84 『この時代にじじいを見たら『生き残り』と思えよ』
うちの『花子』は、名実ともに『邪神』である。
いや、正確には『邪神の魂』と呼ばれる、『邪神』の魔力が人の姿をなした存在だったけれど。
さらに正確に言うのなら、『花子』はその『邪神』の魂のレプリカのような存在だったけれど。
…あれ?
名実ともに、は過言だったかな?誇大広告だったかな?
「…………」
兎に角、過去、『邪神』はこの異世界ソプラノに顕現し、強大な力を見境なく振るい、未曽有の大災害を引き起こした。しかも、幾度となく、だ。
その都度、あらゆる種族の人たちが手を取り合って、多大な犠牲を払ってようやく『邪神』を倒してきた。それでも、時が経てば『邪神』は復活し、夥しい災厄を振り撒いた。
ワタシのおばあちゃんは、その復活途中の『邪神』と出くわし、戦闘になった。
けれど、復活途中の『邪神』とはいえ、おばあちゃんとおじいちゃんの二人だけでは太刀打ちはできなかった。おばあちゃんたちだって、『英雄』として名を馳せていた冒険者だったというのに。
このままでは『邪神』が完全に復活してしまうと判断したおばあちゃんは、『邪神』の魔力の塊…『邪神の魂』を自分の体に封印して、おじいちゃんの手を借りてこの異世界ソプラノからワタシたちがいたあの世界へと『転生』を果たした。
こうして、『邪神』は本体と力の源である魔力を分断された。おばあちゃんの、捨て身の犠牲のお陰で。
さすがの『邪神』も、本体と魔力を別々の世界に泣き別れにされた状態では復活することができず、異世界ソプラノから『邪神』の脅威は取り除かれた。
…はず、だった。
「…………」
おばあちゃんの孫であるワタシがこの世界に『転生』したことで、『邪神』の力の源である『邪神の魂』が里帰りを果たしてしまった。おばあちゃんの孫のワタシの中には、『邪神の魂』の因子が受け継がれていたからだ。
まあ、それは『邪神の魂』そのものではなく、あくまでも複製品のようなものだった。しかし、その模造品である『邪神の魂』でさえ、『邪神』の本体と接触することで『邪神』復活の引き金となってしまった。
でも、みんなのお陰で『邪神』の復活は防ぐことはできたし、現在、『邪神』の本体である『邪神の亡骸』は厳重に隔離されていて誰にも手出しはできなくなっている。ワタシの中の『邪神の魂』も二度と『邪神』の体と接触することはない。こうして、『邪神』騒動は一応の決着と相成った。
…のだけれど、ワタシの中で眠っていたはずの『邪神の魂』が、この世界に顕現してしまった。
ワタシと瓜二つの、『花子』と名乗る少女の姿になって。
「…………」
いや、改めて思うよ。
危険な存在である『邪神の魂』が『花子』という人の姿を得たことにも勿論、驚いた。しかも、その姿がワタシと瓜二つということがさらにワタシを驚かせた。
それでも、いや、だからこそ改めて思ったよ。
…なんで、『花子』も花子なの?
なんでワタシに被せてくるかな?
けど、『花子』本人が頑なに譲らなかったんだよね…『わたしのことも『花子』と呼んでください』って。しかも、ワタシ以外のみんなが受け入れちゃうから結局は『花子』で押し切られちゃったんだよ。
でも、だからかもしれない。
…あの子が『邪神の魂』だとか、どうでもよくなっちゃったんだよね。
実際、『花子』は無害だった。ダレカを傷つけることは絶対にしなかった。それどころか、何かを主張すること自体がほとんどなく、大体は寡黙でおとなしくしている。そんな『花子』との会話は、いつも簡素なものばかりだった。
『おはようございます、花子サン』とか『今日は、何時ごろに帰りますか?』とか『花子サン、あれは何ですか?』とか『花子サン、わたしは焼き鳥が食べてみたいです』とか『花子サン、今日はハンバーガーを食べに行きましょう』とか『花子サン、今がつまみ食いのチャンスです』とか『花子サン、またお腹にお肉がついたのではないですか?』とか…。
「…………」
いや、思い返すとけっこう主張してたわ、最近の『花子』は。けっこう好き勝手に言ってたわ、あの子。
まあ、主張することは悪くないよ。一緒につまみ食いした仲だし、ワタシに対しては変な遠慮はいらないよ。
ただ、一つだけ、ワタシとしては許せないことがあった…。
それはね…ワタシと同じだけ食べてても『花子』はこれっぽっちも目方が増えなかったってことだよ!
