107 『ワタシは、ワタシの罪を肯定する!』
「ねえ、シロちゃん…本当のことを、教えて欲しいんだ」
薄い西日が差し込むリビングの中、ワタシの言葉は場を滞らせた。いや、凍らせた。
慎吾、雪花さん、『花子』、ティアちゃんにアルテナさま、シャルカさんにシロちゃんが否応なしに沈黙を選択させられる。
そんな中、繭ちゃんだけが口を開いた。
「何を言ってるの、花ちゃん…?」
繭ちゃんが、ぎこちなくワタシの方に顔を向けた。それまでの繭ちゃんは、無事に戻ってきたシロちゃんと仲良くお話をしていた。普段よりもシロちゃんを気遣って、普段よりも明るく振舞っていた繭ちゃんが、そこにいた。
けど、ワタシはそんな繭ちゃん越しにシロちゃんに話しかける。
「シロちゃんは、ワタシたちに隠してることがあるよね…いや、言えないことがあるのかな」
ワタシとシロちゃんは、テーブルを挟んで向かい合っていた。ワタシは真っ直ぐにシロちゃんを見つめ、シロちゃんは…体を硬直させていた。
「ほら、花ちゃんがいきなり訳の分からないことを言い出したから、シロちゃんがビックリしちゃってるよ」
ワタシとシロちゃんの間に、繭ちゃんが割って入る。
繭ちゃんは頭のいい子だ。だから、察している。ワタシの言葉がこの場に亀裂を入れている、と。
その亀裂は、下手をすると修復不可能なほどにシロちゃんを深く抉る、と。
その可能性を承知の上で、ワタシは言葉を紡ぐ。
「繭ちゃんだって、おかしいと思っているはずだよね。あんなにあっさりとシロちゃんを助け出せたことを」
「それは…でも、シロちゃんが無事に帰ってきてくれたんだよ?それでいいはずだよね?」
「勿論、ワタシだって繭ちゃんと同じ気持ちだよ。シロちゃんが帰ってきてくれたことが、何よりも嬉しいよ」
その気持ちに嘘はないし、そこに嘘があるようでは、この先の言葉を口にする資格はない。
「でも、ここで曖昧なままにはできないんだよ…シロちゃんを誘拐した人たちは、『教会』では『裏』って呼ばれてて、とっても危険な存在なんだ」
シロちゃん誘拐の現場に居合わせた繭ちゃんだってそれを感じたはずだ。
「でも、花ちゃん、それは今じゃなくてもいいんじゃないかな…シロちゃんは怖い思いをしたばっかりだよ?」
「そうだね、シロちゃんは怖い思いをしたよね…でも、それはワタシが遅かったからなんだよ」
「遅かった…から?」
繭ちゃんは小首を傾げていた。
そんな繭ちゃんに、ワタシは言った。
「もっと早くにワタシが『裏側』のことに気付いていれば、シロちゃんは誘拐なんてされなかったんだ…だから、次は手遅れにならないように、知らないといけないことがたくさんあるんだよ」
「この次が、あるの?」
「知り合いの神父から聞いた話では、その『裏側』の人たちは潜伏が得意で、この王都のどこにでも潜んでいるらしいんだよ。商店街にもいるし、お城にもいるし、『教会』以外の宗教組織にも入り込んでいるんだ。それなのに、その『裏側』の存在は殆んど知られていない」
ワタシは、丁寧に話し始めた。『裏側』の危険性を知ってもらうために。
「これは、『裏側』の人たちの潜伏能力の高さを示しているんだ…そして、それだけ根深く潜伏するためには存在の秘匿が不可欠で、連中はそれが物凄く上手いんだよ」
「存在の秘匿…?」
問い返した繭ちゃんに、ワタシは言った。
「簡単に言えば何の証拠も残さないってことかな。何の証拠も残していないから、これまでも『裏側』の存在が露見することはなかった。胡乱な存在のままでいられたんだ」
「でも、それがどう関係してくるの…?」
「証拠を残さないってことは、証人もいなかったってことなんだよ。これまでに、『裏側』と関わっていたはずの証人が」
「証人が…いなかった」
そこで、繭ちゃんは察したようだった。
けれど、その先の言葉を繭ちゃんに言わせるわけにはいかなかったので、ワタシが口にした。
「そうだよ…『裏側』の人たちはこれまでに関わった人間を消している可能性が、あるんだ」
だからこそ、ここまでその存在を隠し通すことができた。
