60 『お前たちのやっていることは、全部ぬるっとお見通しだ!』
「…………」
高揚感に抗える人間というのは、実はそう多くない。
焦燥や怒気といったネガティブな感情とは違い、気持ちの昂りというのは意外とコントロールが難しい。気持ちの高揚とは、ポジティブな感情が源泉となっているからだ。ネガティブはブレーキだが、ポジティブはアクセルなのだ。
そして、そういう時にこそ墓穴というセルフの落とし穴にはまるもである。
「…まあ、平たく言うと調子をこいたってことなんだけどね!」
主に、ワタシが!
けど、それだって周りがワタシを煽てたからなのだ。だから、のぼせ上がってしまったのだ。本来なら、ワタシがこんな目に遭うことはなかった。本来の予定では、ワタシは優雅にアームチェアディテクティブを気取れるはずだったのだ。
「悪いのはダレだぁ!?」
ワタシは、広い廊下をひた走っていた。とりあえず、前方に人はいない。ただ、広いとはいえ、廊下なんて全力疾走をしていいものではない。小学生が最初に先生に注意されるくらい、それは大切で稚拙なルール違反だ。しかし、今は四の五のと言っていられない。
…追われて、いたからだ。
しかも、法的に分が悪いのはワタシだった。いや、ワタシたちだった。
現在、ワタシの隣りにはアイギスさんがいた。
「なんでこんなことになっちゃったのかな!?かなぁ!?」
ワタシはそこで、記憶を掘り起こした。
そんなゆとりのある状況にないことは分かっていたけれど、追い詰められると他のことに逃避をしたくなるのが人情というものだ。
「…………」
あの日、ジン・センザキさんからセンザキグループの一部のお偉いさんたちが、『世界征服』に本腰を入れ始めたと聞かされた。けど、そのセンザキの代表はジンさんだ。一部の人たちが好き勝手をしたところで、逆にその人たちをセンザキから追い出すこともできた…はずだった。本来ならば。
現在のジンさんは大怪我による入院を余儀なくされている身で、現場どころかシャバにも出られない。センザキグループ代表の座も一時的に剥奪されてしまっている(表向きは休養扱いで)。
『私が代表として復帰する前に、全ての片をつけるつもりなのだろうね、連中は』
というのが、ジンさんの談だ。
向こうが短期決戦の算段をしているのだから、こちらとしても悠長に構えてはいられない。
国などに訴えかけるという手も考えたが、ジンさんが言うには、この国のお役人さんたちを相手に、『世界征服』を企むその人たちはせっせとコネを作ってきたのだそうだ。既にそうした信頼関係が出来上がってしまっている以上、代表とはいえジンさんの訴えが国に通るのには時間がかかってしまう。『世界征服』の確固たる証拠も、まだ掴めていない。最悪、ジンさんの方がその『世界征服』の首謀者に祀り上げられてしまう可能性も捨て切れない。
…なんであんなに信用ないのかな、あのヒト。
というか、向こうが上手だったのかな。『世界征服』なんて荒唐無稽な悪事を働く割には生真面目だとか、やめて欲しいよね。
「…………」
というわけで政治的には八方塞がりもいいところだったのだけれど、そこで花子ちゃんは閃いちゃったんだよね。
…いや、まさかそれでこんなことになるとは思ってもみなかったんだけどね?
そして、ワタシは考えた。
国のお役人さんたちに話が通らないのであれば、国のトップに話を聞いてもらえばいいのでは?と。
そこで、ワタシはあの人を頼ることにしました。
この王都の第二王子である、アイギスさん(偽名)を。
あの王子さまとは、縁があって何度か会ってるからね。それに、ワタシが『転生者』であることも知ってるし、『念話』のことも教えてたんだよ。
というわけで、アイギスさんに『念話』で連絡を取って『世界征服』の危険性を伝えたんだけど。
「それは一大事だね」
と、アイギスさんはワタシの話を鵜呑みで信じてくれた。やっぱり大事な財産だよね、ヒトとヒトとのつながりって。
そして、アイギスさんはセンザキグループについても、調べてくれると約束してくれた。
さすがは、名前を隠して孤児たちに贈り物をするタイ〇ーマスクだって感心したよ、ワタシは。正義の人だね、あの人は。
…けど、ね。
「調べるって…ダイレクトに忍び込んで調べるなんて、普通は考えないよね!?」
廊下の中心で、異議を叫んだ。
いや、勿論、声には出してないよ。
だって、絶賛、追いかけられてるところだからね!
