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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case4 『駄女神転生』 2幕 『祭りの始末』
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81 『まっすぐ、自分の言葉は曲げません…それがワタクシの女神道です』

 ワタシは、夜という時間が苦手だった。特に、静寂が蔓延(はびこ)る沈黙の夜が。

 本来、夜というのは人々にとって安息のための時刻だ。

 なので、そのために夜は静かでなければならない。

 けれど、その静けさこそが、ワタシは怖かった。

 誰の話し声もなく誰の気配もしない夜は、命の音がしない。

 そんな静かな夜は、ワタシの命の音も、消えてしまいそうな気がしたから。

 病魔に虫食(むしば)まれていたワタシの体は、『明日』に耐えられる保証がなかったんだ。

 …だから、ワタシは『夜』が苦手だった。


「…………」


 現在、ワタシが苦手なその『夜』が、展開されていた。

 けど、時刻としてはまだ夕方にも差し掛かっていない。太陽は、未だ中天(ちゅうてん)の近くで輝いている。それでも陽の光は遮られ、太陽から降り注ぐ温もりも、この場にまでは届かない。

 黒い亀裂と同じ黒色の『夜』を、空から魔女が呼び寄せていた。

 その『夜』を、魔女は(はね)のように纏う。

 翅は天幕(てんまく)となり、昼を侵食していた。

 周囲に残るのは、昼の残骸だけだ。そのなけなしの昼の名残りだけが、物悲しくまたたいていた。


「女神さまなら分かりますよね。私はまだ、半分程度の力しか解放していません」


 昏々(こんこん)と、『夜』は降りてくる。

 それらは、あの黒い亀裂となったヒトビトが魔女に(もたら)したものだ。

 …このイセカイをホロぼせ、と。

 しかし、それだけの呪詛を目の当たりにしても、女神さまはただの一歩も引いていなかった。


『奇遇ですね、ワタクシもですよ。では、ワタクシも100パーセント中の120パーセントでお相手いたしましょうか?』

「…この期に及んで減らず口ですか、女神さまともあろうお方が」

『あ、よく言われるんですよ、そのセリフ』

「そうですか…その減らず口も、もう叩けなくなりますけれどね」


 魔女の右手に、(くら)い『夜』が集まってくる。荒れる渦潮(うずしお)のように、轟々(ごうごう)と。

 それらはすぐに肥大化し、巨大な『柱』のようにそそり立つ。

 …これは、先ほどまでの比ではなかった。


「100パーセント中の120パーセントなら、このくらいでは死なないですよね」


 魔女が軽く右手を払うと、黒い『柱』は解き放たれた。

 それだけの質量を持った『黒』が、女神さまへと牙を剥く。


『…………!』


 アルテナさまは、両手を掲げて黒い柱を弾き飛ばし…弾き飛ばされたのは、アルテナさまの方だ。


「アルテナさま!?」


 女神さまが、()()のように吹き飛ばされていた。

 アルテナさまはワタシたちが巻き添えを喰わないように距離をとっていたが、ワタシたちのすぐ傍にまで、飛ばされてくる。受け身も取れず、(したた)かに背中を打ち付けていた。


「アルテナさま…アルテナさま」


 ワタシには、声をかけることしかできなかった。アルテナさまを守ることも、アルテナさまの代わりに戦うことも、何もできない。口惜(くちお)しいほどに、無力だった。


『いやあ…ちょっと足を滑らせてしまいましたね』


 打ち付けた背中が痛むのだろうか、アルテナさまは眉根(まゆね)を寄せつつも軽口とともに立ち上がる。けれど、その途中で膝をつきそうになっていた。

 …とっくに、女神さまの限界は振り切れている。

 

「それを聞いて安心しました。それなら、遠慮はいりませんね」


 それは、無慈悲な宣告だった。

 再び、魔女は黒い『柱』のような塊を、アルテナさまに叩きつける。


「アルテナ…さまぁ!?」


 二度目の黒い塊を、アルテナさまは、ほぼまともに受けた。

 打ち(そこ)なったファールボールのように、アルテナさまの肢体が宙を舞い、放物線を描く。

 …当然、その後は自然落下で地面に落ちる。

 地面に衝突し、鈍い音が、波紋のように周囲に響く。

 肉や骨が打ち付けられる、ひどく耳障りな音がワタシの鼓膜にこびり付いた。


「アルテナさま…」


 アルテナさまに近づこうとしても、ワタシの足はうまく動かない。動いて、くれない。

 …早く、早くアルテナさまのところに行かないと!

