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転生者なんか送ってくるな! ~看板娘(自称)の異世界事件簿~  作者: 榊 謳歌
Case4 『駄女神転生』 2幕 『祭りの始末』
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71 『貴公、既に狂っていますよ』

「…一度でも失えば、二度と手に入らないモノが世の中にはあります」


 ひっそりとお腹に力を入れて、ワタシはゆっくりと言葉を吐き出す。それらの言葉には、ワタシの念がこもっている。臆病なくせに粘着質なワタシの、薄暗い念が臆面(おくめん)もなくたっぷりと。


「そして、そういうモノほど、かけがえがありません」


 固く拳を握りながら、ワタシは言葉を慎重につなげる。それらの言葉が途切れれば、『花子』との絆も途切れるのだと自分に言い聞かせながら。

 でなければ、ワタシは恐怖で口を開くこともできなくなる。

 ワタシが相対しているのは、『あの人』だ。


「ワタシや雪花さん、慎吾や繭ちゃん、それにあなたのような『転生者』は、そのことをよく知っているはずです」


 ワタシは、見据えていた。真っすぐに、あの人を。

 一回り以上も年上のあの人を、ねめつけるように。


「ワタシたちが失ったものは遠い遠い世界に置き去りにされたままで、二度と触れることはできません」


 ワタシは、対峙していた。とある丘の上で、あの人と。

 この場には、ワタシとあの人、そして、後ろ手に縛られた『花子』がいた。

 二人は、丘の上に陣取っていた。風下にいたのはワタシだったけれど、ワタシの声は、あの二人にも届いていたはずだ。

 それでも、あの人は、何も言わなかった。

 完全にワタシの一人相撲の様相だった。それでも、ワタシは続ける。


「…けれど、もし、その置き去りにされたままの宝物が、もう一度、手に入るとしたらどうでしょうか」


 それは、ひどく蠱惑(こわく)的な甘露だ。

 禁忌(きんき)だと分かっていても、そこに手を伸ばしたくなる気持ちも理解ができる。

 …(むし)ろ、ワタシこそが、世界で一番の理解者に、なれる。


「もう一度、それらが手に入るとしたなら…ワタシはそこで、何を犠牲にするのでしょうね」


 …ワタシだって、帰りたい。

 おばあちゃんたちが待つ、あの温かい家へ。

 既に命を落としたワタシには、もう、あの家に居場所はないのかもしれないけれど…。

 それでも時折り、ひどく幼稚(ようち)な夢想をしてしまう時がある。

 今の、健康な体のワタシがあの家にいたら、どれだけたくさんの楽しい思い出が作れるだろうか、と。

 海にも行ける。山にも行ける。買い物だって映画館だって、好きな時に好きなレジャーに行ける。

 病気という意地悪な(かせ)がなければ、ワタシは無敵になれる。

 …何よりも、おばあちゃんにもお母さんにもお父さんにも、ワタシのことで、悲しい顔をさせなくても、済む。

 笑顔だけが溢れるあの家は、どれだけステキな家族だろうか。

 そのための対価に、何を要求されたとしても…。


「でも、やはり超えてはいけない一線はあります…あるんですよ、ジン・センザキさん」


 ワタシは、ジン・センザキ氏と向かい合う。

 ワタシの視線は険しかったけれど、あの人は涼しい顔をしていた。

 対照的なワタシたちを、『花子』はジン・センザキ氏の後方から無言で眺めていた。『花子』は『邪神の魂』ではあるけれど、身体的には普通の人間と何ら変わらない。理不尽な『邪神』パワーなんてものを、持ち合わせてはいない。そんな『花子』は、痛いとも辛いとも、ほんの少しの泣き言も口にしないままで、それでも、視線だけはワタシたちから外さなかった。


「ご高説(こうせつ)ありがとう、花子さん」


 ジン・センザキさんは、そこで拍手をしていた。ひどく乾いた音が、ワタシとセンザキさんの間を漂う。何の感慨もない空疎(くうそ)な拍手の音、それは、今のワタシたちにはひどく似合っていたのかもしれない。


