96 『全力でお姉ちゃんを遂行するよ!』
「ねえ、『花子』…それはちょっと、おかしいんじゃないのかな?」
ワタシは、ワタシによく似た顔の『花子』にやんわりと問いかける。やや引き攣った微笑みを、浮かべながら。
『何がおかしいのですか、花子さん?』
ワタシの問いかけに、ワタシによく似た顔の『花子』は淡々と答える。いや、味気ない声ではあるけど、『花子』がワタシに対して素っ気ないわけではない。元々『花子』は感情に乏しいのだ。まだ生まれて間もないからかもしれないが。というか、生まれたという表現が正しいのかどうかも分からない。
しかし、本当に今更だけど『花子』という存在は謎が多い。
「…………」
ワタシの中から失われた、おばあちゃんの記憶にして『邪神の魂』…その魂が人の姿を成したのが、この『花子』だ。当然というべきか、その姿はワタシに酷似している。瓜二つというほどではないけれど。
そして、ワタシと似ているからか、慎吾なども「『花子』は『花子』だろ」と割りと早い段階から受け入れていたし、繭ちゃんや雪花さんもあっさりと『花子』に慣れてしまった。
…というか、最近の『花子』はワタシよりもみんなと打ち解けている気がする。
今だって『花子』は慎吾と…。
「ねえ、『花子』…親しき中にも、もうちょっと距離感って必要だと思うんだよ」
『仲の良いお友達同士はこうするものだと、学習しました』
「いや、でも、ね…慎吾だって歩きにくそうだよ?男の子はそういうのを恥ずかしがるものなんだよ?」
なんと、『花子』は慎吾と手をつないで歩いていたのだ。
…ワタシだってそんなのしたことないよ!?
「『花子』は妹みたいなものだし、オレは別にかまわないけど」
確かに、『花子』と手をつないでいても慎吾に動揺した様子はなく、随分と自然体だった。逆に、自分と似た顔の『花子』が慎吾と手をつないでいるというその光景に、ワタシの方がぎくしゃくしてしまっている。
…くそ、なんか腹立つな。
「けどね、『花子』…年頃の男の子と女の子が手をつないで歩いてると色々と在らぬ誤解を招いたりもするからね?」
とりあえず『花子』にそう言ったのだが、『花子』はワタシの言うことには従わなかった。というか、最近の『花子』はワタシの言うことをあんまり聞かない気がする。他のみんなの言うことはちゃんと聞いてるのに…これはあれか?『花子』の中でのワタシのヒエラルキーが低下しているということか?
…ワタシ、『花子』のオリジナルなのに!?
『でも、花子サン…雪花サンの漫画にはそう描いてありましたよ』
「雪花さんの漫画は有害図書どころか有毒図書だから『花子』は読んじゃダメって言ってたでしょ!?」
けっこうガチ目に釘を刺してたはずなんだけどな…特に、生まれて間もない『花子』のような純粋な子が読んでいい漫画ではないのだ、雪花さんの同人誌は。
『ですが、わたしは雪花サンの漫画のお手伝いもしていますので…』
「え、ワタシそれ初耳なんですけど!?」
何を『花子』にやらせてるんだよ、あの腐女子は…。
というか、『花子』が同人誌のアシスタントなんてできるの!?
その衝撃に打ちひしがれていたワタシに、慎吾がさらに追い打ちをかける。
「最近は花子よりみんなと一緒にいる時間が多いぞ、『花子』は」
「ワタシの居場所が『ワタシ』に奪われそうになってる!?」
世にも奇〇な物語とかでありそうな展開だよ!?
…なんか、あの特徴的なイントロのBGMが幻聴として聞こえてきた気がしたのだ。
そんなワタシに、慎吾がさらに言った。『花子』と手をつないだままで。
「雪花さんだけじゃなくて、『花子』は繭ちゃんのライブの手伝いもしてるんだってさ」
「え…そうなの?」
それも初耳だった。最近のワタシは、繭ちゃんのアイドル活動にはノータッチだったからなぁ。
「それに、時々だけど『花子』はオレの野菜の収穫も手伝ってくれてるよ。花子が一人でさっさと遊びに出かけてる間にな」
「そんな、家族サービスをしないお父さんみたいな感じで責められても…」
実際それに近いのだろうか?