 気が急くばかりで、足が動かない。ワタシの腕だけが、無様に宙を引っ掻いていた。

 ようやくアルテマさまの元に辿り着いた時には、アルテナさまが上体を起こした後だった。


「アルテナ…さま」


 かすれる声しか、出なかった。

 アルテナさまは、そんなワタシにも微笑む。


『大丈夫ですよ。ワタクシのこの体は、『本体』ではありませんから』

「でも…でも」


 女神のアルテナさまとはいえど、天界からこちらの世界に来ることはできない。なので、こちらの世界で活動できる仮の体を使用しているのが現状だった。

 とはいえ、その痛々しさは、生々しい。

 落下したときに額を切ったのか、そこからは一筋の血が流れていた。肘や膝もたくさん擦りむいている。

 そして、右腕が、右側に、(ねじ)じれていた。

 …右腕は、そちら側には曲がらないはずなのに。


「アルテナさま…腕、折れてますよね」


 ワタシは、その腕に触れそうになったところで慌てて引っ込めた。素人が迂闊(うかつ)に触れていい状態でないことは明白だった。


『だから大丈夫ですよ。仮の体ですからね、痛みは感じないんです』


 アルテナさまは、また微笑んだ。これまでよりも一番、温かい微笑みで。

 …けど、痛くないというのは、噓ですよね?

 アルテナさまの頬を、脂汗が伝っている。

 痛いのを、痩せ我慢しているだけですよね?

 アルテナさまの呼吸は浅く、短い。

 もしかすると、肺なども損傷しているのかもしれない。


「もういいですよ、アルテナさま。もう、守らなくてもいいじゃないですか…もう、十分に頑張ったじゃないですか」


 ワタシは、女神さまの矜持(きょうじ)を台無しにする言葉を口にしてしまった。

 アルテナさまは、女神さまだ。

 普段からの言動ではとても女神さまには見えないけれど、今この場にいるのは、紛れもなく慈愛の女神さまだ。


「もう、やめてください…これ以上、アルテナさまが傷つくことに、ワタシは耐えられません」


 それは、殆んど声になっていなかった。

 それでも、何とか絞り出したその声は、魔女にも届いていた。


「やめられませんよ…私は、あのヒトビトの『代行者』です」


 ワタシの言葉は魔女にも届いていたが、魔女の心にまでは、届いていなかった。

 …でも、あの人にも、ワタシの声は聞こえてはいたんだ。

 だから、ワタシは魔女に語りかける。


「あの黒いヒトたちの恨みの根が深いことは、分かります…それでも、やめてください、ドロシーさん」


 あの黒い瘴気が、アルテナさまをここまで深く傷つけた。

 それだけ深く、あの黒いヒトビトはこの世界を呪っている。

 …いや、気安く理解できている気になっては、いけないのだけれど。


「あのヒトビトが死後も責め苦を味わっているのは、ニンゲンの業そのものだと思いませんか」


 魔女は、透き通る瞳をしていた。

 その透き通る瞳で、どれだけのニンゲンの濁った歴史を見てきたのだろうか。


「でも、そのヒトたちを傷つけたのは…アルテナさまではないはずです」


 かすれる声で、ワタシは言った。

 ワタシなどが何を言ったところで、あの黒いヒトたちが救われるわけもないのだけれど。


「確かに、あのヒトビトを虐げたのは、そこの女神さまではありません。ですが、責任という話をするのなら全てのニンゲンにその責があるのです。彼ら、彼女らという敗者から眼を背け、野晒(のざら)しにしたままその(しかばね)の上に歴史を作った、全てのニンゲンたちに。そして、その歴史を安穏と享受している全てのニンゲンたちに」

「それ、は…」


 言いがかりだと、強くは言えなかった。

 …ワタシだって、誰の目にも止まらなかった歴史の敗北者の一人だ。

 ワタシの死に対し、世界が見向きもしないことも、知っていた。


「勿論、私もそうした歴史を作ったニンゲンたちの一人ですから…その責を負う覚悟は、あります」

「…もしかして、ドロシーさんも、この世界と一緒に、滅ぶつもりですか?」


 …ドロシーさんだって、元の世界に、帰りたかったのではないのか?


