105 『ワタシのお尻がかしわ餅みてーだとぉ!?』
「…………」
「…………」
「…………」
ワタシたち、ベイト神父、シスターによる三者三様の沈黙模様だった。
先ほどシスターはベイト神父に声をかけていた、それもそこそこ親しげに。なので、ワタシとしてはこのシスターとの関係をベイト神父に尋ねたかったが、ベイト神父がそれを許す雰囲気ではなかった。固く唇を結び、なんだったら瞳すら閉じている。対話拒否を表情筋の全てで表現していた。ただ、この人にしてはやけに子供っぽい仕草だったけれど。
それに対し、突如として現れたはずのシスターはやけに落ち着いていた。ベイト神父の断固拒否のオーラに当てられながらも涼しい顔をしている。それだけで、この二人の関係性の片鱗くらいはワタシにも見えてきた。
…さて、この三竦み(?)をどうしたものか。
ベイト神父との対話はまだ終わっていない。ワタシには、この人からもっと聞き出さなければならないことがまだまだあるというのに。
「本当に久しぶりですね、ベイト」
薄曇りの空の下、シックな色合いの修道服に身を包んだシスターが口を開いた。その声は丸みを帯びていてどこにも角がない…にもかかわらず、妙にいたずらっぽく聞こえるのはワタシの耳がおかしいのだろうか。
「まさか、こんな辺鄙な場所であなたに会えるとは思っていませんでした。というか最近は全くと言っていいほど顔を合わせてはいませんでしたからね。すごく寂しかったのですよ、貴方に会えなくて」
ベイト神父からの返事はなかったが、シスターはさらに話を続ける。ベイト神父からの無視に一切めげることもなく。
「懐かしいですね。昔は、よくこういう場所でベイトと一緒に夕焼けにゃんにゃんしたものです」
「お前とそんな爛れた関係になった覚えはないっ!」
ベイト神父が、シスターの冗談に根負けして声を上げてしまっていた。
…うん、ホントに冗談だよね?
冗談じゃなかった場合は、ワタシがものすごく気まずくなるからね?
「やっと私とお話してくれましたね」
「お前と話すことなど、私にはない」
完全に、ベイト神父とシスター二人だけの世界が構築されていた。どうやってこの雰囲気の中に割って入るか考えていたワタシだったけれど、向こうの方からワタシに声をかけてきた。
「ところで、そちらのお尻の大き…かわいらしいお尻のお嬢さんはベイトの新しい彼女さんですか?」
「あなた…今、ワタシのお尻のことなんと言いました?」
ワタシのお尻がかしわ餅みてーだとぉ!?
自己紹介の前に宣戦布告ですか?
辻斬りだってそこまでいきなり斬りかかったりしませんよ。
「こっちの彼女は冒険者ギルドの職員で、ただそれだけの希薄な関係だ」
ベイト神父は、簡素にそれだけを答えていた。ワタシとしてもベイト神父との関係はあまり深入りして欲しくはないし、ワタシの紹介なんてこれで十分だった。
しかし、そこでまた流れが停滞するかと思われた…けれど、シスターは止まらなかった。
「私はまた、ベイトが厄介なことに首を突っ込んでいるのかと思いましたよ」
…また?
厄介なことに?