…というか、ホントにワタシのポジションが『花子』に奪われかけてる?
「で、でも、ワタシもただ遊び歩いてるわけじゃなくて…」
負い目があるからか、ワタシの台詞はなんだか言い訳めいている感じだった。
そんなワタシに、慎吾はため息をつく。でも、それは『まったく、しょうがないな』みたいなやわらかいため息だったけれど。
「まあ、花子がみんなのために頑張ってるのも知ってるし…オレたちだって、できる手伝いならしたいんだよ、花子のために」
「ありがとう…慎吾」
「というか、放っておくと花子は身の丈に合わない無茶をするからな…今日は、オレがお目付け役だ」
割りと真剣な瞳で、慎吾にそう言われた。さっきのやわらかい表情が一変する。
…いや、確かにちょっと無茶はしてるかもだけど、ワタシも。
でも、不謹慎だけどちょっと嬉しかった。
そんなワタシに、『花子』が声をかけてくる。
『あの、花子サン…ちょっとお話があるのですが』
「なに、『花子』?」
なんだか、『花子』は緊張した様子だった。この子は基本的に無表情ではあるけれど、最近は少しずつその表情の違いも分かるようになってきた。
『あのですね…『念話』についてお話ししたいことがあるのですが』
「『念話』がどうかした…のぉ!?」
そこでワタシが奇声を上げたのは、『念話』のことで驚いたからではない。
「なんか『花子』…恋人つなぎになってるんですけどぉ!?」
先ほどから『花子』と慎吾は手をつないでいたが、それは手のひらと手の平をつなぐ、幼い兄妹がするような微笑ましいものだった。なのに、いつの間にか二人の手つなぎが恋人つなぎと呼ばれる、お互いの指を交互に絡め合う艶めかしい手のつなぎ方に変わっていた。
『それで、花子サン…わたしの『念話』なのですけれど』
「いや、そこスルーしないでよ!?」
ワタシとしてはそっちの方が気になるんですけど!?
『どうぞおかまいなく、花子サン』
「おかまいなくできないんだよ!?」
『それでですね、わたしの『念話』がハイエンドクラスになりました』
「ワタシの情緒がまだしっちゃかめっちゃかなんですけど…っていうかハイエンドぉ!?」
この異世界ソプラノにはスキルというものが存在し、それらを使用し続ければレベルが上がっていく。当然、レベルが上がれば効果も上昇していくのだが…。
「っていうか、『花子』もうハイエンドクラスになったの!?」
恋人つなぎの衝撃を引きずってるところにぶっこんでくるのやめてくれないかなぁ!?
そんなワタシに対し、『花子』は『はい』とおすまし顔で返事をした。
「ハイエンドクラスって、ユニークスキルの一番上のレベルってことだよな?」
慎吾がそこで確認の言葉を口にした。異世界転生に殆んど食指の動かなかった慎吾からすれば、スキル云々についてもあまり興味がないらしく詳しくはない。
「ええと…ユニークスキルに限った話じゃないけど、まあ、『念話』の話だからその認識でいいかな」
ワタシは、とりあえず話を整理していく。自分の気持ちの整理も片手間に行いながら。
「で、『花子』はもう『念話』のレベルがマックスになっちゃったの?」
この子の『念話』が覚醒したのは、つい数日前のはずだったのだが。
『はい、なっちゃいました』
「そっかぁ、なっちゃいましたかぁ…」
ユニークスキルというのは、この世界で一人しか扱うことのできない、この世界に負荷すらかける特別なスキルのことだ。二人以上の使い手がいた場合、世界がその負荷に耐えられなくなるためにスキルの使用自体が不可能となる。ただ、ワタシと『花子』の場合は同一人物と判断されたのか、そのルールの適用外となっているようだ。
…意外とガバガバだな、世界のルール。
「ということは、『花子』の『念話』も『越権付与』されたってことだよね」
「えっけん…ふよ?」
スキルに興味のない慎吾は、小首を傾げていた。
…というか、ここまでスキルとか魔法に興味のない『転生者』っているんだね。
