63 『海でサメが人を襲う映画とか、頭が二つになったサメが人を襲う映画とか、竜巻に乗ったサメが人を襲う映画とか、幽霊になったサメが人を襲う映画とか、メカになったサメが…』
「…………」
アオハルなんてものは、ワタシにとっては遠い世界の絵空事でしかなかった。
少なくとも、転生する前のワタシには虫唾が走る言葉だったよ。
ずっと病床にいたワタシには、青春を満喫できるだけの余白がなかったからだ。
青春とは、余裕がある人たちだけに与えられた特権にすぎない。
だから、ワタシにはそもそも、青春そのものが訪れなかった。
「…………」
そんなワタシが青春なんて言葉そのものを忌避したくなっても、仕方がないことではないだろうか。
…だって、惨めだったんだもん。
真っ向から青春を享受、もしくは湯水のように浪費しているあの子たちと、自分を比べることが。
そして、青春という言葉に対する苦手意識は、この異世界ソプラノに来た後でもそれほど変わらなかった。
「…………」
アルテナさまからは、病気にも負けない体をもらった。ワタシを縛っていた病気は、元の世界に置き去りにしてきた。
元の世界と異なるとはいえ、新しい命をもらったワタシは、人生のリスタートをきることができた。
その幸運は、望外の奇跡だった。
だったら、元の世界で得られなかった青春を、この異世界で好きなだけ貪ればいい。
実際、ワタシはそれなりに好き放題をしている。
美味しいものを食べ、色々な場所へ行き、ステキな景色を見て、友達と楽しい時間を過ごしている。生前から比べれば、それらは夢のような時間だった。
…時折り、その夢の時間が、夢のように唐突に終わるのではないかと怯えることはあるけれど。
「…………」
ただ、どうやらそれらの時間は、ワタシの中では青春という位置づけにはならなかったらしい。
ワタシにも具体的なラインがあるわけではないけれど、青春と呼ばれる群像からはピントがずれているような気がするのだ。
なら、ワタシにとっての青春とはナニカを問われても答えづらいのだけれど…。
…もしかすると、それは、デートというものなのかも、しれない。
「…………」
なぜ、今になってこんな青臭い思考をぐだぐだと繰り広げているかというと、それはジンさんの所為ともいえる。
ジンさんやアイギスさんたちとセンザキグループの本社に忍び込み、ジンさんが『世界征服』のカラクリを看破し、センザキの野望もご破算にできそうだとみんなで胸を撫で下ろしたのが昨日のことだ。
その帰りに、ジンさんがこんなことを呟いていた。「こうしてみんなでてんやわんやをしていると、青春って感じがするね」などと。
正直、ワタシにはあの潜入活動が青春とは思えなかったけれど、ジンさん的にはそうだったらしい。青春の形も人それぞれだと思ったけれど、自ら『青春』などと口にしていたジンさんのその表情が、少しだけ曇っているように見えたのは気になった。
だから、今、ワタシは青春という言葉に対する考察をしていたのだ…いえ、嘘です。
「…………」
本当は、ただの現実逃避です。余計な思考に身を委ねていないと、頭が茹ってしまいそうだったのです。
だって、今、ワタシは青春という幻想の渦中にいたからだ。
ワタシの人生において、こんな状況が来るなんて思ってもみなかったのだ。
それに、みんなだってそう思うよね?
「オレとデートしようぜ、花子」
こんな軽薄な台詞を、このワタシが言われる日が来るなんて。
…いや、ホンキで!?
ワタシと!?デート!?
最初は空耳かと思ってワタシは何度も聞き返したよ、慎吾に。
でも、慎吾は本気だった。
「たまにはいいだろ?」
ワタシが何度も聞き返しても、慎吾は笑ってそう言った。
で、その翌日、ワタシは王都の街中を歩いていた。
慎吾と、二人きりで。
ティアちゃんは今日はいない。力を失っていたはずの地母神さまは、慎吾の『地鎮』というユニークスキルによって少しずつ力を取り戻していたので、一日くらいなら慎吾から離れても問題ないという話だった。
だから、慎吾と二人きりだ。今の、ワタシは。
「最近はいい天気が続いていて気持ちいいよな」
隣りを歩く慎吾は、気持ちよさそうに背伸びをしていた。
…くそ、これっぽっちも緊張してないな、コイツ。
ワタシなんて寝不足なんだぞ?
昨夜は緊張して殆んど眠れなかったんだぞ?
もしかして、デート慣れしてるのか、コイツは?
プレイボールよりもプレイボーイの方が得意だったのか?
などと、ワタシがわけの分からない思考に囚われそうになっていたところで慎吾が口を開いた。
「ところで、デートって何をすればいいんだろうな」
「まさかのノープランなの!?」
嘘でしょ!?
普通、こういうのって誘った方が色々とエスコートしてくれるものじゃないの?
