102 『おお、花子よ。死んでしまうとはなさけない』
ワタシは『転生者』ではあるが、物語の主人公ではない。
そんなご大層な器ではないことくらい自分が一番、知っている。それこそ骨身に染みるほどに。
ワタシが冒険に旅立って魔王などを相手にちゃんちゃんバラバラを演じることはないし、現代知識を駆使して異世界で成り上がるというサクセスストーリーを描くこともない。
いかに波風を立てずに日々を平穏に、そして面白おかしく美味しく過ごすか、それこそがワタシにとっては重要であり、最たる願望だった。
「…………」
それなのに…。
現在、ワタシは修道服に身を包み、教会の中を歩いていた。
といっても、あの『教会』に所属したわけではない。
リリスちゃんをイジメた組織に入るなんて、ワタシとしてはまっぴらごめんだ。
では、どうしてこんな奇矯な服装をしているのかと言えば…おっと、そろそろ通信の時間だね。
『待たせたね!こちら花子、『教会』への潜入に成功した』
ワタシはユニークスキルの『念話』を発動させ、語りかける。その相手は、月ヶ瀬雪花さんだ。
『こちらは別に待っていなかったのでござるが…というか、唐突にスパイごっこを始めてどうしたのでござるか、花子殿?』
雪花さんのため息が『念話』越しに聞こえてくる。『念話』ってため息も拾うんだね、初めて知ったよ。
それはそれとして、ワタシは反論する。
『ごっこじゃないよ!?潜入ですよ!』
『潜入って…クレアさんというシスターの方に『教会』に案内されているだけでござるよね?『教会』の偉い人と会うために』
『そうですけど、それが緊張するんですよ…ワタシ、今まで偉い人に会ったことなんてなかったので』
『アルテナさまやシャルカ殿も十分過ぎるくらいに偉い方たちなのでは…?』
『あの人(?)たちは一瞬で鍍金が剝がれましたから、ノーカンですよ』
『ノーカンでござるか…』
『ノーカンでござりますよ。だって、アルテナさまとワタシが出会ったのってワタシが死んだすぐ後のことだったんですけど…その時の第一声が『おお、花子よ。死んでしまうとはなさけない』でしたからね!?普通、死んだばっかりの人間にそんなこと言います!?』
『まあ、アルテナさまなりに気を紛らわせてくれたのでは…?」
「そう…かもしれませんけれど」
…その後すぐ、『助けてあげられなくてごめんなさい』とアルテナさまはワタシのために涙を流してくれたけれど。
『というわけで、緊張をほぐすために雪花さんに話し相手になってもらいたかったんですよ』
『でも、繭ちゃん殿も一緒にいるのでござるよね?』
雪花さんが言うように、ワタシの傍には繭ちゃんもいた…のだけれど。
『確かに繭ちゃんも一緒なんですけれど…修道服に着替えたら、なんか繭ちゃんに真面目スイッチが入ったのか、あんまりお話してくれなくなったんですよ』
『どうして花子殿たちまでシスターの恰好をしているのでござるか…?』
『なんか、クレアさんに勧められたんですよ…その方が印象がいいからって』
というわけで、ワタシと繭ちゃんは二人してシスター姿だった。
…いや、ホントにこれで印象がよくなるのかな?
