66 『もしかしてオラオラでござりますかー!?』
「はい、復唱!」
ワタシは、右手に持った指揮棒を軽く振った。そして、叫ぶ。普段は真ん丸なお目目を三角に吊り上げながら。
「二度と尾行なんていたしません!」
威厳のある(当社比)声を、ワタシは張り上げた。
「…………」「…………」『…………』『…………』
返事は一つもなかった。誰か一人くらいはちゃんと復唱してくれると信じていたのに…。
現在、ワタシたちはみんな揃ってお家に戻ってきていた。
「ちゃんと反省してるんだよね?」
ワタシは、みんなをねめつける。
あ、勿論、本気で睨んだわけじゃないよ?
とりあえず、雰囲気だけ味わってみたかったのだ。いつもはワタシが叱られる側だからね。たまにはこういう意趣返しも許されるはずなのだ。実際、ワタシたちのデートが尾行されてたのは事実なんだから。
ここはリビングで、シャルカさん以外の全員が揃っていた。慎吾とティアちゃんは飲み物を取りに台所の方に行っていたけど、すぐに戻ってくるはずだ。ティアちゃんも尾行には参加していたけれど、さっきの活躍もあったので、とりあえず罷免となっている。
「…………」
ワタシはソファに座る。雪花さん、繭ちゃんと白ちゃん、さらには『花子』もいて、全員が床に正座をしていた。正確には、ワタシがみんなに正座をさせていた、だけれど。
そして、雪花さんの答弁が始まった。
「あの…拙者は『隠形』を使ってくれと頼まれただけなので、お説教は免除でもいいのでは?」
「そもそも、雪花さんがそこで拒否していたらこんな大所帯で尾行なんてできなかったはずなんですけれど?」
雪花さんのユニークスキルである『隠形』を使われれば、その尾行に気付くことは誰にもできない。あのスキルは、使用者をこの世界から完全に隔離してしまうからだ。雪花さんたちにはまんまと尾行を許していたわけだけど、ワタシが頓馬だったというわけではないのだ。
「そこは、まあ、その、拙者は頼まれると断れない女といいますか…頼れるお姉さんでござるからな」
雪花さんの目は泳ぎまくっていた。ワタシじゃなくてもすぐに分かるのだ。だから、別口から切り崩すことにした。雪花さんの牙城なんて、蟻の一穴ですぐに崩れちゃうんだよ。
「繭ちゃん、なんて言って雪花さんを買収したの?」
「ボクじゃないよ!?まあ、ボクも尾行には参加しちゃったけど…でも、それは最近の花ちゃんに元気がなかったみたいだし、心配だったからだよ?花ちゃんの弟としては当然だよね?」
「繭ちゃん…」
「ところで、ボクそろそろ足が疲れてきたから正座を崩してもいい?」
繭ちゃんは、祈るように両手を組み合わせて上目遣いだ。しかも、その瞳がちょっと潤んでいる。
…く、泣き落としだって分かってるのに、強くは言えなかった。
この子、ホントに自分の武器をよく分かってるんだよね。しかも、都合のいい時だけワタシの弟になるんだよ。普段はワタシのことお姉ちゃん扱いなんてしてくれないのに。ただ、この反応を見るにこの子も興味本位でついてきたみたいだけど、尾行の発案者という感じではなかった。
「じゃあ、あの尾行の言い出しっぺは…本当に『花子』だったの?」
さっき雪花さんがそう言っていたけど、それは雪花さんの口から出まかせだと思っていた。だって、『花子』が尾行なんてするはずないと思っていたからね。
しかし、無表情のままで『花子』は『はい』と肯定した。
そんな『花子』に、ワタシは問いかける。
「ええと…なんで?」
ワタシとこの子は瓜二つだ。いや、それは言い過ぎか。完全に同じではないし、よく見ると細部がそこそこ違う感じがする。まあ、この子はデフォルトが能面なので表情が読みづらいからだと思うんだけど、でも尾行なんてはしたないことをする子じゃなかったはずだよね?
