90 『間抜けは見つかったようですよ』
「リリスちゃんの封印を解いた人間が、『教会』の内部にいる…?」
…それ、本当なの?
喉元までその言葉が出かかったが、ワタシは吞み込んだ。口にする前に気付いたからだ。
過去、リリスちゃんは『教会』と呼ばれる組織に封印をされてしまった。リリスちゃんが悪魔だという理由だけで、だ。
しかし、その封印が解け、リリスちゃんは再びこの世界に現れた。ただし、この小さなりりすちゃんの中でこの子と体を共有しながらの、きわめて不安定な状態で、だったけれど。
最近になって幾許かの魔力が戻り、リリスちゃんがあの大きい方の体を創造できるようになってからは、時間制限はあるようだがリリスちゃんも小さなりりすちゃんから離れて一人でほっつき歩けるようになった。ワタシと出会ったのもこの頃だ。
そして、リリスちゃんはワタシにこう言っていた。『なぜ封印が解けたのか、リリスちゃんにも分かりませんねぇ』と。
リリスちゃんの封印は、あの子が自力で解いたものではない。封印が自然に解けたものでなければ、リリスちゃん以外のダレカがその封印を解いたということになる。
…ただ、悪魔であるリリスちゃんにも解けない封印を、ナニモノならば解けるというのか。
「…………」
答えは、明白だった。
リリスちゃんが自力では封印を解けなかったとしても、封印を施した人間ならば解除もできたはずだ。
そして、リリスちゃんを封じたのは、『教会』と呼ばれる宗教組織だ。
ただ、リリスちゃんが封じられたのは何百年も昔の話だ。となると、その人物はとっくの昔に亡くなっている。異世界とはいえ、ロンドさんのような不老不死がそうそういてたまるものか。
なら、リリスちゃんを封印した当人でもないのにその封印を解けるような人物となると、限られてくる。
だから、小さなりりすちゃんも言ったんだ。
リリスちゃんの封印を解いた人間が『教会』の内部にいる、と。
「…………」
しかし、そうなるとまた別の疑問が沸いてくる。
なぜ、その人物は今になってリリスちゃんの封印を解いたのか、と。
過去に『教会』がリリスちゃんを封じた理由は分からなくはない。分かりたくもないが、その動機の推察は可能だ。
リリスちゃんという悪魔を封じることで、『教会』はこの地域の対する影響力を獲得したんだ。封印した後も、リリスちゃんの封印を管理するという低俗な名目で『教会』はこの街に居座ることができた。
「…………」
なのに、なぜ、このタイミングでリリスちゃんの封印を解いた?
このタイミングといっても、それはもう何年も前の話だけれど、それでも、何百年も封じていた悪魔の封印を解除する理由が、どこにある?
この街における影響力は、十分に獲得したから?
それとも、これ以上はこの街に居座る理由がなくなったから?