過去にも、この神父は厄介なことに足を突っ込んだのだろうか。いや、この神父ならそれもあり得るか。この人は、たった一人の妹を亡くしている。ストッパーとなる家族は、もういない。
だからだろうね、ベイト神父はにべもなく言い放っていた。
「貴様には関係のないことだ」
「また、『裏』のことでも嗅ぎ回っているのでしょう」
その『裏』というのは、先ほどの話の中で出ていた人たちだろうか…。
現在の『教会』の転覆を企てている、謎の存在らしいが。
「もうやめておいた方がいいですよ。あの方々はそう簡単に尻尾を出さないし、そもそも今現在も存続しているかどうかすら怪しい人たちじゃないですか…というか最初から存在していたかどうかも疑わしいですよ」
シスターは、軽く手をひらひらと振る。
ベイト神父は、そんなシスターに異を唱えていた。
「確かに、連中は噂話でしか聞かないような胡乱な存在だ…それでも、多少なりとも実在している可能性はある」
「それは、ヘテカが関わっていたからですか?」
シスターは、その名を口にした。ベイト神父にとっては、禁忌にもなりうるその名を。
「…妹があんな連中と接触していた証拠はない」
「ベイトのその捻くれた態度だけで、その可能性があったと分かりますよ。というか、あの頃のヘテカの周りをよくない雰囲気の連中がちょろちょろしていたのは事実でしたしね」
「…それは、本当か?」
ベイト神父が、小さく語気を荒げる。けど、それも当然か。大切な妹の周りにそんな危険な人たちがうろついていたとなれば、心配だってするはずだ。
「確実ではないですよ。ただ、あの頃のヘテカの周りがそんな雰囲気だったというだけです」
「その証言だけで、十分だ…お前がそう感じたのなら、おそらく間違いはない」
なんだかんだと言いながら、ベイト神父はこのシスターさんに一定の信頼をおいているようだった。そんなベイト神父はしばらく俯き加減で黙り込んでいたが、情報の整理が済んだのか、小さく呟く。
「やはり、ヘテカは裏側の連中と接触していたのか…」
ベイト神父も、この人なりに妹さんと『裏』と呼ばれる人たちが接触していた可能性を考えていた。そこに、シスターさんが持ってきた情報でその可能性が裏打ちされた。ベイト神父としては、これで完全に『裏』の人たちの関与を無視できなくなった。
「便宜上『裏』などと呼んでいるが、本来は『表』にも『裏』にも存在するかどうか分からない連中だ…ヘテカの方からは接触したくてもできなかった。なら、近づいたのは連中の方からということになる」
ベイト神父は、熱に魘されたように呟き続ける。その瞳には、ワタシもシスターも映ってはいない。今のこの人の瞳にナニカが映っているとすれば、それは在りし日の妹だけだ。
「だとしたら、やはりその人たちがヘテカさんに近づいたのはリリスちゃんの封印の件でしょうね」
いつまでもだんまりでは居心地も悪いので、ワタシはそこで口を挟んだ。
ベイト神父からは面倒くさがられるかとも思ったが、この人はワタシの言葉をちゃんと受け止めてくれていた。
「ああ、ヘテカはシスターとしては優秀ではあったが、目立つ功績などがあったわけでもない。そんなヘテカに近づく理由があるとすれば、それこそ封印以外にはありえない。そして、ヘテカは連中から悪魔リリスの封印解除の方法を聞いた。だから、本来ならヘテカには解除できないはずの封印を解くことが可能だったんだ」
「でも、どうして『裏』の人たちはヘテカさんにリリスちゃんの封印を解除させたんでしょうか…」
ワタシは、そこで疑問を口にした。
「それは…」
「『裏』と呼ばれている『教会』の急進派の目的は、『教会』に『神』を実在させること…と、言われていますね」
ベイト神父を遮り、シスターが口を開いた。それまでとは、声の質が変わっていた。
…やけに、底冷えのする声音だった。
「そういえばベイト神父さんもそんなことを言っていましたが…できるんですか、そんなことが?」
唐突な温度差に戸惑いながら、ワタシはシスターさんに問いかける。
シスターは、そんなワタシに答えてくれた。
「現在の…というか、『教会』に神は実在していません。元々の『教会』のルーツも、たった一人のお人よしだったそうです」
「お人よし…?」
「ええ、『神』の声を聞いたという一人の男性が、ちまちまと人助けを始めたことで人が集まってきた。それが『教会』のルーツとされています」
「『教会』のルーツが…『神』の声」
それが、『神託』と呼ばれるものだろうか。