『ふぅむ、そういうものでござるか?なら、とりあえず繭ちゃん殿のシスター姿の写真だけ撮ってきてくだされ』
『ダメですよ…また繭ちゃんのナマモノを描くつもりですよね?』
繭ちゃんを題材にしたら大変なことになると何度も釘を刺しているというのに、この人は…。
『いやあ、忍者と河童のBLのネームが上手くまとまらなくてスランプ気味なのでござるよ…』
『だからあんなニッチなBLはやめた方がいいって止めたんですよ!ワタシの言った通り、豪商とパンチパーマのBLにしておけばそんなことにもならなかったでしょうに』
『そんな音の響きだけで決めたようなカップリングの方が破綻しそうでござるが…?』
『忍者と河童よりは取っつきやすいですよ』
などと、ワタシたちは普段のペースでおしゃべりを続ける。お陰で、ワタシの中の緊張がある程度は緩和された。なんだかんだで、雪花さんとバカ話をしていると気が楽になるんだよね。
「花ちゃん…もしかして『念話』で誰かと話してる?」
前を歩くシスター姿の繭ちゃんが、振り向きながら問いかけてきた。
しどろもどろになりながら、ワタシは答える。
「え、いやあ、してない…かもよ?」
「まあ、別にいいけど…ちゃんと集中してよ?これからこの『教会』の偉い人と会うんでしょ」
「はい、頑張ります…」
というのが、現在のワタシと繭ちゃんの現在の力関係だ。完全に手綱を握られている気がする…おかしいな、ワタシは繭ちゃんのお姉ちゃんでありお母さんのはずなのに。
「この部屋です。準備はいいですか?」
先頭を歩いていたクレアさんが、振り返りながらワタシたちに問いかける。クレアさんとはこれまでにも何度か会って話もしているが、今日の彼女は普段の気さくなクレアさんとは違い、何と言うか立ち振る舞いが凛としていた。この場所ではそうせざるを得ない、ということだろうか。
クレアさんが足を止めたそこは、廊下の最奥にある扉の前だった。
外観こそ簡素ではあるが、この建物は切り出した岩石を魔法などで加工し、それらを積み重ねて建造されていた。堅牢で無骨ではあるが『教会』という組織の建物としてはある種の威光を感じさせる。質実剛健を絵に描いたような建造物だった。
クレアさんは、扉を軽くノックした。その扉も過度な装飾などは施されてはいなかったが、無機質という印象でもなかった。
「失礼します」
ノックの後、クレアさんは扉を開けて中に入る。開かれた扉の先には真っ白な部屋が広がっていた。飾り気こそないが、革張りのソファとしっかりした木製の机、その背後には大きな本棚が置かれていて、一目でこの場所が特別な部屋だということをワタシたちに理解させる。
そして、その革張りのソファには、修道服姿の女性が一人、座っていた。
「花子さんたちをお連れしました」
クレアさんの声は普段よりも丁重だった。それだけで、目の前のこの人がこの施設における重要な人物であると判断できる。
ただ、この人が着ていたのはクレアさんと同じような修道服だった。この人が偉い立場の人物なら、もう少し威厳のありそうな服装をしていると思われるのだが。
「ありがとうございます、クレアさん」
ソファに座っていた修道女は立ち上がろうとしたが、そこで尻もちをついてしまった。最初は部屋の内装や衣装に気を取られて気付かなかったけれど、よく見るとソファにいたこの人物は高齢だった。立ち上がることに失敗したこの人は、クレアさんの手を借りて再び立ち上がろうとしていた。
しかし、そこで声を上げたのは繭ちゃんだった。
「あ、ダメだよ、おばあちゃん。無理に立ち上がろうとすると腰を痛めたりするんだよ?」
「繭ちゃん!?多分この人ここの偉い人だからね!?」
気遣いは兎も角、『おばあちゃん』呼びはかなり失礼に当たるのではないだろうか!?
「いえ、おばあちゃんは本当ですし、それほど偉い人というわけではありませんから」
繭ちゃんに『おばあちゃん』と呼ばれても、この人は笑顔を浮かべていた。その微笑みは柔和で、この無骨な教会とは正反対だった。
「…いえ、あなたは教皇さまなのですから威厳を保っていただかないと困ります」
「教皇…さま?」
クレアさんの言葉に、ワタシは驚きを隠せなかった。
…だって、教皇?
それって『教会』のトップってことだよね!?