どちらも腑に落ちない。
仮に、今後『教会』がこの街から離れる予定だったとしても、リリスちゃんの封印を解く理由にはならない。
「…………」
ということは、封印の解除は『教会』という組織の共通の意思では、おそらくない。
個人として、ナニモノかが行ったんだ。
この世界に、リリスちゃんという悪魔を舞い戻らせるために。
…だとしても、その理由が分からないけれど。
たったの一個人がリリスちゃんの封印を解く理由なんて、あるはずもない。絵本の悪魔などとは違い、対価を支払ったところでリリスちゃんは望みなんて叶えてくれない。「リリスちゃんもワタシと一緒にジョギングしようよ」とお願いしても、『嫌ですよ』とけんもほろろに振られたくらいだ。
「あの、花子さん…」
「え、ああ、ごめんね、りりすちゃん…」
リリスちゃんとの思い出に逃避していたワタシに、小さなりりすちゃんが心配そうに声をかけてきた。
「このお話は、リリスさんを助けるヒントになりそうでしょうか…?」
小さなりりすちゃんは、必然的に上目遣いでワタシに話しかけてくる。その瞳は不安そうで、弱々しい。ワタシとしても庇護欲を掻き立てられた。うん、花子ちゃんとサンタクロースはよい子の味方なのだ。
「そうだね…今のリリスちゃんって、かなり不安定な状態なんだよね」
ワタシは、言葉をつなげる。ほんの少しでも、小さなりりすちゃんの不安を払拭するために。正直、それは口から出任せに近い言葉の羅列だった。それでも、ワタシは喋り続ける。それ以外に、大きなリリスちゃんにつながる道もない。
「いや、リリスちゃんは最初から不安定だったんじゃないかな」
「リリスさんが、最初から不安定…?」
小さなりりすちゃんは、ワタシの言葉に小首を傾げる。
ワタシは、小さく頷いてから続けた。頭に浮かんだ言葉を、片っ端からつなげていく。
「リリスちゃんの封印が完全な形で解けていたら、小さなりりすちゃんの体を借りなくてもこの世界に戻って来られたと思うんだよ」
最初は、りりすちゃんの不安を解消するために仮説にもならないような仮説を並べ立てていただけだった。けど、口に出しているうちにリリスちゃんの封印解除の不自然さが、浮き彫りなってくる。
そうだよ、どうしてリリスちゃんは小さなりりすちゃんの体の中に入ってこの世界に舞い戻った?
封印が解けたのなら、リリスちゃんは自分の体でこの世界に戻ったはずじゃないのか?
それなのに、リリスちゃんが復活したのは小さなりりすちゃんの体の中だった。
それを、復活と呼んでいいのか?
というかそれって、封印の続きなのではないだろうか?
…封印の形が、変わっただけじゃないのか?
「…あの、花子さん?」
そこでまた考え込んだワタシに、りりすちゃんが心配そうに声をかけてきた。先ほどからちょいちょい黙り込んでたからね、ワタシは。傍目にはおかしくなったように見えてしまうのかもしれない。
「ああ、ごめんね、大丈夫だよ…ちょっと考えを整理してただけ」
その整理が追い付かない感じではあったけれど。
そこで、声が聞こえてきた。
「いけませんよ、次期『教皇』さま」
それはひどく冷淡で、平坦な声。
アルテナさまの声でもりりすちゃんの声でも、それはなかった。その声は、男性のものだったからだ。けれど、ディーズ・カルガの声でもない。
「ベイト…さん?」
逸早くその声に反応したのは、りりすちゃんだった。しかし、小さなりりすちゃんは、その身をさらに縮めていた。それは、怯えだった。
ワタシも、りりすちゃんの視線を追った。その先にいたのは、縦襟の神父服に身を包んだ男の人だった。上背があり、骨格もがっちりとしている。それほど若くはなさそうだが、眉間に皺を寄せた表情からもその屈強さが窺えた。
…けど、なぜ、ここに神父が現れる?
