120 『こんなサービス、滅多にしないんだけどね!』
「ロンドさんの現在の体は、女神クリシュナさまのホンモノの体ではありません…その女神さまの肉体は、仮初めのものだったんですよ」
ワタシは、淡々と言葉を紡ぐ。
それは、否定という残酷の象徴。
ロンドさんの肉体が、ホンモノの女神さまなどではなく、ツクリモノだったという歪な真実の羅列。
空を『黒いヒトビト』に覆われ、暴走する『邪神』の力が大地を抉り、赤錆色の魔毒が充満する終末セカイの只中で発せられた酷薄の言の葉。
『かりそ、め…』
戸惑うロンドさんは、それ以上の言葉を口にできなかった。
…当たり前だよね。
自分の体が本物ではなかったなどと言われて、狼狽しない人がいるはずもない。
ましてや、この人は本来の自身の体を失い、それでも現在の体で長過ぎる時を生きてきたというのに。
今さらここで、『その体ですらニセモノでしたよ』などと聞きたくないはずだ。
それでも、ワタシはその否定の続きを口にした。
この言葉が、『花子』につながると信じて。
「女神さまたちは、本来の肉体ではこの異世界ソプラノに来ることができません。天界とこの世界の間には次元の壁とでも呼ぶべき障壁が存在し、そのせいで二つの世界は隔てられているからです。しかし、アルテナさまたちは仮初めの体に憑依することでその次元の壁を越えてこの異世界に来ることが可能となりま…」
そこまで言ったワタシの言葉を、ロンドさんが遮った。
『ああ、花子さんの言いたいことは分かった、理解したよ。けど、私の感情が追い付かないんだ…私の体が紛い物でしかなかった、ということに』
ロンドさんは、小さく俯いていた。
その瞳は、この世界のどこも映してはいない。
今、この人はこの広い世界で完全に一人ぼっちだった。
これまで信じていた世界が、瓦解していた。足元から、突如として。
…ロンドさんとこの世界を切り離したのは、ワタシだけれど。
それでも、ワタシは綴る。
この仮初めの女神さまを、さらに追い詰める物語を。
「最初から、ずっとおかしかったんです」
そうだよ、最初からおかしかった。
異変はとっくに提示されていたのに、頓馬なワタシは気付いていなかった。渦中にいたワタシならすぐに気付かなければならなかったのに、お笑い種にもほどがある。
「女神であるアルテナさまたちは、仮初めの肉体に乗り移ることで次元の壁を越えてこちらの異世界との往来が可能となるのですが…こちらの世界に来たアルテナさまは、天界に戻れなくなってしまいました」
ワタシはそこで呼気を整え、続ける。
ある意味、全てはここから始まった。
「アルテナさまが天界に戻れなくなった原因は、『空に蓋がされていた』からでした」
『…空に蓋?』
虚ろに呟くロンドさんに、ワタシは言った。
「あの『黒いヒトビト』ですよ。現在は『黒いヒトビト』の呪詛が最大限に活性化している時期なので、この世界と天界をつないでいるパイプが遮断されてしまったんです。なのでアルテナさまは天界に戻れず、さらには、天界からの『力』の供給を受け取ることもできなくなってしまいました」
そう、ここが肝だった。分岐点でもあった。
天界からの『力』の供給が途絶えていたということが。
だから、アルテナさまも行使した『力』を補えず、ジリ貧だった。
にもかかわらず、アルテナさまは身を挺してワタシたちを守ってくれた。
…一歩でも間違えば、一手でも間違っていれば、その命は容易く失われていたというのに。
『それが、何の関係があるというんだ…?』
脱線気味のワタシに、ロンドさんが問いかける。
その問いかけに、ワタシは答える。
「だから『黒いヒトビト』の所為で女神であるアルテナさまは天界からの『力』の供給が受けられなかったんですよ…それなのに、ロンドさんは一体どこから『力』の供給を受けていたんですか?」
『私…が?』
不意に矛先を向けられたロンドさんは、そこで息を呑む。
張りつめていた空気の色が、そこで変わる。停滞して、濁る。
