53 『…なんでジャカジャカじゃんけんが浸透してるんですかねえ!?』
「…………」
「…………」
『…………』
「…………」
役者は、既に揃い踏んでいた。
ワタシがいて、慎吾や雪花さん、それにシャルカさんと『花子』もいて、『源神教教祖代理』のアリーナさんがいた。関係者一同が、一つの室内で顔を合わせていた。
しかし、この場には沈黙の帳が下りていた。口を開くことすら禁忌とされているように、誰も言葉を発していない。何を言えばいいのか分からない、というのが正しいのだろうけれど。
当然、場の空気はこの上なく重くなる。
先ほどまでは柔和な微笑みを浮かべていたアリーナさんですら、眉間に小さな皺を作っていた。あれほど『花子』との邂逅を切望していたというのに。いや、求めていたからこそ、いざ本物の『花子』を目の前にして粗相はできないと顔を強張らせていた。
当然、か。『花子』は、『源神教』の教徒たちが大昔から崇拝してきた神さまそのものだ。
たとえ、『花子』本人に『邪神』としての自覚も才覚もなかったとしても。
『お飲み物のお代わりをお持ちしましょうか』
張りつめた沈黙の中、言葉を発したのは意外にも『花子』だった。
というか、『花子』がそんなことを言い出したのは初めてだった。
「ええと…ワタシはまだ残ってるから大丈夫だよ。けど、ありがとね、『花子』」
ワタシは『花子』の申し出を断ったが、胸中にはちょっとした驚きが浮かんでいた。『花子』は、頼まれたお手伝いなどはこなしてくれるが、自発的に自分から何かをするということはなかった。
というか、『花子』からは自分の意志というのが殆んど感じられなかった。
人化をしていたとしても、『花子』はやはり、人とは似て非なる存在なんだと壁を感じることもあった。
けど、『花子』はここで率先して、『花子』自身の意志で動こうとしてくれた。
…それは、『邪神の魂』なんかには、できないことではないだろうか。
だから嬉しかったんだ、ワタシは。
さらに言えば、ちょっとお鼻が高々になっちゃったね、『花子』の『姉』としては。
「ああ、オレも大丈…いや、やっぱりちょっとだけもらおうかな」
ワタシ同様に、慎吾もお代わりを辞退しようとしていた。カップにはまだコーヒーが残っていたからだ。けど、途中でその辞退を撤回した。慎吾も気が付いたからだ。『花子』が、誰かのために何かをしようとしてくれたのが、これが初めてのことだった、と。だからだろうか、慎吾の頬は人知れず緩んでいた。
「あの、私もおね…お願いいたします、『邪神』さま」
やや焦った口調で、アリーナさんは残っていたコーヒーを一気に飲み干し、『花子』にお代わりを催促していた。いや、『花子』とお話をする切欠のために飲み干した。
その必死な姿をかわいいと感じてしまったワタシは、この人に対する警戒をほんの少しだけ緩めた。
この人は、『源神教』の教祖代理さまだ。『源神教』の人たちは、『花子』のことを『邪神』として崇めている。だけではなく、『花子』を人の姿に変えたワタシのことも『聖女』として認定しているそうだ。だから、現在は敵対関係にはない。ワタシたちと『源神教』の間には。
けど、それがどこで裏返るか分からない。
先ほどまでのアリーナさんの微笑みが、一変なり反転なりをする可能性だって捨て切れない。
だからこその、先ほどまでの緊張感だった。
「…………」
しかし、『花子』のお陰で、張りつめていた場の空気が、俄かに弛緩した。
ただ、この空気に乗じてシャルカさんが『じゃあ、私はビールを頼む』とか言い出したのでワタシはそれを全力で棄却した。
…どうして『源神教』の教祖代理さまが来てるこのタイミングで呑めると思ったんだろうね、この人は。
『お代わりも、行き届きましたね』
満足気に、『花子』は呟いていた。
あ、これ『花子』はちょっと誇らし気な顔をしていたのかもしれない。普段とその表情は殆んど変わってはいなかったけれど、ワタシの目は誤魔化せないのだ。
だから、ワタシは『花子』に言った。
「ありがとうね、『花子』」
『いえ、わたしはお代わりをお持ちしただけですので』
「それもだけど、それだけじゃなくて、ありがとうね」
『ええと…何のことでしょうか?』
ワタシの言葉の意図が分からず、『花子』はやや困惑気味だった。
そんな『花子』に、ワタシは言った。少し野暮だったかもしれなかったけれど。
「『花子』のお陰で、みんなの緊張が解れたってことだよ」
『緊張を解す…?でしたら、花子サンとわたしで『幽体離脱』のネタをやればよかったのではないでしょうか」
「あの空気で『幽体離脱』なんて自殺行為だからね!?」
ワタシと『花子』は本当によく似ているので、あのツインズ芸人さんの持ちネタである『幽体離脱』が可能なのだ。いや、可能なだけでウケるかどうかは別の問題なんだけどね。というか、ほほ百パーセントの確率でスベるんだけどね!