「でも、今回は違うよね。連中は、ここまで深くかかわったはずのシロちゃんを、取り逃がした。このままで終わるとは、思えない…シロちゃんをこのまま野放しにしておけば、それだけ自分たちの尻尾を掴まれる可能性が高くなる」
そんな危険なシロちゃんを、放置しておくはずがない。
「だからお願い、シロちゃん…ワタシたちに、話して欲しいんだ。今度は、手遅れにならないように」
差し込んだ西日は、傾き始めていた。そして、ワタシの影がゆっくりと伸びていく。ワタシの影とシロちゃんの陰が、接触した。
『花子お姉さん…ぼく、何を話せばいいの?』
シロちゃんが、ゆっくりと口を開いた。
薄く差し込む西日が、シロちゃんの尻尾をゆっくりと照らしていた。
「そうだね、先ずはおさらいといこうか…シロちゃんを連れ去った人たちは、覆面をしていたんだよね?」
『うん、六人くらい…いたよ』
「六人か…そして、覆面をしていたからシロちゃんには顔は分からなかった、と」
ワタシの言葉に、シロちゃんは小さく頷く。それを確認してから、ワタシは続けた。
「その時、その人たちは何か言ってなかった?」
『ええと、ね…『確保した』とか、『退路はこっちだ』とか言ってたよ』
「他に手がかりになりそうなことは言ってなかった?」
『うん…それぐらいだったよ』
「そっか…必要最低限の言葉しか交わしていなかったんだね」
ベイト神父が言っていたように、『裏側』というのは随分とプロフェッショナルな組織のようだ。自分たちの情報が漏洩しないように徹頭徹尾、言動に気を配っている。
「じゃあさ、シロちゃん…シロちゃんは、どうやって連れ去られたの?」
『ええとね…最初はお馬さんだったよ』
「馬…馬車か」
王都では、移動手段として馬車そこそこ使用されている。ただ、個人で馬車を所有している人はそれほど多くない。ワタシたちの世界のバスや電車の代わりに、公共の乗り物として利用されているケースが殆んどだった。
「なら、馬車の動きから『裏側』の足取りを追えるかもしれないね…」
『あ、でもね、馬車は途中で降りたんだよ』
「途中で降りた…?」
『しばらくは馬車に乗ってたんだけど、途中からは走ってたよ…ぼく、そこからは目隠しをされて袋詰めにされてたから、どこを走ってたのかは分からなかったんだけど』
「そう…だったんだね」
途中で逃走車両を変えるとか、銀行強盗物の映画みたいなしゃらくさいマネをしてくれるじゃないか。
「じゃあ、シロちゃんはその後であの廃工場に連れて行かれたんだね?」
『え…?』
「…え?」
シロちゃんの反応に、ワタシまで『え?』となってしまった。
どうして、シロちゃんはここで驚いている?
「ええと…ワタシ、そんなへんなこと聞いちゃったかな?」
できるだけ順序だてて話をしていたつもりだったが、シロちゃんの表情は硬直していた。
…この子、嘘のつけない子なんだよね。
そのシロちゃんがこの反応か。
「シロちゃんが馬車から袋に押し込まれて、それからあの廃工場に連れて行かれたのかなって思ったんだけど…違った?」
『ええとね、ええとね…』
シロちゃんは、ナニカを言い淀んでいた。
ワタシたちは、シロちゃんを急かすことはなく待っていた。
そして、シロちゃんは語り始めた。ゆっくりと、生乾きの瘡蓋をはがすようにゆっくりと。
『最初はね、別の場所に連れて行かれたんだ…そこではまだ袋のままだったから、その時はそこがどこだか分からなかったけど』
そこで、シロちゃんは一度、口を噤んだ。
けれど、深く息を吸い込んでから、続きを話し始めた。
シロちゃんにとって、次の言葉はそれだけの溜めが必要だったということだ。
『そこで…ぼくは聞いたんだ』
シロちゃんは、また溜めを作った。
その溜めが深くなるほどこの場も密度を増し、息苦しくなる。あるはずのない気圧の増減が、ワタシたちを蝕む。
いや、この場で最も苦しんでいたのは、シロちゃんだ。
そんなシロちゃんが、重い口を、開く。
『ぼくは袋に詰められたままだったけど、聞こえてきたんだ…あの人たちが、ぼくを殺そうと、していた声が』
シロちゃんの声は、震えていた。いや、声だけではない。体も尻尾も小刻みに震えていた。耳を伏せ、表情も蒼白になっていた。
…当たり前だ。