しかし、『教皇』さまはにこやかに微笑んでいた。
「ですが、クレアさん、教皇はもうすぐ引退しますので、半分くらいは既に偉くなくなっているはずですよね?もう教皇ぶらなくていいはずですよね?」
「賞味期限が近いからお弁当が半額…とかそういうことにはならないんですよ、教皇さまというお立場は」
クレアさんはため息をついていた。どうやら、この教皇さまのお世話で色々と苦労をしているようだ。何となくこの二人の関係性が見えてきた。
そんな教皇さまは、クレアさんのため息なんてどこ吹く風で繭ちゃんに微笑みかけている。
そして、教皇さまに着席を促されたワタシたちは揃ってソファに座ったのだけれど、さすがにこの状況は落ち着かないよ。なんで教皇さまと面会してるの、ワタシは?まったくもって聞いていなかったのですが?
「私のことは気軽におばあちゃんと呼んでください。あ、頂き物のお饅頭があるのですが食べますか?今お茶も淹れますね」
「いえ、でも、教皇さまにそんなことをしていただくわけには…」
ソファから立ち上がろうとする教皇さまに、ワタシは慌てて辞退しようとした。教皇さま直々にお茶を淹れてもらうなんて、恐れ多いにもほどがあるのだ。
「しかし、お客さまを招いておいてそれは失礼にあたります。いえ、本来なら私がそちらに出向くべきでしたのに、花子さんたちにはわざわざこちらに出向いていただいたのですから、これくらいはさせてください」
「ですが、さすがに…」
「それでは、いい子で待っていてくださいね」
物腰はやわらかいが、教皇さまはワタシに二の句を継がせなかった。
その代わりに、繭ちゃんが元気に返事をする。
「はーい、いい子で待ってるね、おばあちゃん!」
「ちょっとは遠慮しようね繭ちゃん!?」
焦るワタシとは対照的に、繭ちゃんは天下の教皇さまに対して孫ムーブをかましている…というかこの子、甘え上手だから男女問わずお年寄りにモテるんだよね。
…いや、お年寄りだけじゃなかったわ。普通に老若男女全方位にモテるんだったわ、この子。
そうこうしている間に、教皇さまとクレアさんが皿に乗せたお饅頭とお茶を持ってきた。そして、期せずしてお茶会が始まる。
笑顔を引き攣らせているワタシを尻目に、繭ちゃんは楽しそうに教皇さまと談笑していた。
「あ、このお饅頭は美味しいね、おばあちゃん。アンコがしっとりしてるよ」
「それはよかったですね、もう一つ食べますか?」
「ありがとう、おばあちゃん」
もはや祖母と孫にしか見えなくなってきたよ…教皇さまも、繭ちゃんに帰りにお小遣いとか渡しそうな雰囲気だしね。
ワタシなんか、偉い人と一緒にいるだけでお饅頭の味も分からなくなるくらい緊張しているというのに。お陰で三つしか食べられなかったよ、お饅頭。
「あ、このハーブティも美味しいね、口の中がスッキリするよ」
ハーブティを飲んだ繭ちゃんが、嬉しそうにそう言っていた。
それを見た教皇さまがまた破顔していた。
「喜んでいただけてよかったです。そのハーブは私が育てているんですよ」
「すごいね、おばあちゃん。このハーブならお店ができるよ」
「いえいえ、それほどでは…でも、繭さんに褒めてもらえたのは嬉しいですね」
本当にうれしそうに教皇さまは笑っていたが、ワタシとしては繭ちゃんが『教会』のトップを誑し込んでいるような気になって密かに冷や汗をかいていた。
「ところで先ほどから気になっていたのですが、クレアさん…どうして繭さんたちはうちの修道服を着ているのですか?」
縁もたけなわとなったところで、教皇さまがクレアさんにそう問いかけた。
…え?
なんで教皇さまがそれを聞くのだろうか?
「ああ、それは私の中の『百合を見守るおじさん』が今日はこの二人のシスター姿が見たいと雄叫びをあげておりましたので」
「またですか、仕方ありませんねえ、クレアさんは」
「『百合を見守るおじさん』は仕方なくないですよね!?」
思わずツッコんじゃったよ!?
