115 『ただの人間にしか興味ありません!』
「過ぎた祝福は、呪いと同義だ」
祝福というのは、天与のギフトだ。
ご存じの通り、そのギフトは万人に分け隔てなく与えられる贈り物ではなく、ほんの一握りの人たちにだけ配られるきわめて希少で高配当な当たりクジだ。もっと歯に衣着せぬ物言いをすれば、祝福というのは、神さまからの露骨な依怙贔屓でしかない。お金にしろ才能にしろ容姿にしろ、運よくそれらが与えられれば、さぞかし人生を豊かに、面白おかしく彩ってくれることだろう。
ただし、身の丈に合わない祝福は、いとも容易く呪いへと反転する。
「…ワタシは、長生きがしたいよ」
いや、ワタシだけでなく慎吾や繭ちゃん、雪花さんたちもその願いは同じだ。ワタシたちはみんな、揃いも揃って元の世界で夭折している。だから、長寿に対する願望は普通の人たちよりも強い。
ただ、ワタシはそんな慎吾たちよりも、さらに『長生きしたい』という意思が…意地汚さが、遥かに強い。
難病という『呪い』に蝕まれ、日常生活すらままならなかったワタシには、憧憬がある。『普通』というありふれたはずのものに対する、根深い憧れが。
長く生きることができれば、それだけたくさんの『普通』を経験することができる。そして、その『普通』の中に、ちょっとした『特別』というスパイスを織り込むこともできる。
だからこそ、ワタシは長生きがしたい。
それこそが、ワタシが欲した祝福だ。
…ただ、そんなワタシでも、度を越した長寿は憧れの対象外となっている。
あの人に出会ってからは、特に。
「どうして、あなたがこの場所に…」
ワタシは、『あの人』に問いかける。
何の前振りもなく登場した、タタン・ロンドさんに。
永遠の寿命を貸与された、呪われた時の旅人に。
…いや、旅人ではなく流浪の囚人か。
突如として永遠を与えられたこの人は、ずっと一人ぼっちだ。
傍に誰かがいたとしても、ロンドさんからすれば、それは同じ場所に立っているわけではない。
彼女からすれば、時の流れが均一ではないから。
隣りにいるそのダレカの時間だけが流れていき、ロンドさんはその場に置き去りにされる。され続ける。
ロンドさんは、いつもそのダレカの背中を見送る側だ。いつも足早に立ち去っていく、そのダレカの背中を。
だからこそ、それは祝福ではなく、呪い。
そして、呪われたロンドさんは口を開いた。
「さあ、何やら不思議な『声』に呼び出されたのでね」
ワタシの問いかけなんてスルーされるかと思ったが、タタン・ロンドさんは律儀に答えてくれた。
この人とワタシは、それなりに面識がある。
いや、それは因縁と脚色しても何ら遜色はないか。
…何せ、ワタシは一度、ロンドさんに殺されかけたのだから。
あの時…封印されていた『邪神の魂』をこの人と奪い合ったあの時、ナナさんがいなければ、確実にワタシはこの世を去っていた。
「声、ですか…?」
しかも、不思議な声?
…まさか、あなたまで『神託』がどうとか御託を言い出さないですよね?
「まあ、それはどうでもいいよ。ここにアイツがいるのなら」
ロンドさんは、そこで『魔女』に…ドロシーさんに視線を向ける。それは鋭利で尖鋭で、その上で煮え滾る。
当然、か。
ロンドさんが『永遠』という『呪い』を受けたのは、『魔女』と関わってしまったからだ。
いや、ロンドさんが『魔女』の生け贄に選ばれたから、か。
今から何百年もの昔、この異世界に『崩壊』を引き起こすため、『魔女』であるドロシーさんはロンドさんを生け贄に捧げようとした。
しかし、ロンドさんは九死に一生を得る。
生け贄にされかけた直前、彼女は助けられた。
…ロンドさんを助けたのは、アルテナさまの先代の、女神さまだ。
「ただ、それを単純に助かったと言うのは語弊があるかもしれない」
確かに、命あっての物種とは言うけれど、女神さまに命を救われたロンドさんはそこで女神さまの体と入れ替わってしまった。
この辺りは推察になるが、女神さまは自らの体を犠牲にしてロンドさんを助けたんだ。
そして、それ以来、ロンドさんはなし崩しに女神さまの体で生きている。生き続けている。
…元の自分がどんな顔をしていたのか、ロンドさんはもう思い出せない。
そこで、ロンドさんの過去と未来は地続きではなくなってしまった。
「さあ、この間ぶりだな」
ロンドさんは『魔女』であるドロシーさんをねめつける。『魔女』と『不死者』という垂涎物のドリームマッチが、そこで実現する。
…けど、こっちは正直それどころではなかったりする。
ワタシは、そこで『花子』に視線を戻した。こっちはこっちで、純然たるクライマックスを迎えている。
「『花子』…」
ワタシは『花子』に呼びかけるが、『花子』からの反応はない。『花子』の体からは、黒い渦潮が逆巻いている。
…あれ、やっぱり『邪神』の力、だよね。
既視感があって当然だ。過去にあの黒い渦潮を暴走させたのは、他ならぬワタシなのだから。
「…けど、おかしいよ」
あれは、確かに『邪神の魂』に付随する力だ。
しかし、それは『邪神の亡骸』と呼ばれる邪神の本体が存在してこそ顕現される力のはずだ。『邪神の魂』という片翼だけでは、あの黒い力は発動しない。
以前は、奇跡的に『邪神の亡骸』とワタシの中の『邪神の魂』がニアミスしたからこそ引き起こされた現象だった。
たとえ、『花子』が『邪神の魂』が人の姿をとったものだとしても、『邪神の亡骸』もなしにあの力が引き起こされるとは思えない。
…だとすれば、この不測の事態は、何に起因する?