『花子サンの交尾に…いえ、尾行というものに興味がありましたので』
「…さらっととんでもないこと口走ったかもしれないけどそれは言い間違いなんだよね?」
そんな『花子』はさすがに嫌だよ?
「けどね、『花子』…黙って人の後をつけるのは悪いことなんだよ。悪いことをすると、いつかそれは、自分にも悪いこととして返ってくるんだよ」
ワタシは、噛んで含めるように丁寧に『花子』に言い聞かせた。『花子』のお姉ちゃんとして、この子を悪の道に踏み込ませるわけにはいかないからだ。
そして、『花子』は反省したのかしおらしく謝った。うん、素直なのはこの子の美徳だね。とても、元が『邪神の魂』とは思えないよ。ああ、ワタシの中にいたからその影響かな(自画自賛)。
『はい、分かりました、すみません、花子サン。けど、わたしが『花子サンのデートが気になります』と言いましたら、雪花サンや繭ちゃんサンが「よし、面白そうだし漫画のネタになりそうなので花子殿の初デートを覗きに行くでござるよ」と「大丈夫、花ちゃん鈍感だからバレないよ」とやさしく背中を押してくださいましたので』
「それもう元凶は雪花さんたちだよね!?」
よくそれで『花子』の所為にできたよね!?
ワタシだって、思わず持ってた指揮棒をピシって振っちゃたよ。あ、ちなみにこの指揮棒はリビングに置いてあったので勝手に拝借しました。だって、誰もこの棒のことは知らないって言ってたから。まあ、指揮棒のことはどうでもいいや。
ワタシは、責任者(?)の雪花さんに指揮棒を突き付けた。
「とりあえず、雪花さんたちにはバツを受けてもらいますよ」
「もしかしてオラオラでござりますかー!?」
「そこまではしませんよ…」
というかできませんよ。
そこで、慎吾たちがキッチンから戻ってきた。
「お説教はその辺でいいじゃないか、花子」
「でも、慎吾…」
ワタシが何かしでかした時は、ペナルティを課されてきたのだ。雪花さんと夜中に騒いだ時とか、お風呂の水が半分になるまでお風呂場でティアちゃんとはしゃぎ過ぎた時とか、繭ちゃんが育ててたヒマワリの種をシャルカさんと一緒に軒並みオヤツにして食べてしまった時とかに。
…もしかして、一番の問題児はワタシなのかな?
「ほら、みんなの分も飲み物もってきたから」
という慎吾の鶴の一声で、反省会はお開きとなった。正座から解放された面々は安堵の息を吐いていた。特に、白ちゃんが限界だったようで真っ白な犬尻尾と真っ白な犬お耳がプルプルしていた。うーん、白ちゃんは完全に巻き込まれただけだったのかな。ごめんね、この子だけは正座じゃなくてもよかったかもね。
そして、みんな、それぞれに慎吾が淹れてくれたコーヒーやらお茶やらミルクやらで喉を潤していく。
「結局、あの『魔女』って人はいつの間にか消えてたな」
全員が一息ついたところで、慎吾が、ブラックコーヒーに口をつけながらそう言った。
とりあえず一休みはできたけれど、現状は何も変わっていない。
「…そう、だね」
暴走したロンドさんをワタシたちが説得したりして抑え込んでいる間に、ドロシーさんはあの場から立ち去っていた。
本当に、ドロシーさんが言い伝えの『魔女』なのか。
本当に、過去に『世界の崩壊』なんてものを引き起こそうとしたのか。
そして、ロンドさんを『女神さま』と呼んでいたが、その真偽はどうだったのか。
ワタシたちは、何一つ確認することはできなかった。
「まあ、ロンドさんがおとなしく退いてくれただけでも良しとすべきなのかもね」
ワタシは、ぶどうジュースのカップに口をつけた。
本気を出した時のロンドさんは、あんなモノではなかった。先刻のロンドさんは我を失ってはいたけれど、それでも最低限の分別くらいはついていたようだ。街中ではあれ以上の狼藉を働くことはなかった。まあ、ティアちゃんがにらみを利かせてくれていたお陰だろうけれど。
そして、そうこうしている間にドロシーさんが姿を消していたんだ。その後、ロンドさんもドロシーさんを深追いすることはなく戻っていった。
「さすがに、ロンドさん相手だと騎士団の人たちでも手に余るだろうし」
