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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case4 『駄女神転生』 2幕 『祭りの始末』
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79 『さあ、懺悔の用意はできていますか』

「目の前で父親と母親を生きたまま夜盗に焼かれ、その後で(むご)たらしく殺されてしまった年端(としは)もいかない少年がいました」


 魔女は、一つの地獄を語る。

 薄氷のような(もろ)さを感じさせる、透明な瞳で。


「貧困の所為で必要な栄養が摂取できず、自身だけではなく我が子の命をも失った失意の母親がいました」


 魔女は、一つの終焉を(つづ)る。

 血の色と同じ、赤く(はかな)い唇で。


「行きたくもない戦に駆り出され、捕虜にされた後で鼻歌交じりに殺害された男がいました」


 魔女は、一つの悲運を描く。

 朝露よりも物悲しい、繊細な声で。


「身に覚えのない罪で投獄され、激しい拷問の果てに大した意味もなく命を落とした少女がいました」


 魔女は、一つの歴史を辿(たど)る。

 人肌と同じ、淡い温もりを持つ(ささや)きで。


「父母を夜盗に殺害された少年の最後の言葉は、『父さんたちを返せ』でした。飢えで子供を亡くした母親の最後の言葉は、『一度くらいは、お腹いっぱい食べさせてあげたかった』でした。遊びのついでに殺された男性の最後の言葉は、『戦争なんてやるヤツはみんな死んでしまえ』でした。大した意味も意義もなく命を奪われた少女の最後の言葉は、『この国の人間を全員、呪ってやる』でした」


 魔女は、彼ら彼女らの最後の言葉を語る。

 語る。語る。語る。語る。

 最後の言葉を。最期の言葉を。終幕の言葉を。末路の言葉を。

 それは、彼ら彼女らへの追悼(ついとう)であり祈祷だった。


「これは、あの黒い亀裂の一部となった方々の言葉です」


 魔女は、滔々(とうとう)と語る。

 それは、セカイの裏側の物語。

 誰にも看取られることのなかった、一滴(ひとしずく)の物語たち。


「…あなたは、その人たちの全ての言葉を、記憶しているんですか」


 ワタシは、恐る恐る問いかけた。

 …そりゃ、怖いよ。

 本当はこんなことを尋ねたくはなかったし、尋ねるべきではなかったのかもしれない。

 魔女の語った言葉は、ただの最後の言葉ではない。

 抱えきれないほどの未練を抱え、理不尽なこの世界に対する強い怨嗟(えんさ)を持った人たちが残した、生命の余熱だ。

 到底、個人が受け止めきれるシロモノではない。

 それらは、いつまでも消えない生きた呪詛だ。

 ()れてしまえば、ただでは済まない。


「全ての言葉を記憶することなんて、できませんよ」


 魔女の言葉を聞いたワタシは「そうですよね」などと不用意に相槌を打ちそうになっていたが、そんなワタシに先んじて魔女が口を開く。


「ただ、今も聞こえているだけです。あの方たちから漏れる、諸々(もろもろ)の嘆きが」


 魔女の言葉は、ワタシの根幹を揺さぶる。

 …『今』も?嘆きが?聞こえる?

 心の置き場所が、分からなくなりそうだった。

 ワタシの心は、どこにあったんだっけ?

 ここに置いておいて、いいんだっけ?

 その資格が、ワタシにはあるのかな?


「先ほど、花子さんたちにも聞こえていたはずですよ。彼らの『声』が」


 魔女の言葉は、(いざな)う。

 その誘いが、ワタシの記憶を喚起(かんき)する。


「まさか、さっき聞こえていた、あの大きな音が…」


 黒い亀裂から聞こえていた、音と呼べる範疇から逸脱していた音。

 脳の全てを振動させていた、このセカイの外側からの音。


「あれが彼らの悲痛で、彼女たちの現状です」


 …あの轟音も、集合体だったのか。

 黒い亀裂の一部となり果てていても、その声は枯れてはいなかった。それだけ、抱えていた無念が大きかった。それらの声が集積されていたからこそ、あれだけの音だった。あまりに大きすぎて、それぞれの声に耳を傾けることなんて、できなかった。