「そんなに空々しい拍手をする人、初めて見ましたよ」


 ワタシの言葉なんて、あの人には微塵も届かない。

 …ワタシの言葉に説得力がないことは、ワタシ自身が一番よく分かっていたけれど。


「あなたは、自分が失ったあの世界を、この異世界ソプラノで再現するつもりなんですね…洗脳とかいう、埒外(らちがい)のインチキを用いて」


 ワタシは、突きつけた。

 ジン・センザキ氏が理想とする、幻想の世界を。

 それは、『転生者』にはもう届かないはずの、虚飾(きょしょく)の理想郷。

 もはや、ワタシたちには異世界よりも遠い空想の故郷。


「そうだね」


 ジン・センザキ氏は、悪びれる様子はなかった。

 ワタシとこの人は、しばし(にら)み合う。いや、睨んでいたのはワタシだけか。

 そんなワタシたちを、麗らかな日差しが照らしていた。そして、ワタシの影もセンザキ氏の影も、どちらの影も長く長く伸びる。その影の長さが、やけに異様に感じられた。


「…なぜ、洗脳なんてするんですか」


 ワタシのこの問いかけは、愚問でしかなかった。

 センザキ氏が、世界征服を目論んでいたあの人たちの洗脳装置を、より完璧なものとして発展させた新型を作り上げてしまったその時点で。この人のユニークスキルである『解析』が、それを成し遂げさせてしまったその時点で。


「その理由は、君たちなら理解してくれると思っているんだけどね」


 あくまでも飄々(ひょうひょう)と、ジン・センザキ氏はその表情を崩さない。その傍らには、センザキ本社で見た洗脳装置に似た機械が、これ見よがしに置かれていた。


「確かに、分かりますよ…嫌でもね」


 それが分からない『転生者』なんて、いるはずがない。

 神さまからどれだけすごいギフトを与えられたとしても、ワタシはこう願う。

 もう一度、あの家族の元に帰りたい、と。


「けど、あなたは…この異世界でのワタシたちの先達です。ワタシたちよりも、長い時間をこの異世界ソプラノで過ごしてきたはずです。もう、こっちに来てから過ごした時間の方が長いんじゃないですか。だったら、この異世界にも思い入れはあるんじゃないですか。それに、あなたを養子にしてくれた家族だって、この異世界にはいるはずなんですよね」


 仮初(かりそめ)かもしれないけれど、この人にはこの異世界にも家族がいる。

 スタートラインは、ワタシよりも恵まれているじゃないか。


「そして、その家族も(たずさ)わる会社で代表にまで上り詰めた…これ以上、貴方は何を望むんですか」


 この人は、『転生者』として手にするできるほぼ全てのものを、手に入れてきたのではないだろうか。


「花子さんは、この世界に『転生』してきてから一年も経っていないんだったね」

「…そうですよ」


 唐突に、そう言われた。その言葉の意図は、どこにあるのだろうか。


「だとしたら、花子さんが思い知るのは、これからだよ」

「思い、知る?」


 …何を、だ?

 ワタシの背筋を、冷たい汗がゆっくりと伝った。


「ああ、花子さんは思い知るよ。『転生者』なんてものが、どれだけ白々しい存在か、とね」


 ジン・センザキ氏は、そこで空を見上げた。

 つられて、ワタシも見上げる。今日は晴天で、今は雲一つなかった。抜けるような青空には底がなく、どこまでも吸い込まれそうな錯覚に吞まれる。


「私がこの異世界に来たのは、中学生のころだった。アルテナさま…というか天界の計らいで、センザキ家に養子として拾われたのは、確かに幸運だった」


 ジン・センザキ氏は、身の上話を始めた。やけに、透き通る声で。


「義父は、『転生者』である私にも色々と教えてくれたよ。この世界のことや、仕事のことを、丹念に。義父には…というか、両親には子供がいなくてね。やけに私にかまってくれたものだよ、特に、転生したての頃は」

「ご両親には、お子さんができなかったんですね」

「いや、小さい頃に魔獣に襲われて命を落としたらしい。だからこそ、過剰に私のことを心配していたよ」

「…………」


 だったら、現状の何が不満なんですか。

 ワタシは、のど元まで出かかったその言葉を吞み込んだ。自身のことを語るこの人が、やけに空疎に見えてしまったからだ。


「自分で言うのもなんだが、私はこれでも勤勉でね。この異世界の歴史やセンザキグループの仕事もすぐに覚えたよ。義父もよく褒めてくれた、「ジンは筋がいい」と。あの人は、私の要領の良さを早々に見抜いていたんだ。そして、本格的にセンザキで働き始めた私は、義父が見抜いてくれた才覚を如何なく発揮して、グループ内で頭角を現していったよ」

