースちゃ…」』
さっきから…うるさ、いですね、ぇ
「…………え?」
この瞬間、ワタシの頭が、空っぽになった。
頭の中の一切合切が、抜け落ちた。
…だって、聞こ、えた?
「い、ま…今、今、ワタシ」
空っぽの頭では、思考もまとまらない。
…それで、も聞こえた?
懐かしさすら感じる、あの声が。
え、誰の『声』が…聞こえた?
勿論、あの子しか、いない。
「リリス…ちゃん!?」
ワタシは、リリスちゃんを凝視した。
リリスちゃんは体を弛緩させていた。両手をだらりと下ろし、猫背気味だった。
そして、俯き加減で、その表情は見えない。
…でも、今の『声』はリリスちゃんだよね?
ワタシがリリスちゃんの『声』を聞き間違えるはずはないんだよ!
『「リリスちゃん!聞こえてるよね!?」』
また、二重の『「声」』でリリスちゃんに呼びかける。
けれど、耳鳴りがするほど、場は静まり返っていた。
…何の反応も、なかった。
「リリスちゃん…」
幻聴だったのか?
リリスちゃんを求めるワタシが、リリスちゃんの幻影でも生み出したのか…?
『『だから、うるさいと…言ってるんですよ、ねぇ』』
…今度は、確実に聞こえた。
それは、ワタシが聞きたくて聞きたくてたまらなかった憎まれ口だ…。
『「リリスぢゃあああああああああああああん!?」』
瞬間、声を枯らして叫んでいた。
恥も外聞もなく、涙も鼻水も垂れ流したまま。
『「リリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんリリスちゃんっ!!」』
さらに叫ぶ。叫び続ける。
情緒もへったくれもない。
ただただ、無様に叫ぶだけ。
それでも、叫び足りないくらいだった。
…だって、ずっとこの名前を呼びたかったんだよ。
『『だから、うるさいんですよねぇ…先生は』』
『「リリスちゃん…」』
ワタシはまだ、あの子の名前しか呼べなかった。
話したいことは山ほどあったのに、そのどれも出てこない。
…そうか、ワタシはこんなにも、リリスちゃんに会いたかったのか。
『『そもそも、リリスちゃんは先生には『お別れ』をしたはずですよねぇ』』
リリスちゃんの声は、素っ気なかった。
何の感慨もなく、何の熱もない。
…けど、そんな言葉には騙されないからね。
『「その『お別れ』ってあの廃教会に残されてた手紙でしょ?だったらちゃんと読んだよ。読んだから言えるんだよ。リリスちゃんは、ワタシたちと『お別れ』なんかしたくないってね」』
胸を張って断言した。
だって、あの手紙には綴られていた。
簡素だけれど、軽くはない文字で。
きえたくない
たったそれだけの言葉が、たったそれだけじゃないリリスちゃんの想いを伝えてくれた。
だからね、簡単にお別れなんてしてあげないよ。
『『先生に何が分かるっていうんですかねぇ…』』
『「分かるよ…ワタシとリリスちゃんは友達でしょ!」』
『『正確には友達ごっこですねぇ、リリスちゃんと先生の関係なんて』』
リリスちゃんは言葉は平坦だった。
ワタシとの関係などその程度の希薄で軽薄なものだったと、リリスちゃんは強がりを口にする。
『「今さらそんなこと言っても、誰も信じませんよ」』
リリスちゃんの言葉に反論したのは、ワタシではなかった。
けれど、その声はワタシよりも明確な説得の力を持つ。
だって、その言葉を口にしたのは、小さなりりすちゃんだったから。
『「リリスさんとずっと一緒の体にいた私には分かります。ホントは、誰よりもさよならなんてしたくないはずですよ」』
小さなりりすちゃんも、ワタシの背中に手を添えて『念話』で語りかける。
年不相応に落ち着いた『声』だったけれど、その手は年相応に震えていた。
…やっとリリスちゃんとお話しできたんだもんね、そりゃ震えるよね。
『『あなたとリリスちゃんの関係なんて、ただの宿主と勝手に住み着いた居候じゃないですか。なら、リリスちゃんが出て行った方が都合がいいはずですよねぇ』』
『「勝手に住み着いた自覚があるなら、そのまま本音で言いたいことを言えばいいじゃないですか…リリスさんだってそこまで大人じゃないでしょ!私の前でくらい、物わかりのいいフリなんてしなくていいんですよ!」』
小さなりりすちゃんは、懸命に叫ぶ。
悪魔であるリリスちゃんを相手に、一歩も引いていない。
『『はいはい、じゃあリリスちゃんはここでおさらばさせてもらいます。今までありがとうございましたねぇ』』
大きなリリスちゃんは、棒読みに近い声で言った。
その棒読みに、小さなりりすちゃんが反発した。
『「リリスさんがそんなに消えたいって言うなら…私に借りてたお金を返してから消えてくださいよおっ!」』
小さなりりすちゃんは、大きなリリスちゃんを引き止めようと懸命に叫んだけれど…。
…え、お金?
