111 『またしても何も知らない花子さん』
これまでの短い人生の中でも、自分が場違いだと感じたことは何度もあった。
ワタシの場合は、その『場違い感』というのは劣等感と言い換えることができるものが大半だった。
自分とその場の落差、または周囲との格差に対して自分がそこにいていいのかと及び腰になるんだ。
この異世界に『転生』してからも感じたことはあったけれど、実はワタシが『転生』をする前の方がソレを感じる頻度は高かった。
難病を患っていたワタシが、この幼稚園にいていいのか。この小学校にいていいのか。何度もそう思った。だって、ワタシがいることで、みんなの『楽しい時間』が削減されてしまうからだ。
…特に、みんなが心待ちにしていた遠足の時などは。
「…………」
あの時と同程度の『場違い感』を、ワタシは味わっていた。
目の前には、『魔毒』を纏う『悪魔』がいた。
さらには、『黒いヒトビト』と半ば同化をしている『神父』がいた。
両者ともに人の範疇を超えた力を振り翳していて、ワタシなどには何もできなかった。
…そもそも、ワタシの出る幕なんて最初から用意されていなかったんだろうね。
けど、ワタシには、あの二人がどちらも辛そうに見えた。だから、ワタシは二人に声をかける。それぐらいのことしか、できなかったから。
「リリスちゃん、ベイトさん…少しでいいので、落ち着いてくれませんか」
リリスちゃんは元より、ベイト神父にもワタシの声は聞こえていなかった。当たり前だ。あの二人の眼中に、ワタシは入っていない。そんな人間の声が、聞こえるはずはない。
…けど、こう見えてもワタシ、諦めだけは悪いからね。
だから、ちょっと無視をされたくらいじゃへこたれないのだ…勿論、強がりなんだけどね!
「リリスちゃ…」
リリスちゃんの名を呼んだワタシは、そこで気付いた。リリスちゃんが纏っていたあの赤錆色の『魔毒』が、リリスちゃんの後方に流れていくのを。
その行先は、あの『祠』だった。そして、『祠』の扉は開かれている。早朝から『祠』の番人であるセシリアさんが『祠』を開いてくれていたんだ。
邪気も毒気も浄化するという触れ込みのあの『祠』が、リリスちゃんの『魔毒』を吸収していた。
「あははは…やっぱり、予想通りだよね!あの『祠』はリリスちゃんの毒だって浄化できるんだ!」
その光景に、ワタシは破顔した。
リリスちゃんの『魔毒』が伝説の魔獣と同じものなら、あの『祠』で浄化できると想定していたが、その証明はここで成された。
「いいよ、そのままリリスちゃんの毒を吸い取っちゃって!」
ワタシは、『祠』を応援する言葉を投げかける。
リリスちゃんは『魔毒』を吸引され続けていたが、特に目立った反応は見せていなかった。
よし、そのままおとなしくしててよ、リリスちゃん。
もう少しでハッピーエンドだからね!
けれど、そのハッピーエンドを望まない無粋な人たちが、この場にはいた。
「おい、あの娘の毒が浄化されていくぞ!?」
覆面の中のダレカが、浄化されつつあるリリスちゃんに驚きの声を上げていた。
「どうするんだ!?」「あの娘を討滅しないといけないんだろ!?」「なら、さっさとやればいいだろ!」
自称『神の使徒』たちは最初こそ烏合の衆のように狼狽えていたが、すぐに立ち直り、目標をリリスちゃんに定める。
くそ、もう少し二の足を踏んでいればよかったのに。
立ち直った『裏側』の覆面たちは示し合わせたようにリリスちゃんを取り囲む。言いたくはないが、その動きは練度の高さを感じさせた。
「リリスちゃん!」
リリスちゃんに危機を伝えたが、やはりリリスちゃんは動かない。自身を取り囲む殺意に対して、あまりに無頓着だった。
「リリスちゃん!!」
皮肉にも、ワタシの声が合図になったように覆面たちがリリスちゃんに跳びかかる。各々が、禍々しく光る凶器をその手に握りしめて。
そして、幼気な少女であるそれらを振り下ろす。
「リリスちゃ…ん?」
けれど、リリスちゃんが鮮血を撒き散らす…ということには、ならなかった。
それどころか、覆面たちがリリスちゃんに触れることすらなかった。全員が、逆に吹き飛ばされ、地面を転がる。砂埃が舞い上がる中、そこに立っていたのは…。
「ベイト…さん?」