「天界とこの異世界をつなぐパイプが『黒いヒトビト』によって遮断されている現在、女神さまたちに『力』の供給は行われていません。にもかかわらず、仮初めとはいえ女神さまの肉体と入れ替わったロンドさんは、一体どこからその『力』を得ていたのですか?」
ワタシは、問いかける。
何百年もの間『不死者』として『女神さま』の肉体で生きてきたロンドさんに。
『私の『力』…』
「ロンドさんは、当たり前のように『力』を行使していたじゃないですか」
しかも、その『力』がワタシとナナさんに向けられたこともあったんだよね…あれを目の当たりにしたワタシは本気でチビりかけたよ。
だから、ワタシは言った。少しだけ意地悪に。
「肉体的には女神さまであるロンドさんのその『力』は、一体どこから得ていたのですか?」
もう一度、ロンドさんに問いかける。
その奇跡の出所がどこですか、と。
『いや、私の『力』はいつの間にか備わっていたものだよ。生け贄にされた後、この体に入れ代わっていた後に…だから、『力』の供給のことなんて、知らない』
「そうですよね。天界からの『力』の供給が届かない現在でも、ロンドさんは当たり前のように奇跡を行使していました。それは、ロンドさんには天界からの『力』の供給が必要ない、ということです」
ワタシは、さらに言葉を重ねる。
ロンドさん本人すら置き去りにしかねない早さで。
「女神といえどその肉体は仮初めのものですからね、天界からの『力』の供給がなければこちらの世界ではその存在を保てませんし、その『力』だってすぐに枯渇するはずなんです。それなのに、ロンドさんは何百年もの間、この異世界ソプラノでその強力な『力』を行使し続けています」
なら、その『力』はどこから得ているのでしょうか、と。
再度、ワタシはロンドさんに問いかけた。執拗とも言えるほどの念入りさで。
『私の『力』…』
「前回、この異世界ソプラノが崩壊しかけたその時、ロンドさんは生け贄にされかけました。いえ、生け贄とされてしまったのでしょうね、ロンドさんの本来の肉体は」
ワタシはさらに突き付ける。
それが、刃となってロンドさんの喉元に突き刺さると知りながら。
「しかし、そこで女神クリシュナさまが秘術を行使してロンドさんとクリシュナさまの肉体を入れ替えました。そして、先ほども言ったように、クリシュナさまの体は本来の体ではなかったはずなんです。仮初めの肉体でなければ、女神さまといえど天界からこの異世界ソプラノには来られませんから」
ワタシの言葉は、場に浸透する。浸水する。
それらの言葉は、決して清浄なものではない。
「そして、女神さまの仮初めの体にもかかわらず、ロンドさんは天界からの『力』の供給を必要とはしていません。なら、ロンドさんには天界以外のどこかから『力』を授与されていたと推察されます」
場は静寂に包まれていた。
ただ、ワタシの声だけが、この場を闊歩する。それはそれは、ひどく独善的に。
『私の『力』か。確かに最初はこの『力』について考えたこともあった。生け贄にされた後、この体になっていた時には、特に。けれど、長く生きているといつの間にかどうでもよくなってしまっていたよ…多分、疲れたんだろうね」
ロンドさんが、遠い声で呟く。その声は、倦んでいた。
それは、遠い過去に置き去りにした感傷であり、癒えない古傷でもあったから。
「…それでは、ロンドさんにその『力』を与えることができたのは、ダレでしょうか?」
場の空気が、また変わった。
ころころと、万華鏡のように。当然、そんなに綺麗なモノではなかったけれど。
「ロンドさんが生け贄にされた時、その場にいたのは『魔女』であるドロシーさんと女神クリシュナさま…そして、『邪神』です。いえ、この時はまだ『邪神』ではありませんでしたね」
そこで一拍の間を置いたワタシは、『魔女』に視線を向けた。
そして、問いかける。
「女神クリシュナさまの肉体と入れ替わったロンドさんに『力』を付与したのはあなたですか、ドロシーさん」
「どうして私がそんな面倒なことをするのでしょうか」
想定通りの返答だった。
ロンドさんを『黒いヒトビト』の生け贄に捧げ、この異世界ソプラノに崩壊をもたらそうとしたのが、『魔女』であるドロシーさんだ。
