51 『こんなにもかわいい子が女の子のはずがありません』
神さまに縋らない世界など、どこにも存在しない。
どれだけ世代が変遷しようと、どれだけ時代が混線しようと、神さまのいない時代は存在しなかった。寧ろ健全なんだ。神さまのいる世界の方が。
古代、人々は無知だった。何も知らないままだった。
だから、世界を創造したのは、神さまだった。
自分たちの理解の及ばない不思議な、または理不尽な自然現象などは全て、神さまからの恩恵、または刑罰だと人々は受け入れてきた。誰も、それらの自然現象に対して説明なんてできなかったからだ。
「…………」
しかし、人々も無知のままではいなかった。いられなかった。
夥しいほどの失敗を繰り返し、決して少なくはない犠牲を払い、次の世代に知識のバトンを託してきた。そうやって、人々は血と引き換えに知を獲得した。
その時、人にとっての世界の創造主は、神さまではなくなった。
世界の神秘も、神なる秘密ではなくなった。
けれど、人が自然の仕組みや枠組みを理解しても、世界から神さまの陰が消えることはなかった。
どうしてだろうね。
いや、それほど不思議な話でもないか。
人が神秘を紐解いても、世界の創造主が神さまではなくなっても、人間の方が神さまから離れられなかったんだ。
「…………」
人と他の生き物との違いは多々あるけれど、その大きな違いの一つに、『卒業』の有無がある。
学校からの『卒業』もあれば、親という保護者からの『卒業』もある。他にも、定年を迎えた社会人からすれば、それもある種の『卒業』だ。禁煙や禁酒だって、自主的な『卒業』と捉えてもいい。
こうして、人間は『卒業』をする。人生のあらゆる場面の節目節目で。区切りなり見切りなりをつけるために。
それは、『卒業』を肯定的な意味で捉えているからだ。
「…………」
けれど、『神さま』からの完全なる『卒業』は、現代でも果たされてはいない。
ワタシや慎吾たちがいた世界でも。この異世界ソプラノでも。
神さまに縋らなければならない時代は、とっくに過ぎ去ったというのに。
人は、神さまからの卒業を果たしていない。
その証明の一つとして、この『水鏡神社』でもとある儀式が行われるそうだ。
神さまを降臨させるという、儀式が。
「…本当に、神さまが呼べるんですか?」
ワタシは、この水鏡神社の巫女であるシャンファさんに問いかける。
もしかすると、その神さまなのだろうか。
ディーズ・カルガに『神託』を授けているという神さまは。
「え、神さまが本当に降りてきたり、するはずないじゃないですか」
シャンファさんは、ウサ耳を傾けながら不思議そうな顔をしていた。
…ワタシ、そんなにおかしなこと聞いたかな?
だって、この異世界だったらホントに神さまを降ろしたとしても不思議じゃないよね?ほいほい顔を見せてくれる女神さまだっているんだよ?
「いないんですか…神さま」
「いませんよお。花子さんは神さまを信じているのですね。お可愛いことです」
シャンファさんは陽気に微笑んでいたけれど、この神社の巫女であるあなたが浮かべていい笑顔ではないのではないでしょうか…そして、その笑顔のままシャンファさんは続ける。
「いいですか、花子さん。神さまというのは、私たちの世界のずっと上の世界にいらっしゃるんですよ。なので、私たちの世界に降りてきたりはしないのです」
「でも、シャンファさん…神さまがいないと困ることもあるんじゃないですか?」
この異世界ソプラノには、『神さま』が実在するのだから。その前提でこの世界は構築されているのではないだろか。
「確かに、これから先、神さまがいなくて困ることもあるかもしれません。実際、この場所に『邪神さま』が現れてくださらなければ、現在の王都はありません。言い伝えにあった『毒の魔獣』に滅ぼされていたはずです」
シャンファさんは、この神社の祭神である『邪神さま』について語っていた。
…少しややこしいが、『邪神さま』と『邪神』は別物だ。
この神社で祀られている『邪神さま』は、大昔、王都のあるこの場所に現れた、毒を吐き出す魔獣を退治してくれた神さまなのだそうだ。その毒を祓い清めたことから、邪気を祓う神さまとして、親しみを込めて氏子さんたちから『邪神さま』と呼ばれているらしい。本当の名前は、失われたみたいだからね。
「…………」
対して、ワタシの中にいたのは『邪神』で、そちらも元々は善神だった。
