86 『…………キランッ⭐︎』
選択というのは、残酷だ。
何かを選ぶという行為は、何かを選ぶのと同時に、選ばなかった別の何かの放棄を意味する。
選ばれなかった側からすれば、それは捨てられたのと同義でしかない。
「…………」
以前、雪花さんも『自分は選ばれない側の人間だ』と懊悩していたことを明かしてくれた。どれだけ根を詰めても、どれだけの対価を払っても、自分の漫画は誰からも選ばれなかった、と。
雪花さんのその痛みは、ワタシの痛みでもあった。
ワタシも、選ばれない側の人間だったから。
…おそらくは、最初から、ずっと。
「…………」
難病に蝕まれていたワタシは、幼いころから入退院を繰り返していた。そんなワタシが誰かから注目されることなんて、あるはずもない。
ただ、一度だけ…とあるテレビの番組で、ワタシのことを取材させてもらってもいいだろうか、と打診されたことがあった。
それはチャリティーを目的とした特番で、ワタシのような病気と戦っている子の元に、アイドルの女の子が応援に来てくれる、という趣旨の番組だった。
ただ、お母さんは浮かない顔をしていたし、お父さんも賛成してはいなかった。記憶はないけれど、多分、おばあちゃんもそうだったのかもしれない。
それでも、ワタシはそのオファーを受けたいと我が侭を言ってしまった。お母さんたちも最終的には根負けして、ワタシのお願いを聞いてくれたんだ。
そして、ワタシはもう一つお願いをした…かわいらしいピンクのワンピースが、着てみたいと。
「…………」
…それは、ワタシに会いに来てくれるというアイドルの女の子が、歌番組で似た衣装を着ているのを見ていたからだ。
実は、ワタシはそのアイドルの子のことを以前から知っていた。というか、かなり好きだった。歌番組で見たあの子は、へとへとになりながらも笑顔でずっと歌い続けていた。あの子の立ち位置はグループの中ではセンターではなかったけれど、メンバーの中の誰よりも笑顔を振りまいていた。
その屈託のない笑顔に、ワタシは憧れたんだ。
だから、ワタシはその子と同じピンクのワンピースを着たいと願った。
そして、お母さんは、そのお願いも叶えてくれた。ワタシが思い描いていた通りの、フリルのついた薄桃色のワンピースを買ってくれたんだよ。
その日のワタシは、熱でうなされるくらいとても浮かれていた。
これであの子とお揃いになれると、ワタシは勝手にはしゃいでいた。
だから、ワタシは、一日千秋の思いでその日を待っていた。
そのアイドルの子が来てくれる日に、このワンピースに袖を通すのだ、と。
「…………」
結論から言うと、ワタシの元にその子は来てくれなかった。
事前に番組のプロデューサーだかディレクターだかの人が来てワタシと面談をしたのだけれど…それ以来、ワタシのところには誰も来なくなった。
最初から、ワタシに対するオファーなどなかったように。
平たく言えば、ワタシはその番組の企画からは漏れた、ということだ。
結局、そのアイドルの子は、ワタシとは別の子のところへお見舞いに行っていた。
番組内でも、出演者や視聴者の人たちがみんな、ワタシではない別のその子に応援のメッセージを送っていた。その番組が大成功を収めたことは、画面の外にいたワタシにも理解できた。
病気と戦う子供がいて、その子を励ますアイドルがいて、その光景に涙するスタジオのMCとテレビの前の視聴者がいて、その世界は、そこで完結していた。
ワタシが入る余地はそこにはなく、そのキラキラした世界の、蚊帳の外にワタシはいた。
「…………」
後から看護師さんたちが話していたことを立ち聞きしてしまったのだけれど、ワタシの病状は、テレビ的には生々し過ぎたそうだ。そんなワタシを公共の電波に乗せれば、視聴者がショックを受けるから、と。
だから、お披露目をする機会は、永遠に失われた。
…ワタシが、あのワンピースを着ている姿を。
「…………」
人並みの体が与えられなかったワタシには、思い出を作る機会にも恵まれなかった、という話だ。
月並みな思い出すらないワタシの人生は、悲しいほどに、スカスカだった。
それでも、あの世界は回っていた。ワタシという人間の存在を放棄したまま、思い思いにくるくると。
…ワタシのような異物がいない方が、円滑に世界は回るからだ。
「…………」
そんなワタシでも、選択をしなければならない時は来るらしい。
些細な取捨選択ならば、ワタシだって日常的に行っている。人が生きている限り、何かを選ぶというフェーズは常につきまとう。
しかし、ここで迫られていた選択は、日常生活と地続きの些細な選択ではない。
この世界の崩壊か。
