64 『チャージ三回!フリーエントリー!ノーオプションファイトだ!』
「ところで慎吾…今日は、なんでデートに誘ってくれたの?」
サメ映画談義が一段落下ので、ワタシは慎吾にそう尋ねた。ワタシがサメ映画の話をしている間、慎吾はずっと怪訝な表情をしていた。人間とサメが融合したサメ人間(?)と人類が月面で過酷な生存競争を繰り広げるサメ映画があるって言っても、慎吾は信じてくれなかったんだよね。
「…なんで花子を誘ったか、か」
「何か、理由があったんでしょ」
それくらいは、分かっているのだ。
そして、慎吾は私の問いかけに答えた。逃げも隠れもせずに。
「繭ちゃんから頼まれたんだよ」
「繭ちゃんから?」
あの子がそんなことを言ったの?
「最近の花子がしんどそうにしてるから、デートにでも誘って気晴らしさせてあげてって」
「ワタシが…しんどそう?」
慎吾の台詞を聞いて、ワタシの心が静かに節くれ立っていた。
何らかの理由があって慎吾がデートとか言い出したことは、分かっていた。単に女の子と遊びたいとか、慎吾はそんな軟派な性格じゃないしね。
…けど、何の理由もなしにデートに誘ってくれたかもしれないとも、少しは思っていたんだ。
「ワタシ、そんなことないんだけど」
ワタシは、その声に不機嫌を隠せなかった。
…これでもさ、ちょっとは嬉しかったんだよ。
デートなんて、初めてのことだったから。
だから、慣れないお化粧とかも早起きして頑張ったんだ。今日のこの服だって、昨日の夜遅くまでかかって選んだんだ。
それなのに、ワタシがしんどそうだったからデートに誘った?
それ、『でーと』じゃないよね。
「でも…ここのところの花子には、大変なことばっかり起こってるだろ。おばあちゃんの記憶がなくなったり、リリスちゃんって悪魔と関わったり、さらには『世界征服』?そんなの、花子には関係ないはずだろ」
慎吾は、ワタシが関わっている厄介事を羅列していた。それらの厄介事はどれも痛烈で、ワタシのキャパシティを遥かに超えている。そもそも凡人のワタシが関わっていい案件ではない。
…でも、それを理由にデートに誘わなくてもいいよね。
「だから、オレは花子と…」
「そんなの頼んでないよ…」
ワタシは、慎吾の言葉を遮った。慎吾の言葉は言い訳みたいで、これ以上、聞きたくなかった。
「ワタシはね、これでも今日のデートを楽しみにしてたんだよ、ダレカに遊びに誘われたのなんて初めてだからね…でも、慎吾にとってはそもそもデートじゃなかったんだね」
「ああ、いや、花子…………すまない」
そこで、慎吾は謝った。目いっぱい、頭を下げて。
ここは往来で、人目だってそこそこあったのに。
「さっきのは言い訳だな…繭ちゃんから頼まれたのは本当だけど、オレも、花子と遊びに行くのを楽しみにしてたんだ」
「今さらそんなことを言っても…」
信じられない、と言おうとして言えなかった。
言ってしまうと、それが『本当』のことになってしまう気がして。
だから、口を閉ざした。卑怯で臆病なんだ、ワタシは。
「本当なんだよ、花子」
慎吾は、そこでワタシの手を握った。
その手は、妙に熱かった。
…というか、汗ばんでいた?
慎吾の緊張が、その手の平から直に伝わってくる。
「慎吾…」
そういえば、今日の慎吾は妙に表情が硬かった。動きにもぎこちないところがあった。というか、『オレとデートしようぜ』なんて軽率な台詞は普段の慎吾からは絶対に出てこない。
そうか、慎吾も緊張していたんだね。
そう思ったら、ワタシは自然と微笑んでいた。我ながら現金なものだ。
「じゃあ、お昼ご飯の後のオヤツも慎吾のおごりだよね」
「…実は、繭ちゃんからはもう一つ頼まれていたんだが」
「何を?」
あれ?