あのままロンドさんが暴れ続けたら、町の中がとんでもないことになっていた。あの人を逮捕できる人なんて、この王都にはいないはずだ。ナナさんだってまだ怪我が治ってないし、怪我が治って『結束』のユニークスキルを発動しても、あの人を抑えられるかどうか。それに、ロンドさんを捕まえられたとしても、今度はあの人を捕まえておける檻がないんだよ。
ワタシは、そこで慎吾がお茶請けに持ってきてくれていたクッキーに手を伸ばす。干しぶどうが練り込まれたクッキーは、仄かな甘みと酸味がいい塩梅で同居していた。
…繭ちゃんからは『オヤツ禁止令』が出ていたけれど、今の流れなら食べても怒られないはずだ。
「アレが、花子を殺しかけた相手…か。確かに、オレなんかが付け焼き刃で太刀打ちできる相手じゃないな」
慎吾は、そこで苦い表情をしていた。それは、コーヒーの苦みだけで形成された表情ではなかったようだ。
だから、ワタシは慎吾に伝える。
「慎吾は戦いなんてしなくていいんだよ…慎吾の手はね、子供たちに野球を教えてあげたりおいしい野菜を作るためにあるんだから」
「花子…」
『もしくは、かわいいわらわ様の頭を撫でるためにあるのじゃな』
地母神さまであるティアちゃんが、そこでワタシたちの間に割り込んできた。というか、ワタシの膝の上に乗ってきた。なので、ワタシがティアちゃんの頭を撫でた。これでもちゃんと感謝しているのだ。ティアちゃんだけじゃなくて、雪花さんたちにも、だ。『花子』の教育にもよくないから一応は叱っておいたけど、あの場にみんながいてくれて、本当に助けられた。
ロンドさんのあの火球を見た時、正直、全身から血の気が引いた。
あの火の玉に、ワタシとナナさんは、殺されかけている。あの時の記憶が、鮮明にフラッシュバックした。でも、みんながいてくれたから、ワタシは辛うじてでも立っていられた。
「ねえ、ティアちゃん…」
ワタシは、そこでティアちゃんに声をかけた。まだティアちゃんの頭を撫でながら。
『ただいまー、帰りましたよっとお』
玄関の方から、声が聞こえてきた。しかも、かなり陽気な声だ。
というか、また帰りに一杯ひっかけてきたな、あの人は…?
『お、みんなして出迎えごくろーさまです』
陽気に敬礼しながら、シャルカさんが玄関からリビングに入ってきた。誰も出迎えてはいないけれど、酔っ払いの戯言なので誰も気にしない。『花子』でさえ、最早なれたものだ。
「こんな時間から飲んでるんですか…」
ワタシは、お冷をシャルカさんに手渡した。本当はこの冷水をぶっかけて頭を冷やしてもらいたいところだったけれど。いや、だってまだお昼すぎだよ?なんでもうへべれけなの、この人?こっちはそれどころじゃなかったんだからね?
『まあ、今日はギルドも早仕舞いだったからなー』
「早仕舞いって、何かあったんですか?」
よたよたとソファに倒れ込んだシャルカさんに、ワタシは問いかけた。
ただ、ギルドの早仕舞い自体はそれほど珍しいことではない。そもそも、冒険者たちに仕事を斡旋できるのは正午までだしね。理由は、あまり遅い時間に町の外に出ると危険だからだ。暗くなると魔獣なんかも動きが活発になるし、暗くなってから山に入るのは危険すぎる。
『なんか、街中で騒ぎがあったみたいでなー。冒険者たちも街中で待機ってことになったんだよ』
「あー…そうですか」
十中八九、それはロンドさんが暴れたせいだろうなぁ。
「ああ、そうだ。シャルカさんに聞きたいことがあったんですよ」
『なんだ?花子がこないだ割った花瓶のことなら次の給料から天引きされるぞ』
「違いますよ!」
と、叫んだワタシだったけれど、慎吾や繭ちゃんは「またやらかしたのか」みたいな顔でこちらを見ていた。
ワタシは、小さく咳払いをしてから続けた。
「ええと…『女神さま』について聞きたいんですよ」
『アルテナさまがどうかしたのか?』
「いえ、アルテナさま以外の、この世界の女神さまについて教えてほしいんですよ」
ドロシーさんが…『魔女』が、ロンドさんのことを『女神さま』と呼んでいた。ロンドさん自身もその『女神さま』が何のことか分かっていなかったが、確かにドロシーさんはそう言っていた。
だとすれば、その『女神さま』とはナニモノだ?