仲良しこよしのおともだち、か。
そのどちらかを、ワタシは選ばなければならなかった。
「…………」
そんなモノ、蚤の心臓を持つワタシに選べるはずもない。どちらもそれぞれに大切で、そのどちらかを廃棄することなんて、ワタシのような小市民にできるはずはない。
…選ばれない痛みを誰よりも知っているのが、ワタシなんだ。
けど、それを許してくれるほど、世界も時間もワタシを甘やかしてはくれない。
世界の崩壊は、近いうちに確実に訪れる。
あの黒いヒトビトの呪詛を、『魔女』が叶えようとしているから。
それを止めるには、あの黒いヒトビトの無念を晴らすしかない。
その方法が、欠片も見つかっていないのだけれど。
「…………」
ならば、お友達であるリリスちゃんを先に助けるべきではないかとも思うが、そちらも打つ手がないのが現状だ。
悪い悪魔として復活してしまったリリスちゃんを元に戻す手段なんて、誰も知らなかった。前例なんてどこにもないからだ。
というか、リリスちゃんを良い悪魔として復活させた場合、リリスちゃんの本来の体の持ち主である『りりすちゃん』の精神を…消すことになる。
それこそ、生け贄だ。
無垢な少女を、悪魔の復活に捧げる行為だ。
…ワタシに、そんなことができるはずもない。
それでも、リリスちゃんを諦めきれない自分がいることも、確かだけれど。
「…………」
そんなワタシは一人、王都の街中を歩いていた。
ずっとずっと、考えながら。
あの黒いヒトビトを、呪いから開放する方法を。
リリスちゃんとまた、お友達に戻る方法を。
そのどちらも見つけられない現状のワタシは、どっちつかずの傍観者でしかなかった。
「…………」
世界の崩壊が迫りながらも、王都の人たちは普段と変わらなかった。往来で出会った知人たちは気さくに挨拶を交わしていて、服屋の店員さんは少し面倒くさそうに店の前を掃除していて、子供たちは意味もなくその場で鬼ごっこに興じている。
当たり前だけれど、ワタシは、そこにいる人たちとは面識がない。あの人たちも、ワタシのことなんてこれっぽっちも知らない。お互いにお互いのことを知らないまま、この世界は回っている。
というか、この世界の殆んどは、ワタシの知らない人たちによって構成されている。それだけ、この世界とワタシの関係は希薄だということだ。
それでも、この世界が終わっていいとは、ワタシには思えなかった。
…この世界のどこかにも、ワタシと同じように見放されている子たちがいる。
ワタシにその子たちは救えないけれど、それでも、ワタシと同じ思いをしたまま終わって欲しくはなかった。
その子たちにも、この先、大切なダレカと出逢う可能性はあるはずなんだ。
…生きてさえ、いれば。
『ソプラノの焼き芋は美味しいですねえ』
ワタシの頭の上から、場違いなほど安穏な台詞が聞こえてきた。
そういえば、ワタシは一人ではなかった。ワタシの頭の上には、アルテナさまが乗っかっていたんだ。重さも殆んど感じないし、アルテナさまの存在を忘れてしまっていた。
…いや、いつもなら、こんな思考に囚われた時のワタシなら、すぐに泣き出してしまう。
けど、泣かずにすんでいたのは、アルテナさまが一緒にいることを心のどこかで忘れていなかったからだ。
そんなアルテナさまは、ワタシの頭の上で焼き芋に舌鼓を打っている。ちなみに、焼き芋はちゃんとシェア(ワタシが9対アルテナさまが1)していたので、ワタシも食べていた。紙袋越しに感じられる焼き芋の温もりが、ワタシにここが日常だということを教えてくれる。
「でも、アルテナさま、焼き芋を食べるのはいいんですけど…ワタシの頭の上で食べこぼしとかはやめてくださいよ」
アルテナさまの存在を思い出したワタシは、普段と同じ口調でそう言えた。
『はい、大丈夫ですよおー』
アルテナさまは、揚々と答えていた。あれだけ、死ぬような思いをしたばかりだというのに。
…いや、ワタシのためにあえて普段通りを演じているのか。
そんなアルテナさまは、普段通りを続ける。
『本当に美味しいですよねー、この世界の焼き芋は』
「まあ、それには同意しますけどね。元々、糖度の高いサツマイモをしばらく寝かせることで熟成が進んで甘さとねっとり感が増すんです。それを絶妙な火加減で石焼きにすることでこの味が出せるんですよ。もしかすると焼き芋好きの転生者がこのレシピを伝えたのかもしれませんね」
『そ…そうなのですね』
「でも、ねっとり系のサツマイモだけじゃなくて、ホクホク系のサツマイモもちゃんと最高なんですよ。なぜなら…」
ここからワタシの焼き芋談義が始まった。
なぜなら、女の子は焼き芋と恋バナが大好物だからだ!
