98 『BLファンの結束は固い』
高音域の横笛の音色が、周囲の空気を振動させながら錐揉み状に上昇していく。
横笛が奏でるのは厳格な雅楽の音色だったけれど、それらは伸びやかで小気味よく聴衆の耳と胸を叩いていた。
いや、横笛だけでなく、琴や鼓(というのだろうか?)見慣れない楽器が馴染みのない音を奏でている。しかし、馴染みはなくても、それらはやけにすんなりとワタシの中に浸透してきた。
雅楽という独特な音が響く中、白衣に緋袴という巫女装束に身を包んだ二人の巫女が晴天の下で舞い踊る。
ここが異世界だということを忘れてしまいそうなほど、二人の巫女の神楽は堂々としたものでそこに違和感はない。
いや、違和感がないことに違和感を覚えちゃうんだけどね、裏事情を知っているワタシとしては。
「…だって、あの巫女さん二人とも男の子だからね!?」
思わず、脳内の言葉が口から溢れてしまった。ある程度は声量を抑えていたのがせめてもの救いだっただろうか。周りには、ワタシ以外にもたくさんの見物客がいるのだ。
けど、ワタシが叫んじゃったのも仕方ないよね?
あの二人の巫女さんは、どっちもワタシの身内だからね?何だったら家族だからね?
「ふ、さすがの花子殿もあの二人のクオリティに驚きを隠せないようでござるな」
ワタシの隣にいた月ヶ瀬雪花さんは、腕組みをしながらなぜか得意げだ。
「そりゃ驚きますよ…白ちゃんがお祭りで踊るとは聞いてましたけど、まさか繭ちゃんまで巫女装束で神楽を踊るなんて聞いてませんでしたからね」
確か、この水鏡神社の巫女であるシャンファさんが白ちゃんと神楽を踊ると聞いていたんですけど…。
「ここの神社の巫女さんが数日前に捻挫をしてしまったので、急遽、繭ちゃん殿に白羽の矢が立ったそうでござるよ」
「いや、まあその理由はワタシも昨日、とある人から聞きましたけど…」
昨日、たまたま出会ったセシリアさんから繭ちゃんと白ちゃんがお祭りで神楽を奉納するという話を聞いていた。
「白ちゃんがお祭りの手伝いをしてるのは知ってましたけど…まさか、繭ちゃんまで巫女の代役なんて大役を仰せつかっているとは思いもしませんでしたよ。というか教えて欲しかったですよ、ワタシにも」
「花子殿も花子殿でお忙しい様子でござったからな。繭ちゃん殿も当日まで内緒にするつもりだったのでござるよ」
「気を使ってくれるのは嬉しいんですけれど…」
本気でみんなからハブにされているようで不安になっちゃったんだよ。
…だって、『花子』もこのこと知ってたんだよ!?
ホントに仲間外れにされちゃってたらワタシ泣いちゃうからね!?
そうなったらめちゃくちゃ面倒くさいからね!?
「というか、雪花さんも知ってたんですよね。あの二人がお祭りで神楽を踊ることを」
「繭ちゃん殿が代役を頼まれた後に相談を受けましたからな」
「で、雪花さんもワタシには代役のことを内緒にしていた、と。いえ、まあいいです。そこはいいんですけど…雪花さんも、このお祭りには一枚噛んでますよね?」
怪訝な表情で、ワタシはこの人を軽く睨む。だって、この人が関わってる痕跡が明確に示されているのだ。
雪花さんは、それにはどこ吹く風で飄々と答えた。
「そうでござるよ。といっても、拙者は主に巫女衣装のデザインをしただけでござるが」
「やっぱりあの巫女服は雪花さんの入れ知恵だったんですね!?」
そうだと思ったんだよ、このくそ腐女子!
