119 『納得は全てにおいてそこそこ優先されるんですよ!』
「あの『黒いヒトビト』を助けますよ!」
簡潔な言葉で、ワタシは叫んだ。
すぐそこで太々しいほどのすまし顔をしていた、異邦の『魔女』に。
「私にそれを言ってどうするのですか」
怪訝な瞳で、『魔女』はワタシに言った。
そんなドロシーさんの台詞に、即座に反発した。ワタシの減らず口は高反発なのだ。
「こんなきな臭い台詞、『魔女』のあなた以外に言えませんよ」
「『世界の崩壊』を止めたい花子さんには、この異世界を破壊しようとしているあのカタガタを助ける義理はないはずですが」
「勿論、ワタシには下心がありますよ。このままだと、空にいるあの『黒いヒトビト』は自壊してしまうんですよね?そしたら、『黒いヒトビト』が落ちてきてこの世界の全てが終わるんですよね?」
当たり前だが、この異世界ソプラノでも、大昔からたくさんの人たちが亡くなっている。それこそ数え切れないほど。
…当たり前だが、その中には、強い未練や怨嗟を抱えたまま命を落とした人たちもいる。それこそ、数え切れないほどに。
そうした人々の魂は行き場を失い、この世界の片隅に留まり続ける。そのどこにも行けなかった魂の集合体が、あの『黒いヒトビト』だ。
彼ら、彼女らは、永劫と変わらない時を癒えない呪詛に蝕まれ、誰にも聞こえない苦悶の声で歌い続けてきた。
…いつの日か、この異世界ソプラノを滅ぼすことを夢見て。
そして、そのための共犯者として、『黒いヒトビト』は『魔女』という存在を別世界から呼び寄せた。
「今さら言うことではありませんが、花子さんも知っているでしょう。私はこの異世界ソプラノを終焉に導く『魔女』ですよ」
ドロシーさんは伏し目がちに言った。
ワタシにはそれが、負い目からくる反応のように見えた。
…それは、ワタシの願望でしかなかったのだろうけれど。
「でも、ドロシーさんも最初から『魔女』だったわけではないですよね」
ドロシーさんは『魔女』としてこの異世界に召喚されたが、最初は世界を滅ぼすことには消極的だった。
無理もないよ。
拉致も同然で異世界に連れて来られ、『世界を滅ぼせ』などと言われ、二つ返事で『やってやるよ!』なんて言えるヤツは生粋のサイコパスだけだ。
…でも、ちょっと待てよ?
そういう人間を『魔女』に選んだ方が、『黒いヒトビト』としても都合がよかったのではないだろうか。与えられた力を無思慮に振り翳す単細胞が『魔女』ならばこの異世界ソプラノはとっくに滅ぼされていた。
…なのに、なぜ、そうしなかった?
「今の私は、『魔女』なんですよ」
ドロシーさんのその言葉は、宣言だった。
最初はこの異世界の崩壊に消極的だったドロシーさんだが、そのうち、知ってしまった。『黒いヒトビト』の、悲惨で陰惨な末路を。
誰一人として、彼らは救われてはいない。
そして、ドロシーさんは『黒いヒトビト』に絆され、『魔女』となった。
人という生き物とは、決別したんだ。
…けど、だからこそ、この人はワタシの口車に乗らざるを得ない。
「『魔女』であるドロシーさんは、あの『黒いヒトビト』を助けないといけないはずですよ」
ワタシは、『魔女』に言った。
「助け、ないと…?」
ドロシーさんは、ワタシの言葉を静かに反芻していた。
絆と呼んでいいかどうかは分からないが、ソレは確かに存在する。
この人と、あの『黒いヒトビト』の間には。
それが、ストックホルム症候群めいた歪な絆だったとしても。
…だから、ワタシはその歪な隙間に付け込む。
ダメだよ、ワタシみたいなてんで性悪なキューピッドにそんな隙間を見せたりしたら。
「今、あの『黒いヒトビト』は存在そのものが崩壊しそうになっている…そうですよね、ドロシーさん」
それは間違いないのだろう、『魔女』であるドロシーさんが言ったのだから。
ワタシのこの言葉に、『魔女』は断言で返した。
「しかし、あのカタガタの体が崩れ去れば、あれだけの質量が一斉に空から落ちてきます。それで、この異世界は終わりですよ。私もお役御免ですね」
確かに、それで全てが終わる。
何もかもが終わって、何もかもが後腐れなくサッパリと終わる。
当然、後には何も続かない。
何も続かないからこその、本当のお終い。
だから、ワタシは問いかける。
「それは、『黒いヒトビト』の本懐なんですか?」
「どういう、意味ですか…」