そんな彼女が、ロンドさんに『力』を付与するとは思えない。そこまでの関心がないからだ。
「ドロシーさんでないとすると、ロンドさんに『力』を与えたのは女神クリシュナさまということになるのでしょうか。しかし、仮初めの肉体だったクリシュナさまはロンドさんと自分の肉体を入れ替えるのが精いっぱいだったでしょうし、クリシュナさまにそこまでの余力はなかったと思われます」
一人で問いかけ、一人で結論を出した。完全なる一人芝居だ。
この場に居合わせた観客たちが、それを望んでいたかどうかは知らないけれど。
「となると、答えは一つですね。いえ、答えは一人ですね。ロンドさんに『力』を与えてくれたのは、『邪神』です」
『でも、どうしてあの人がそんなことを…』
固唾を呑むロンドさんに、ワタシは言った。
「ワタシは『邪神』という人に会ったことはありませんので推測しかできませんけど、単純に助けたかったんじゃないですか、ロンドさんのことを」
『単純に、助けたかった…?』
「放っておけなかった、と言った方がよかったかもしれませんね」
そう、『邪神』は放っておけないんだ。
この異世界ソプラノを崩壊に危機に追い込んだのは、あの『黒いヒトビト』だけではない。その頻度と規模で言えば『邪神』の方に軍配が上がるのではないだろうか。
けれど、『邪神』も最初から『邪神』だったわけではない。
「何しろ、あの『邪神』という人は究極のお人よしですから」
『…花子さんは、『邪神』のことを知っているのか?』
「いえ、顔も知りませんよ」
訳知り顔のまま、ワタシはしれっとそう言った。
「だけど、完全に知らない仲でもないんですよ。何しろ、『邪神』の魔力の塊が…まあ、そのレプリカみたいなものですけれど、それはワタシの中にあったんですから」
それは、ワタシのおばあちゃんと『邪神』のエピソードだ。
復活途中の『邪神』と遭遇したおばあちゃんが、『邪神の魂』を…『邪神』の魔力を自分の体の中に封印し、この異世界ソプラノからワタシたちがいたあの世界へと『転生』を果たした。
英雄と呼ばれていたおばあちゃんでも『邪神』の魔力を完全に封印することはできず、多少その肉体と魔力を分断した程度では『邪神』は復活を果たしたからだ。
だから、おばあちゃんは『邪神』の本体とその魔力を完全に引き離すために『転生』を余儀なくされた。
そして、おばあちゃんの中に封印されていた『邪神』の魔力は、孫のワタシにも受け継がれてしまった…というわけだ。
…その魔力の塊が、『花子』なのだけれど。
「だから、何となく分かるんですよ。もしその場に『邪神』がいたのなら、自分のことなんて省みずにロンドさんを助けたんじゃないかって」
人間たちの愚か極まりない争いを止めるため、彼らの憎悪を『邪神』はその身に受け続けた。
その献身のお陰で、人々は無益な諍いを終わらせることができたけれど、それだけ多くの人間たちの憎悪をその身に受け続けた『邪神』もただで済むはずがなかった。その肉体は、『邪神』と化す限界まで追い込まれていた。
そこで、ワタシはロンドさんに告げる。
「だから、ロンドさんのその肉体は女神さまの仮初めの体でありながら、『邪神』の加護を受けた肉体でもあるんですよ」
『私の体が『邪神』の加護を受けている…?』
ロンドさんは言葉を失っていた。『不死者』として長い時を生きてきたロンドさんではあるが、この衝撃は受け止めきれなかった。
その衝撃を引き摺るロンドさんに、ワタシは『お願い』をする。
「なので、ロンドさん…『花子』を助けてあげてください」
『私が…あの子を?』
「今、『花子』は『邪神』の力を暴走させています…けど、本来ならそれはありえないんですよ」
ワタシは言葉をつなげる。
そのお願いが、『花子』の未来につながると信じて。
「『花子』は『邪神の魂』と呼ばれる『邪神』の魔力の塊が人の姿になった存在ですけれど、『花子』が『邪神』の力を暴走させられるはずはないんですよ。『邪神』の魔力だけでは足りないんです…暴走の例外があるとすれば、それは『邪神』の肉体が傍にある場合だけです」