 ならば、この魔女は、声なき声の代弁者だ。

 世界から見放されていた、あのヒトビトの。


「あの、音が…何億もの人たちの、声」

「何億?花子さん、それは低く見積もりすぎですよ。あの亀裂は、大昔からあるのです。それこそ、何十億という人々の魂があそこに囚われていますよ」


 魔女は、ワタシの認識を指摘した。それは甘い、と。

 …けど、何十億。

 あの亀裂は、遠い空に浮かんでいる。ワタシたちは遠くから、安全圏からそれを眺めていただけだ。

 小さな小さなヒトとヒトが集まり、あの大空に巨大な亀裂を形成している。

 ならば、その(けた)は、もう一つぐらい上がるかもしれない。何十億よりも、一つ上へと。下手をすれば、さらにもう一桁。


「だから、あるとは思いませんか」

「何が…ですか?」


 魔女の言葉に、ワタシはそう問い返すのが精一杯だった。


「彼ら、彼女らには、この世界を滅ぼす権利が」


 魔女の言葉は、ワタシを(えぐ)る。

 反論なんて、ワタシにできるはずもない。あそこにいたヒトビトは、純度100%の被害者だ。


「でも、あの…」


 ほら、やっぱりだ。

 何かを言おうとしても、言葉にはならなかった。

 …だって、分かるよ。

 神さまを呪った回数なら、ワタシだってあのヒトたちに引けを取らない。それが無為だということも、無駄だということも、知っている。

 それでも、ダレカを呪わなければやっていられなかった。

 だから、ワタシは神さまをサンドバッグにして呪っていた。

 そんな自分が心の底から大嫌いだとしても、抑えられなかった。


「…………」

 

 だって、世界には、幸せな人がいっぱいいたんだ。

 友達とおしゃべりできるだけで幸せなんだよ。

 美味しいものが食べられるだけで幸せなんだよ。

 夢見心地で眠れるだけで、幸せなんだよ。

 同じ明日が来るだけで、それは、幸せなんだよ。

 …家族と笑っていられるだけで、それはそれは、幸せなことなんだよ。


「ワタシには、どれも与えられなかった…」


 かみさまは、わたしには、しあわせをくれなかった。

 せかいは、わたしにやさしくしては、くれなかった。

 せかいもかみさまも、わたしをえこひいきしてはくれなかった。

 だから、世界を呪う気持ちなら、ワタシが一番、理解できる。

 だから、ワタシは何も言えなかった。

 本当ならば、ワタシが誰よりも一番、あのヒトたちに寄り添わなければならないはずだったのに。

 そのための言葉が、見つからなかった。

 …いや、そこから逃げていたのか、ワタシは。


「世界を滅ぼすことなんて…できるんですか」


 たっぷりと時間を浪費しておきながら、ワタシの口から出てきたのはその程度の問いかけだった。


「可能、ですよ」


 魔女は、少しだけ落胆しているようにも見えた。

 …もしかすると、ワタシにナニカを期待していたのだろうか。

 あの黒い亀裂に触れたワタシなら、あのヒトビトを救える言葉が口にできるかもしれない、と。


「…できる、んですか」


 魔女の『可能』という言葉に息が詰まり、心臓が一瞬だけ、止まった。

 …そうだ。

 この人は『魔女』だ。

 異世界ソプラノを滅ぼすことのできる、伝説上の魔女だ。


「あの亀裂には、その意思があります」


 魔女は、端的に断言した。

 その言葉が虚言や妄言でないことは、黒い亀裂に触れたワタシにも分かった。それだけの意思があり、それだけの力があるということも。

 あれだけの呪詛が集まり、それだけの呪詛が長い時をかけて熟成されている。

 ヒトの命が重いというのなら、ヒトの呪いが重くないはずはない。

 ワタシだからこそ、あそこにいるヒトビトの気持ちが痛いほど分かった。

 …それでも、世界を壊すことは、やめて欲しかった。

 あの世界にいた頃のワタシの夢は、くったくたになるまで遊び倒すことだった。

 朝は早く起きて身支度もそこそこにどこかへ出かけ、何も考えずに遊び惚けて好きなだけ美味しいものを食べ、最後に息を吞むような絶景を眺めて一日の終わりにふかふかのベッドへ飛び込む。そんな一日を、家族と一緒に過ごしたかった。

 そんな風にくたくたになるまで遊び倒すことが、ワタシの夢だった。

 …勿論、その夢は夢のままで閉ざされた。

 そして、ワタシはまだ、この異世界でも遊び倒してはいない。

 何度も何度も遊びには行っているし、楽しいこともあった。美味しいものも食べている。でも、遊び倒したという充足を感じたことは、未だになかった。

 多分、この異世界にはワタシの家族がいないからだ。

 だからだろうね、ワタシの中には、常に物足りなさがあったんだ。いや、この異世界に来られただけで、それは僥倖(ぎょうこう)としか言えないんだけれど。

 …なので、この世界を終わらせないでください。

 ワタシはまだ、この世界で遊び倒していないんです。


「…………」


 卑怯者のワタシは、その言葉を口にできなかった。

 あの亀裂のヒトビトの痛みも、知っているから。

 でも、この世界が終わって欲しいとも、思っていない。

 それも、言葉にしなかった。

 ワタシは、あのヒトビトの味方にも敵にも、なれなかった。

 …結局は、どっちつかずのコウモリ野郎だった。


「どうでしょうか、花子さん。この世界の崩壊に、手を貸してはくれませんか」


 魔女は、ワタシに『沈黙』を許さなかった。

 ワタシに、『答え』を求めてきた。

 

「…ワタシに、何ができるというんですか」


 この期に及び、ワタシは先延ばしを選んでいた。


「あの、黒い亀裂のヒトビトを解放します」


 魔女は、空恐ろしいことを口にした。

 …あのヒトたちを、解放?