「というわけでですね、スイートポテトだって最高なんですよ。この間もですね…」
『あの、花子さん、焼き芋の話はそのへんで…』
「そうですか?起承転結で言えばまだ序章の段階なんですけれど」
『あれだけ語っていてまだ起の段階にも入っていなかったのですか!?』
アルテナさまはなぜか驚いた表情をしていた。いや、ワタシの頭の上にいるから顔は見えないんだけど、声の様子からその表情は簡単に想像できた。なんだかんだでアルテナさまとの付き合いも長いしね。
「それに、焼き芋はただ美味しいだけじゃないんですよ。焼き芋はワタシたち女の子の味方なんです。食物繊維がたっぷりだからお通じをよくしてくれるんです」
『そうですね…おならなども出やすくなりますものね』
「そうなんですよねえ、女子としてそこは気を付けないといけな…」
そこで、ワタシはとあることが気がかりになった。アルテナさまの声色がちょっとだけ変わっていたからだ。
「まさか、アルテナさま…ワタシの頭の上で、シテいませんよね?」
まさか、女神さまともあろう人(?)が人の頭の上で放屁なんてしませんよね?
転生前のワタシなら考えもしなかったことだけれど、この女神さまならやりかねないのだ。
『…………』
「…なんで無言なんですか?」
『…………キランッ☆』
「それで絆されるのは文化を持たない宇宙人だけなんですよ!?」
というか前代未聞にもほどがあるよね!?
人の頭の上でおならをする女神さまとか!
『ところで、あまり深刻になりすぎない方がよろしいですよ。世界の崩壊なんて、花子さん一人が思い悩む問題ではありませんので』
「この流れでよくその話題に触れられましたね…」
軌道修正の角度が慣性ドリフトくらいエグいんですよ。
いや、確かにさっきまでワタシはそのことで悩んでいましたけれど。
「それはそうかもしれませんが…でも、やっぱりあの黒いヒトたちを放ってはおけませんよ」
『確かに、やさしい花子さんとしては放ってはおけませんよね』
アルテナさまはワタシをやさしいと評してくれたけれど、ワタシはそれを否定した。
「ワタシはやさしくなんてないですよ…ただ、あの黒いヒトビトに、ワタシが勝手に親近感を持っているだけです」
『親近感…?』
その言葉は、アルテナさまとしても意外だったようだ。
「はい…だって、あの黒いヒトビトは、ワタシたちになれなかったワタシたち、ですよね」
『花子さんたちになれなかった、花子さんたち?』
「『魔女』のドロシーさんは言っていました。あの黒いヒトたちは、強い無念を抱えたまま死んでしまったヒトたちだ、と。その無念が大きすぎるから、今もこの世界に縛られたまま苦しんでいる、と」
ワタシは思い返していた。初めてこの女神さまと出会った時のことを。
「ワタシたちも、あの黒いヒトたちのようになっていたはずなんですよね…アルテナさまに、転生させてもらえなかったら」
以前、アルテナさまが話してくれた。強い未練や無念を抱えた魂はその世界に縛られ、どこにも行けなくなる、と。そして、次第にその魂は澱み、最後には周囲の生きている人間を呪い始める、と。
だから、アルテナさまはワタシたちを転生させてくれたんだ。
どこにも行けない魂をこの異世界に連れてくることで、ワタシたちの未練があの世界に残らないように。
「だから、あの黒いヒトたちは、ワタシたちになれなかったワタシたちなんですよ」
それは、世界から見捨てられたことと同じで、そんなヒトたちを、放ってはおけなかった。勿論、ただのワタシのエゴだったけれど。
『花子さんが責任を感じることはありません。寧ろ、あのようなヒトビトを生み出してしまったワタクシたち神側の責任です。あの魔女さんもそう言っていたではありませんか』
「アルテナさまの責任だというなら、ワタシにもその責任の一端くらいは背負わせてくださいよ。ワタシは、そんなアルテナさまに救われた人間の一人なんですから」
一人ぼっちで転生したワタシは、最初は転生したことを後悔した時期もあった。
…一人ぼっちって、思ってる以上にキツいんだよね。
二度と家族に会えないことが、あんなに寂しいとは知らなかったから。
それでも今は、その寂しさも少しずつ薄れてきた。この世界にも、大切な人たちができたから。
いつの間にか、ワタシはこの異世界ソプラノに救われていたんだ。
その切欠をくれたのは、アルテナさまだ。
「だから、救われて欲しいと思うんですよ…あの、黒いヒトビトも」
いつまでも、あの黒いヒトビトがこの世界から見捨てられたままでいいはずは、ない。
勿論、それは手遅れでしかないけれど、手遅れのまま放置していいはずは、ないんだ。
『そうですね…そして、あの黒い方々を救えるのは、きっと花子さんのような方なのではないでしょうか』
「ワタシ…ですか?」
『魔女の方も、花子さんに期待していたように思えたのですが』
「…そうで、しょうか?」
あのドロシーさんが、ワタシに期待?