この流れだと、慎吾の奢ってくれたクレープとかを食べながらその辺をぶらつく流れでは?それで全てがチャラのはずでは?
まだ、何かあるの?
「繭ちゃんからの頼みを要約すると、『花ちゃんがまた丸くなってきたからちょっと散歩させてきて』ってことらしい」
「おやつ食べ過ぎたワンちゃんの扱いやめれ!」
そんなに丸くなってないもん!なったとしても誤差の範囲だもん!
などと、そんな箸にも棒にもかからないやりとりを繰り返しながら、ワタシと慎吾は王都の街中を歩いていた。ゆっくりと、時間をかけて。雲のない空はどこまでも高く、見上げていると空に吸い込まれてしまいそうだった。
それは『世界征服』を止めるための高潔な時間ではなかったし、『世界の崩壊』を防ぐための崇高な時間ではなかった。そして、『悪魔を復活』させるための遡行の時間でもなかった。
けど、何よりもワタシらしい時間だった。
転生前のワタシが得られなかった、ワタシらしい時間だった。
ワタシと慎吾は、王都の色々な場所を歩いて巡った。そのどれもがもう何度も行ったはずの場所なのに、やけに新鮮に感じられた。他愛のない会話も、新鮮な刺激があるように感じられた。
なんだ、深淵なんかじゃなくても、世界はこんなにも深いじゃないか。
…ずっと歩きだったのでちょっと疲れたけど。
でも、これだけ歩いたなら、ちょっとくらいおやつを食べても問題ないのでは?繭ちゃんもお目溢しをしてくれるのでは?
『あれ、花子さん?』
お昼ご飯を食べ、遺跡とお花畑を見に行く途中で声をかけられた。慎吾とワタシは、ほぼ同時にふり返る。
そこにいたのは、あの『ローブの魔法使い』であるタタン・ロンドさんだった。いや、今日はローブ姿ではなかったけれど。それどころか、ちょっとおばちゃん的なデザインのエプロンをしたまま外を出歩いていた。この人、外見上は若くて物腰のやわらかい美人さんなのに。まあ、あくまでも外見上は、なんだけど。若さも、物腰のやわらかさも。
…何しろこのヒト、『不老不死』だからね。
「あ、ロンドさん、何をしてるんで…」
世間話のノリでワタシがロンドさんに問いかけようとしたところで、慎吾がワタシを背中に隠した。
「あの…慎吾?」
「ロンド…タタン・ロンドさん、だったか」
慎吾は、ロンドさんを睨みつけていた。そして、それを隠そうともしていない。温和な慎吾にしては珍しいことだった。
『そうですけれど、何か御用ですか?』
慎吾の険しい視線などどこ吹く風で、ロンドさんはまるで意に介していない。
「あんたが…花子を殺しかけたんだろ」
慎吾の声には、確固たる敵意が滲んでいた。
…確かに、ワタシとナナさんは一度、この人に殺されかけている。
『そういえばそうですね』
「そうですね、て…ヒトを、殺しかけておいてそれかよ」
あくまでも飄々としているロンドさんに、慎吾の語気は荒くなる。それは、ワタシも知らない慎吾だった。
…ああ、そうか。
慎吾だって『転生者』だ。経験者だから、分かるんだ。死というものの、途方もない重さが。あの虚無感は、体験した者でなければ、分からない。だから、慎吾はここまで過敏になっている。
「あのね、慎吾…でも、それは誤解もあってね」
「花子…誤解だろうがなんだろうが、命を奪っていい理由にはならないんだよ」
慎吾の眉は吊り上がっていた。
…これ、本気で怒ってる?