シャルカさんは、やや呂律の回らない舌で話してくれた。
『アルテナさま以外のまともな女神さまかー』
「ええ、『魔女』が『女神さま』って言ってたんですよ」
『『魔女』かー…『魔女』と因縁のある『女神さま』なんて、アルテナさまの先代くらいじゃないか?』
「アルテナさまの…先代?」
けど、確かにそんな話も聞いていた気がする。アルテナさまの前任の女神さまは、『世界の崩壊』を引き起こそうとした『魔女』と戦った、と。
「でも…その女神さまはその戦いで命を落としたんじゃないんですか?」
その話を、ワタシは聞いたことがあったはずだ。
『あー、なんかそんな話だった気もするけど、生死不明ってことだった気もするなー…まあ、私も伝え聞いただけだからよくは知らん』
「でも、シャルカさん…」
ワタシは続きを聞きたかったのだが、そこでシャルカさんは寝落ちをしてしまった。
「本当に困った人だよ…」
ワタシは、毛布を持ってきてソファで眠りこけるシャルカさんにかけた。
…そういえば、今日の晩御飯の当番ってこの人じゃなかったっけ?
「仕方ない、か」
今日は、シャルカさんのワタシが代わりに作るとしますか。よし、この貸しを盾にして給料の賃上げ交渉をしてみよう。
と、そこで『花子』が声をかけてきた。
『花子サン』
「どうしたの、花子?」
今更だけど、ワタシたちの関係も大概ややこしいよね。似た顔で同じ名前とか。しかも、この子はワタシの中にあった『邪神の魂』だ。ついでに言えば、おばあちゃんの記憶だってこの子がワタシの中から持って行ってしまった。
それでも、ワタシには『花子』を憎むことはできなかった。
どうしてだろうね。この子が存在していたお陰で色々と大変だったのに。
…多分、ワタシがもう何も憎みたくないからかな。
「…………」
ワタシが最初の命を失う直前、ワタシは憎むことしかできなかった。
ダレカを憎むことしか、ナニカを呪うことしかできなかった。
重い病気で満足に呼吸をすることすらできなかったワタシには、それくらいしかできなかったからだ。
…でも、やっぱりそれはしんどかったんだよ。
ダレカを憎むことは、ただただ、底なしのしんどさの中に無為に沈むだけの行為だ。
あの時のしんどさを、ワタシはこれ以上、引きずりたくはなかった。
だから、ワタシは憎むことをやめた。この世界に転生できたことで、やめられた。
だから、今のワタシは、おバカなことを言って、おバカなことだけをやっていたい。
いつか、この二度目のワタシの命が燃え尽きる時、おばあちゃんにたくさんの楽しい土産話を聞いてもらうために。
そして、褒めてもらうんだ。
たくさん、頑張ったんだねって。
そのために、ワタシは今を、生きている。
『花子サン…わたし、は』
「うん、ゆっくりでいいよ、『花子』」
少し、『花子』が様子がおかしかった。この子は普段から感情が揺らぐことはなく、何事も淡々と卒なくこなしている。なのに、今の『花子』は何かを伝えようとして、それがうまくいっていなかった。
『わたし、変なんです…おかしいんです』
「…何か、あったの?」
『わたし、にも分かりません。うまく説明はできません…でも、あの人が『女神さま』と呼ばれてから、ナニカが胸の中につかえているようなのです』
「ロンドさんを、見てから…?」
いや、『女神さま』と呼ばれて、から?
…『花子』の中で、ナニカ決定的な変化が、起きていた?