「なんですか、自慢話ですか…」

「いいや、与太話だよ」


 ジン・センザキ氏はそこで小さく笑った。ただ、その瞳は、やけにくすんで見えた。


「私は、とんとん拍子でスピード出世をしたよ。勤勉な私には、出世争いもいい刺激になったんだ。それに、嫉妬心から私の足を引っ張ってくる連中を、逆に罠に嵌めて「ざまあみろ」と蹴落とすのも痛快だった。私は、ワタシの思い描く理想の私を邁進(まいしん)していたんだ」


 軽く両手を広げるこの人の言葉は、やけに無味乾燥としていた。出世に対する自尊も、ライバルたちに勝利した凱歌(がいか)も、そこには何もない。ただただ平坦に、彼は語る。


「けれど、それのどこが、私の人生だったんだろうね」


 ジン・センザキさんの声は、ナニカが欠けていた。この人は、この異世界で満ち足りた足跡を残してきたはずなのに。


「確かに、私はグループの代表にまで上り詰めた。センザキの直系でもないのに。しかし、どれだけ上に行こうと私は満たされなかった。物足りなさを、ずっと抱えていたんだ。当たり前だ。私が出世できたのは、私が『転生者』だったからだ。私は、『解析』などというふざけたスキルでチート行為を繰り返していた。私は結局、人生におけるレギュレーション違反を繰り返していただけだったんだ」


 ジン・センザキさんの声に、起伏が混じり始めた。


「だから、私は私を認めることがができなかった。花子さんだって思うだろう。天から授かったズルで結果を出したところで、それのどこが自分の成果なのか、と」


 ジン・センザキさんの声の起伏が、また少し大きくなった。これまで何があろうとブレなかったこの人の中で、ナニカがズレ始めたんだ。


「ただ、転生してきたころの私は、そのことに気付かなかった。もらったスキルで無双することに愉悦(ゆえつ)を感じ、そのことから目をそらしていただけだったのかもしれないけれどね」


 ジン・センザキさんの独白は続く。

 それは、誰のための断罪だったのだろうか。


「けど、私の中にいた理想の私は、そんなズルい私を許してはいなかった。だから、少しずつ少しずつ、私の中の理想の私と現実の私に、乖離(かいり)が生じていった」


 少しずつ、ジン・センザキさんの声から起伏がなくなっていった。言葉を紡ぐことで、この人の中でナニカが整頓されているんだ。その整頓は、おそらく覚悟と同義だ。


「子供のころの私は、たくさんの人間に憧れていた。アインシュタインやレオナルド・ダ・ヴィンチ、湯川秀樹にチャールズ・チャップリンも憧憬(どうけい)の対象だった。いや、人類史に残る全ての天才たちは勿論(もちろん)、歴史の表舞台には残らない天才にだって、私は(すべか)らく憧れをいだいていた」


 ジン・センザキ氏は語る。ほんの少しだけ、少年のような無垢(むく)な瞳で。しかし、その少年の瞳はすぐに曇る。


「だが、いつしか自分もそうなりたいと願っていた私は、この異世界のどこにもいなかった。『転生』と同時にユニークスキルなどを与えられた時点で私はスキルに振り回され、私は私ではなくなっていた」


 センザキ氏の声からは起伏が消えていた。その表情からは感情も消えていた。


「この異世界にいる私の…どこが私だというんだ」


 …それは、ワタシにも、言えることかもしれなかった。

 本来なら持ちえない『念話』などという超能力を与えられたワタシは、本当にあの世界にいたワタシと地続きなのか、と。

 

「…だから、洗脳ですか」


 ワタシは、そこで言った。この人の韜晦(とうかい)を邪魔する無粋だと知りながら。


「ああ、洗脳だよ。この異世界を、私たちがいたあの世界と同じに塗り替える」


 朗々と語るジン・センザキ氏には、悪党の面影は微塵もなかった。

 だから、理解した。

 この人のことを、先ほどよりも深く。


「そして、ジン・センザキさん…あなたは、自分自身をも、洗脳するつもりですね」

「当然だよ。私は、私を否定する。そのために、ここにいる」


 貴公、既に狂っていますよ。

 とは、ワタシは言えなかった。

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