リリスちゃんを守るように、ベイト神父が立ち塞がっていた。『黒』く染まった右腕からは、闇よりも濃いナニカが鞭のように…竜の尾のように、伸びていた。それを振るったんだ、この人は。
「リリスちゃんを助けてくれたんですね…」
「私はただ、妹の仇を殴り飛ばしただけだ」
ベイト神父は簡素にそう言っていたが、それはきっと本音の半分でしかない。
妹を殺されたこの人が、『悪魔』とはいえ少女であるリリスちゃんを見殺しになんてできない。況してや、リリスちゃんに殺意を向けているのは、その妹の仇たちだ。
とりあえず、ベイト神父がリリスちゃんを守ってくれたことに、ワタシは安堵していた。
しかも、あの『黒いヒトビト』の力(?)を使いこなしている。そして、この展開なら、時間稼ぎにもなりそうだ。
…ワタシは、こっそりと心の中で舌なめずりをしていた。
「貴様…神父のくせに」「我々の邪魔をする気か!?」「恥を知れ!」
覆面たちは口々にベイト神父を罵倒するが、ベイト神父からすれば蛙の面に水でしかない。
「恥を知るのは、お前たちの方ではないのか?」
いや、内心ではベイト神父は怒髪天を衝いているのかもしれない。竜の尾のような鞭を携えていた右腕には力が込められていて、青筋が浮かんでいる。
…そうだよね、探し求めていた妹の仇と、ようやく対面したんだもんね。
だとすれば、感情のメーターが振り切れたとしても無理はない。けど、それはワタシとしても望まない。リリスちゃんを助けるためとはいえ、誰の犠牲も出したくはなかった。
「ベイトさん、お願いできる立場にないのは分かっているんですけど…人死にだけは、出ないようにしてください」
ワタシは、ベイト神父に懇願した。
「…これは、私の問題だ。部外者は口を出さないでもらおう」
けんもほろろにベイト神父に言われたが、無視をされたわけではないので問題はない。というか、この人も理解をしているはずだ。あまり、ワタシのお願いを無下にはできない、と。
「そんな悲しいことを言わないでくださいよ…ワタシとベイトさんは共犯者じゃないですか」
「共犯者、か…私も堕ちたものだ」
ベイト神父は、苦々しく呟いた。
けど、それはベイト神父が理解をしているからだ。
だから、この人は今、天秤にかけている。激情のままに『裏側』の人たちを殺害してしまうか、ワタシからの要請に応えるか。
ここで『裏側』の人たちを皆殺しにしてしまえば、ワタシからの協力が得られなくなる。
「お願いしますよ…ここでその人たちを死なせてしまったら、ベイトさんだって妹さんに合わせる顔がなくなるんじゃないですか」
ワタシは、『悪魔』よりも悪魔寄りの言葉でベイト神父を惑わせる。我ながらお行儀が悪いとは思うけれど、この人に人殺しをして欲しくないと思っているのは、きっと妹さんも同じはずだ。
「…………」
ベイト神父は、言葉を失っていた。いや、模索していたのか。
それは、ワタシだけが持つ切り札の価値を知っているからではあるが、先ほどの説得に揺れているというのもあるはずだ。この人の中にいる妹のヘテカさんが、堰き止めているんだ。ベイト神父が抱えている殺意の奔流を。
そして、自身の中で折り合いがついたのか、小さく頷いてからベイト神父は呟いた。
「半殺しまでは…問題ないということだな」
「そもそも血生臭いのは避けて欲しいということなんですけれど…」
この人の場合、本当に半分くらい殺しそうで怖いのだ。
「何をごちゃごちゃと…」「邪魔するならあっちから片付けろ!」「数で押し切れば問題はない!」
覆面の狂信者たちは勇ましく叫ぶが、正直、腰が引けていた。それはそうだろうね。あんな得体の知れないモノで吹き飛ばされれば、恐怖心を抱いて当然だ。
「貴様…その腕はどうしたんだ?」
烏合の衆と化した『裏側』の中で唯一、煤けた覆面の男だけがベイト神父とまともに相対していた。他の覆面たちは、ベイト神父と視線を合わせようとはしていなかったのに。
「これか、妹の置き土産だ」
絶対に違うはずだが、ベイト神父はそう言った。
確かに、妹さんが『黒いヒトビト』と化してしまったことが契機となったのは間違いないだろうが、兄想いのはずのヘテカさんがあんな得体の知れない力を兄に託すとは思えない。
というか、あんなモノを使い続けてベイト神父は平気なのか?