普段からワタシや雪花さんは慎吾によく叱られているが、それとは比べ物にならない。慎吾の体からは、生半可ではない怒気が溢れていた。
『あなたは、花子さんの恋人ですか?』
「…花子は、オレの家族です」
慎吾は、少し逡巡してからそう答えていた。
そう言われたワタシは、戸惑っていた。恥ずかしいという感情と嬉しいという感情、さらには困惑が脳内でラインダンスを踊っている。
ワタシ自身、慎吾のことをどう思っているのかと聞かれれば、同じように答えるかもしれない。
それは、ワタシも『転生者』だから、だ。だって、怖いんだ。死というのは、全ての人間関係を強制的に清算してしまう。死を迎えたワタシたちは、そのことを嫌というほど知っている。
「…………」
その『清算』が、怖かった。
たとえ、慎吾がワタシの彼氏だったとしても、恋人だったとしても、死を迎えればその関係は断ち切られてしまう。それが、どちらか片方のの死であったとしても。だから、ワタシは人間関係に関して、深入りすることを恐れていた。
そんなワタシは、慎吾や雪花さん、繭ちゃんたちのことを家族と呼んでいた。人知れず、だけれど。それは、みんなのことを大事に思いつつも、みんなとはある一定の距離を保つ防波堤でもあった。
…ちょっと卑怯かも、しれないね。
けれど、慎吾もワタシのことを家族と呼んでくれた。
慎吾の言う『家族』がワタシの『家族』と同じなのかは分からないけど、それは少しくすぐったくて、だけど、嫌なものではなかった。
「だから、オレはあなたを許せない」
慎吾の口調は強かった。伝説ともいえる…いや、伝説そのもののタタン・ロンドさんを相手に、無謀にも掴みかかりかねなかった。
この人は、もう何百年も生きている魔法使いだというのに。しかも、本人が未公認とはいえ、この人は『源神教』の教祖さまだ。下手をすると、『源神教』そのものを敵に回しかねない。
『なるほど、君は私に敵意がある、ということだね』
ロンドさんの言葉は、軽い。どこにも力みがないからだ。けど、ロンドさんはここではっきりと口にしていた。『敵対』という言葉を。
「場合によっては、それも仕方がないですね」
慎吾は、一歩も引かない。真っ向から伝説の魔法使いをねめつけていた。
「ちょっと…慎吾!?」
相手が誰だか分かってないの!?
へなちょこのワタシどころか、あのナナさんでも敵わなかった相手なんだよ!?
「慎吾…ロンドさんはもうワタシを敵だと認識してないんだよ?」
ロンドさんがワタシに攻撃を仕掛けてきたのは、『邪神の魂』を狙う悪党だと誤解していたからだ。その誤解なら、とっくに解けた。だから、この人と敵対する必要なんてない。あんな怖い思いを、慎吾がする必要はないんだ。
「だとしても、ちゃんと花子に謝らないと駄目だろ」
しかし、慎吾は聞く耳を持たなかった。
『私と敵対するということが、どういうことか分かっているのかい?』
ロンドさんの声には何の圧もなかった。ロンドさんには気合も気負いもない。それでも、そのプレッシャーは地肌に伝わってくる。
「花子から…聞いていますよ。だからこそ、そんな力を花子に向けたことが許せないんです」
『私の力を知っていて、か…だったら、その力の片鱗くらいは見せ』
そこで、ロンドさんの言葉が途切れた。
そして、急に片膝をついて蹲る。額には脂汗のようなものも浮かんでいた。
…え、ロンドさ、ん?
