92 『夕焼けでにゃんにゃん』
「まさか、カルガ…か?」
ベイト神父の表情には、驚きが混じっていた。これまでの威圧感が、そこで僅かに鈍る。
「ああ、久しぶりだな。ベイト」
ディーズ・カルガがベイト神父に片手を上げ、安穏な声で気さくに挨拶をしていた。これまでは、ずっと後方で沈黙を貫いていたというのに。
…というか、二人は知り合いだったのか?
そういえば、ディーズ・カルガは元々『教会』に所属していたと話していた。それなら、『教会』の神父であるベイト神父と面識があったとしても不思議ではないか。
それでも、旧交を温め合うという雰囲気ではなかったけれど。少なくとも、ベイト神父の方は苦虫を噛み潰したような表情になっている。
「こんなところで貴様に会うとは、な…」
ベイト神父は、不機嫌を隠そうともしていなかった。
「奇遇だな、俺も全く同じ意見だよ」
険悪なベイト神父とは違い、ディーズ・カルガはフランクな口調だった。けど、それがそのままの意味ではないことはワタシにも分かる。ディーズ・カルガの射抜くような視線が、ベイト神父に向けられていたからだ。
…どんな関係だったんだ、この二人は。
というか、ディーズ・カルガという人物像が、未だにワタシは掴めない。掴むつもりがないと言われればその通りなのだが、それでもよく分からないとしか言えない。
この人は、リリスちゃんのフィアンセを名乗っていた。しかも、リリスちゃんが『悪魔』だと知った上で、だ。そんな人物がまともなはずはない。そういえば、どうしてこの人はリリスちゃんが悪魔だと知っていたのだろうか…。
ワタシの視線を察したのか、ディーズ・カルガがワタシに声をかけてくる。
「ああ、すまない。花子さんたちを置いてけ堀にしてしまったね」
「いえ、そんな気遣いは必要ありませんので…」
本当に必要はない。おじさんたちの交友関係など、ワタシたち若人には興味がなさすぎるんだよ。
…とは言えないかもね。ここまで状況が逼迫しているのだから。
「こんなところで何をしているんだ、カルガ」
「それもこちらの言葉だよ、ベイト。こんな人気のない場所で小さな女の子を相手に凄んでるダチの姿なんて、俺は見たくなかったよ」
「お前がいつ、私の友人になったというのだ」
ベイト神父の声からは、明確な苛立ちが感じられた。それだけで、この二人がどのような関係だったかは察することができた。どうせ、この人がベイト神父の神経を逆撫ですることばかりしていたのだろう。とはいえ、このままでは埒が明かなさそうだったのでワタシは言った。
「カルガさんはベイト神父さんとどんな友達だったんですか?」
あえて無邪気な声で問いかけた。先ずは、ディーズ・カルガを利用してベイト神父のペースを乱す。
「ベイトとは、よく一緒にシスターたちをお持ち帰りしたものだよ」
「…もう少しオブラートに包んだ表現をして欲しいのですがよろしいですかね?」
こっちサイドには幼気なお子さまもいるんだぞ…。
というか何やってんだよ、聖職者。
「ああ、ベイトとはよく一緒にシスターたちと夕焼けでにゃんにゃん』したものだよ」
「そんなボカし方したら余計に卑猥になっちゃうでしょ!?」
オブラートの包み方も知らないのかよ!
そして案の定、隣りにいた小さなりりすちゃんが「卑猥ってなんですか?」とか無垢な瞳で尋ねてくる。「今は忙しいから後でね」と先延ばしにしておいたが、当然、この約束が果たされることは今後もない。あっちのリリスちゃんが悪魔だけに、こっちのりりすちゃんにはこれからも天使のままでいて欲しいからだ。
「戯けたことを言うな…カルガが私を強引にあちこち連れ回しただけだろうが」
「でも、ベイトも楽しんでいただろ?」
「私は貴様の尻拭いに奔走させられただけだ!」
どうやら、ベイト神父もしっかりとペースを狂わされていたようだ。この人も、ディーズ・カルガには随分と迷惑をかけられていたらしい。これまで場を包んでいた重厚な気配が、そこで少しだけ中和されていく。
「ああ、そうだったかなぁ。まあ、お前は昔から生真面目だったよ。真面目過ぎて空気が読めてないところが多々あったけど」
どこか昔を懐かしむような口調のディーズ・カルガだった。
そして、その口調のまま、言った。
「で、そんなお前が、どうして『崩壊』と同じ気配を纏っているんだ?」
どこか昔を懐かしむような、口調の?ディーズ・カルガ、だった?
そんなディーズ・カルガが口にした。
…『崩壊』と同じ?気配?
それを、ベイト神父が纏っている?