どうりでさっきからぷらぷら歩いてるなって思ってたんだよ。
「いや、オレってデートなんてしたことないからさ」
「…ワタシだってないからね!?」
どうやら、ワタシたちは二人そろってデートのトーシローだったようだ。
…そんなお揃いがちょっとだけ嬉しかったのは内緒だ。
「そもそも、仲のいい女の子とかもいなかったから、どんな話をすればいいのかも分からないな」
「…ワタシだって仲のいい男の子とかいなかったから、どんな話をすればいいのか分からないんだけど」
というか、ワタシなんか仲のいい女の子だっていなかったんですけれどもね、転生前は…。
「でも、慎吾は野球やってたでしょ?しかもピッチャーだったんでしょ?だったら無条件でモテたんじゃないの?」
「なんかピッチャーに対して悪意と偏見があるみたいだが…というか、ピッチャーっていってもオレは控えだったからな、モテることなんてなかったぞ。うちのエースは他校の女子が見に来るくらいモテモテだったけど」
「へえ、そうなんだ」
そこで、唐突に会話が途切れてしまった。二人して色恋沙汰に不慣れなのが、すぐに分かる沈黙だった。
そんなぎこちないワタシたちにも、晴天の青空はやさしい日の光を届けてくれている。絶好のデート日和といってもいいのかもしれない。周囲を見渡してみると、カップルらしき男女がちらほらと見受けられた。そんなカップルたちは仲睦まじくおしゃべりをしたり、中には手をつないでいる男女の姿もあった。なるほど、あれがカップルの正しい姿か…難易度高いなあ。
そもそも、デート初心者のワタシは何を話せばいいのか分からなかった。普段うちにいる時はどうでもいい話で慎吾と盛り上がったりもしていたのに。というか、慎吾も今日はあんまり喋らないね。みんなでいる時は聞き手に回ることが多い慎吾だけど、ワタシと二人の時はけっこう口数も多いんだよ。
…もしかして、慎吾も緊張してたのかな?
そういう素振りは見せてなかったけど、よく見ると慎吾の表情がいつもより硬い気がする。
「…………」
よし、ここはワタシがリードしますか。実体験はないけれど、デートなら漫画やアニメでたくさん観てきた。門前の小僧だって習わないお経を読むというところを見せてやるのだ。
「ええとね、我々はデートというものをよく知りません」
「それはそうなんだが…いきなりどうしたんだ、花子?」
ワタシの言葉に、慎吾はキョトンとしていた。
「なので、デートの定番から考えてみましょう」
「それはいいけどさ、なんでそんな教科書みたいな喋り方なんだ?」
「デートといえば、映画とか…かな」
「…あー、そうかもしれないな」
納得したような慎吾だったけれど、そこでまた、会話はエアポケットに入ってしまった。
この異世界に、映画はないからだ。離れた場所の映像を伝えたりすることは魔法などでできるけれど、それ自体が簡単ではないし、そもそも映像を残せない。このソプラノでは、映画を撮るための環境がまだまだ整っていないんだ。
けど、そこで会話を終わらせたくないワタシは、話を続けた。デートの何たるかが分からないのなら、とりあえず会話を続けてその糸口を探せばいいのだ。
「慎吾は映画とか見る人だった?」
「映画は…詳しくはないけど、少しは見てたよ。じいちゃんが映画好きで、色々とコレクションしてたんだ。小さい頃はじいちゃんの家でよく一緒に見てたな。といっても、古い日本の映画ばっかりだったけど」
「おお、そうなんだね」
よしよし、いい感じだ。きっと、デートというのはこういう何気ない会話の積み重ねが大事なんだ。
けど、慎吾とはそれなりに付き合いも続いているはずなのに、そんなことも知らなかった。というか、ワタシに限らず慎吾や雪花さんたちも、元の世界の話にはあまり踏み込まなかった気がする。なんだろうね…ちょっとその辺にまだ遠慮があるような気がする。
…いや、もしかすると、みんながワタシに気を使っていたのかもしれない。
病弱だったワタシは、元の世界では他の人の半分も想い出がない。だから、昔の話をするとワタシだけが疎外感を感じると、みんながそう考えていたのかもしれない。
その想像が正しいか間違っているかは分からないが、慎吾は続きを話していた。
「でも、古い映画ばっかりだったし、オレには難しかったんだよなあ…ああ、そういえば、その頃なら仲のいい女の子もいたよ。じいちゃんの家の近所に住んでた子で、オレと一緒にじいちゃんの映画を観てたな」
「慎吾…デート中に他の女の子の話をするのはさすがにNGだと思うんだけど」
「え、あ、でも…ホントにオレが小さい頃の話なんだけど」
「バツとして、今日のお昼は慎吾のおごりでいいよね」
「マジかよ!?まあでも、今日はオレが誘ったから昼飯くらいはおごる気でいたけどさ」
「え、ホントにいいの!?やったねっ!」
半ば冗談だったんだけど、慎吾がそう言ってくれたので乗っかることにした。
…けど、慎吾、仲のいい女の子とか、いたんだ。
いや、そりゃいてもおかしくないけどさ、幼馴染の一人や二人…なのに、なんだかもやってしたんだよね。
「そういう花子は映画は観てたのか?」
「そうだね、色々と観てたよ。ハリウッドのアクション大作とか日本のアニメ映画とか、好きな小説の映画版とかもね」
病気が進行してからは、特に。
他に、できることがなかったからだ。
「本当に色々と観てたんだな」
「あとはね、海でサメが人を襲う映画とか、頭が二つになったサメが人を襲う映画とか、竜巻に乗ったサメが人を襲う映画とか、幽霊になったサメが人を襲う映画とか、メカになったサメが…」
「最初のヤツ以外まるで意味が分からねえ!?」
「え、慎吾ってサメ映画は初心者なの?」
日本人なのに?
「サメ映画に上級者がいることが、オレとしては初耳なんだが…!?」
「ダメだよ、サメ映画が作られ続けるのは日本人の所為でもあるんだからちゃんと履修しておかないと」
「花子は本当にオレと同じ世界から転生してきたのか!?」
「そらそうよ」
まったく、失礼しちゃうね。
そして、ワタシと慎吾はサメ映画について語り合った(ワタシが一方的に)。
街中にはたくさんのカップルたちがいたけれど、サメ映画を話題にしていたのはおそらくワタシたちだけだ。
その後、ワタシと慎吾はとある人物と街中でばったり鉢合わせをすることになるのだけれど、それは、ワタシがサメの出てこないサメ映画を慎吾に語り終えてしばらくした後のことだった。