お察しの通り、ワタシもその潜入捜査に加えられたんだよね!
ホントになんでだよ!?
なんで、王子さまのアイギスさんが直接、忍び込むなんて言い出すんだよ!?
言いたかったのかな!?「この桜吹雪に見覚えがないとは言わせなねえ!」って。
それとも「この紋所が目に入らぬか!」の方かな!?
立場的には暴れん坊な上様なのかな!?
というか、なんでワタシもそこに加わっちゃったかな!?
「花子ちゃんの『念話』があれば、連携が取れるから効率よく調べられるはずだよ」
確かに、アイギスさんの言う通りなんだけどさ!?
でも、肉体労働はワタシの管轄外なのだ!
「大丈夫、あの『かくれんぼ』で俺と最後まで優勝を争ってたしね」「花子ちゃんなら大丈夫だよ」「いけるいけるって」「もっと熱くなれよお!」
などというアイギスさんの甘言(?)に唆され、ワタシもセンザキ潜入班に参加してしまった。
…自分で言うのもなんだけど、ワタシってちょろくない?
けど、そもそもその潜入って失敗するはずがなかったんだよね。
だって、そこには雪花さんもいたからだ。
「…………」
月ヶ瀬雪花さんは、ワタシと同じ『転生者』だ。
ワタシより数カ月後にこの異世界にやってきた。同性ということもあり、ワタシたちは気兼ねなく接することができた。
…まあ、色々と問題のある人でもあるけれど。
とりあえずその『問題』は割愛させてもらうけれど、潜入という意味ではこの人以上の適任はいない。
雪花さんには『隠形』というユニークスキルがあるからだ。
それは、この世界では雪花さんだけが持っているスキルで、それを使用している間、雪花さんは誰の目にも捉えられることはない。それどころか、扉や壁などの障害物さえすり抜けることができる。つまり、完全にこの世界から孤立できるんだ。
当然、そんなチートがあるのだから誰にも見咎められることなくセンザキの本社に潜り込むことも容易だった。社員証なんてなくても全部の場所がフリーパスだからね。センザキグループの悪事の証拠なんて、お茶の子さいさいで見つけられるのだ。
なので、忍び込んだ痕跡すら残すことなくワタシたちの潜入は成功した…はずだった。
「…………」
しかし、現在ワタシとアイギスさんは警備員たちに追われていた。幅の広い廊下を。
センザキの本社はこの世界では珍しくコンクリート造りだった。いや、正確にはそれを模した疑似コンクリート製というべきだろうか。最近になって造られるようになったんだよね。『転生者』のダレカがコンクリートのことを伝えて、それを取り入れたようだ。
異世界のご多分に漏れず、この世界の建築様式もワタシたちの世界とはかなり異なる。
この世界で最もポピュラーなのは、木造建築だった。ただ、木造とはいえ、建築の仕方がワタシたちの世界とは全くと言っていいほど別だった。この世界では、重機なんて必要ないからだ。数はそれほど多くはないが、重機にも匹敵する力持ちの巨人族さんたちがいるからだ。
そんな巨人族さんたちが組み立てた建物を、エルフさんたちが魔法で固定するんだよね。これで、かなり強度が補強されるんだよ。最近になって確立された手法らしいけど、ある意味では、建築関係はワタシたちの世界よりも進んでるかもしれないね。巨人さんたちは小回りが利くから重機よりも正確で素早く組み立てられるし(巨人さんたちからすれば積み木みたいなものなのだ)、エルフさんたちによる補強も魔法だから元手がいらない。経費的にはかなり安く済んでるはずだよ。
「…………」
文化的な面ではワタシたちが元いた世界の後塵を拝している異世界物も見受けられるけど、どんな世界でだって、人々はみんな一生懸命に生きている。何度も思考し、幾重にも努力を続けて、それでも失敗はする。だけど、そうやって前に進むんだ。世界が異なるからといって、試行錯誤はどこの世界だって同じようにやっている。だったら、ワタシたちの世界だけが一方的に優れているなんてこと、あるはずないよね。まあ、その逆もまた然りなんだけど。