…けど、なんでワタシも『花子』にあのネタを教えちゃったかな。
しかも、『花子』は事あるごとに『幽体離脱』を披露しようとするんだよね…気に入っちゃったのかな?
「それじゃあ、ええと…アリーナさんは『花子』と話がしたかったんですよね?」
聞きたいことがあるのはワタシも同じなのだけれど、ここはアリーナさんに先に譲っておいた。
「はい、『邪神』さまのお声を聞くことは、私ども『源神教』の人間からすれば悲願以外の何物でもありませんでした…まさか、このような機会が訪れるとは、私たちも想像すらしていなかったのです」
アリーナさんの声は、ここに来た頃よりも少しだけ上擦っていた。けど、それはおそらく、『花子』と会えた緊張と興奮が半々だったからだ。
「…アリーナさんたちは、『花子』のことを大切に想ってくれているんですね」
ワタシは、少しだけ安堵していた。
どう言い繕っても、『花子』は『邪神』の半身だ。
世界中の人たちからすれば、『花子』の存在は忌避すべきものだ。
それだけの大惨事を、『邪神』はこの異世界で引き起こしている。
オリジナルの『邪神』と異なるとはいえ、『花子』も『邪神の魂』だ。亡骸の方の『邪神』と接触すれば、再び大災害の引き金を引く能性がある。
…実際、ワタシも『邪神』の亡骸とニアミスしただけで暴走しかけた。
だから、この世界の人たちからすれば、『邪神の魂』である『花子』も、この世界に再び『邪神の魂』を持ち込んだワタシも、ただの疫病神でしかない。
おばあちゃんの犠牲と機転により、『邪神の魂』はこの異世界ソプラノから取り払われたはずだったのに。
「…………」
慎吾も雪花さんもシャルカさんも…勿論、繭ちゃんも、この異世界に『邪神』の脅威が舞い戻ったのはワタシの所為ではないと言ってくれた。
異世界でできた新しいワタシの家族も、これっぽっちもワタシの存在を否定しなかった。
嬉しかった。心強かった。
けど、それはみんながワタシのことを家族だと認めてくれていたからだ。家族としての贔屓目があったから、『邪神』という災厄を持ち込んだワタシのことも受け入れてくれていた。
…でも、アリーナさんたちは違う。
ワタシの家族でも『花子』の家族でもない。
だけど、アリーナさんたちは、その忌むべき『邪神』の理解者だった。
そう考えると、少しだけ気が楽になった。
この世界に、ワタシたち以外の『花子』の味方がいるのだと。
そんなアリーナさんが口を開く。
「はい、信徒の誰もが『邪神』さまにお目にかかりたいと、今日この場に来たいと言っていたのですが…さすがにいきなり大人数で押しかけるのは『邪神』さまにもご迷惑ですので、私が代表として来させていただきました」
「そんなに…『花子』に会いたい人たちがいたんですか?」
確かに、『源神教』の人たちからすれば『花子』は信仰の象徴そのものなんだろうけど。
「ええ、あまりにも多くの信徒たちがここに来たいと駄々をこねて暴動寸前になりましたが…ジャカジャカじゃんけんで勝利をした私が代表になることで暴徒化は防げました」
「…なんでジャカジャカじゃんけんが浸透してるんですかねえ!?」
ちょっと親近感が沸いちゃうだろ。
というか、ジャカジャカじゃんけんをこの世界に持ち込んだコ〇ーちゃんは誰だよ?
あと、簡単に暴徒化するのとかやめてもらえます?シーズン終盤のフーリガンでももう少し理性的ですよ?
…とまあ、ボケパートはここまでにして、ワタシは本題に切り込んだ。
「あの、アリーナさんに聞きたいことがあるんですけど、『邪神』は…『花子』は元々は善い神さまだったんですよね」
しかし、人々を救おうとしたその善い神さまは、救おうとしたその人間たちからこっ酷く手の平を返された。
その辺りの詳しい事情を、アリーナさんなら知っているはずだ。
…『花子』の心残りとやらは、その辺りに鍵がありそうなんだよね。
だから、踏み込まないといけないんだ。
「はい、私も花子お嬢さまに聞いてもらいたいと思っていたのですが…」
「…思っていたのですが?」
ワタシは、気付いた。アリーナさんの表情が、先ほどと比べて曇っていたことに。
…なぜだ?
ワタシは、この人に対しての選択肢をどこかで間違えたのか?
敵対ルートに入ってしまったのか?