そのくせ、ワタシに対して『節制が必要ではないですか?』とか『センタ・パラタスですよ』とか言ってくるしね!
まったく、『花子』はまったく。
…でも、それぐらい『普通』の子なんだ、あの子は。けっして、『邪神の魂』呼ばわりをされていい子じゃないんだ。
『…………』
そんな『普通』であるはずの『花子』が、アルテナさまやロンドさんたちの前で口を開いた。
しかも、口にしたのは『世界の崩壊』について、だ。
口を開いた『花子』とは逆に、ワタシたちは全員が、口を噤んだ。『邪神の魂』とはいえ、『花子』は、『邪神』としての記憶を持っていない。あの子が持っている知識は、ワタシの中から得たものしかないはずだ。しかも、ワタシが元の世界にいたころの『花子』は完全に休眠状態だったそうだ。
ワタシがこの異世界ソプラノに来て、あの『邪神』の抜け殻と接触したあたりで『花子』は薄っすらと覚醒を始めたそうだ。それでも、ほぼほぼ『花子』は休眠状態で、『源神教』の人たちに『邪神の魂』として祀られていた『花子』とワタシが接触したあの時、初めて『花子』は本格的に覚醒して人の姿をなした。
なぜそうなったのかは、『花子』本人にも分からない。
ただ一つだけわかっていることは、『花子』には、『心残り』があったのだそうだ。
そして、その心残りというのは、『邪神』の心残りと言って差し障りがない。
…あの『邪神』に、どんな心残りがあるというのだろうか。
そんな『花子』が、ここで言葉を発した。
『その、『世界の崩壊』についてなのですが…』と。
最初に『花子』が発した言葉は、『世界の崩壊』について、だった。
その危険性については、先ほどワタシたちは嫌というほど味わった。
この異世界ソプラノで非業の死を遂げたヒトビトの呪詛が根源となり、この世界を根こそぎ壊そうとしている。
その引き金を引こうとしているのは、一人の『魔女』だ。
そして、『魔女』は、非業の死を遂げたヒトビトの代理人としてこの世界を滅ぼそうとしている。
「…………」
そういえば、『邪神』が『邪神』に身を窶してしまったのも、人々の負の感情の所為だった。
昔は、この異世界ソプラノでも種族間の争いが絶えなかったそうだ。人間がエルフを排し、エルフが巨人を攻撃し、巨人が人間に害を加える…三つ巴どころか、四つも五つもの種族が自業自得の抗争を続けていた。当然、そこは憎悪という感情に塗れていた。いや、最初に憎悪ありきだったのかもしれない。今となっては卵が先か、鶏が先か、という話でしかないけれど。
その愚かさを憂いたとある存在が、人々の負の感情を一手に引き受けた。みんなの負の感情を、自分の中に取り込んだんだ。相手を憎むことがなくなれば、俗悪な争いも終わるはずだと考えて。
その思惑は大枠では間違っていなかった。全ての種族の悪感情が浄化されると、人々の争いは鎮静化された。話し合いの余地も生まれた。
けれど、それほど大きな戦争の火種になるほどの負の感情を、たったの一人で受け止められるはずはなかった。
最後には、負の感情を受け止めきれなくなり、その『英雄』は、『邪神』となってこの世界に牙を剥いた。
…その『邪神』との戦いが、逆に種族を超えた結束を生むことになったのだから随分と皮肉な話ではある。
そして、そんな『邪神の魂』のレプリカともいえる『花子』が、言った。
『世界の崩壊を引き起こすためには、『生け贄』が必要なのですよね』と。
生け贄という仄暗い言葉に、『花子』以外の全員が反応を示していた。
『ええ、そのはずです。生け贄を起爆剤にして、あの黒いヒトビトを暴走させてこの世界を崩壊させる…それができるのが、『魔女』という存在です』
アルテナさまが、『花子』の言葉を受けてそう答えていた。静かな声で、慎重に言葉を選んで。そして、そのまま慎重に続ける。この場の全員に、その前提を共有させるために。
『前回も、『魔女』はそうやってこの世界を壊そうとしたはずです。失敗に終わったようですけれど』
『それ、なら…』
アルテナさまの説明を受け、『花子』はまた口を開いた。
そして、言った。
『この世界は既に、崩壊しているはずでは、ないでしょうか』
その言葉は、この場から色を奪った。白も黒もなく、全てが色褪せるように消えていく。色を失った世界は、やけにゆっくりと時間が流れた。
「どういう…『花子』、どういう、ことなの?」
たっぷりと時間をかけてから、ワタシは口を挟んだ。ここで静観なんて、できなかった。
だって、『花子』は言ったんだ。『この世界は既に崩壊しているはずだ』と。
…そんなこと、ありえないよね?