「世界を滅ぼした後、私が一人だけ、この世界からとんずらをするわけにもいかないでしょう」


 魔女は、薄く笑っていた。その笑みはおそらく、諦観(ていかん)という仮面だ。

 …転生前は、ワタシもその諦めの仮面をかぶることが多かった。

 だから、ワタシは魔女に問いかける。


「でも…ドロシーさんを待っている家族が、いるんじゃないんですか?」

「私が自分の世界に戻れる保証は、どこにもありませんから…それに、世界を滅ぼしておいて自分だけがのうのうと生きて帰るわけにもいきません。それほど軽いものではないはずですよ、世界の重みというものは」


 ドロシーさんは、やはり薄く笑う。

 家族との訣別は、既に済ませているということだろうか。

 …だから、この魔女はあんなに寂しそうに、笑っているのだろうか。


『それを聞かされては…尚更この世界を壊させるわけには、いきませんね』


 女神さまが…アルテナさまが、魔女と対峙する。

 絵に描いたような、模範的な満身創痍(まんしんそうい)だというのに。


「アルテナさま…そんな体じゃ、無理ですよ!」


 ワタシは、必死にアルテナさまを制止した。

 …この女神さまが止まらないことは、知っていたけれど。


『大丈夫ですよ、みなさんのことは守ります…だって、ワタクシは女神さまですから』

「でも、アルテナさま…」

『まっすぐ、自分の言葉は曲げません…それがワタクシの女神道ですから』

「そんな強がりで茶化しても誤魔化しきれないくらい、もうボロボロじゃないですかぁ!」


 ワタシが何を言っても、アルテナさまの傷や痛みが希釈(きしゃく)されるわけではない。

 …ワタシが、無力で無能だから。

 いつの間にか頬を涙が伝っていた。

 けど、今はそんなことに頓着している場合ではない。


「何か…何かできないか」


 ワタシは周囲を見渡した。

 …そうだ。

 この場にいるのは、ワタシだけじゃない。騎士団長のナナさんだっているんだ。

 ワタシは、ナナさんの姿を探した。


「…………」


 ナナさんの姿は、すぐに見つかった。

 けど、ナナさんは、自分の体を自分で抱くようにして、震えていた。

 …ああ、そうだよね。

 ナナさんだって、『転生者』だ。現在は騎士団長というポストにいるけれど、ナナさんだって、ワタシたちの世界では非業の死を迎えた敗者の一人だ。

 だから、戦えるはずはない。

 非業の死そのものである、あの、黒いヒトビトとは。


「それなら…」


 ワタシは、次にティアちゃんを探した。

 ティアちゃんは地母神さまだ。この異世界ソプラノにおける大地の女神さまだ。

 だから、魔女にだって、きっと負けない。

 ティアちゃんは両膝をついて(うずくま)っていた。そんなティアちゃんを、慎吾はそっと抱きしめていた。

 …ティアちゃんは、地母神さまだった。

 この大地で非業の死を遂げたあの黒いヒトビトに対し、誰よりも嘆きを感じているのがティアちゃんなんだ。

 

「…………」


 …だとすれば、ワタシは、どうすればいい?

 アルテナさまだって、このままでは、仲間入りをしてしまうのではないか?

 あの、黒いヒトビトの。


「先ほど責任と言いましたが…ずっとニンゲンたちを野放しにしてきたあなたたち神さまにこそ、その最大の責任があると思うのですよ」


 魔女は、慈悲のない言葉を発していた。

 

『そうかも…しれませんね』


 アルテナさまは、そこで瞳を伏せた。

 痛みは痩せ我慢ができたかもしれないが、その言葉はアルテナさまに突き刺さっていた。

 …誰よりもやさしい女神さまだからこそ、その毒はアルテナさまを焦がす。


「では、何の憂いもありませんね」


 魔女には、別れの挨拶も何もなかった。

 何の感慨もないままに、右手を軽く振るった。

 それまでは柱のような形をしていた『夜』が、槍のような形に収束されて。研ぎ澄まされて。解き放たれて。

 …アルテナさまに突き刺さった。

 …そのまま、貫いた。


「…………」


 ワタシは、アルテナさまの名を呼んだ、はずだった。

 こえが、でない。

 いきも、でない。

 視野が狭窄(きょうさく)し、ワタシの視界にはアルテナさましか映らない。

 魔女の『夜』に貫かれ、立ち尽くすアルテナさましか。


 …つらぬか れた?