しかし、戦争をやめない人間やエルフたちを止めるために人々の邪念をその身に受けすぎてしまい、最後には破壊衝動に支配された『邪神』へと堕ちてしまった。
…ただ、今現在はその『邪神(の魂)』は『花子』という存在として我が家で居候をしている。
どうやらヨーグルトとぶどうジュースがお気に召したようで、風呂上がりにその二つに舌鼓を打っている姿が我が家では頻繁に目撃されている。風呂上がりのほこほこした体でぶどうジュースを呷っているあの姿からは、『邪神』の邪の字も感じられなかった。
まあ、うちの『花子』は元々は『邪神の魂』そのものじゃなくて、おばあちゃんが自分の中に封印した『邪神の魂』が、お母さんを経由してワタシに受け継がれたもの…つまりはレプリカのようなもので、『邪神の魂』そのものではないからかもしれないけれど。
と、ワタシのモノローグが横道にそれまくっていたが、そこで再びシャンファさんが軌道修正をしてくれた。
「しかし、『邪神さま』に助けられた私たちだからこそ、次は自分たちの力で困難を乗り越え、お空の彼方におられる神さまに証明しなければならないのではないでしょうか」
「…シャンファさん」
「私たちだけの力で困難に勝たなければ、『邪神さま』が安心してお空に帰れないのですよ」
「やめてください、シャンファさん…その台詞はワタシに効くので」
何度も号泣したので本当に効くのだ。
「でも、シャンファさん…儀式って神さまを降ろすための儀式なんですよね?」
ワタシは、それは矛盾ではないだろうかと口を挟んでしまった。
「儀式といっても、本当に『邪神さま』を降臨させるものではありませんし、半分はお芝居のようなものなのですよ」
「お芝居…?」
神さまに奉納する神楽のようなものだろうか。
「はい。大昔、この地に『毒の魔獣』が降り立ち、辺り一面を毒に撒き散らしてしまいました。そんな時、一人の巫女がこの世界とは異なる世界から神さま…『邪神さま』を召還したのです。そして、『邪神さま』は魔獣を退治し、毒に汚染されたこの一帯を全て浄化してくださったのです。そんな『邪神さま』に感謝を伝え、後世にもその事実を伝えるために、物語をお芝居仕立てで演じるのが儀式です」
「なるほど…そういうことですか」
と、納得したところで一つの疑問が浮かんだので口にした。白ちゃんに向けて。
「それで、白ちゃんはどんなお手伝いをしてたの?」
「ええとね、僕もシャンファお姉さんと一緒にその神さまを呼ぶ巫女って役をやるんだって」
「その配役に問題はないんですか!?」
この子、男の子なんだよ!?
しかし、シャンファさんは全く動じなかった。
「おそらく問題はないはずです。『邪神さま』…いえ、『炎熱神ソルディバンガ』さまも、『こんなにもかわいい子が女の子のはずがありません』と仰っていたそうですから」
「名前も残ってない神さまの言葉なんて残ってるはずないですよね!?」
あと、絶対、ここの神さまはそんな名前じゃないですよ!?
だからって、『凍結神アイヒリッター』さまでもないはずですけどね。というかワタシもよく憶えてたな。『炎熱神ソルディバンガ』とか『凍結神アイヒリッター』とか。前にシャンファさんが軽く言ってただけなのに。
「…まあいいか」
白ちゃんが、ちょっと誇らし気にしてたんだよね。さっきお手伝いで巫女をやるって言った時に。
多分、白ちゃんは自分に自信がない。
いつも、どこか一歩引いたところで遠慮がちにしている。笑っていても、それがどこか物悲しく見えていた。
自分に自信がないのはワタシも同じだけど、白ちゃんの場合は、ここが自分の世界じゃないことが大きく影響している。ワタシや繭ちゃんたちもこの世界は異世界だけど、それなりに覚悟をした上でこの世界にやってきた。
けど、白ちゃんは違う。
唐突にこの異世界に放り込まれ、家族とも強制的に引き離された。今まであったはずの当たり前を、何の前振りもないまま何もかも奪われたんだ。
そんな異世界で、どうやって自信を持って生きていけというのだ。白ちゃんが、いつもうつむき加減になってしまうのも無理からぬところなんだ。ワタシだったら耐えられないよ。
でも、さっきの白ちゃんは、少しだけ誇らし気に見えた。
儀式の『巫女』という大役に抜擢され、自分がダレカから必要とされていると思えたんだね。
「…………」
勿論、ワタシや慎吾…特に繭ちゃんなんかは白ちゃんを必要としているけど、ワタシたちはただ白ちゃんに傍にいて欲しいだけだ。だから、それは白ちゃんの自信にはつながらなかったんだ。