確かにここは教会だけれど、それでも大昔に廃棄された教会だ。神父が出張って来る道理はない。
というか、リリスちゃんを封印したのは『教会』の神父たちだ。
そして、リリスちゃんが建てたこの教会を廃教会にしたのも、その神父たちだ。
「いけませんよ、次期『教皇』さまが一人でこのような場所に出歩かれては」
冷淡な声のまま、『神父』は次期『教皇』であるりりすちゃんを咎めた。
この場所は森の奥だし、りりすちゃんのような可憐な女の子が一人で出歩いていい場所ではない。けど、この神父の言葉の裏には棘がある。りりすちゃんもそれを感じ取っているから怯えているんだ。
「すみません、ベイトさん。でも、どうしても…」
「言い訳はよくありませんよ」
りりすちゃんにベイトと呼ばれた神父は、りりすちゃんの言葉を遮った。こんな小さな女の子の真剣な言葉をけんもほろろに、だ。
「さあ、戻りますよ、次期『教皇』。こんな縁起の悪い場所に長居は無用です」
「…縁起の悪い場所?」
神父の言葉は、ワタシの神経を逆撫でした。
「ちょっと待ってください、この場所が縁起が悪いってどういうことですか」
ワタシは、神父相手に喰ってかかる。この場所は、あの大きなリリスちゃんが懸命に教会を建てた場所だ。そこを縁起が悪いなどと言われて黙っていられるものか。
「ご存じないのですか。この廃れた教会は、大昔に人々を虐殺した悪魔が建てた教会なのですよ」
「リリスちゃんは虐殺なんてしてないでしょ!」
ベイトと呼ばれた神父の物言いに、ワタシは激昂と共に反論した。
そんなワタシを、ベイト神父は一瞥した。これまではワタシのことなど背景の一つ程度にしか思っていなかったその瞳が、ワタシを見据える。
「どうやら、あなたは悪魔リリスのことをご存じのようですね」
「…ええ、よおおく知っていますよぉ。陰湿な『教会』の人間であるあなたたちが、リリスちゃんに何をしたのか、もね」
ベイト神父に視線に気圧されながら、それでもワタシは啖呵を切った。ここで引いたら、リリスちゃんのお友達じゃいられなくなるからね!
「もしかして、次期『教皇』は悪魔リリスのことを彼女に話したのですか?」
ワタシの皮肉を聞いた神父は、りりすちゃんにそう問いかけていた。
「いえ…花子さんは、最初からリリスさんとお友達だったんです」
小さなりりすちゃんは、消え入りそうな声で答えていた。それでも、りりすちゃんは神父から目を逸らしていなかった。もしかして、りりすちゃんも怒ってるのかな。
なら、ワタシが助太刀しない理由はないね。
「そうですよ。ワタシとリリスちゃんはソウルメイトですので」
ソウルメイトの意味なんて知らないけれど、きっと、なんかいい感じのお友達ってことだよね。それだけで十分だ。
「あの悪魔の友人ですか。それは、由々しき問題ですよ」
ワタシに向けられるベイト神父の瞳が、さらに冷淡になる。その視線に晒されただけで、ワタシのこめかみを冷ややかな汗が滴った。
…何者なんだ、これだけの威圧感を持つこの人は。
けど、今この人は気になる言葉を口にしていた。ワタシは、その言葉尻を捕らえる。
「あの悪魔、ですか…あなたも、『あの』リリスちゃんのことをご存じなんですね」
「いえ、私は話に聞いただけです。次期『教皇』の中に悪魔がいた、と」
素っ気なく、ベイト神父はそれだけを言った。いや、それ以上を付け加えた。
「しかし、あなたも悪魔リリスとは早急に縁を切るのがよろしいでしょう。悪魔などと関係を持つべきではありませんよ」
一転して、神父は柔和な笑みを浮かべていた。けど、柔和に見えるのは上辺だけだ。
ワタシは、その柔和に反発した。
「そうですねぇ…リリスちゃんは意地悪で、ワタシのことを『先生』なんて呼んでおいて、これっぽっちも尊敬していませんからね。というか、ことあるごとにコケにされましたよ」
ワタシは、リリスちゃんから受けた仕打ちの一部を思い出していた。
あ、ちょっとだけお友達やめたくなったかも…。
…でも、そんな簡単にやめられないよね。
この異世界に来て、ワタシにも初めて対等な友達ができた。それがリリスちゃんだ。悪魔とか人間だとか、そんなの関係ねえ!なんだよ。