 こんなの うそでしか ないよね。


 だって、アルテナさまはコメディ担当だよ?

 なんでシリアスなんてやってる の?

 アルテナさまは ね。面白いおかしい ことだけ 言ってればいいんだ よ?

 ワタシ が ちゃんと ツッコむから ね?

 だから いつまでも ワタシたちの だいすきなめがみさま で いなきゃいけない よね?


「そう だ よ アルテ ナさま は 」


 ワタシはアルテナさまに近づきたかった。

 近づいているつもりだった。

 足は、完全に、動かない。

 だから、アルテナさまは一人だった。

 一人ぼっちで立っていて。

 一人ぼっちのまま、倒れた。

 ゆっくりと、コマ送りの緩慢(かんまん)さで。


「ああ、やはりこれぐらいでは死にませんか」


 …魔女は、何を言っている?

 古びた蓄音機から発せられているように、その声は音が割れていた。

 けれど、その声に釣られてワタシは見た。

 

「アルテ…ナ、さま?」


 アルテナさまが、体を起こそうとしていた。

 苦悶の表情で、それでも起き上がろうとしていた。

 …胸に、風穴が空いていたというのに。


「さすがに、作り物の体ですね」

『そうですね…ワタクシの本体では、ありません。でも、一分の一スケールのアルテナさま、です。再現度はかなり高いですよ』


 アルテナさまは、またも減らず口を言っていた。けど、ワタシにだって分かる。

 …このままでは、アルテナさまは、死ぬ。


「…いや、だ」


 ワタシは、自分が死ぬことが怖い。もう二度と、あんな目には遭いたくない。

 それと同じくらい、ダレカが死ぬのも、いやだ。

 大切なヒトを失うことが、こわい。

 …なのに、体は動かない。足が、地面に縫い付けられていた。


「いやだ…いやだ、いやだいやだ」


 動かない体を、無理矢理、動かした。

 汗も涙も、鼻水だって出ていた。

 アルテナさまを、まもるんだ。だから、うごけ。

 うごけ。うごけ。おねがい、うごいて。

 …わたしは、まに、あわない。


「それが、辞世の句の代わりでいいのですね」


 魔女は、息の根を止めようとしていた。

 めがみさまの。わたしたちのだいすきなめがみさまの。

 いのちを。けそうとしていた。


「魔女…魔女魔女マジョまじょ」


 そこで、声が聞こえてきた。

 ワタシでもアルテナさまでも魔女でもない、声。ナナさんやティアちゃんとも、その声は違っていた。


「…どうし、て?」


 声の方に振り返り、ワタシは驚きの声を漏らした。

 そこにいたのは、ロンドさんだ。

 源神教の教祖と呼ばれている、タタン・ロンドさんだ。

 けれど、その目は虚ろで、おそらくワタシなどは映っていない。

 あの人は『魔女』しか見ていなかった。

 過去の世界で、ロンドさんを、世界を崩壊させるための生け贄にしようとした、魔女の姿しか。


『…どうして、あの方が?』


 そこで歪な反応を見せていたのは、わたしたちのだいすきなめがみさまだ。

 …なぜ、そんな言葉がアルテナさまから出た?


「…………」


 …なぜ、だ?

 アルテナさまの反応に、逆にワタシは困惑する。

 もしかして、アルテナさまはロンドさんのことを知っているのか?

 …でも、なぜだ?

 疑問符が、ワタシの脳内で多重に発生していた。しかし、今のまともに頭が働かないワタシでは、思考をまとめることすらできない。

 けれど、アルテナさまは、ワタシ以上に困惑していた。


『なぜ…クリシュナさまが、ここにいるのですか?』


 クリシュナ…『さま』?

 女神であるアルテナさまが、『さま』をつけて、その名を呼んでいた。

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