「しかし、『教会』には『神』が実在したという記録はありません。現代では、他の宗教組織からも神と呼ばれる存在は軒並みいなくなってしまいましたが、それでも、『神』が実在した証拠などは残されているのです」
冷ややかな声で、シスターは語る。『教会』が抱える、歴史の一端を。
「神さまが実在することが、そんなに大事なんですか…?」
実際に神さまがいようといまいと、今も『教会』は宗教組織として存続している。そして、それなりに多大な影響力も持っている。
「『神』の証明がなければ、それは宗教組織としての背骨が存在しないことに他なりません。そして、他の宗教組織にはその屋台骨が明確に存在しているのです」
シスターは断言した。冷淡ともいえる声で。
…けど、そうか。
この異世界における宗教組織は、『教会』だけではない。そして、『教会』以外の組織には神さまの痕跡が今も残されている。それは、『教会』サイドからすればディスアドバンテージもいいところだ。ワタシのように宗教に疎い人間ならあまり気にしないかもしれないが、『教会』内部の人間がそうだとは限らない。寧ろ、宗教に首まで浸かっている人間ほど神の実在を欲するということか。
なにせ、他の宗教組織には神が実在しているのだから。
「なので、『裏』という存在は『教会』に神をもたらそうとしているのです。それが、自分たちの存在理由にもつながるのですから」
シスターは、淡々と語る。それは、『教会』のアキレス腱ともなる物語だ。
それを聞いたワタシは、小さく呟いていた。
「神を実在させるために、暗躍…ですか」
「暗躍…まさにそうですね。裏側の人たちは、神の実在のためにずっとずっとこの世界の裏側で活動を続けていたのでしょうね」
「でも、シスターさん…」
そう言いかけたところで、ワタシは言葉に詰まる。このシスターに、何を言えばいいのか分からなかった。
神さまのいない世界から来たワタシには、それは正直、ピンとこない話だったからだ。神さまが実在するかどうかの重要性が。
いや、アルテナさまという女神さまに出会った今なら、少しは理解できるか。
「けど、シスターさん…神さまを実在させることと、リリスちゃんの封印を解くことに何の関係があるんですか?」
少し軌道修正をして、ワタシはシスターに問いかける。
シスターは、ワタシに対して言った。
「それでは、あなたは『神』を実在させるために必要なものとはなんだと思いますか?」
「それは、ええと…信者とかですか?他には教義の体系化とか、それを伝える聖職者とか」
「『神』を存在させるためならば、それらも必要でしょうが…実在となるとまた別の話です」
シスターは、そこで一つ呼吸を整えてから続けた。
「『神』の実在に必要なのは、奇跡ですよ」
「きせき…」
オウム返しに呟いた後、ワタシは漠然と思考していた。
確かに、聖書や伝承などは奇跡のオンパレードだ。耳を疑うような出鱈目がこれでもかと目白押しになっている。しかも、それらを夢見がちな作り話だと一笑に伏すことができない。不思議な説得力を持っているのが、奇跡というものだ。
「その奇跡を起こすために、裏側の人たちは暗躍しているということですか…」
ワタシは他人事のように呟いていたが、これはそもそも他人事になどできない物語だということを、すぐに思い知らされた。
「ええ、そのための『奇跡』に選ばれたのが、悪魔リリスだったのでしょうね」
シスターの言葉は、ワタシの胸を深く抉る。
…ここでまた、リリスちゃんの名が出てくるのか。
「奇跡とリリスちゃんが…どうつながるというのですか」
「平たく言えば、亡き者にしようとしているのでしょうね。悪魔リリスを」
なんの忖度もなしに、シスターは言い切った。
「ふざけないでくだ…さい」
辛うじて、それだけを口にした。視界の端が、赤く濁る。頭は、既に沸騰していた。
「ふざけてはいませんよ。『神』を実在させるために必要なのは、『神』というアイコンではありません。『神』がいたという奇跡さえあればいいのです。いえ、奇跡さえあれば、それが『神』の証明となるのです。そして、その奇跡の生け贄に選ばれたのが悪魔リリスです」
シスターは、悪びれることもなく言い切った。
リリスちゃんを、この世界から消滅させると口にしておきながら。
「リリスちゃんを退治したとしても、それが奇跡だと目されても、神さまの実在の証明にはなりませんよ…奇跡と神さまがイコールなんて、ただの詭弁じゃないですか」
「その詭弁が裏返るのですよ」
「詭弁が…裏返る?」
それこそ、言葉遊びの詭弁ではないか?