ワタシは、その根拠を列挙した。
「なんか上の白衣はノースリーブで腋が開いてるし袴にはスリットとか入ってるし背中も開いてるしそもそも全体的に短いし!伝統的な衣装のはずなのになんか不健全で倒錯的なんですよ!しかも着てるのが男の子だし!」
「鷲〇神社のお祭りもこんな感じのノリなのでは?」
「適当なことばっかり言ってたら本気で怒られますよ…あ、でも繭ちゃん白ちゃんのグッズは持ってくるべきでしたかね。ここならかなり売りさばけそうですよ」
「花子殿の方が怒られるのでは…主にここのご祭神などに」
雪花さんはそう言うが、なんか、雪花さんの同類みたいな人たちも見かけるんだよね。きっといい太客になってくれるのだ。
「あ、でも、怒られるっていうならかわいいとはいえ男の子が神楽を踊ってても怒られないのかな…ここの神さまとかに」
雪花さんが神さまに怒られるとか言い出したから、ワタシはつい心配になってしまった。
「男の娘なんて、我が国では神話の時代からのスタンダードでござるからな、それでどうこう言うのはニワカでござるよ。そして当然、ニワカは相手にならんでござるよ」
「神代の昔話を免罪符にしてどや顔しないでくださいよ…」
前例があれば許されるというものでもないのだ。
「ですが、ここは神社ですからな、きっと許して下さるでござるよ」
「そうだといいんですけどね…何しろ、ワタシは繭ちゃん白ちゃんのママですからね。あの二人を守る義務があるんですよ」
「おや、二人の親権は現在、拙者が持っていたはずでは?」
「え、この間の『親権争奪戦』でワタシが二人の親権を預かったはずでしょ?」
ワタシと雪花さんは、繭ちゃんと…最近は白ちゃんの親権を賭けて真剣勝負を行っている。勝った方が二人の親権を得るという禁忌のゼロサムゲームだ。雪花さんは性格に難があるので、ワタシが繭ちゃんたちを守護らねばならないのだ。
「けど、繭ちゃんは急ごしらえの巫女さんなのに上手に踊ってますよね。あ、白ちゃんも勿論、上手ですよ」
雪花さんとはおしゃべりを続けていたけれど、二人の踊りはちゃんと見ていたのだ。そして、ワタシは、素直に繭ちゃんたちの神楽に感心していた。繭ちゃんがシャンファさんの代役を頼まれたのは数日前だったと言っていたのに、練習不足なんて微塵も感じさせなかった。
「白ちゃん殿はシャンファ殿と一緒にたくさん練習していたそうですし、繭ちゃん殿は踊りに関してはもはやプロでござるからな」
「他の観客の人たちも二人の踊りに見入ってますよ…というか、けっこう人が多いですね」
ワタシは『転生者』一年生なので知らなかったが、もしかすると有名なお祭りなのかもしれない。でも、妙に雪花さんの同類みたいな人たちがいるのが気になるんだよね。
「拙者が宣伝をしておりましたからな。えっちぃ衣装の繭ちゃん殿と白ちゃん殿が水鏡神社で踊るでござるよと」
「だから湿度の高そうなお姉さんたちがちらほら見受けられたんですね!?」
っていうかそんな人たち呼び込むのやめてもらっていいですか!?
「BLファンの結束は固いのでござるよ」
「BLファンの結束なんて飴細工より脆いじゃないですか…」
すぐに受けとか攻めとかで大人げない喧嘩を始めるんだよ、この人たち。そのくせ結束の固さがプロレスファンと同等とか片腹痛いにもほどがあるのだ。
「そろそろ終わりみたいだな」
そう呟いたのは、慎吾だ。
先ほどから喋っていたのはワタシと雪花さんだけだったけれど、この場にはみんないた。慎吾に地母神さまのティアちゃん、それから天使にしてギルドマスターのシャルカさんと、ワタシの頭の上にはアルテナさまもいて、ワタシの隣りには『花子』もいる。要するに、全員集合というわけだ。
ワタシたちは、みんなで白ちゃん繭ちゃんの晴れ舞台の応援に来ていた。
白ちゃんも繭ちゃんも、一生懸命に神楽を踊っている。
今日は、特別な一日だ。
特別な一日は、大好きだ。非日常ってわくわくするんだよね。日常では味わえない高揚感が楽しめるから。
でも、特別じゃない一日も、ワタシは大好きだ。
特別じゃない一日って、実はすっごく贅沢なんだよ。
わくわくはないけど、穏やかな安心がある。特別はなくても、いつもと同じ『いつも』がそこにあるんだよ。これが贅沢じゃなくて何なんだろうね。
…その『いつも』が、転生前のワタシには与えられてなかったからね。
『お、終わったみたいだな』
シャルカさんが言うように、音楽が鳴り止み、白ちゃん繭ちゃんも動きを止めた。一拍の静寂を堪能するように、場は沈黙に包まれる。けど、静寂の後には拍手の大雨が降ってきた。この場にいた全員が白ちゃんたちに惜しみのない拍手を送っている。