『ですが…』
そう言いかけた『花子』を遮って、この部屋に飛び込んでくる声があった。その声は焦燥に満ちていた。
「花子ちゃん…また危ないことしたんだって!?」
飛び込んできたその声の主は、ワタシのおじいちゃん…アンダルシア・ドラグーンだった。おじいちゃんは、女神さまやら教祖さまやらには目もくれず、ワタシのところに駆け込んでくる。
「あれほど言ったじゃないか、花子ちゃんは危ないことしちゃいけないって…花子ちゃんはアリアとは違うんだ。アリアみたいなことをしちゃいけないよ」
息せき切ったまま、おじいちゃんは捲し立てる。どうやら、ここに来るまでずっと走り続けてきたようだ。額に薄っすらと汗の玉が浮かんでいる。
ワタシの心配をしてくれるのはありがたいんだけど、今はそれどころじゃないんだよね…。
「あの、アンダルシアさん。今、花子も大事な話をしている途中でして…」
これまで沈黙を貫いていた慎吾が、おじいちゃんを宥めようと声をかけたがおじいちゃんは聞く耳を持たなかった。というか、慎吾に凄む。
「この時代にじじいを見たら『生き残り』と思えよ、小僧」
「おじいちゃん、慎吾に妙なプレッシャーかけるのやめてっていったよね!?」
なんか相性が悪いんだよね、この二人。いや、慎吾はそうでもないのか、おじいちゃんっ子だったみたいだしね。けど、おじいちゃんがの方が慎吾に変な対抗意識を持ってるんだよね。なんでだろうね?
…と、今はそんなことはどうでもいい。
それよりも、『花子』だ。
ワタシは、そこで『花子』に視線を戻した。同時に、おじいちゃんも『花子』を見ていて…そして、叫んだ。全員の鼓膜を震わせるくらいの胴間声で。
「アリア…?アリアが、どうしてここにいる!?」
その声は、老体とは思えないほどの大音声だった…というか、何を言っているんだ?
あ、そういえば…おじいちゃんは『花子』のことを知らなかったんだ。言えば、また「危ないことして!」っておじいちゃんに怒られると思ったからだけど。
いや、でもおじいちゃんのこの反応は…?
「アリア…どうやって帰ってきたんだ!?いや、そんなことはどうでもいい!また会えた!アリアに、また、会えた」
おじいちゃんは、『花子』に抱き着き、泣いていた。嗚咽をこらえながら、声を震わせて。
対して、『花子』は意味が分からずに珍しく目を白黒とさせていた。
…けど、そうか。
「なんとなく…ワタシも考えてはいたんだけど」
ワタシと『花子』は瓜二つだった。
でも、瓜二つでしか、ないんだ。それって、妙だとは思っていたんだよ。
ワタシの中に『花子』がいたのなら、その姿は瓜二つではなく生き写しではないのか、と。
別に、ワタシと『花子』は双子でも姉妹でもない。『邪神の魂』である『花子』が人の姿をとったのなら、ワタシと全く同じ姿をしている方が自然だ。でも、違っていた。ワタシと『花子』の間に差異はあったんだ。
…だとすれば、その『差異』はどこから生じたのか。
「…………」
ワタシの中に、『花子』はいた。
その『花子』は、『邪神』の因子だった。なら、その因子は、どこから齎されたものだ?