「…大丈夫ですか?」
つい先ほどまで剣呑な態度だった慎吾が、ロンドさんの傍に駆け寄って気遣っていた。
『…君は、さっきまで敵意を向けていた相手の心配ができる人間なんだね」
まだ蹲ったままのロンドさんだったけれど、そこで顔を上げて慎吾にそう言っていた。
「こんな状態の人を放っておけるわけがないだろ!」
慎吾は、ロンドさんの背中をさすりながらロンドさんの顔色を確認する。
「ロンドさん、あんた…もしかしてなんかの持病があるのか?」
『生憎、そんなものはないよ…こちとら、死にたくても死ねない体なんでね』
減らず口のようなものを叩いていたけれど、ロンドさんからは血の気が失せていた。
「お医者さん…お医者さんを呼んだ方がいいのかな!?」
ワタシは、あたふたとその場で狼狽していた。けど、そんなワタシを、ロンドさんは右手を上げて制した。
『いや、それには及ばないよ、花子さん…ただ、さっきの慎吾くんを見ていたら、急に頭が痛くなっただけだ』
「オレ、を?」
『なんだろうね、古い記憶、なのかな…それが、急に思い出されたんだ。私のことを庇おうとするダレカの姿が、浮かんだんだよ。その姿が、さっきの慎吾くんと重なったんだ』
そこで、ロンドさんは立ち上がろうとして体勢を崩した。けど、慎吾がロンドさんを即座に支えて事なきを得た。
『けど、私はそのダレカを知らない…絶対に知らないはずなのに、脳裏にその子の姿が浮かんだ。アレは誰なんだろうか』
慎吾に支えられながらも、ロンドさんはその記憶の中のダレカを思い返そうとしていたが、無理だったようだ。
そんなロンドさんに、お人好しの慎吾は問いかける。
「本当に大丈夫なんですか?」
『ああ、すまない…助かったよ』
ロンドさんは、そこで慎吾にお礼を言って支えてくれていた慎吾から離れた。
『慎吾くん、か…君、実はいいやつだね』
ロンドさんは、そこで丸い笑みを浮かべていた。何百年も生きてきたというロンドさんが、外見上の年相応に微笑む。
「オレは当たり前のことをしただけで…」
『あれを当たり前と言える人間が、どれだけこの世界にいるだろうね。そして、あの時はすまなかったね、花子さん。そういえば、きちんとした形では謝っていなかったかもしれない』
ロンドさんは、そこでワタシに頭を下げた。
この人は、何百年と生きているヒトで、『源神教』の教祖さま(未公認)だったのに。
「え、はい、ロンドさん…おかげさまで、ありがとうございました」
唐突な謝罪にワタシは面食らって、ワタシはわけの分からないことを口走っていた。というか、今日はよく頭を下げられる日だよ。こんな日もあるんだね。いつもはワタシが頭を下げてばっかりなのに。
そして、ロンドさんはそこで慎吾に話しかける。
『これでどうだろうか、慎吾くん』
「はい…オレの方こそ、生意気な態度をとってすみませんでした」
そこで、ロンドさんと慎吾は二人で笑っていた。一時はどうなるかと思ったけれど、一触即発の雰囲気は一気に瓦解する。
ワタシも、ようやくそこで胸を撫で下ろした。
「でも、本当にビックリしたよ、慎吾…まさか、あのロンドさんに啖呵を切るなんて。しかも、『チャージ三回!フリーエントリー!ノーオプションファイトだ!』って言い出した時にはさすがに肝を冷やしたよ」
「オレそんなキテレツな啖呵は切っていないが!?」
こういうご愛嬌なやりとりも、いつも通りだった。そうそう、こういうのでいいんだよ。
『しかし、さっきの記憶は何なんだったんだ…私の記憶には存在しないんだが』
晴れやかなワタシや慎吾と違い、ロンドさんは先ほど言っていた『記憶』について悩んでいるようだった。そんなロンドさんに、ワタシも気になったので声をかける。
「あの、ロンドさん…」
『…………』
…ロンドさんは、先ほどよりも険しい表情を浮かべていた。
いや、先刻とは比べ物にならない。ロンドさんは、はっきりと敵意と呼べるものを感じさせていた。
「…ロンドさん?」
慎吾に詰め寄られても、ワタシやナナさんに魔法を放っていた時でも、ロンドさんには欠片も感情はなかった。にもかかわらず、今のロンドさんは、普通に、人間に見えた。普通の人間に見えるほど…これは、激昂を、していた?
『そこにいたのか、『魔女』』
ロンドさんは、はっきりとそう言った。
彼女の視線の先には、一人の少女が、いた。