当然、ワタシも手が痛くなるほど拍手をしたよ。ちょっと感動してうるっと来ていたほどだ。
…ただ、湿度の高そうなお姉さま方のちょっと(?)汚い声援が混じっていたのは気になったけど。
『よく頑張ったじゃないか、二人とも』
「うちの子たちを褒めてくれるのは嬉しいんですけどね、シャルカさん…神聖な儀式の最中にお酒を飲まないでください、非常識ですよ』
『これはお神酒だよ、お神酒』
「ならせめて甘酒とかにしてくださいよ…」
この人(天使)、お祭りに託けて真っ昼間からお酒を飲んでるんだよ。しかも度数の高い蒸留酒だよ?反面教師の鑑みたいな人だよね、シャルカさんは。
『勝手に繭たちの親権を主張する花子にだけは常識を語られたくないんだが…』
シャルカさんがそんなこと言っている間に、繭ちゃんたちは舞台袖の方に引っ込んでいった。お疲れさま、繭ちゃん白ちゃん。
他の観客たちも、満足気な表情を浮かべつつこの場から離れていく。お祭りの終わりという空気が漂い、ちょっとだけさみしい気持ちになった。
…ただ、あの湿度の高そうなお姉さま方は『アンコール』を要求していたけど。
いや、ライブじゃないんだわ。神さまに奉納するお祭りなんだわ、これ。
「さて、どうする?繭ちゃんたちが着替えてくるまでここで待ってるか?」
慎吾が、この後の段取りをワタシに尋ねてくる。
「そうだね、もう少しここで待とうか」
慎吾にそう返答しながら、ワタシは先ほどまで繭ちゃんたちが踊っていた舞台に目を向ける。
そこには祭殿があり、その前には、小さくて真新しい祠が立っている。
繭ちゃんたちは、その祠を中心に神楽を踊っていた。
そして、繭ちゃんと白ちゃんがきちんと踊りを奉納してくれたお陰で、あの祠には力が宿ったはずだ…邪気を浄化することのできる、破邪の力だ。
セシリアさんたちが『お勤め』で開いていたあの祠が、これで再現された。
これからは、この祠がこの街を浄化してくれるはずだ。
「繭ちゃんを待とうと思ったけど、やっぱり慎吾はちょっとここで待っててくれる?」
「どこか行くのか、花子?」
みんなに背を向けて歩き出そうとしたワタシに慎吾がそう尋ねてきたので、ワタシは答えた。
「うん、ちょっと屋台のイカ焼きを買ってくる」
お祭りだけあって、色とりどりの屋台が出ているのだ。お祭りなんて、ワタシからすれば遊園地だね。
「花子、お前…ここに来る前にもドーナツの買い食いしてたよな?」
「え、だからここに来る前の話でしょ、それ。白ちゃんたちの踊りを見てたらワタシもお腹が空いてきたからね、ちょっとエネルギーチャージだよ」
「踊りを見ているだけならカロリーは減らないはずなんだが…」
「それだけ白ちゃん繭ちゃんのお神楽が完璧だったってことだね」
「え、これ…オレが間違ってるのか?」
小首を傾げる慎吾を尻目に、ワタシは屋台の群れへと突貫して行く。近づいていくほどに、様々な香りがワタシの鼻腔をくすぐる。
さあ、戦闘開始だよ!
「やっぱりソース系の匂いはガツンとくるねぇ。空腹に染み渡るよ」
イカ焼きの気分だったけれど、焼きそばの強烈な匂いに後ろ髪を引かれてしまった。さて、どうしよう…初志貫徹のイカ焼きか、ピンと来た焼きそばか。
「焦るんじゃあない…ワタシはただ、お腹が空いているだけなんだ」
仕方がないので、ワタシは断腸の思いでイカ焼きと焼きそばの両方を買うことにした。気風のいい屋台のおじさんたちから等価交換でイカ焼きと焼きそばをゲットしたワタシは、それらに目を落とす。
うん、軽く輪切りにされた熱々のイカ焼きからは、お醤油のいい香りが漂ってくる。けど、ただ醤油辛いというわけではないね。ちょっと甘い香り…これは味醂かな。しかも、それだけじゃなくておろしたショウガも入ってるみたいだ。さらにはイカ焼きの上には刻みネギまで散らされていたんだよ。
「こういうちょい足しって嬉しいんだよね。炭火で焼いてくれてるところもパーフェクトだよ、屋台のマスター」
こんなの、絶対うまいに決まってるヤツじゃん。
ワタシは、次に焼きそばに焦点を合わせる。そちらも熱々だった。焼きそばの上で軽快に踊っているかつお節がその証左だ。
「具材は豚肉にキャベツだけのシンプルな焼きそばだけど、屋台の焼きそばって変に奇を衒ったものよりこっちのがワタシは好きだよ。しかも、麺は中太麵で歯応えがありそうだし、これも食べる前から美味しいのが分かるね。紅一点の紅ショウガも、彩りと箸休めのアクセントとしていい仕事をしてくれそうだ」