「…………」
この異世界ソプラノで悲運の最期を迎えた、あの黒いヒトビトのことを『崩壊』と呼んでいた。
彼ら、彼女らは、世界を崩壊させられるだけの力を有している。一人一人がワタシや慎吾たちと同じかそれ以上の怨嗟を抱えたまま命を落とした。そんな浮かばれない魂たちの集合体が、あの『黒いヒトビト』だ。そして、そんな彼ら、彼女らが空を覆いつくすほど集まっている。
しかし、ここでの問題は、なぜ、この神父からもあの黒いヒトビトと同種の重圧を感じたのか、だ。
実際には全く同じというわけではなく、黒いヒトビトほどの強い圧迫も侵食も感じなかった。それでも、普通の人間があの気配と同じ空気を纏えるはずはない。それこそ、『魔女』であるドロシーさんでもなければ。
「相変わらず勘だけはいいようだな、カルガ…」
「ベイトとは腐れ縁ってやつだからな」
「腐れ縁なんて言葉は、迷惑をかけていた側が口にしていい台詞ではないんだよ」
何やら、おじさん同士でハリウッド映画のような悪態の応酬を繰り広げていた。雪花さんならこういう男同士のイチャイチャも窘めるかもしれないが、生憎、ワタシにそんな酔狂な趣味はない。ここでワタシが気にしなければならないのは、この詰襟の神父と『崩壊』の関係性だ。
そして、その神父が、悪魔であるリリスちゃんの封印を解いた、ということだ。
「…あなたは、何者なんですか」
対峙するおじさん二人に、ワタシは割って入る。
「ただの平凡な神父だよ」
「ただの平凡な神父が、悪魔であるリリスちゃんの封印を解いたんですか?」
「…………」
ベイト神父は、憮然として口を閉ざした。先ほどまでなら見せなかった表情だ。やはり、ディーズ・カルガにペースを崩されている。けど、口を開いてもらわなければ情報を得ることもできない。さて、どうするべきか。
「しかし、あのベイトが宗旨替えか。なんだか感慨深いものがあるな」
沈黙したワタシたちに代わり、ディーズ・カルガが言葉を発した。
それに対し、ベイト神父は憮然としたまま返答する。
「私は改宗したつもりはない」
「そうか。てっきり、『教会』から『崩壊』の方に鞍替えしたのかと思ったよ」
「私は何も変わっていない。それこそ、『教会』の信徒となったあの頃から」
ワタシは、ベイト神父の言葉に耳を傾ける。そこには、情報の片鱗があるからだ。
「何も変わっていないのに、リリスの封印を解いたのか」
ディーズ・カルガも、ベイト神父に問いかける。
ベイト神父は、答えた。ひどく億劫そうに。
「理由があったのだ」
…理由が、あった?
理由があったから、リリスちゃんの封印を解いたのか?
「どんな理由があれば悪魔の封印を解くんだよ」
非常識人のくせに、ディーズ・カルガの言葉は的確だった。
そして、ベイト神父は口を開く。さらに億劫そうに。
「…『神託』だ」
…神託?
それは、神さまのお告げ的なものだったはずだ。けれど、滅多に聞く言葉ではない。元の世界は勿論、この異世界に来てからも…。
…いや、待てよ。
ワタシは、『神託』という希少なフレーズを聞いていた。それもごく最近かつ身近で、だ。
「なるほど、お前『も』か」
…お前、も?
そう言ったのは、ディーズ・カルガだ。
けど、そうだ。ワタシに『神託』という言葉を聞かせたのは、このディーズ・カルガだ。この人は、神さまからのその託宣に従いリリスちゃんの婚約者を名乗っていた。
それだけじゃない。ジン・センザキさんにも重傷を負わせたし、源神教の秘祭にも、その『神託』に従って潜り込んだ。巻き添えにされたあの時のことを、ワタシは忘れない。まあ、そのお陰で『花子』と出会えたんだけど。
「…………」
…けど、そもそも『神託』ってなんだ?
いや、神さまからのお告げだってことは分かるんだけど…そんなモノが、本当に存在するのか?確かに、ここはアルテナさまのような女神さまが実在する世界ではあるけれど。
『ワタクシも、他所の神さまのことはあまり詳しくはありませんよ』
ワタシの思考を先回りしたように、アルテナさまがそう言った。
「そうなんですね…」
『ええ、『教会』と呼ばれている人たちが崇めている神さまには、ワタクシもお会いしたことはありません』
「それじゃあ…他の神さまとは交流があったりするんですか?」
アルテナさまはこの異世界でも最古と呼べるほどの古株っぽいし、顔は広そうだ。
『いえ、他の神々からは普通にハブられているので殆んど交流はありません』
「何をやらかしたんですか…?」
…前科だらけだからなぁ、この人(?)。
『他の神さまの管轄地に、異世界から連れてきた外来種の魚を放流したらめちゃくちゃ怒られました』
「勝手に生態系に影響を与えたら怒られるに決まってるじゃないですか…」
池の水を抜くのにも限度があるんだぞ。
けど、そういえばそうだった。この人は炎上するタイプの女神さまだった。
…いや、炎上するタイプの女神ってなんだよ。
『しかし、そこは生物が生きていくには過酷な土地で、持ち込んだ外来魚は食用として重宝されているようです。人にとっても、他の動物たちにとっても』
「そ、そうですか…」
だとすれば、そこに住む人たちからは感謝されるだろうね。神さま視点から見れば過干渉と見做されるかもだけど。