…よし、ドロシーさんの表情は変わった。
この『魔女』の隙間に、手が届いた。
「そのままの意味ですよ。あの『黒いヒトビト』は異世界ソプラノの崩壊を望んでいるのでしょうけれど、この世界がただ壊れればいいんですか?それで、あのヒトたちは満足なんですか?」
「…花子さんは、何が言いたいのですか」
「あの『黒いヒトビト』の憎悪は、その程度の希薄なモノじゃないですよね。あのヒトたちは、この世界における最大の被害者です。だったら、あのヒトビトは自分たちの手でこの異世界を蹂躙したいはずですよね。自分たちが受けた傷を、そっくりそのままこの異世界に叩きつけたいはずですよね。なのに、そんな『結果的にこの世界が壊れました』みたいな間接的な崩壊であのヒトビトの本懐が果たされるというのですか?」
可能な限り早口で捲し立てた。
ドロシーさんの心が、少しでも揺らぐように。
「…確かに、空にいるあのカタガタとしてもその決着は不本意かもしれませんね」
不承不承といった面持ちで、ドロシーさんも認めた。
ワタシは、さらに踏み込む。フルスロットルで、『魔女』の懐へと。
「だったら、先ずはあの『黒いヒトビト』の自壊を止めるべきではありませんか」
「自壊を止める…?」
「そうですよ…せっかくなら、自分たちの手でこの異世界を壊せばいいじゃないですか!」
「花子さんは…自分が何を言っているのか分かっているのですか?」
ドロシーさんは、目を見開いていた。
どうやら、ワタシは『魔女』の度肝を抜くという偉業を成し遂げたようだ。
「分かっていますよ。というか分かり切っていますよ。あの『黒いヒトビト』がこの世界を崩壊させるということが、どういうことかなんて」
「だったら、なぜ…」
「ワタシは『転生者』です。そして、元いた世界では、随分と悲惨な死に方をしたと自負していますよ…それこそ、あの『黒いヒトビト』と同じように」
ワタシは、ここでぶっちゃけた。というかきっと、抜き身の言葉でなければ、この『魔女』には届かない。
「ただ、その世界で命を落としたワタシは、とある女神さまのお陰でこの異世界ソプラノに『転生』させてもらえましたけれど」
…それがなければ、ワタシの人生はどれだけ無為だったか。
「でも、そんなワタシだからこそ分かるんですよ…今も虚空にいるあの『黒いヒトビト』は、『ワタシたちになれなかったワタシたち』だ、と」
あのヒトビトに対して、ワタシなりに負い目はあるんだよ。
…ワタシたちだけ報われてごめんなさい、と。
「だから、『黒いヒトビト』があのまま自壊なんかしていいはずがないということも、分かるんですよ…世界を憎んだ回数なら、ワタシもあのヒトビトに引けを取りませんから」
これは、ワタシの本心でもあった。
セカイから見捨てられたニンゲンには、セカイに報復する権利があるのではないか、と。
…でなければ、あまりに惨いじゃないか。
「…花子さんは、この異世界を守りたいのではないんですか」
ドロシーさんの言葉は、『魔女』としてのものではなかった。それは、ドロシーさんという個人の中から溢れた言葉だ。
「あったりまえじゃないですか!守りたいですよ、ワタシはもう死にたくないですからね!でも、どうせ死ぬのならちゃんとした復讐に巻き込まれて死ぬ方がまだマシなんですよ。あんな自壊とかの、もののついでみたいに殺されても納得なんてできないじゃないですか!納得は全てにおいてそこそこ優先されるんですよ!」
「それはかなりの暴論なのではないですか…」
さしもの『魔女』も、ワタシの言葉には困惑していた。
それでも、数秒ほどでその困惑から『魔女』は立ち直っていた。
「分かりましたよ、花子さん…」
「ドロシー…さん」
「空にいるあのカタガタも、やはり不本意でしょうからね。自らの手で、この異世界に復讐を果たしたいはずです」
ドロシーさんは、空を見上げる。
ワタシも、つられてそうした。
その空は青くも高くもなく、ただ、黝かった。
「あのカタガタの自壊は、私がなんとかいたしましょう…しかしその後で、改めてこの異世界ソプラノを終わらせますよ」
ドロシーさんの言葉は、『魔女』だった。
この異世界ソプラノに終焉を齎す、最後の審判者の声だった。
「お願いしますね、ドロシーさん」
「今この時だけは、花子さんの口車に乗ってあげますよ。さっさとあの少女を助けてあげればいいじゃないですか」