「…というか、そんなこと言ってる場合じゃないんだけどね!?」
現在、ワタシとアイギスさんは絶賛チェイス中だ。コンクリートを模した建物の中はややひんやりとしていた。もしかすると、気温を一定に保つような魔法が壁や床に施されているのかもしれない。お陰で走りやすくはあるんだけど…。
「そもそも、アイギスさんが悪いんですよ!?」
とりあえず、ワタシは王子さまに愚痴った。まさか、私の人生において王子さまを相手に愚痴る日が来るとは思わなかった。人生って本当に何が起こるか分からないね。生きててよかった!(やけくそ)
「大丈夫、ちゃんと変装してるから俺たちの正体は分からないよ」
アイギスさんは余裕の口調だった。そして、言葉通りに変装をしながらの遁走だというのに。しかも、あの『かくれんぼ』の時と同じくアフロにサングラスだ。というか、ワタシもアフロだった。確かに、これなら仮に見つかったとしてもワタシたちの正体はバレたりはしない。
「でも、それだって捕まらなければ、ですよね!?」
そうなのだ。捕まってしまえば変装など何の意味もない。
「捕まらなければ大丈夫だよ。あと、その鼻眼鏡も似合ってるよ」
「それってここで言うことじゃないですよね!?」
そして、アイギスさんが言うように、ワタシは鼻眼鏡までかけていた。ワタシにだけそれが支給されていたからだ。
…我ながらサービス精神旺盛だね!?
「大丈夫だよ。花子くんはけっこう健脚じゃないか」
「まあ、最近はそれなりに運動もしてますけれど…」
あの『かくれんぼ』以降も、ワタシはジョギングを続けていた。なんか習慣になっちゃったんだよね。だって、運動した後ってご飯がとっても美味しいのだ。
…結局、そこで食べる量も増えてしまったので自重のプラマイはゼロなのだけれど。
「でも、やっぱりアイギスさんの所為ですからね!」
そこだけは譲らなかった。
ワタシたちは…ワタシ、アイギスさん、ジンさん、そして雪花さんの四人でセンザキグループの本社に潜入を果たしていた。当然、雪花さんの『隠形』のお陰で侵入自体は問題なく行われた。
不法侵入という道徳的な問題はあるかもしれないが、「私はセンザキの代表だから問題ないよ」というジンさんの理論武装を盾にして、潜入は決行された。そもそも、あまり時間的な余裕もなさそうだったしね。
というか、これ以上、連中に好き放題をさせるわけにはいかない。『洗脳』の余波でリリスちゃんが苦しんでいるからだ。
ワタシの友達をイジメるなってことだよ。
後はまあ、雪花さんの『隠形』は世界そのものから隔離されることになるらしいんだよね。つまり、この世界そのものから隠れているんだから、ワタシたちが不法侵入をしてもそれは不法な侵入にはならないはずなんだよね、世界から隔離されてる状態なんだから。
…けど、ことはそう上手くいかなかった。
「いや、でも、さっきのアレは、連中が悪いことをしている証拠だったんだろ?」
アイギスさんはそんなことを言うが、実際にはそんなことはなかった。
「ジンさんはこう言っただけですよ、「アレは私も見たことがない機械だって」」
潜入に成功したワタシたちはセンザキ本社の中を虱潰しに探し回ったり…は、しなかった。
ジンさんが知らない場所から探せばよかったからだ。
本来なら、センザキグループの代表であるジンさんが知らない場所なんて殆んどないはずだ。けど、ジンさんが入院している間に、ジンさんが知らない部屋などが勝手に作られていた。当然、『世界征服』を目論むあの人たちが作ったんだ。
なので、それらの部屋から調べればよかった。見覚えのない部屋は、ジンさんがすぐに見つけてくれたからね。
「ここは、確か第三応接室だったはずなんだけど…」