まあ、あの人は、ワタシには敵意を向けていなかったけれど。
『花子さんの『声』ならば、あの黒いヒトビトにも届くかもしれませんね』
「確かに、ワタシには『念話』がありますけ…」
そこで、気付いた。
「もしかしたら、『念話』であのヒトたちと話すこと…できる、でしょうか?」
気持ちが、上擦り始めた。
もしかしたらという思考が、ワタシの感情を揺する。
ワタシの『念話』なら、あの黒いヒトビトにも届くのではないか、と。
『確かに、花子さんのユニークスキルの『念話』ならば、あの方々に『声』を届けることもできるかもしれませんが…ワタクシは、そういう意味で言ったのでありません』
しかし、アルテナさまは浮かない声をしていた。なぜだろうか、いいアイデアだと思うのだが。
だから、ワタシはアルテナさまに尋ねる。
「もし、ワタシの『声』が届くなら…あのヒトたちの無念を、少しは解消することもできるのではないでしょうか」
こんなワタシでも、少しはあのヒトたちの助けになれるかもしれないんだ。
いや、こんなワタシだからこそ、だ。
世界から見捨てられた者同士、共感できるはずなんだ。
コレが、糸口になるかもしれないんだ。
『…しかし、それは、やはり許可できません』
それなのに、アルテナさまはそんなことを言い出した。
しかも、強い口調で。
「どうしてですか!?あの黒いヒトビトは、今もこの世界を呪い続けてるんですよ…それって、自分自身を呪うことと同じなんですよ」
ワタシには、それが分かる。何しろ、ワタシだって世界を呪った経験者だ。それがどれだけ不毛で、でも、やめられないことを、知っている。
『あまりに危険だからですよ。花子さんも、あの黒いヒトビトに少しとはいえ接触したはずです。それだけでも危険な行為でしたのに、直接、あのカタたちと話すとなると…次は花子さんにどんな影響があるか分かったものではありません』
アルテナさまは、咎めるような口調ですらあった。初めて見る、アルテナさまだった。
「でも…このままだと世界そのものが、終わっちゃうんですよ」
『それは、ワタクシがなんとかします…元々は、あのヒトビトを守れなかった女神の責任ですから』
アルテナさまの声には、覚悟が滲んでいた。その覚悟は、ワタシの頭の上からひしひしと伝わってくる。
…アルテナさまは、次は刺し違えてでも崩壊をとめるつもり、だ。
だから、ワタシも語気を荒げてしまった。その所為で、ワタシの頭も小さく揺れる。
「それだって、アルテナさまの責任なんかじゃないですよ!あのヒトたちが非業の死を遂げたのは、ワタシたち人間の所為なんですから!」
この世界を神さまが作ったのだとしても、そこから先の責任は、その世界を生きるワタシたちの責任だ。
この世界が不完全なものだとしても、それを神さまに責任転嫁していいはずがない。
『ですが、それで花子さんが危険を冒さなければならない理由にはならないはずですよ』
「でも、アルテナさま…」
『慎吾さんや雪花さん、それに繭ちゃんさんたちも同じことを言うのではないでしょうか』
「それ、は…」
…多分、みんなから寄ってたかって怒られる。
でも、このままみんなが消えてしまうのは、もっと嫌なんだよ。
「アルテナさま…」
と、ワタシが決意を口にしようとしたところで、逆にワタシに声がかけられた。
「あら、花子さん…ではないですか?」
「え…クレアさん?」
ワタシに声をかけてきたのは、シスターのクレアさんだ。このシスターさんとは、あの廃教会では何度も出会っていたけれど、こうして街中で会うことはなかった。
「珍しいですね、こんな場所で会うなんて。でも、花子さんが元気そうでよかったですよ」
最初こそクレアさんも驚たい表情を見せていたが、すぐに笑みを見せてくれた。修道服姿のシスターだけれど、この人はけっこう人懐っこいところがある。
「クレアさんこそ…お元気そうでよかったです」
本当に、ここでこの人と出会えてよかったのかもしれない。このままだと、アルテナさまと大喧嘩になりかねなかったから。
けど、ここで気付いた。クレアさんの修道服が、いつもと違っていたことに。
なんというか、やけに華美な装飾が施されていた。
「なんだか、クレアさんのその服…いつもと違いませんか?」
ワタシは、その違いについて尋ねる。
「ああ、この服ですか…これから、少し厄介な仕事がありましてね。それ用の衣装なのですよ」
「厄介な…仕事?」
シスターにとっての厄介な仕事とは、なんだろうか?
見当もつかないワタシに、クレアさんは言った。
「ええ、悪魔祓いです」
悪魔、祓い?
それは、悪魔を祓う、ということですか?
…それは、ダレを、祓うためのものなのですか?