…いや、あの人は覚悟の上であの『力』を使っている。
なら、極力あの『力』を使わせないことが妹さんのためでもあるはずだ。
「そろそろ、撤退してもらえませんか?」
ワタシは、そこで煤けた覆面にそう提案した。
「これ以上は、お互いに無駄な痛手を負うだけです」
本来なら、ワタシの程度の言葉など、この人たちは聞く耳を持たない。ワタシにその価値がないからだ。
けど、ワタシに価値がないのなら、ワタシの言葉に付加価値をつければいいだけだ。
「いえ、ここで無理にベイト神父さんと争ってもそちらの損耗の方が激しいのではないですか。神父さんの得体の知れない『力』は、あの『黒いヒトビト』に由来するものですよ」
さらに、時間の制限を明確に自覚させることで焦りを生じさせる。
「それに、これだけの騒ぎが起こっていればすぐに他の人たちも駆けつけてきますよ。それは、あなたたちにとってはかなり不都合なのでは?」
「…………」
煤けた覆面は、苦々しそうにワタシを眺めていた。しかし、ワタシの言葉に反論もできない。ベイト神父と真っ向から戦うことはリスクでしかないからだ。
「あ、あれは憲兵さんじゃないですか?」
実際には誰もいないが、ワタシはブラフでダメ押しをする。
さすがに、これ以上はこの場に留まれないはず…だった。
「神父…さん?」
ワタシの視界の端で、唐突に、ベイト神父が片膝をついていた。
「どうしたん…ですか?」
いや、聞くまでもなかった。
ベイト神父は『黒』く染まった右腕を左腕で押さえている。右腕に痛みがあるのは明白だった。
「やっぱり、それは普通の人が扱っていい代物じゃなかったんですね…」
当たり前だ。あの『黒いヒトビト』と同種の『力』など、ただの人間が振り回していいものではない。
そしてきっと、それはこの人が一番よく分かっていたはずだ。それでも、無理を押して神父はこの力を解放した。
「どうやら、頼みの綱も種切れといったところか」
ベイト神父が蹲ったことで、煤けた覆面の男が余裕を取り戻した。覆面で表情は見えないが、声を聞いていればそれは分かる。
「だが、時間がないことも確かだ。さっさと仕事を終わらせるか。予定よりも、少し『タスク』は多いようだが」
独り言を口にしながら、煤けた覆面はベイト神父やワタシにも鋭利な視線を向けていた。どうやら、その『タスク』とやらにはワタシたちも含まれているようだ。
「これは、『魔獣』を殺すために与えられた『聖剣』だ。『教会』に伝わる伝家の宝刀というやつだな」
煤けた覆面は、いつの間にかその手に片刃の剣を握っていた。それは、黒い斑点が陽の光を妨げる中にあってもやけにギラついていた。
「時間がないという割りには、やけに悠長じゃないですか」
「この剣は、後に『教会』だけではなくこの世界における『聖剣』となる。そのお披露目としては多少の時間を要しても問題はない」
ワタシの皮肉にも、煤けた覆面は余裕で返していた。いや、実際に余裕はあるのだろう。後は、動かないリリスちゃんと動けないベイト神父、そして、ワタシを斬るだけだ。案山子を斬るのと何も違わない。
だからこそ、この覆面は愉悦に浸っている。これで、『神さま』を実在させる土台が完成する、と。
積年の想いが果たせる、と。
「先ずは、ベイトから始末しておくか」
煤けた覆面は、最初の標的をベイト神父に定める。この場でまだ悪足掻きができそうなのは、ベイト神父だけだ。そのベイト神父から先にしとめるつもりだ。愉悦に浸りながらも、仕事では手を抜かないタイプらしい。
「あなたは、ベイト神父さんの知り合いなんじゃないんですか?」
ワタシは、時間稼ぎもかねて覆面に尋ねる。けど、これは先ほどから感じていた。ベイト神父に向けられた時だけ、あの覆面の声が質量を増していた、と。
しかし、ワタシの声はもはや覆面には届かない。
煤けた覆面は片刃の剣を大上段に構える。『黒いヒトビト』に遮られ、陽の光は微かにしか差さない
。にもかかわらず、太陽はその片刃の剣を照らしていた。
「さらば、だ」
煤けた覆面は、簡潔な言葉で断ち切ろうとしていた。
ベイト神父の命を。
「駄目…駄目だぁ!」
しくじった…?
ワタシは、しくじったのか?
ワタシは、余計なことをしてしまったのか?
ワタシがもっと上手くやれていれば、誰も傷つかずに済んだのか?
様々なことが脳裏をよぎるが、それらが凶刃を止めてくれるわけではない。
無慈悲にも、覆面の刃は振り下ろされる。
…『聖剣』の最初の犠牲者は、皮肉にも『教会』の神父だった。
「…………」
何も、音がしなかった。
いや、人が斬られる時に、派手な音が鳴るはずもない。
そんな効果音が入るのは時代劇だけだ。
けれど、それにしても何の変化もなかった…?
「…………」
恐る恐る、閉ざしていた瞳を開いた。
ワタシの目の前では、時が止まっていた。
いや、静止したように見えていただけだ。
「なんだ、これは…」
刃を振り下ろしたままの姿勢で、煤けた覆面は動きを止めていた。
いや、止められて、いたのか?
こちらからではよく見えなかった。
ワタシから見えたのは、煤けた覆面が浮かべていた(であろう)驚嘆の表情と、虚ろな瞳でそれを見上げていた蹲るベイト神父だけだ。
違う…それだけでは、なかった?
瞳を凝らしたワタシの目に、ソレが映る。
真っ『黒』い塊が、ベイト神父の前にいた…いや、あったというべきなのだろうか。
そして、それが『聖剣』を、受け止めていた。
「なに…あれ?」
黒といえば、今も空に浮かんでいるあの『黒』だ。
その『黒』と同じ『黒』だった。
けれど、その『黒』がベイト神父を護って…いた?
「でも、どうし…て?」
なぜ、ベイト神父を守った?
というか、どうしてそんなことが起こる?
あの『黒いヒトビト』が、自発的に動くはずはないというのに…?
異世界の想定外が、鈴生りで襲ってくる。
「またしても何も知らない花子さんにもほどがあるんですけど!?」