教皇さまは『やれやれ』みたいな顔をしてるし、クレアさんはニヒルに笑っているし!?
「これは、私ことクレア・コートリアが背負った業のようなものですから」
「業って言っておけばカッコよくなると思ったら大間違いですからね!?」
そんな戯言が許容されるほど世間は甘くはないのだ。
「あと、前々から思ってましたけど『百合を見守るおじさん』ってあんまり見守ってませんよね!?割りと自己主張してますよね!?我が儘を言ってますよね!?」
この際なのでワタシは言っておいた。だって、けっこうぐいぐい来てるからね、『百合を見守るおじさん』。
「もう花ちゃん…おばあちゃんの前であんまりはしゃがないでよ、ボクが恥ずかしいんだから」
「ワタシ別にはしゃいでるわけじゃないからね!?というか繭ちゃんもそろそろ孫ムーブは自重しようね!?」
この子、ホントに教皇さまをおばあちゃんにしちゃいそうで怖いのだ。
「それでは、お互いにお互いのことが分かってきましたし…『本題』の話をいたしましょうか」
教皇さまがそう言ったところで、『変質』した。
それまでは弛緩していた場の空気が、そこで前触れもなく凝縮されて密度を増していく。ただ息を吸うだけでも、必要以上の疲労を感じるほどに。
…なるほど、教皇さまの『本質』はこっちなのかな。
「…『本題』というと、リリスちゃんのことですよね?」
単刀直入に問いかけた。ワタシとしても、その話をするためにここに来たのだ。
教皇さまは薄い微笑みを浮かべながら「はい」と頷く。
そんな教皇さまに、ワタシは言った。
「『教会』は、本当にリリスちゃんを滅ぼすつもりなんですか…」
「『教会』としては、人々を危険に晒す悪魔を野放しにはできません」
教皇さまの声は、重厚だった。それまでの物腰の柔らかさを、保ったまま。その背反する二つに、ワタシは軽く戦慄していた。
…なるほど、これは『教皇さま』だね。
それでも、ここでワタシは、引き下がれない。
天秤に乗せられているのは、リリスちゃんの命だ。
相手が『教会』だろうがなんだろうが、徹底抗戦だよ。
「だから、『教会』はリリスちゃんを…消滅させる、というのですか」
「なので、教皇としては花子さんに協力を仰いだのです」
「…協力?」
教皇さまの言葉を、ワタシはオウム返しで呟く。
…え、協力?
なんか、ワタシとの間に齟齬がないか?
そんなワタシに、教皇さまは続ける。
「ええ、花子さんはあの悪魔とお友達なのですよね?そして、あの悪魔と一心同体だった『次期』教皇であるりりすとも縁があるそうですね」
「そうですね…どっちも、ワタシの大切な友達です」
だから、ワタシはここにいる。
物語の主人公にはなれないけれど、あの二人の友達にはなれるのだ、ワタシは。
「それでは、共同戦線を張りませんか、花子さん。悪魔であるリリスさんを助けるために」
「リリスちゃんを…助ける?」
教皇さまはワタシに握手を求めてきた。ワタシもその手を取ったけれど、頭に疑問符は浮かんだままだった。
…『教会』は、悪魔であるリリスちゃんを討滅をするつもりではなかったのか?
「実は、私のご先祖さまがお友達だったのです。あの、悪魔リリスさんとは」
そこで、教皇さまはお茶目なウインクを披露した。
いや、でもちょっと待って…教皇さまのご先祖さまが、リリスちゃんと友達だった?
…だけど、リリスちゃんの友達なんて、ワタシを除けば一人しかいないはずだよね?
そして、それはクレアさんのご先祖さまだったはずだよね?
クエスチョンマークが頭の上でラインダンスを踊るワタシに、クレアさんが告げた。
「ええと、花子さん…これ、うちの祖母なんです」