「でも、リリスちゃんはワタシのことが大好きですし、ワタシも、少しくらいはリリスちゃんのことが大好きですよ…だから、リリスちゃんを封印した『教会』の人の意見は聞けません」
ワタシは、ベイト神父の忠告を拒絶した。
ベイト神父は、浮かべていた柔和な笑みを消した。そして、さらに冷淡な表情を浮かべる。
「しかし、悪魔は『教会』の敵ですよ」
「『教会』というのは、何もしていないリリスちゃんを封印したんですよね?」
「なるほど、あなたはあの悪魔に騙されていたのですね」
「神父さんこそ、あの『教会』に騙されているんですね」
ワタシとベイト神父は真っ向から対峙した。気圧されている分だけワタシの方が不利だけど、不利だからって尻尾を巻くつもりはない。
『まあまあ、花子さん。ここで揉めてもいいことはないのではないでしょうか』
そこで、頭の上のアルテナさまがワタシに声をかけてきた。
「アルテナさま…」
『ここは、女神としてワタクシが大人の対応をさせていただきますよ』
「でも、『教会』ってアルテナさまを信奉しているわけじゃないんですよね?」
あまり詳しくはないが、『教会』と呼ばれる組織はアルテナさまとは無関係のはずだ。しかし、アルテナさまは『大船に乗ったつもりでお任せてください』と口にしていた。
『初めまして、ベイト神父さん。ワタクシは、アルテナという女神です』
初っ端からかましてくれたアルテナさまだが、そんなアルテナさまをベイト神父は胡散臭いと言わんばかりの表情で眺めていた。いや、その胡散臭さをそのまま言葉にした。
「アルテナという女神は私も知っていますが、あの御方は清廉を絵に描いたような存在のはずです。あなたのようなだらしのない体付きの女性ではなかったはずですが」
『…ガガッピィィィー!!』
「せめてもう少し女神さまらしいキレ方してくださいよ、アルテナさま…」
ワタシは、頭の上で憤慨して落っこちそうになっていたアルテナさまを間一髪で支える。というか、アルテナさまのことをだらしない体なんて言った人は初めてだ。男として正常なのか、この人?まあ、こっちで伝えられているアルテナさまが美化され過ぎてるのが問題な気もするけど。
「まったく、あなたの周りにはろくな人物がいないようですね」
ため息交じりに、ベイト神父はワタシの仲間をこき下ろした。
勿論、ワタシも黙ったままではいられない。
「変わり者という意味では否定はしませんけど…みんな、悪い人なんかじゃありません」
「そうでしょうか。嬉々として昆虫を食す悪魔など、嫌悪の対象でしかありませんが」
「変わり者の趣が分からないなんて、頭でっかちな『教会』の人間らしい物言いですね」
ワタシは反論を繰り返す。大切な人たち虚仮にされたまま、引き下がったりできるものか。
「これ以上の話は時間の無駄にもほどがあります。行きますよ、次期『教皇』さま」
心底から面倒くさそうに、ベイト神父は小さなりりすちゃんにそう促した。
「え、あの…でも、私はリリスさんを助けなければ、なりませんで」
小さなりりすちゃんは、小さな抵抗を試みる。
「いい加減になさい、あなたは次期『教皇』なのですよ。もはや、あなたに許される我儘など何一つないのです」
無理やりりりすちゃんの手を引こうとするベイト神父に、ワタシは憤る。
「そんな一方的な言い草はないですよ!」
「それだけの重責を担わなければならないのですよ、『教皇』という存在は」
「あなたたちは、『教皇』というお飾りのめに一人の女の子をぞんざいに扱っているだけじゃないですか!」
「そういうあなたは、口先だけで何もできないのではないですか」
「それ、は…」
確かに、何の結果は出していない。
言い返せないワタシは、俯いてしまった。
そこには、何もないのに。
けど、俯いていたワタシに、そこで一つ、記憶の齟齬が浮かんだ。
…あれは、何だったんだ?
ワタシは、その齟齬に手を伸ばす。そして、口を開いた、
「確かに、ワタシはまだ、リリスちゃんを助ける方法を見つかけてはいません…」
「ならば、私たち『教会』に口を挟むことはやめていただきた…」
言いかけたベイト神父を、ワタシは遮る。
「でも、間抜けは見つかったようですよ」
さあ、舌戦再開だよ。
今度は、ぐうの音も出させないからね。