ううむ、異世界の屋台がここまでハイレベルとは知らなかったのだ。しかも、値段もお手頃だったんだよね。これは、今後も継続的な調査が必要な案件だ。
「よし、じゃあ慎吾たちのところに戻ろうかな…」
と思ったのだが、これだけでは栄養のバランスが偏る気がする。
「焼きそばにキャベツは入ってるけど…もうちょっと野菜も必要なきがしてきたよ」
ちゃんと野菜も取らないと慎吾に怒られるのだ。
「とはいえ、さすがにサラダの屋台はないだろうし…ああ、あれがあったね」
ワタシは、視線の先にオニオンリングとポテトフライの屋台を見つけた。仕方ないね、慎吾に怒られないためだしね。というわけで、ワタシは野菜をゲットした。どちらも揚げたてで、濛々と白い湯気が舞っている。ポテトフライもオニオンリングも、どちらも軽く塩と青のりがまぶされていた。カラッと揚げられたキツネ色から察するに、どちらも外はカリカリで中はホクホクだね。ワタシの目は誤魔化せないのだ。
「うんうん。こういうのがいいんだよ、こういうのが」
よし、野菜もゲットしたからバランスで慎吾に怒られる心配はなくなった。
「いや、バランスを考えるならデザートも必要なのではないだろうか」
大変なミスを犯すところだったのだ、ワタシは。ガッツリした屋台飯の後には、口の中をさっぱりさせるためにデザートは欠かせないんだよ。
「さて、屋台のデザートとなると何があるかな…」
ワタシは、参道の両端に並ぶ屋台に素早く視線を走らせる。
「お祭り定番のチョコバナナにかき氷…は、焼きそばとかを食べてる間に溶けちゃうかな。それに、今日はちょっと涼しいし、冷たい系は避けた方がいいかもしれないね、体が冷えちゃうから」
となると、ワタシが選択するべきは…。
「よし、お前にふさわしいデザートは決まった!」
少し考え込んだ後、ワタシはお目当ての屋台へと行進を開始した。
そして、数々の戦利品を手にワタシはみんなの元に帰還した。
「ただいまー」
ホクホク顔で戻ったワタシを出迎えたのは、慎吾たちの冷たい視線だった。
…あれ、なぜだろうか?
「慎吾お兄ちゃん…どうして花ちゃん一人で屋台に買い物に行かせたりしたの?」
神楽を終えた繭ちゃんは、すでにいつもの格好に戻っていた。今日はハーフパンツ姿だったけれど、それだけでもちゃんと女の子なんだよね、繭ちゃんは。しかも、今日も白ちゃんとお揃いのお洋服だ。
けど、そんな繭ちゃんがジト目でワタシを眺めていた。
…というか、ワタシの戦利品を眺めていた?
どういうことかとワタシが小首を傾げていると、慎吾が口を開いた。
「いや、オレもまさかこんなことになるとは…」
「拙者は何となく思っていたでござるけどなぁ…花子殿なら絶対に屋台で『花子のグルメ』をやるって』
「分かってたんなら止めてよ、雪花お姉ちゃん!?」
「いやあ、拙者としては花子’Sチョイスが気になってしまいまして」
「花ちゃんのチョイスなんて目についた美味しそうなものを片っ端から買ってくるだけに決まってるんだよ!?」
繭ちゃんの物言いに、ワタシは異議を唱える。
「失礼な、これでもちゃんと厳選したんだよ?」
「何をどう厳選したらその量になるのさ…」
「焼きもろこしは我慢したしベビーカステラも見送ったし冷やしきゅうりとたい焼きだってりんご飴だって諦めたんだよ?」
「ホントに厳選してたの!?」
叫び声を上げた繭ちゃんに、そのままの流れでワタシはお説教を喰らった。どうやら、ワタシが買い過ぎだということで叱られているらしい。繭ちゃんに叱られながら、ワタシはイカ焼き、焼きそば、オニオンリングとポテトフライ、それからデザートのベビーカステラとたい焼き、あと追加で買ったたこ焼きを食べていた。噂で聞いたことがあるのだ。大阪人にとってたこ焼きはオヤツだ、と。
最後の方は、叱っている繭ちゃんの方がゲッソリとしていた。
「あのね、花ちゃん…女の子の大敵だと思うんだよ、過食は。ボクとしても心配になるんだよ」
「でもね、繭ちゃん…これから大事なお客さんが来るからね。エネルギーは必要だったんだよ」
「これからって…もうお祭りは終わったんだよ?」
繭ちゃんは不思議そうな表情をしていたが、ワタシは断言した。
「ううん、来るよ…ワタシにとって、大切な大切なお客さんがね」
「カッコつけてるところ悪いんだけどさ…花ちゃん、ほっぺにソースがついてるよ」
「え、ホントに…?」
と、ワタシがティッシュでソースを拭っているところに、『お客さん』は現れた。
「ほら、やっぱり来た」
事前にカロリーを摂取しておいて正解だったのだ。
さあ、戦闘開始だよ!
…というか、来てくれなかったらお説教が延長されるところだったのだ。