 その果てに何が起こるのか、ワタシには分からない。それでも、それが崩壊の引き金になることだけは、理解できた。


「そのためには、生け贄が必要になるのですけれど」


 …それは、『魔女』の言葉だった。

 けっして言祝(ことほ)ぐことはできない、言葉だった。

 しかし、そういえばそうだ。

 ワタシも、聞いたことがあったはずだ。

 この世界の崩壊を引き起こすためには、『生け贄』が必要だということを。ワタシにそのことを教えてくれたのは、大昔に生け贄に選ばれたというロンドさん本人だ。


「どうでしょうか、花子さん」


 再び、魔女がワタシに誘いをかける。

 甘く、か細く問いかける。

 魔女は、ワタシにせがむ。

 さあ、どちらを選ぶのか、と。

 さあ、天秤にかけろ、と。


「お(あつ)え向きに、この場には生け贄に相応(ふさわ)しい少女もいるようです」

「…何を?」


 この人は、何を言っている?

 

「お取込み中のところ申し訳ないのですが」


 これまで、この場で交わされていたのは魔女とワタシの言葉だけだった。他のみんなは、文字通りに言葉を失っていたからだ。 

 けれど、そこでワタシたち以外の声が発せられた。随分と久しぶりに、他の人の声を聞いた気がした。

 その声の主は、ジン・センザキさんだった。


「どうしたんですか…センザキさん」


 ワタシは、そちらに逃げた。魔女から逃げた。


「いや、ちょっと思い出したんだよ。花子さんは知りたがっていただろ?」

「何を…ですか?」


 センザキさんが発した言葉に、ワタシは身構えた。

 …これ以上、怖いことは聞きたくなかった。


「アルテナさまが、最後に誰と会ったのか、花子さんは知りたがっていたはずだ」

「…アルテナさまが?」


 ワタシは、記憶を手繰(たぐ)るのに時間がかかってしまった。センザキさんが何の話をしているのか、即座に理解ができなかった。しかし、少しずつその輪郭(りんかく)を思い出していく。センザキさんが言っているのは、休眠状態に陥ったアルテナさまが、その直前にダレカと会っていた、という話だ。


「けど…それがどうしたんですか?」


 どうして、そんな話を、今しているのだろうか、センザキさんは。


「その人だよ」


 センザキさんは、まだ後ろ手に縛られたままだ。だから、指を差すことはできない。

 だから、センザキさんは目で指示していた、その相手を。アルテナさまが最後に会ったという、その相手を。


「ドロシー…さんが?」


 センザキさんの目線の先にいたのは、魔女だった?

 アルテナさまが眠りにつく直前に会ったという人物は、ドロシーさんだった?


「ああ、あの女神さまですか」


 ドロシーさんは、隠す様子もなく答えた。その表情には、動揺の片鱗すらない。


「どうして…ドロシーさんがアルテナさまと?」


 ワタシは、『魔女』に問いかける。あまりに許容量を超えたことばかりが起こっていて、ワタシの処理能力はとっくにオーバーフローを起こしていた。けど、考えれてみれば、これはありえないことでもなんでもなかった。アルテナさまは、この世界の崩壊を防ぐために、『魔女』を追っていたはずじゃないか。これは、そんな『魔女』と『女神』が出逢っていたというだけの話だったんだ。


「どうしてと言われましても、別に私が彼女に会いたがったわけではありません。こっちに用事があったわけではないですしね」


 魔女は、素っ気なく女神さまを語る。


『ですが、ワタクシとしては世界の崩壊なんて看過(かんか)できませんでしたから』


 その声を聞いた刹那、ワタシは震えていた。全身の筋肉が、細胞が微動する。

 幻聴…?

 ワタシは、恐る恐る振り返った。奇跡であることを、願って。


「アル…テナさま?」


 振り返った先には、いた。

 幻聴ではなかった。幻覚でもなかった。

 そこにいたのは、やらかしの女神さまだ。

 たくさんたくさんやらかして、みんなから怒られていたあの女神さまだ。

 …それなのに、ワタシは安堵していた。

 また、大好きな女神さまに会えた、と。

 そして、今、ワタシが最も会いたかったのが、この女神さまだ。


『随分と、花子さんたちを苛めてくださったようですね』

「私はただ、花子さんたちと仲良くしていただけですよ」


 女神と魔女が対峙していた。

 セカイの境界とも言える、この場所で。


『さあ、懺悔(ざんげ)の用意はできていますか』


 女神さまは、女神さまらしく締まらない決め台詞で開戦の狼煙(のろし)を上げた。

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