「アリア…」
ワタシのおじいちゃん…『名もなき英雄』の片割れであるアンダルシア・ドラグーンが『花子』に呼びかける。いや、『花子』に近づこうとしていた。『黒渦』に触れれば、おじいちゃんでさえただでは済まないというのに。
「おじいちゃん、今の『花子』は…」
「ワシは、ずっと寂しかったよ…アリアのために、無茶ができなくなってから」
おじいちゃんは、積年の想いを吐露しながら『花子』に近づく。つい先ほどまで二人は背中と息を合わせて狂信者たちと戦っていたのに、今はその距離がやけに遠く感じ…。
「そういえば、『裏側』の人たち…は?」
リリスちゃんという『悪魔』を討滅し、その実績をもって『教会』に『神さま』の定礎としようと目論んでいたあの覆面の狂信者たちは…一ヶ所に集まっていた。
おじいちゃんと『花子』にその数をかなり減らされた彼らは、筒状の爆発物を持ち出してきた。
…おそらくは、自分たちの命と引き換えにしてでも『使命』を全うするために。
先ほどは突如として『花子』の体から立ち昇った『黒渦』にたじろいでいたが、残った人員を搔き集め、あの筒状の爆発物を握ってリリスちゃんや『花子』たちを睨みつけていた。多分、最後の特攻の準備は、既にできている。
「『花子』!おじいちゃん!リリスちゃん!気を付けて、最後の悪足掻きを仕掛けてくるよ!」
あの筒状のモノが爆発物だと煤けた覆面のあの人は教えてくれたが、それにどれほどの威力があるのかは、未知数だ。しかし、あの狂信者たちがそれを最後の拠り所にしていることからも、その破壊力が肩透かしということはありえない。
今のリリスちゃんや『花子』でも、大怪我をする可能性は、ある。
だから、ワタシは叫ぶ。
「『花子』たちもこっちに戻ってきてよ!あんな人たちの自己満足に付き合う義理はないでしょ!」
そうだよ、自爆なんてただの自己満足だ。自分たちが背負わなければならないはずの責任を、放棄しているだけだ。
けれど、『花子』もリリスちゃんも、その場から動かなかった。
…この瀬戸際の状況にあっても、あの子たちにワタシの声は届かない。
「ちょっと本気で傷ついちゃうぞ…」
だから、ワタシは『花子』やリリスちゃんに近づこうと一歩を踏み出したのだけれど…。
そのタイミングを見計らったかのように、投擲された。
件の、爆発物が…。
「『花子』!おじいちゃん!」
あの筒状の爆発物は、ゆるい放物線を描きながら『花子』たちの傍に放たれる。
『…………』
だけど、ワタシの心配なんていらなかったのかもしれない。『花子』は、周囲に渦巻いていた『黒渦』で、爆発物を軽く弾いた。
…弾かれたソレは、ワタシたちと『花子』たちのちょうど中間あたりに落ちてくる。
「みんな、伏せて!」
ワタシは、背後にいた繭ちゃんとシロちゃんを抱き抱えてそのまま地面に倒れ込む。
その瞬間、空気が止まり、音も消え、視界から色も失せた。
そこで、世界が静止した。
…その後で、衝撃が、きた。
空気が吹き飛び、音が吹き飛び、色素が吹き飛んだ。
全てが、軒並み、念入りに吹き飛ばされた。
そこが、セカイの終焉かと、思われた。
けど、終焉はすぐに終わる。その終焉は、たったの十秒ほどの仮初の終焉でしかなかった。
「みんな、大丈…夫?」
世界は終わらなかったけれど、その衝撃はワタシの中で尾を引いていた。そんな中、ワタシは繭ちゃんたちに問いかける。耳鳴りのせいで、一切の音は聞こえなかったが。
「なんとか、平気だけど…」
雪花さんは、上体を起こしながらそう言った。いや、ちゃんと聞こえたわけではなかったけれど、雪花さんの唇がそう語っていた。普段は艶々と扇情的なはずのその唇からは、血の気が失せていた。
「ボクたちも…だよ」
繭ちゃんも、シロちゃんと体を支え合いながら立ち上がろうとしていた。普段は健脚なはずの繭ちゃんが、やけに弱々しく膝を震わせている。
