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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case4 『駄女神転生』 2幕 『祭りの始末』
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82 『ソンナコトナイデスヨー』

 世の中なんて、知らないことだらけだ。

 いや、知っているつもりになっているだけの、知ったかぶりの知らないことだらけだ。

 それは、なまじ危うい状態ともいえる。生兵法(なまびょうほう)は大怪我の…というヤツだ。

 自分は知っているつもりなのだからと足元に対する配慮や思慮が(おろそ)かになり、危険地帯に片足を突っ込んでいても、そこが危険だという認識ができない。

 けれど、ワタシは弱い。

 人間という弱い生き物の中でも、特にワタシなどはか弱くて(もろ)い。そんなワタシだからこそ、危険に対しては鋭敏だった。

 …鋭敏だった、はずなのだけれど。

 この場で展開されている危険が、どういう類の危険なのか、ワタシにも判断ができなくなってきた。

 それほど得体の知れない混沌が、この場では鎌首を(もた)げている。


『クリシュナ…さま?』


 女神であるアルテナさまが、小さくそう呟いていた。

 それは、ワタシも知らない名だ。

 どれだけ深手を負っていても、アルテナさまは不敵に笑っていた。

 胸に風穴が開いていても、アルテナさまはそのスタンスは崩さなかった。

 にもかかわらず、あの人が…タタン・ロンドさんが現れてから、アルテナさまの表情は一変した。

 表情を変え、その名を口にしていた。

 クリシュナさま、と。ロンドさんに、向けて。

 …その名は、誰のものだ?


「アルテナ…さま」


 だから、ワタシはアルテナさまの名を呼んだ。ロンドさんについて聞きたくて。

 けれど、ワタシの声はアルテナさまには届かなかった。耳には届いていたかもしれないが、アルテナさまの意識には届いていない。たったそれだけのことなのに、ワタシは疎外(そがい)感を抱いてしまった。


『どうして、この世界に…?』


 アルテナさまは、再び呟く。

 アルテナさまの視線の先には、ロンドさんしか映っていない。その片隅にも、ワタシはいない。

 いや、ここで重要なのはそこじゃない。いつまでも幼稚に()ねている場合ではない。

 …今、アルテナさまは何と言った?

 どうして、この世界に?

 どうして、アルテナさまはロンドさんにそう尋ねた?

 そう尋ねた、その理由はなんだ?


「…………」


 …おそらく、アルテナさまとロンドさんの間に面識はある。

 アルテナさまの表情や口調から、その判断はできた。

 しかし、アルテナさまが発した言葉が、奇妙だった。

 どうして、この世界に?

 先ほど、アルテナさまは確かにそう口にした。

 本来なら、この場面でその言葉が出てくるはずは、ない。

 最初から、ロンドさんがこの世界にいたのなら。


「そういえば、ドロシーさんが…」


 以前、『魔女』であるドロシーさんが言っていたことを、ワタシは思い出していた。

 ロンドさんと出会ったとき、ドロシーさんはロンドさんのことを、こう呼んでいた。

 …『女神』と。

 あのロンドさんが、『女神』?

 それは、『どこ』の、女神さまだ?

 ワタシには、女神さまの知り合いはアルテナさましかいない。ワタシたちをこの異世界に転生させてくれた、女神アルテナさましか。

 そして、そのアルテナさまが、先ほどロンドさんをこう呼んでいた。


『クリシュナさま』と。


 なぜ、アルテナさまは、人間であるはずのロンドさんを、『さま』付けで呼んでいた?

 …その必要が、あるからか?


「…………」


 …ワタシの中で、ピースが揃い始める。

 そこで、ロンドさんに視線を向けた。

 ロンドさんは、露骨に憔悴(しょうすい)していた。

 目の周りには(くま)ができていたし、血の気も失せている。髪にも潤いがなく、肌も荒れていた。

 そして、ロンドさんは魔女だけを睨みつけていた。

 やや落ち窪んだ眼窩(がんか)は、幽鬼そのものだ。

 とてもではないが、女神さまの姿には、見えなかった。


「またあなたですか」


 魔女であるドロシーさんは、嘆息しながら呟いた。ロンドさんに対し、本当に興味がなさそうに。


『そっちに用がなくても、こっちにはある。それとも、生け贄に失敗した私にはもう用がないってことか?』


 髪や肌と同様に、ドロシーさんの声にも、潤いはなかった。焦燥が、そのまま声として表れていた。


「だから、私はあなたを生け贄にしたことはないはずなのですが」


 ドロシーさんは断言した。

 ロンドさんを生け贄に選んだことはない、と。


『この期に及んですっとぼけるなよ…切なくなるじゃないか』


 切なさとは無縁の激高の瞳で、ロンドさんは『魔女』をねめつける。

 対峙する『魔女』と『女神』の間には、相互に齟齬(そご)が生まれていた。

 ロンドさんは、『女神』ではなく源神教と呼ばれる教団の教祖さまだ。

 しかし、ただの教祖さまではない。『魔女』であるドロシーさんに、生け贄にされかかった過去を持っている。その時は失敗に終わったけれど、成功していれば、異世界ソプラノはその時に消滅していた。あの、黒いヒトビトに根こそぎ滅ぼされて。