『「リリスちゃん、こんなに小さなりりすちゃんからお金を借りてたの…?」』
それはさすがに悪魔が過ぎるのでは?
『『借りたといってもちょっとだけ…千円くらいですかねぇ』』
『「嘘ですよ、五千円以上は貸したはずですよ!それを全部、踏み倒すつもりですか!」』
小さなりりすちゃんはけっこう懸命に叫んでいた。
…そうだね、りりすちゃんくらいの子供からしたら五千円は大金だよね。
いや、本当は金額の問題なんかじゃないんだろうけど…。
『「だからリリスさん…お願いだから、帰ってきて、くださいよぉ」』
小さなりりすちゃんのその声は、濡れていた。
懸命に声を震わせ、リリスちゃんが帰ってくることを切に願っている…。
『「ねえ…リリスちゃん」』
だから、ワタシも言おうとしたのだが、その声はリリスちゃんに遮られた。
『『じゃあ、先生に『問題』ですねぇ』』
『「ワタシに…問題?」』
脈絡もなく出てきた『問題』というワードに、ワタシだけでなく小さなりりすちゃんも小首を傾げていた。
…けど、そうか。
『「なるほど、『問題』か…そうだよね」』
そういえば、ワタシとリリスちゃんの『始まり』はソコからだった。
初めて出会った時、ワタシはリリスちゃんから『出題』されたんだ。
あの時の『答え』がリリスちゃんのお眼鏡にかなったのかどうかは分からないけど、あの『問題』がワタシたちを結ぶ縁となったことは間違いない。
『「いいよ、リリスちゃん…どんな『問題』でも、ワタシは答えるよ」』
これが、ワタシとリリスちゃんのつながり方だ。
そして、つながりこそが、ワタシたちの武器だ。
『『そうですか。それじゃあいきますねえ、先生…そもさん』』
『「説破!」』
ワタシたちとリリスちゃんの間に、緊張が走る。
けど、それ以上の懐かしさがワタシを浸す。
…ああ、いいなぁ。
待ち侘びていたよ、この空気感を。
ずっと、こんな風に、リリスちゃんとこの生ぬるい空気を共有していたかった。
『『先生の目の前には大きな天秤があると仮定してくださいですねぇ』』
『「天秤だね、オーケーだよ」』
ワタシたちとリリスちゃんは、『念話』越しに久方ぶりの会話を楽しむ。
…いや、楽しめていたのはワタシだけだったのかもしれないが。
そんなリリスちゃんは、語る。
『『その天秤には、小さな女の子が乗っていました…そして、もう片方には悪い悪魔が乗っていましたのですねぇ』』
『「小さな女の子と、悪魔…」』
『『そのままでは、天秤に乗っている女の子も悪魔もどちらも死んでしまいます…それなら、先生はどちらの『天秤』を助けますかねぇ?」』
リリスちゃんは淡々と語る。
ワタシに、『選べ』と迫る。
どちらかを救い、どちらかを見捨てろ、と。
『「それだけじゃないよね、リリスちゃん…」』
『『それだけじゃない、とは何ですかねぇ?』』
『「リリスちゃんって問題の設定には『凝る』性質だからね、他にも何かしらの設定があるんでしょ?」』
『『そうですか、そんなに聞きたいなら教えてあげますねぇ』』
体の方のリリスちゃんは無表情の棒立ちだった。
けれど、その『声』はどこかで少しだけ弾んでいた。
弾んでいたからこそ、理解できた。
リリスちゃんは、ここで終わるつもりだ、と。