…それでも、とりあえず、みんなが無事でよかった。
ワタシも体の節々に痛みを感じながら、安堵のため息を漏らす。
ただし、時間が経過するにつれて沸々と怒りが沸いてくる。
あの爆発物の殺傷力は生半可なものではなかった。あんな非常識なモノを、『花子』たちに向かって投げつけたのか。
そして、その余波とはいえ、ワタシの大切な『家族』を、あの人たちは傷つけた。傷つけておいて、今も平然と無関心を貫いている。
だから、ワタシは叫ぶ。あの狂信者たちに向かって。
「一つハッキリ言わせてもらいますけどね…ワタシは、ただの人間にしか興味ありません!」
本音では、『狂信者』にも『魔女』にも『不死者』にも関わりたくはないのだ。
「この中に、ワタシを甘やかしてくれる凄腕シェフとワタシを甘やかしてくれる税務署の人とワタシを甘やかしてくれる農家さんがいた場合だけワタシのところに来なさい!」
「二つ目の甘やかしは絶対にダメだからね…」
ワタシの叫びに繭ちゃんは小さく呟いていた。
しかし当然、ワタシたちが被害を被ったとしても狂信者たちには何の反応もなかった。あの人たちからすれば、ワタシたちの方が異物なんだ。
…けれど、全員が無関心というわけではなかった。
『…………』
『…………』
…怒って、いた?
いや、無言だったので言葉で判断はできないし、そもそも無表情のままだ。それでも、あの二人が…『花子』とリリスちゃんが怒りを滲ませているように、ワタシには見えた。
「もしかして、ワタシたちのことで怒ってくれた…の?」
節々の痛みを忘れ、ワタシは歓喜に頬を緩ませる。
…なんだ、二人とも、ワタシのこと、忘れたわけでも分からなくなったわけでもないんだね。
ただ、今はちょっとワタシの声に反応できないだけ、なんだね。
だったら、これが終わったらみんなでドーナツでも食べに行こうよ。
みんなで笑いながら食べるドーナツがね、一番、美味しいんだよ。
『…………』
『…………』
あの二人に、変化が訪れる。
…それは、ワタシにとっては歓迎すべき変化では、なかった。
リリスちゃんから発生していた赤錆の靄が、その量を増した。
ほぼ同時に、『花子』から立ち昇る『黒渦』も、その太さを増していた。
「『花子』、リリスちゃん…ワタシたちのことで怒ってくれるのは嬉しいけど、あまり暴力的なのはよくないと思うよ?」
だって、その『力』の反動はきっと、二人の元に耳を揃えて返って来る。
「そしたら、痛い思いをしちゃうんだよ、リリスちゃんや『花子』が…ワタシは、それは嫌だよ」
けれど、というか当然と言うか、二人ともワタシの声に反応してくれなかった。
そして、その間にも二人の『力』は膨張していく。
赤錆色の靄が野放図に拡散し、黒い渦潮もその体積を図太く増す。
…この世の景色とは、思えなかった。
そして、その光景を生み出しているのが、ワタシにとって大切な二人だ。
「ねえ、本当にもう、やめようよ…」
ワタシは、さらに呼びかける、が…?
「…なに、これ?」
気配が、変化した…いや、変化なんて生易しいものでは、ない。
空気が凝固し、周囲の気温が上がる。
息苦しさが増し、胸が圧迫される?
リリスちゃんと『花子』の靄と渦潮が、そこで接触していた。
接触した地点から『靄』と『渦』の融解が始まり、世界の変貌が始まる。
「黒…?灰色?え、なんて言ったら、いいの?」
本来なら交わらないはずのモノが、そこで交わっていた。
黒に?赤に?灰色に?紫に?
それらは、正視に耐えない色をしていた。
この世ならざる、色をしていた。
その色が、波紋のようにゆっくりと広がる。
空が、地面が、塗り替えられる。
この世界の摂理すら、不条理に糊塗していく。満遍なく塗り潰していく。
「いやだよ、こんなの…」
…それは、ワタシの中のリリスちゃんや『花子』との思い出まで、塗り潰していくようでもあった。