 けれど、ロンドさんもただ無事だったわけではない。生け贄という虚ろな末路は回避できたけれど、その後で目覚めたロンドさんは、ロンドさんではなかった。

 …自分の体を、失ってしまったんだ。

 そして、全くの別人の体が与えられたまま、何百年もの長い時間を、ロンドさんは生きている。

 自分がどこの誰かも、分からないままに。


「…………」


 そんなロンドさんを、『魔女』は『女神』と呼んだ。

 そして、『女神さま』であるアルテナさまは、ロンドさんを『クリシュナさま』と呼んだ。

 ワタシの中で、点と点が線につながる。

 アルテナさまには、先代の『女神さま』がいた。

 その『女神さま』は、世界を滅ぼそうとした『魔女』との戦いの最中、行方が分からなくなっていた。


「ロンドさんは、アルテナさまの前任の、『女神さま』…?」


 つながった線は、粗雑な図形を描いていた。

 その図形を、ワタシは口にした。


『私が…女神?』


 落ち窪んだ眼窩で、ワタシを見た。

 ロンドさんが。女神さまが。クリシュナさまが。


『いや、私は、源神教の教祖で…いや、私はそんなこと、認めていないが。というか、そもそも私は人間で、生け贄にされかかって。それでも、この体は、私のものでは、なくて』


 ロンドさんの狼狽(ろうばい)は、限界を迎えていた。

 アイデンティティとアイデンティティが、ロンドさんの中で意味もなく(しのぎ)を削る。


『クリシュナさま…』


 アルテナさまは、クリシュナさまの…ロンドさんの傍に、行こうとしていた。当然、今のアルテナさまは歩くこともままならない。ワタシは、そんなアルテナさまを支えた。逆に、アルテナさまにしがみつくような態勢になっていたけれど。


『花子、さん…お洋服が汚れますよ』

「そんな他人行儀なこと言われたら悲しくて泣きますよ…ワタシたちのために流してくれたその血でしょ」


 そうだ。アルテナさまは、ワタシたちのために血を流した。

 だったら、それは汚れでもなんでもない。


「…というか、本当に大丈夫なんですか?」


 本来なら、アルテナさまの現状は、致命傷とすら呼べる段階にない。いつ絶命したっておかしくはないんだ。


『先ほども言いましたけれど、仮の体なのでまだ大丈夫なのですが…いえ、少しだけ弱音を吐かせていただきますと、ちょっと本気できついです。女神失格ですよ、ね』

「…アルテナさまが女神失格なら、他の誰にも女神さまなんて務まりませんよ」


 それほどまでに、今日のアルテナさまは『女神』だった。誰にも、失格の烙印(らくいん)なんて押させない。


『ありがとう、ございます、花子さん…でしたら、もう少しだけ、ワタクシに付き合っていただけますか』

「今日のワタシは、アルテナさまの忠実な腰巾着(こしぎんちゃく)です…どこまでだって付き添いますよ」


 そして、歩き出したアルテナさまを、ワタシは抱き着くように支えていた。その温もりが、ワタシにアルテナさまを感じさせてくれた。この温もりは、絶対に手放してはならない温もりだ。


『クリシュナさま…』


 アルテナさまは、再びロンドさんをそう呼んでいた。視界に、ロンドさんを捉えていた。

 

『クリ…シュナ?』


 先ほどまで『魔女』にしか視線を向けていなかったロンドさんが、そこで、初めてアルテナさまを認識した。けれど、その表情は困惑に埋め尽くされている。無理もない。この人は、『魔女』に対する復讐を果たすにここにきた。生け贄にされかけ、目覚めたときには自身が別人になっていた…その元凶である『魔女』を、討つために。

 しかし、この場でロンドさんを待っていたのは、『クリシュナ』という身に覚えのない名だ。

 それでも、その名はロンドさんを縛っていた。


『私は、タタン…ロンドだ』


 ロンドさんは、アルテナさまにそう告げていた。

 ただし、その瞳は伏せていて、自信は欠片も感じられない。

 