自分を殺そうという算段が聞こえてくれば、誰だって平常心ではいられない。その時の恐怖が、ここでぶり返してきたんだ。性質の悪い風邪よりも、それはずっと性質が悪い。
「シロちゃんは、もう大丈夫だよ…ボクもいるし、みんなもいる。だから、シロちゃんに怖いことはもう起こらないんだよ」
そんなシロちゃんを、繭ちゃんは抱きしめる。シロちゃんも、繭ちゃんからの抱擁に身を任せていた。そして、時間は静かに流れる。シロちゃんも少し落ち着いたようで、蒼白だった表情にも血の気が戻ってくる。
『ありがとう、繭ちゃん…繭ちゃんはいっつもすごいね』
「そうだよ、ボクはすごいんだ。だから、そのボクが大好きなシロちゃんもすごいんだよ」
シロちゃんと繭ちゃんだけの、水入らずの時間が流れる。
シロちゃんは、ついさっきまで『非現実』の中にいた。『誘拐』という非現実な時間の中に。きっと、これはシロちゃんが『現実』に戻ってくるために必要だった儀式だ。
『ぼく、繭ちゃんとお友達でよかった…』
「ボクもだよ」
繭ちゃんの『儀式』により、シロちゃんは完全に『こちら』に戻ってきた。
けど、言い換えればシロちゃんはゲンジツからの『逃避』をしなければならないほど、負い詰められていた、というになる。それだけの深い爪痕を、その『誘拐』で刻まれていた。
…それなのに、ワタシが二度目の『念話』を飛ばした時、シロちゃんはあの廃工場で寝息を立てていた。
あの寝息は、心底からの安心がなければ出てこない。
自分の命が危機に晒されている時に、それだけの胆力がこの子にあるとは、とても思えない。
だとすれば、ナニカがあったんだ。それほどまでに重篤だったシロちゃんの不安を取り除くほどの、ナニカが。
「でも、シロちゃんはそこで、危害を加えられなかったよね…じゃあ、その後で、何があったの?」
できる限りの配慮で、ワタシはシロちゃんに問いかける。配慮云々というのならば、もう少し時間が経過してからにするべきなのだが、それを許してくれるほど、連中は甘くない。
「花ちゃん、やっぱりもう少しくらい後にした方が…」
『いいんだよ、繭ちゃん』
ワタシに苦言を言おうとした繭ちゃんを、シロちゃんが制した。繭ちゃんのお陰で、シロちゃんは持ち直している。
それを察したからワタシはシロちゃんに対する質問を再開したのだが、そんな自分に嫌気が差した。けど、今はまだ、止まれない。
『その後で何があったのか、だね…花子お姉さん』
「うん…話を聞いていると、『裏側』の連中はシロちゃんを亡き者にするはずだった。でも、シロちゃんはこうして無事だった。そこで、ナニカがあったからだね」
『ぼくは、助けられたんだ』
シロちゃんの言葉に、ワタシは得心がいった。というか、それしかないはずなんだ。『裏側』の連中からすれば、計画の邪魔にしかならないシロちゃんを生かしておく理由がなさすぎる。手っ取り早く始末しなければならなかった。けど、シロちゃんは無事だった。だとすれば、そこにはシロちゃんを助けたダレカがいたはずだ。
「誰が、シロちゃんを助けてくれたのかな?」
『それは、見てないんだよ…みんな覆面で顔を隠してたから』
それはそうか。『教会』は潜伏のプロだ。素性を隠すことに特化しているから、計画の最中に素顔を晒すはずがない。
けど、シロちゃんは、そこで少し、瞳を逸らしていた。
…なぜだ?
嘘を、ついている?
いや、ここでシロちゃんが嘘をつく意味があるか?
でも、顔を見ていないというのは、おそらく本当だ。しかし、それならシロちゃんが瞳を逸らしたのはなぜ、だ?
『他の人たちは、ぼくを、殺そうとしていたんだけど…その人が、他の人たちの目を盗んでその場所から助け出してくれたんだ』
シロちゃんは、懸命に言葉を紡いでいた。自分を助けてくれたナニモノかの勇敢さを称えるように。いや、実際にシロちゃんを助けてくれたそのヒトは、英雄といっていい。それは、『裏側』対する裏切り以外にナニモノでもないのだから。
…そうだよ、それは、裏切りだ。
しかも、『裏側』などという組織なら、裏切り者に対する鉄槌も徹底しているはずだ。
それなのに、そのナニモノかはシロちゃんを助けてくれた。
そこまでした、その理由はなんだ?