「ええとね、ユニークスキルを最高レベルまで上げると、特別な効果が発動できるようになるんだよ。雪花さんの『隠形』だったら、この世界そのものから認識されなくなるっていうか…無機物からも認識されなくなるから、壁を素通りできたりするんだ」
「ああ、雪花さんが前にやってたあれか」
慎吾は、神妙に頷いていた。
「勿論、ワタシたちの『念話』にも特別な効果はあるんだけど…『花子』は、それを使っちゃダメだよ」
『はい…』
「うん、『花子』ももう知ってるみたいだけど、一応、言っておくね…『念話』の特別な効果は『超越』…それは、あらゆる世界や概念という断絶を超えて『声』を届けることができるんだけど」
ワタシは、そこで少し深く息を吸う。そして、肺に取り込んだ酸素が全身に行きわたるのを待って、それから口を開いた。ここから先の話は、ちょっと覚悟が必要だったからだ。
「ワタシたちの『念話』は、その断絶を超えた場合…二度と使えなくなるからね」
実際、ワタシは一度、『念話』を失っている。
世界という断絶を超えて、別の世界…天界にいたアルテナさまに『念話』を飛ばしたからだ。
それなのにどうしてまだ『念話』が扱えるのかといえば、それは、おばあちゃんがワタシに自分の『念話』を譲渡してくれたからだ。
…譲渡してくれたはず、だからだ。
その時の記憶も、ワタシは失っている。
でも、ワタシはそのことを顔には出さず、『花子』の頭を撫でた。
そんなワタシに、『花子』は小さく頷きながら言った。
『はい、肝に銘じておきます。ありがとうございます、花子サン』
「うん、『花子』のためなら、ワタシは全力でお姉ちゃんを遂行するよ!」
『これが、うわさに聞く姉を名乗る不審者…』
「ワタシ、不審者なんかじゃないよ!?」
なんてことを言いだすんだ…。
『でも、わたしの方がお姉さんですよね』
「いや、ワタシの方がお姉ちゃんだよね!?」
ホントになんてことを言いだすんだ、この子…。
いや、待って!?『花子』の中でのワタシの立ち位置ってどうなってるの!?
「はあ、疲れた…」
ため息をつきながらも、ワタシは歩き続けていた。
…目的地は、あの廃教会だ。
あそこに足を運ぶのはこれで何度目だろうか。特に、最近はけっこう短いスパンであの場所に赴いている。
けれど、行かなければならない。そのための理由が、ワタシにはある。
「…………」
昨日、ベイトと名乗る詰襟の神父さんと廃教会で出会い、ベイト神父の妹さんが…カイアさんが黒いヒトビトとして空に囚われていることを知った。当然、ベイトさんは妹さんを苦しみから解放したいと願っている。
そして、その解放のための糸口を、ワタシたちは掴んだ。
そのカギが、『念話』だ。
ワタシが『念話』でカイアさんに語りかけ、彼女の怨嗟を解消することができれば、カイアさんは黒いヒトビトから解放される。兄であるベイト神父の声なら、恨みに凝り固まったカイアさんを助け出せる可能性は十二分にある。
ただ、当然、危険はある。
ワタシが『念話』で語りかければ、ワタシは、他の黒いヒトビトの呪詛に触れることにもなる。そうなれば、正直、ワタシは無事ではすまない。
けど、手がないわけではない。あの黒いヒトビトが纏っている邪気さえ払うことができれば、カイアさんにも『念話』は届くはずだ。
勿論、話をするだけで妹さんが解放される保証などない。あの黒いヒトビトと化してしまうほど、彼女はこの世界そのものを呪いながら命を落としている。
…それでも、ワタシは信じたかった。
想いを込めた『声』は、ダレカの心にきっと届く、と。
「…………」
そして、水鏡神社のあの邪気を浄化できる祠ならば、黒いヒトビトの重篤な邪気でさえ沈静化できるのではないか、とワタシは考えた。
しかし、祠は破壊されていた…悪い悪魔として覚醒してしまった、リリスちゃんに。
なぜ、あの子があんなことをしたのか、ワタシには分からない。
いや、あれはきっと、リリスちゃんが望んだことではない。リリスちゃんには祠を壊す理由なんてあるはずもない。リリスちゃんと一心同体だった小さなりりすちゃんでさえ、リリスちゃんがあんなことをする理由は分からないと言っていた。だとすれば、あれがリリスちゃんの意思とは思えない。