でも、具体的に役割りを与えられたことで、白ちゃんは得られた。自分がここにいてもいいのだという理由を。
…本当は、ワタシや慎吾が白ちゃんにそれを与えられないといけなかったんだけどね。
「では、花子さんも儀式の時には見に来てくれますか?」
シャンファさんがそうお誘いを受けたので、ワタシは「勿論ですよ」と二つ返事をした。
そして、この場はここで解散となった。
これ以上は、あの『神託』についての進展もなさそうだったし、何よりリリスちゃんが所在なさげにしていたからだ。
リリスちゃんからすれば、ワタシはディーズ・カルガの『神託』なんぞに現を抜かしていたちょっとした裏切り者だしね。この埋め合わせはきちんとしなければ、リリスちゃんの好感度が下がって爆弾が爆発しちゃうからね。周りにも飛び火しちゃうからね。それに、リリスちゃんと二人きりでなければできない話もあった。
…リリスちゃんが『悪魔』として復活した場合、大きなリリスちゃんはどうなるのか、小さなりりすちゃんはどうなるのか、とかね。
「…………」
けど、そんな込み入った話を白ちゃんのいるこの場で行うわけにはいかないし、今日は解散という流れになった。
なので、ワタシは白ちゃんと一緒に家路についた。
「そういえば、白ちゃんと二人きりで帰るのは初めてかな」
「そうだね、花子お姉さん」
そもそも、白ちゃんと二人だけで並んでこと自体が稀だった。特に、最初の頃はちょっとワタシ避けられてた節があるからね、白ちゃんに。まあ、にんにくの匂いがキツかったからなんだけど。
そういえば、最近は殆んどにんにくを食べてなかった。今までは、病的なくらい毎日にんにくを食べてたのにね。
…理由はおそらく、おばあちゃんの記憶を失くしたからだ。
あれ以来、ワタシはそこまでにんにくを欲しがらなくなった。
おそらく、ワタシのニンニク好きはおばあちゃんに関係している。
「ねえ、花子お姉さん」
そんなことを考えて上の空だったワタシに、白ちゃんが話しかけてきた。真っ白な尻尾を軽く振りながら。
「僕も、少しはみんなのお役に立ててるのかな」
「白ちゃんはいっつもワタシたちのお手伝いをしてくれてるじゃない」
「でも…僕、いっつも失敗ばっかりだよ」
そこで、白ちゃんは少しだけしゅんとしてしまった。
そんな白ちゃんを、ワタシは励ました。
「あのね、白ちゃん。ここだけの話なんだけどね。花子お姉さんなんてね、そこそこシャレにならない失敗とかしてるんだよ…この間だってシャルカさんの酒瓶(お値段の高いヤツ)を倒して中身を殆んど零しちゃったんだ」
「それは…そこそこシャレにならないね」
「何とか、安いお酒を継ぎ足して事なきを得たけどね」
「…それ、事なきを得たことになるの?」
「大丈夫。どうせ、シャルカさんは酔っ払ったらお酒の味とかすぐに分からなくなるから」
「そう…なんだ」
白ちゃんは心配そうな表情を浮かべていたけれど、すぐに小さく笑った。笑ってくれた。これなら、床にぶちまけてしまったシャルカさんの高級なお酒も浮かばれるというものだ。
そして、その足取りもほんの少しだけ、軽くなった。
だから、ワタシは白ちゃんと手をつないで歩いた。二人で手をつないで歩いていると、見慣れたはずの景色だって違って見える。
もしかすると、世界ってこうやって変わっていくのかもしれないね。
「…………」
そんなことを考えながら家路についていたワタシたちの前に、ふらりと一人の女の人が現れた。
ワタシたちの家までは、もう目と鼻の先だというのに。
けれど、知らない人だったので、ワタシたちは素通りして家に入ろうとしたのだが、向こうから声をかけてきた。
「花子さんですね」
その声は、整頓された声だった。
一切の無駄を省いたトーンで、その人はワタシの名を呼んだ。
「なん…ですか?」
思わず、返事をしてしまった。
こういう時は、知らぬ存ぜぬで無視をすればよかったというのに。
…でも、それをさせない声だった。
「ああ、驚かせてしまい、申し訳ありません。私は、こういう者です」
そこで、女性は小さな紙片を手渡してきた。その動きも、やけに洗練された所作だった。
ワタシは、それを緩慢な動きで受け取った。
紙片はキレイな四角形で、紙の材質もよかった。というか、これは『名刺』か?この異世界には『名刺』の文化はなかったはずだけれど。
そして、その『名刺』には記されていた。
やけにきちっとした四角四面な文字で、『源神教教祖代理』という名称が。