『ですが、どう見ても、クリシュナさま…ですよね?ワタクシです、アルテナですよ』


 アルテナさまは、引き下がらなかった。

 アルテナさまがここまで言うということは、ロンドさんは、本当に…。


『今は…あなたに構っている場合では、ありません』


 ロンドさんは、そこでドロシーさんに視線を戻した。

 後ろ髪は、かなり引かれているようだったけれど。


『さあ、覚悟をしてもら…?』


 ドロシーさんに…『魔女』を見たロンドさんが、言葉を失っていた。

 いや、ドロシーさんだけじゃない、ワタシだって、何も言えなくなっていた。

 再び、『魔女』はこの場の全員から言葉を奪った。

 ただし、それが『魔女』が意図したこととは、思えなかったけれど。


「…………」


 …消え、かかっていた。

 魔女が、ドロシーさんが…。

 肘を折り曲げ、顔の前に手の平をかざしていた魔女の右手が、半透明になっていた。

 ドロシーさんは、茫洋とした瞳で、それを眺めている。


「どういう…こと、なの?」


 矢継ぎ早に起こる異常に、ワタシはもはや完全に置いてけ堀になる。何が正しくて何が間違っているのか、正誤の判断がまるでできない。


『なんで…『魔女』が、消えかかっているんだ』

 

 ロンドさんは、仇敵である『魔女』に対し気遣うような言葉を投げかけていた。この人ですら動転するほどの事態ということだ。

 いや、ワタシなんかはもっと驚いている。(かざ)した半透明の右手の先に、薄っすらとドロシーさんの表情が浮かんでいるんだ。それは、恐怖を通り越して幻想的ですらあった。


「タイムリミット的なものなのでしょうね」


 事も無げに、ドロシーさんはそう口にした。


「タイムリミット…」


 そう呟いたのは、ワタシだろうか。ロンドさんだろうか。それとも、別のダレカか。


「私は、この異世界の人間ではありませんし、この時代の人間でもありません。ずっとずっと昔の、どこか別の世界からの異邦人です。そんな私が座っていられる椅子が、いつまでもあるわけではないということでしょうか」


 ドロシーさんにも、理屈などは分かっていないようだ。それでも、ドロシーさんに動揺は見られなかった。ただ、ほんの少しだけ、寂しそうにも見えてしまったけれど。


『随分と、落ち着いていますね』


 ロンドさんが、仇敵に語りかける。

 これまでの憔悴した口調ではなく、少しだけ落ち着いていた。


「少し前から何度かあったのですよ。一度、街中でこうなった時にはちょっとした騒ぎになりましたね。しばらくすれば元に戻りますよ。いつかは消えてしまうのでしょうけれど」


 ドロシーさんは軽く語っていた。自身が消えかかったという現実を。

 …けど、そうか。

 王都には、昼間に出歩く幽霊のうわさがあった。あれは、この人のことだったのか。

 そして、それはタイムリミットでもあった。ドロシーさんが、この世界から退場sてしまうまでの。


『そんな…こと』


 ロンドさんは、俯く。仇敵であるはずのドロシーさんに対する複雑な感情が、そこで()い交ぜになっていた。


「…………」


 そして、ワタシたち全員が言葉を失っている間に、ドロシーさんはこの場から消えてしまった。いや、普通に立ち去ったのだけれど、ワタシたちはそれを止めることはできなかった。

 あとには、呆けたようなワタシたちだけが残された。取り残された。


「アルテナ…さま?」


 そして、呆然としていたワタシは気付いていなかった。アルテナさまの意識が途絶えていたことに。


「アルテナさま…アルテナさま!?」

 

 まだ大丈夫だと、言っていた。

 ちょっときついけれど、まだ大丈夫だと。

 そんなアルテナさまが、意識を失っていた。

 …いやだ。

 こんなお別れは、いやだ。


「アルテ…」

『大丈夫ですよ、花子さん…少し、夢を見ていただけです』

「夢…ですか」

『ええ、瀕死のワタクシを放っておいて、花子さんたち楽しそうに漫才談義に花を咲かせていた夢です…そんなこと、あるはずがありませんのにね』

「ハハハ…ソンナコトナイデスヨー」


 妙な夢を見ているね、アルテナさま。きっと、大怪我の影響だ。

 でも、アルテナさまは無事だった。

 世界の崩壊も、起こらなかった。

 完全なる洗脳だって、喰い止めた。

 結果だけをみれば、上出来だったのかもしれない。

 でも、それはただの先延ばしに過ぎないことも、事実だった。

 この先、ワタシたちはまた、あの黒いヒトビトと向き合わなければ、ならないのだから。

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