けれど、だからこそ余計に分からなくなってしまった。
どうして、リリスちゃんがあの祠を破壊したのか、が。
「…………」
そして、それよりも重要だったのが、ワタシの『念話』が、リリスちゃんに届かなかったことだ。
前に使った時、リリスちゃんはワタシの『念話』に小さく反応していたが、昨日のリリスちゃんには微塵も届かなかった。
…正直、ショックだった。
けど、だからこそ、ワタシたちはこうしてあの廃教会に向かっていた。あの場所にはきっと、リリスちゃんのルーツがある。
草の根を分けてでも、それを探し出さなければならない。なので、昨日の今日ではあったけれど、ワタシたちはあの廃教会に向かっていた。
「よし、到着だね」
鬱蒼と茂る木立ちの中を抜け、開けた場所に出るとワタシたちの眼前に廃れた教会が現れる。
「花子から説明は聞いてたけど…ここで、どうリリスちゃんのことをどう調べるつもりなんだ?」
廃れた教会を前に、慎吾はワタシに問いかける。
「そうだね…教会の中に、入ってみようと思うんだ」
ワタシは、朽ちかけた教会を指差した。
これまで、ワタシたちは何度もこの場所を訪れているけれど、教会の中に入ったことはなかった。見た目で分かるように、今にも倒壊しそうだったからだ。
…けど、ここで二の足を踏んでいられるだけの猶予はない。
なので、ワタシは教会の扉に手をかけた。
たったそれだけのことなのに、木造の教会は、そこで少し振動した…ように、感じられた。
「よし、入るよ…」
軋むような音を立てた扉を開き、ワタシは中の様子を窺った。
…意外と、小奇麗にされていた。
等間隔に長椅子が並べられていて、奥には祭壇…というのだろうか、胸元ほどの高さの台が設置されていた。
恐る恐る、ワタシは中に入ろうとし…たところで、慎吾が前に出た。
「花子と『花子』はここで待っててくれよ。中は、オレが調べてくる」
「でも、慎吾…」
「そう簡単に潰れたりはしないだろうけど…まあ、花子たちに万が一のことがあったら困るんだよ」
慎吾は、ワタシと『花子』を右手を上げて制した。
慎吾の気持ちは、すごく嬉しかった。でも、駄目なんだ。
「ごめんね、慎吾がワタシたちを守ってくれるのはとってもありがたいんだけど…ワタシも、安全圏から眺めてるだけってわけにはいかないんだ」
だから、一歩、中に入った。
中に入り、慎吾と肩を並べる。
慎吾は一言「そうか」と小さくはにかんだ。
そして、教会内の大捜索が始まる。教会の中が、思った以上に教会の体をなしていたことにワタシは驚いた。だって、ここはリリスちゃんが一人で建てたんだよ?人間社会のことなんてよく知らないはずのリリスちゃんが、一からこの教会を建てたんだよ。すっごく頑張ったんだね、リリスちゃん…。
…不意に、涙が溢れそうになった。
だって、これだけリリスちゃんが頑張ったのに、誰一人としてリリスちゃんを褒めてくれた人はいなかったんだ。それを思うと、リリスちゃんがあまりに不憫だった。
そこで、ふと見つけた。
それは、祭壇に刻まれた小さな文字だった。
『ありがとう そしてごめんね ルイファ』
それは、感謝を伝えるメッセージだった。丁寧に彫られた文字から、その文字に込められた想いは伝わったけれど。
…ワタシは、そこに憤りを感じていた。
ここは、リリスちゃんが身を削って残した教会だ。ナニモノであろうと、そこに傷をつけていいはずはない、と。
少し、落ち着こう。
冷静にならないと、見つけられるものも見つけられない。
「もっと埃とか積もってると思ったけど…」
ワタシが調べた範囲内では、それほど埃まみれというわけではなかった。これはおそらく…。
「私が掃除をしていますからね」
そこで、教会の入り口の方から声が聞こえてきた。
ワタシでも慎吾でも、『花子』でもない声が。
「あなたは…」
振り向いたワタシの先にいたのは、逆光に包まれたシルエットだった。
けど、ワタシには分かった。そこにいたのが、あの人だ、と。
だって、この場所の掃除をするような奇特な人は、あの人ぐらいしかいないからね。