訝るワタシに、シスターは告げた。
「奇跡は、熟成が可能なのですよ」
「奇跡の…熟成?」
ワタシの困惑は、さらに深くなる。
そんなワタシに、シスターは言った。
「実在とは事実として存在していることではありません。それが実在していると、それが事実だと縋る人間の数が多ければ、それは事実として実在していることになるのですよ」
「だから、それが詭弁ではないですか…」
「だから、その詭弁が裏返るのですよ。奇跡が熟成されることによって」
再び、シスターはその言葉を口にした。
「百年ほども経過すれば、『神』は実在します」
「百年で、実在…?」
「千年も経てば、奇跡に縋る人間の数も増え、『神』は神格を帯びるのです」
「…それが、神さまの実在ということですか」
「真実とは、長い時を生き残ったモノのことを言うのですよ」
シスターの言葉は詭弁ではあったのだろうが、的外れとも思えなかった。ワタシのいた世界の神さまは、それが当たり前だったからだ。
…いや、これ以上は水掛け論にしかならないか。
ここで重要なのは、そんなことじゃない。ワタシは舵を取り、本題に戻した。
「そして、その神さまを実在させるために、リリスちゃんを退治して奇跡という実績を手に入れようとしている…ということですね」
「そのようですね」
シスターは、再び薄い笑みを浮かべていた。
「では…やはり、リリスちゃんの封印の解除に、その裏側の人たちが関わっていた可能性が高くなったということですか」
「花子…?」
ワタシの言葉に、慎吾が小さく反応していた。
ワタシは、さらに続ける。独り言のように。
「最初から、仕組まれていたんだよ…その人たちはリリスちゃんを奇跡の生け贄にするために、封印を解除するときに仕掛けを施していたんだ」
「…仕掛け?」
疑問を口にする慎吾に、ワタシは言った。
「リリスちゃんが悪魔としての自分を取り戻すと、毒の魔獣の特性に呑み込まれるような、そんな仕掛けだよ…」
「なんでそんなこ…とを」
驚いていた慎吾だったが、途中で気が付いたようだった。
どれだけ胸くその悪い細工が、リリスちゃんに仕掛けられていたか。
「そうだよ。リリスちゃんが、あの毒の魔獣と同じように暴れだしたとしたら…そんなリリスちゃんを退治したとすれば、それは、奇跡に他ならないだろうね」
それらは、過去に実際に存在していた奇跡だ。水鏡神社は、そうしたバックボーンがあったからこそ建立された。
そして、『裏』の人たちはそれをなぞるためにリリスちゃんを退治しようとしている…これから語り継がれる、奇跡の苗床とするために。
「でも、そんなことさせな…」
そこで、ワタシはふと気付いた。
連中は、水鏡神社の神さまの物語をなぞろうとしている?
毒の魔獣に見立てたリリスちゃんを退治することで?
…でも、ワタシ、ナニカ、大事なことを忘れていないか?
「どうしたんだ、花子…?」
不意に黙り込んだワタシに、慎吾が心配そうに声をかける。
けど、ワタシは案山子よりも無反応だった。
脳のCPUが、別のことでフル稼働していたからだ。
…なんだ?
ワタシは、何を見落としている?
水鏡神社…毒の魔獣…神さま…リリスちゃん…『教会』…奇跡…。
「すべてのピースは、出揃っているはず…だよね?」
なのに、ナニカが欠けている気がしてならない。
…だとすれば、それはなんだ?
「…………」
…ああ、そうか。
遅蒔きながらに、ワタシはそこに思い至った。
「そう、か…肝心なことを見落としていたじゃないか、ワタシは」
「肝心なことってなんだよ、花子…」
「このままなら、奇跡は成就しないってことだよ」
さっさと気付いておかなくちゃいけなかったのに…くそ、どこまで頓馬なんだ、ワタシは。
焦燥するワタシに、慎吾が声をかけてくる。
「奇跡が成就しないなら、それはいいことじゃないのか…?」
「ワタシたちにとってはそうでも、あの人たちにとってはそうじゃないんだよ…ごめん、ちょっと『念話』を飛ばすね!」
慎吾との会話を切り上げ、ワタシは、そこで『念話』を発動させた。
それは、遠く離れた相手とも心で会話ができるユニークスキルだ。
「『念話』…誰にだ?」
ワタシの焦りが慎吾にも伝わったようで、慎吾も心配そうにワタシを覗き込んでいたが、それに応えられるだけの余裕は、今のワタシにはない。
…お願い、つながって!
祈りながら、ワタシは『念話』で語りかける。
ワタシが見落としていたことを、あの人たちが見落としていないとは限らない。
「絶対に、邪魔になるはずなんだ…あの子の、存在が」