…当然、それはワタシの、おばあちゃんだ。
そして、おじいちゃんは、こうして『花子』のことをアリアと呼んでいる。それは、この世界でのおばあちゃんの名だ。そして、おじいちゃんがおばあちゃんを見間違えるはずはない。
…何十年もの時間が、経過していたとしても。
やはり、『花子』はワタシの生き写しではなく、おばあちゃんの生き写しだったと考えるのが自然だ。
「…………」
…『花子』は、おばあちゃんだったんだね。
ワタシの胸にも、熱いモノが込み上げてきた。
もう会うことはできないはずのおばあちゃんの、若い頃の姿とはいえ、会えたから。
勿論、『花子』は『花子』であり、おばあちゃんではない。でも、おばあちゃんの面影には、触れることができた。
…おばあちゃんの記憶は、失われたままなのに。
それでも、この胸の熱さだけで、おばあちゃんに対するワタシの想いを知ることはできた。
ワタシは、こんなにもおばあちゃんをが大好きだったんだね…。
『助けてください、花子サン…』
ずっとおじいちゃんに抱き着かれたままだった『花子』は、嫌がる猫のようにおじいちゃんを両手で引き剝がそうとしていたが、おじいちゃんは「アリア…」と涙ながらに『花子』に抱き着いていた。
…うん、とりあえず絵柄がヤバすぎるね。
ワタシの涙も引っ込んじゃったんだけど?
未だに興奮するおじいちゃんを、ワタシたちは何とか『花子』から引き離し、事情を説明した。
「そうか、『花子』ちゃんは、あの『邪神』の…どうりで花子ちゃんとは違うはずだ」
「そんなに違いますか、おじいちゃん?」
ワタシたちに差異があることはワタシも自覚していたけれど、それは当人であるワタシから見れば、の話だ。知らない人たちからすれば、ワタシと『花子』はほぼ同一人物だ。余談だけど『双子のトリック』だって使ったことがあるんだよ。
「ああ、『花子』ちゃんの方が胸が大きいね。というか、アリアの方が大きかったというべきか」
「そこには触れずにやってきたんだよ、こっちはあっ!」
思わず、ワタシは叫んでしまった。
当然、気付いていたよ、『花子』の方がワタシよりちょおっっっとだけ胸が大きいって!
一緒にお風呂に入ったりしたら気付くにきまってるでしょ!?
それでも、ここまでその部分にだけは言及しなかったんだよ!
それなのに、このおじいちゃんはその禁忌に触れやがった!
もう一緒にお買い物に行ってあげないからね!
「…………」
とりあえず、おじいちゃんも『花子』の正体に納得はしてくれたようだった。さすがは、おばあちゃんと一緒に『邪神』と対峙した当事者だよ。
…ただ、それでもおじいちゃんは『花子』から手を離さなかったけど。
そんなおじいちゃんを、『花子』は毛虫でも見るような目で蔑んでいたけれど。
いや、『花子』がこんな顔するとこ初めて見たよ?この子、基本的に無表情だからね。
ただ、『花子』にもこんな感情があることにホッとしちゃったよ。
やーい、『花子』に嫌われてやんのー(根に持っている)。
『あの、そろそろ再開してもよろしいでしょうか…』
アルテナさまが、おずおずと話を切り出した。
普段は好き勝手にボケて回る側のアルテナさまでさえ、この非常時にはふざけたりはしないというのに。
「そうですね、ええと…確か、『花子』が言ったんだよね」
ワタシは、そこで思い出した。『花子』が口にした、あの言葉を。
そして、『花子』は再び口にした、その言葉を。
『はい…生け贄を捧げることでこの世界が崩壊するのなら、既に、この世界は壊れているはずでは、ないでしょうか』と。
その言葉はこの場に沈殿し、ワタシたちを静かに侵食する。
「それ…どういうことなの、『花子』?」
沈黙の帳が下りる中、ワタシは『花子』に問いかけた。
『そのままの、意味です。生け贄なら、既に捧げられていたはずなんです』
きっぱりと、『花子』は断言した。
生け贄は、捧げられていた、と。