そこまでしなければならない理由が、あったというのか?
普通に考えるなら、そのナニモノかにそれだけの理由はない。
考え込むワタシに、シロちゃんは言った。
『それでね、その人はぼくをあの廃工場に連れて行ってくれたんだ…ここなら他の人たちが来ることはないから安心していいって』
シロちゃんの表情は、安定していた。シロちゃんの口調からも、シロちゃんがその人物を信頼していたことが窺える。
…ここでも再びの『なぜだ?』だ。
シロちゃんは、その助けてくれたという人物の顔を知らない。覆面で顔を隠していたのだから当然だ。
しかし、シロちゃんはその人物の言葉に素直に従い、廃工場に身を隠していた。しかも、お昼寝タイムで寝息を立てていた。
どうして、シロちゃんはそこで安心できた?
どうして、顔も分からないその人物の言うことを鵜吞みにできたんだ?
「シロちゃんは、そのヒトのこと、何も分からなかったんだよね?」
『う…うん、そうだよ』
また、ワタシはその質問を繰り返し、また、シロちゃんは同じように瞳を逸らしながら答えた。
…やはり、シロちゃんは助けてくれたその人物の素性に心当たりがあるんだ。
けど、それを口にすることはその人物に対する裏切りに当たるから言えない…ということだろうか。その人物も、『裏側』を裏切ってまでシロちゃんを助けてくれたのだから、シロちゃんもそれに応えているんだ。
けれど、分からなかった。
シロちゃんは、どうして分かったのだろうか。覆面で顔を隠していたはずの、その人物の素性が。覆面をしていたのなら、声だってくぐもっていただろうに。
と、そこでワタシの思考は堂々巡りに陥った。自分がどこに立っているのか、どこを目指すべきなのかが見えなくなる。
ワタシが黙り込んだところで、シロちゃんが繭ちゃんに声をかけていた。
『ねえ、繭ちゃん』
「なに、シロちゃん」
『繭ちゃんから血の匂いがするんだけど…もしかして、ぼくを探してる時に、どこか怪我をしたの?』
シロちゃんは、そこで心配そうに繭ちゃんを眺めていた。
そして、シロちゃんの言う通り、繭ちゃんはあの廃工場でシロちゃんを探している時に転んでしまっていた。その時に怪我をしていたのか。今日の繭ちゃんはロングのスカートだったから分からなかった。けど、鼻の利くシロちゃんにはお見通しだったようだ。
「ああ、これは怪我とかじゃないよ、シロちゃん。さっき『始まっちゃった』からその血だね」
「何が『始まっちゃった』のかなぁ!?」
繭ちゃんならありえそうだったのでさらっと流しそうになったワタシがいるけれど、きちんとツッコミは入れるからね!?
「怪我したことをシロちゃんに知られたくないのは分かるけど、繭ちゃんも妙なウソついちゃダメだよ!?」
ワタシは、ツッコミながら隣りの部屋から救急箱を持ってきた。
と、そこで脳裏にふと、浮かんだ。
「シロちゃんは、ワタシたちよりもずっと鼻が利くんだ…そして、そのジンブツは、シロちゃんのために命懸けで『裏側』を裏切った。シロちゃんは、その人物の素性に気付いていても口にはしない」
「何をぶつぶつ言ってるの、花ちゃん?」
救急箱を抱えたまま棒立ちだったワタシに、繭ちゃんが声をかけてくるが、ワタシはまだ案山子と化していた。
「そうか…何となくだけど、背景は見えてきたよ」
「だから、何の話なの、花ちゃん?」
繭ちゃんはワタシから救急箱を受け取って自分で治療を始めた。
けど、ワタシは整理の済んだ思考を口にするので手一杯だった。
「シロちゃんを助けてくれた、そのヒトのことが、だよ」
「え…ホントに?」
「ホントだよ…けど、これはシロちゃんは望んでいないことかもしれない」
それでも、ワタシは口にしなければ、ならない。
「だから、これは、罪なのかもしれない…でも、ワタシは、ワタシの罪を肯定する!」
ワタシはそこで、覚悟を決めた。
そのワタシに、繭ちゃんが言った。
「花ちゃん、この間もそれ言ってなかったっけ…晩ご飯の後でドーナツを食べ過ぎた時に」
「ど…ドーナツには何の罪もないんだよ!?」
「そうだよ、その罪は花ちゃんのだからね」
ワタシの覚悟は、早くも崩れそうになっていた…。