ジンさんは、とある角部屋の前で立ち止まった。
そして、言葉の通りに、その部屋は応接室などではなさそうだった。どの部屋にも大体はプレートが掲げられていたが、その角部屋には何もなかった。
そして、『隠形』で透明人間と化していたワタシたちは、壁抜けをしてその部屋に忍び込んだ。
「…………」
ただ、部屋の中は殺風景だった。デスクやテーブルなどが置かれていたが、他には空の書架などしか置かれていない。元応接室といった感じだったけれど、ワタシたちが探しているようなものは見つけられなかった。
と、思ったのだけれど、アイギスさんが壁の向こうも調べようと言い出した。
壁の向こうは外なのでは?と思ったけれど、そこは隠し部屋になっていた。
…どうやら、アイギスさんは実際の建物の広さとこの部屋の広さが合っていないことに気付いていたようだった。
「…………」
壁の向こうの部屋の中は、見慣れない機械で埋め尽くされていた。
この異世界ソプラノでは、魔石を動力とする魔石機械であっても木製のものが多い。魔法でコーティングができるので、鉄でも木材でも強度はさほど変わらない。なので、コストの面で優れる木材を利用されることが多いのだけれど、この部屋の機器は全て鉄製だった。
「…私は、こんな部屋を作れと指示した覚えはないのだけれどね」
ジンさんにも見覚えがないとなれば、この部屋が『当たり』ということなのだろうか。
そして、部屋には白衣を着た職員が二人ほどいて、何やら『機械』を操作していた。ワタシたちの世界のパソコンのようにディスプレイがあるわけではないので、傍から覗いても何をしているのかは分からなかった。何やらポチポチとボタンを押していたようではあったけれど。
それでも、ジンさんだけは興味深そうに盗み見ていた。
ジンさんの反応から察するに、どうやらこれが『洗脳』に関わる機器のようだったのだけれど、そこで叫んじゃったんだよね、この王子さまが。
「お前たちのやっていることは、全部ぬるっとお見通しだ!」
って。
ワタシたちは雪花さんの『隠形』で世界から隔離されている状態だったから、向こうからは見られないし触れることもできない。勿論、声だって聞こえない。
…ただし、それは雪花さんと手をつないでいる間だけ、だ。
直接、雪花さんと手をつないでいなくても、雪花さんと手をつないでいるダレカと手をつなげば、二番目、三番目のダレカも『隠形』の恩恵を受けられる。
「なのに、なんで手を離しちゃうんですか!?」
ワタシと手をつないでいたはずのアイギスさんが、ワタシから手を離してそんな啖呵を切ったんだ。
当然、向こうからは姿が見えるようになったし、声も聞こえるようになった。
…そして、ワタシもそんなことを叫びながら手を離してしまったのだ。
「これで捕まったら恨みますよ、アイギスさん!アイギスさんと違ってワタシはVIPじゃないんですからね!」
隣りを走るアイギスさんに恨み言を吐き出した。
とっ捕まったらどんな目に遭わされるか!デッドでバイでデイライトな目に遭わされたらどうしてくれるんですか!?
「いや、俺だってこんなことがバレたら石抱きのお仕置きだよ」
「石抱きはお仕置きじゃなくて拷問って言うんですよ…」
どうやら、捕まったらヤバイのはこの人も同じらしい。しかも、身内から。
「けど、このままじゃ逃げ切れませんよ!?」
今のところ追手は後ろからしか来ていないが、そのうち取り囲まれる。そうなったら逃げも隠れもできなくなる。
「とりあえず、あの部屋に隠れてみるか」
アイギスさんは、言いながらワタシに先行してとある部屋の扉を開けた。
…なんだかんだ言いながら、この人ちょっと余裕あるんだよね、憎たらしいことに。
「え…なんで?」
アイギスさんが開けた部屋の中には、ワタシも見知った顔があった。
…けど、え?
ホントになんで?