『とにかく、ワタクシは『教会』の神さまとは面識がありませんので花子さんの疑問にはお答えできませんよ』
アルテナさまは、なぜか得意げだった。
仕方がない。ならば知っている人に聞くしかないか。気は進まないが、ワタシはディーズ・カルガに問いかけた。
「カルガさん…『神託』ってなんなんですか」
「『教会』における神さまというのは『母』と呼ばれているのだけれどね…そのお父上さまが信徒たちに届く命令が、『神託』だ」
「…カルガさんも、その命令を受け取っていたんですよね」
そう、この人も、その『神託』を受け取っていたはずだ…。
そして、ディーズ・カルガは口にした。
「二、三回ほどだけどね…もう、それも聞こえなくなってしまったけれど」
「その『神託』を伝えていたのが『教会』の神さまなんですね…」
「『教会』に神さまはいないけれどね」
自重するように、ディーズ・カルガはそう口にした。
当然、ワタシとしては疑問が浮かぶ。
「いない…んですか?」
「ああ、『教会』に神はいない…『教会』の創始者に『神託』が下ったという話は残っているけれど、『教会』に神はいない。『教会』の中には『新たな『神』を創れ!』なんて息巻いている連中もいたようだが」
…『教会』には神がいなかったのか。
ここは、神さんが実在する異世界だというのに。
ワタシとしてはそのことも気になったが、別のことも気になったのでディーズ・カルガに問いかける。
「カルガさんが『神託』を受けた時、あなたはもう『教会』からは脱退していたんですよね?」
この人は確かに、そう言っていた。
けれど、この人が『神託』を受けたのは比較的最近のはずだ。とっくに『教会』からは脱退している。それなのに、『神託』を受けていたのか?
「よく覚えていたね、花子さん。俺は、とっくの昔に『教会』からは足を洗っている。だけど、『神託』は届けられた。これは、どういうことだろうね?」
「そんなこと、ワタシに聞かれても困りますよ…」
少なくとも、ワタシはあなたの理解者ではないのだ。でも、気になると言えば確かに気になる。
なぜ、『教会』から離れたディーズ・カルガの元に『神託』を下した?
しかも、リリスちゃんのフィアンセを名乗れだの、源神教徒たちの秘祭に潜り込めだの、と。
一体、その『お父上さま』とやらは何がしたいんだ?
どんなお題目があって、『神託』なんてものを下しているんだ?
…いや、『教会』には神さまがいないのだったか。
「そもそも、その『神託』って誰が下してるものなんですか?」
ワタシは、浮かんだ疑問を口にした。
神さまのいない『教会』で、『神託』を下しているのはダレなんだ?
「確かに不思議だが、それを確かめる術もない。それに、『神託』に従わないと呪われるからね」
「呪われるんですか!?」
神さまが下す『神託』なのに?
「ああ、『神託』を成就できないと神罰が下ると言われているんだよ。やっぱり、花子さんとしてもありえないよね」
「かなりぶっちゃけありえないよ…」
呪いの『神託』なんて、元の世界でも聞いたことがないよ。
それでも、黎明期の無料ホラーゲームのタイトルみたいだったけれど。
「しかし、本当なんだよ、花子さん。その『神託』に従わず、事故にあったり大きな病気を患った人間は何人かいるそうだ」
「それは怖いですね…」
「ああ、だから俺も『神託』には素直に従ったよ」
「その割りには楽しそうでしたけどね、カルガさん…」
「いや、でも『神託』が来なくなったときは焦ったよ。もしかして、『神託』を達成できなかったのか、と」
「ああ、ありましたね、そんなこと…」
確かに、ディーズ・カルガは『神託』が聞こえなくなった時にかなり狼狽していた。あれは、『神託』のペナルティに怯えていたのか。
ワタシは、そこでふと気になったことを問いかけた。
「その『神託』って、頭の中に直接、伝えられるんですよね…?」
「え、ああ…そうだよ」
ディーズ・カルガはワタシの質問の意図に気付かず、少しだけ困惑していた。
けど、気付くはずはないか。
ワタシは、この時こう考えていた。
…その『神託』というのは、『念話』に似ている、と。
心の中に直接、ダレカに語りかけることができる点では、どちらも類似している。
しかし、『念話』はユニークスキルだ。この異世界ソプラノで使用できるのは、ワタシ一人だ。同じユニークスキルを、複数の人間が使用することはできない。そういう制約が、ユニークスキルにはある。たとえ、そのスキルのホルダーがあの『邪神』であっても、その制約からは逃れられない。
となると、やはり『念話』と『神託』は別物ということになるか。
「…………」
でも、似てるよなあ。
「それで、ベイトも『神託』に従ってリリスの封印を解いた、ということか」
黙り込んでしまったワタシに代わり、ディーズ・カルガがベイト神父に向けてそう言った。
…うん、ちょっと集中しないとね。
今は、『念話』と『神託』について考えるのは後回しだ。
「ああ、私はその指示に従った…ただ、『神託』で聞いたあの声は、男性のものではなかったな」
何気なく言ったベイト神父の言葉に、ワタシは耳を疑った。
…『神託』の声が、男の人のものでは、なかった?
神さまは、『父』と呼ばれていたのに?