「あの…どうして『邪神』さまを『花子』さんとお呼びしているのでしょうか?」
「ああ、そっちかぁ…」
けど、知らない人からしたらそうだよね。
どうして花子がいるのに、『邪神の魂』の方も『花子』なんだって思うよね。しかも、ワタシたちほぼ瓜二つだしね。老婆心とかじゃなくても、紛らわしいだろって注意したくなるよね。
なので、その辺の経緯をワタシは説明した。
ワタシが転生者であることも、『花子』がオリジナルの『邪神の魂』ではないことも。
話さなければ、信用もしてもらえないはずだからだ。
…話を聞いていたアリーナさんは、『花子』のネーミングの件から『?』という表情を浮かべていたけれど。
でも、そうなるよね。当人であるワタシだって未だに納得してないからね。
そして、最後まで話を聞いたアリーナさんが口を開いた。
「ということは花子お嬢さまが『花子さんB』、『邪神』さまの方を『花子さんA』と認識すればいいのですね」
「異議ありぃ!」
当然、ワタシは叫んだ。
ここで『逆転』なんてされてたまるものか。
「ワタシがオリジナルなので、ワタシの方がAなのです!」
というか、ついさっきワタシと『花子』の関係は説明しましたよね!?
「しかし、花子お嬢さまと『邪神』さまのお姿が似ていたのはそういうことだったのですね…というか、そもそも元の『邪神』さまは何十年も前にこの異世界ソプラノから姿を消していた、と」
アリーナさんは独り言のように、うわ言のように呟いていた。
ワタシの話は、けっこうなショッキングだったようだ。けど、アリーナさんはそれなりに納得しているようでもあった。
なので、次はワタシのターンだ。
「あの、教えてください、アリーナさん。『花子』が『邪神』に身を窶してしまったのは、一人の女の子を助けるために、最後の力を使ってしまったからなんですよね?」
先ほど、アリーナさんは確かにそう言っていた。
「ええ、そうです」
アリーナさんは、やや沈痛な面持ちをで頷く。
そんなアリーナさんに、ワタシは追い打ちのように問いかけた。
「そして、そこで救われた女の子が『源神教』の教祖さまで…その時からずっと、今も生き続けているんですよね?」
「ええ、そうです…ただ、そのお方は御自身のことを教祖さまだとは認めてくださいませんし、当時のことをあまり話しては下さらないのです」
「…ということは、アリーナさんも当時の『邪神』に何があったのかはご存じないのですね」
「お役に立てず申し訳ありません」
「いえいえ、謝らないでください」
ワタシは、アリーナさんに慌ててそう言った。
こちらとしては、『花子』の心残りの手がかりが得られただけで棚ぼたの儲けものなのだ。
要するに、その『教祖さま(本人は未公認)』から直接、話を聞けばいいだけのことだしね。
それに、ほんの少しだけとはいえ、『邪神』と『教祖さま』の情報も得られた。
…ただ、『源神教』の『教祖さま』が、不老不死だとは思わなかったよ。
本当にあるんだね、そんな夢物語が。
その夢物語が、幸せかどうかはワタシのような小市民には分からないけれど。
「じゃあ、アリーナさんにお願いがあります…その『教祖さま』に会わせてもらってもいいですか?」
緊張の声で、ワタシはアリーナさんにお願いした。
「そうですね、『教祖さま』は『花子さま』にお会いすることにはあまり乗り気ではありませんでしたけれど…」
「え…そうなんですか?」
それは、なぜだろうか?
「ですが、花子お嬢さまは既に…いえ、『花子さま』も『教祖さま』にはお会いしておりますよ。一応ですけれど」
「どういう…ことですか?」
アリーナさんの言葉はワタシを困惑させた。
急いで記憶の引き出しを片っ端から開けたけれど、『源神教』の教祖を名乗る人物と会った記憶は見つけられなかった。
「そうですね…花子お嬢さまが私どもの『祀り』に忍び込んできたことがありましたよね」
「…そうですね」
ディーズ・カルガに連れて行かれたとはいえ、非はこちらにあるのでワタシとしては何とも微妙な顔になってしまう。
…けど、あの時に、『教祖さま』もいたのか?
「あの時、『邪神の魂』状態だった『花子さま』をお持ちしていたのが、私ども『源神教』の『教祖さま』です」
「『花子』が魂の状態だった時…もしかしてあのローブの魔法使いですか!?」
ワタシは、一瞬で総毛立った。
でも、無理もないよね?
ワタシとナナさんは、あの人に殺されかけたんだよ!?
混乱の極致にいたはずのワタシに、アリーナさんはさらなる混乱の種を投げかけてきた。
「しかし、これで私どもも救われ…いえ、世界も救われますね」
…え?
世界が、救われる?
この人は、今、起きたまま寝言を口にしたのか?
「あの…どういう、ことなんですか?」
ワタシは当然の疑問をぶつけたのだが、ワタシの本能は警鐘を鳴らしていた。『関わるな』と。
そして、アリーナさんは律儀に答えてくれた。
「『教祖さま』が仰っていたのです。『邪神』さまがいれば…いえ、『花子』さまがいれば、『世界の崩壊』を喰いとめられる、と」
…『世界の崩壊』、を?
喰いとめる…?
だって、『世界の崩壊』ってあれだよね?空に亀裂とか入っていたあれだよね?
それを、うちの『花子』が?
ここまで的外れでとんちんかんで、無責任でお仕着せがましい言いがかりを、ワタシは初めて耳にした。
いや、もう何を言っているのか自分でも分からなかったけれど。