ドロシーさんは、ワタシの魂胆なんて簡単に見抜いていた。
そうだよ、ワタシは時間が欲しかった。
…『花子』を助けるための、時間が。
「『花子』…」
ワタシは、暴走する『花子』に視線を向ける。
先ほどから『花子』は暴走の渦中にあった。
…ごめんね、ちょっと待たせちゃったよね。
でも、『黒いヒトビト』の方はドロシーさんが抑えてくれてるよ。まあ、それもただの悪足掻きかもしれないけれど、この世界が終わるまでの。
『…しかし、どうやって『花子』さんを助けるのですか?』
ワタシの頭上から、アルテナさまが問いかけてきた。
「そうですね、『花子』が『邪神』の力を暴走させているのは『花子』という『邪神の魂』と『邪神』の本体が共鳴しているからだと思います」
ワタシの中に存在していた『邪神の魂』…『邪神』の魔力の塊が人の形をなしたのが『花子』という存在だ。そして、以前ワタシもその『邪神の魂』を暴走させた過去がある。
『ですが、花子さん…『邪神の魂』はともかく、『邪神』の本体なんてここにはありませんよね?』
「アルテナさまの言う通り、本体どころかその亡骸とも呼べないでしょうけれど…それに近いモノはあるんですよ、きっと」
そう、この場には存在している。『花子』の暴走がその証左だ。
『そんなモノが、ありますか…?』
頭上で問いかけるアルテナさまがいたけれど、ワタシはそこで別の人に声をかけた。
「ロンドさん」
『…え?』
ロンドさんは、そこで意外そうな声を上げていた。
そして、ワタシはロンドさんに告げる。
「ロンドさんの中に…『邪神』がいますよね」
場の空気が、変質する。
十分に張りつめていたはずなのに、さらに深く沈む。凍えた亀裂を、伴って。
『私の中に…『邪神』が?』
ロンドさんの表情が固まる。『源神教』の教祖にして『不死者』である彼女が狼狽していた。整ったその眉根にも乱れが出る。
けど、当然か。
いきなり体の中に『邪神』がいるなどと言われて、納得できるはずはない。
それでも、困惑しているロンドさんにワタシは畳みかける。
「ロンドさんの本当の肉体は、前回の『世界の崩壊』の時に失われました」
苛烈な真実を、ワタシは口にした。
その言葉を口にする権利がワタシにあるとは思えなかったけれど、これ以上『花子』を待たせるわけにもいかない。
『確かに、私の元の体はその時に生け贄に捧げられてしまった…らしいね』
物憂げに、『不死者』は呟く。
そんなロンドさんに、ワタシは続けて言った。かなり不躾な台詞だったけれど、今は緊急事態だ。
「その崩壊の後、ロンドさんは現在の肉体…女神さまの肉体で生きてきました」
『だから、その時以来、私は死ななくなった…』
それは、『死ねなくなった』のと同じだった。
ロンドさんは、望んでなどいなかったのに。
「でも、それはありえないんですよ」
ワタシは、ソレを否定した。その『不死』を、認めなかった。
当然、ロンドさんの困惑は増す。
『ありえない…?』
「ありえませんよ。ロンドさんのその体は、女神さまの体じゃないんですから」
時が止まる。
空が壊れかけている、セカイの瀬戸際のこの瞬間に。
『私のこの体が、女神の体じゃない…』
「正確には、ロンドさんのその体は、女神さまの『本体』ではないんですよ」
その答えは最初から示されていたはずなのに、粗忽なワタシは見落としていた。
「アルテナさまは、この異世界ソプラノとは別世界…天界という世界に暮らしています。この二つの世界は次元を隔てて存在していて、女神さまといえど行き来はできません」
『でも、そこの女神さまは…』
ロンドさんは、ワタシの頭の上にいるアルテナさまに視線を向ける。『女神さまならそこにいるじゃないか』と無言で語っていた。
「しかし、抜け道はあるんですよ。アルテナさまは、本来の体ではなく仮初めの体を用意することでこの異世界ソプラノに来ているんです」
『仮初めの体…しかし、そこの女神さまがそうやってこの世界に来ていたとして、それが私とどう関係があるんだ?』
問いかけるロンドさんに、ワタシは答えた。
「アルテナさまの前任のクリシュナさまも、そうやってこの異世界ソプラノに来ているはずなんですよ」
『まさか、それじゃあ…』
ロンドさんは、そこで息を吞む。
ワタシの意図を、汲み取ったからだ。
「そう、ロンドさんのその現在の体も、女神クリシュナさまの本体ではなく…仮初めの体なんですよ」