事実、ワタシは過去にその条件下で『邪神』の力を暴走させてしまったことがある。
『それが、花子さんが私が『邪神』の加護を受けていると言った理由か…』
「それしか考えられませんでしたので…というか一縷の希望なんですよ、ロンドさんの存在が」
『私というよりは、私の中にあるという『邪神』の存在だろう?』
「そうなんですけれど…」
ワタシはそこで、ロンドさんを上目遣いで見る。
ロンドさんは無表情に近く、その考えは読めない。
…でも、ロンドさんしかいないんだ。
「お願いします、ロンドさん…『花子』を助けてください」
『しかし、実際問題どうすればいいんだ?いきなり『邪神』がどうのこうのと言われても、私だって自分の『力』のことはよく分かっていないんだ』
ロンドさんはそう言ったけれど、その言葉に拒絶のニュアンスは感じられなかった。
なら、お願い次第では『花子』のために手を貸してくれるかもしれない。
「今、『花子』の暴走はアルテナさまが抑えてくれています…なのでその間に、『花子』の『邪神』の力を弱めることはできませんか?」
『それができたとして、あの子を助けられるのかい』
「ワタシが、なんとか『花子』の意識を呼び起こして元に戻します」
そう、ワタシが『花子』を呼び戻すんだ。
あの子は、ワタシの妹だから。
「お願いします、ロンドさん…ワタシたちを、助けてください」
『…分かったよ』
「本当ですか!?」
『ああ…こんなサービス、滅多にしないんだけどね!』
「あ、ありがとうございます…」
勿論、感謝しかないが、唐突なサービス精神にちょっとたじろいでしまった。
『まあ、なんだか私の中の『お人よし』が疼いたんだよ』
「ロンドさん…」
本当かどうかは分からないが、ロンドさんの中の『邪神』がその気になってくれたのかもしれない。
…まさか、『邪神』に感謝する日が来るとは思わなかったよ。
『じゃあ、とりあえずやってみる…か?』
そこで、軽く肩を回してウオーミングアップをしていたロンドさんが、不意に膝をついた。
「…ロンド、さん?」
想定外のことに、ワタシはすぐには動けなかった。
…というか、ロンドさんが動けなくなっているのは、なぜだ?
さっきまで、普通に話をしていたじゃないか…。
…『花子』を助けるって、言ってくれたのに。
「ロンドさん…どうしたんですか、ロンドさん」
ワタシは、蹲ったままのロンドさんに駆け寄り声をかける。
…ロンドさんは、額に脂汗と苦悶の表情を浮かべている。
『なんだろうね…急に、胸が痛み始めた』
その声に覇気はなく、ロンドさんの異常の深刻さが伝わってくる。
「何が…あったんですか?」
『分からない、けれど、私の中でナニカが拒絶反応を示しているようだ…』
「…拒絶反応?」
『もしかすると、私の中の『邪神』が…あっちの『花子』さんの『邪神』と共振しているのかもしれない』
「ロンドさんと『花子』の『邪神』が…共振?」
そんなの、予想できるはずがない。
けれど、ロンドさんは苦悶の表情を浮かべていて動けそうにない。
アルテナさまだって、いつまでも『花子』を抑えられるはずもない。
「八方塞がり、だよ…」
ワタシに、打つ手はなかった。
というか、期待していた一手が空振りに終わってしまった。
「お困りのようだね、花子くん」
暗がりの空の下、二つのシルエットが現れていた。
一つは青年男性のもので、もう一つは小さな少女の影だ。姿は見えなくても、影と声だけでそこにいるのがダレカは分かったけれど。
…でも、どうしてあの二人が?
「あなたが…何をしに来たんですか」
ワタシは、浮かんだ疑問をそのまま口にした。
その声にはネガティブな音色が混じっていたけれど、それも無理はない。
これまで、この人にはさんざん場を引っ掻き回されてきたんだ。
そんなワタシの言葉はガン無視して、あの『影』は言った。
「なあに、ちょっと『神託』に呼び出されただけの色男だよ」
シルエットの一人が…ディーズ・カルガが虫唾の走ることを口走っていた。
…というか、まだ『神託』とか言ってるのかよ。




