50 『やせいのふしんしゃがあらわれた!』
「この異世界ソプラノには、『巫女』と呼ばれる存在はいない。なぜなら、この世界には『神社』がないからだ…そう思っていた時期が、ワタシにもありました」
『脈絡もなく意味不明な言葉をぶつぶつ呟くのはやめてもらっていいですかねぇ、先生…ぶっちゃけ気持ち悪いので』
隣りを歩くリリスちゃんが、巫女についての独り言を呟いていたワタシを怪訝な面持ちで眺めていた。『洗脳』状態から戻ったばかりなのに、リリスちゃんはもう普段と同じテンションである。
…そんな冷たい瞳のリリスちゃんが、ちょっと嬉しかった。
「いやあ、あの人がいきなり『巫女』がどうとか言い出すからさあ…」
ワタシは、そこであの人ことディーズ・カルガを指差して責任転嫁を図った。これまでのことを考えれば、あの人に対するそれぐらいのなすりつけは許されるはずなのだ。
ことの発端は、ディーズ・カルガが『巫女を探せ』などという『神託』を受けたことから始まった。
…いや、『神託』ってなんだよ。
って、誰でも思うよね。絶対、この人の口から出任せの戯言だって思うよね。
ワタシとしても、最初は歯牙にもかけていなかった。
しかし、ディーズ・カルガはその『神託』を本気で信じていて、その『神託』の通りに数々の行動を起こしていた。それが、これまでのキテレツな行動の原因だったというわけだ。
傍迷惑にもほどがあるけどね。
ワタシは、この人に無理矢理、『源神教』の祀りに参加させられた。
りりすちゃん(小)は、『端末』であるリリスちゃん(大)を誘拐された。
しかも、ディーズ・カルガ本人は、これが『正義』のためだと本気で信じて疑っていない。コイツが一番の狂信者なんじゃないかと、ワタシなどは思うのだけれども。
「次の『神託』は、『巫女』という存在を探せ、というものらしいが…」
そこで、ディーズ・カルガは頭を掻きながら眉を顰めていた。
…どうやら、この人は『巫女』という存在を知らないようだった。
無理もない、か。『巫女』というのは、ワタシが元いた世界の存在だ。神社という神さまのお社で、神さまにお仕えする女の子のことを巫女と呼んでいた。
なので、そもそも神社のないこのソプラノには『巫女』はいないはず…と、先ほどディーズ・カルガの口から『巫女』という言葉を聞いた時にはそう思っていた。けど、よく考えればそれはワタシの早とちりだ。
「…………」
だって、あったもんね。この王都にも、神社が。
ワタシも何度かその場所を訪れていたし、巫女…と呼んでいいのかどうかは分からないけれど、巫女らしき人(ウサ耳)には会っている。
ただ、そのことをディーズ・カルガに教えるかどうかで迷っていたのだ。
…何度も言うけど、この人、普通に犯罪者だからね。
というか、そんな人と普通に接してるワタシもワタシだけどね。これは慎吾に怒られても仕方ないよ。
「花子くんは、その『巫女』というのについて何か知らないかい?」
「そう、ですね…」
…ワタシは、ここでなんと答えるべきだろうか。
普通に考えれば、この人には憲兵さんや騎士団の人たちからお縄をかけてもらうべきなのだけれど…『神託』について、もう少し把握をする必要がある気がするんだよね。ただのワタシの直感なんだけどさ。
リリスちゃんなどは、『神託』なんてこの人の妄想の産物くらいにしか思っていなかったようだ。ワタシだって似たようなものだけど。
しかし、その『神託』のお陰というか何というか、ワタシは『花子』と出会えたんだ。
出会えたというか、元々『花子』はワタシの中にあった『邪神の魂』だったけれど、それが人の形をとったのがあの『花子』だ。ワタシに似た、ワタシではないもう一人のワタシだ。その切欠を作ったのは、間違いなくこの人の『神託』だ。ただの御託で済ますことも、ワタシにはできなかった。
「…『神託』か」
一つ、呟いてみた。
なら、そもそもその『神託』は誰に授けられたものなのだろうか。『神託』というのだから、それこそ相手は神さまなのだろうけれど…この異世界ソプラノにおける『神』とは、誰だ?
ワタシが知る限り、その『神』に相当する存在はアルテナさまくらいしかいない。
けど、アルテナさまは現在、休眠中だ。ほいほいと『神託』なんて下せる状態にはない。それ以前に、アルテナさまが『神託』を下すのなら、その相手はワタシではないだろうか。思い上がりかもしれないけれど、そう思えた。
だからこそ、どうしても気になる。
ディーズ・カルガに『神託』を授けているのは、ナニモノなにか、と。
なぜ、『神託』などという回りくどい伝達手段をとっているのか、と。
「…………」
といってもワタシなんかにどうこうできる存在じゃないだろうけどね、その『神さま』とやらは。
だけど、その『神さま』の情報を、ほんの少しでも引き出したかった。アルテナさまは休眠中でも、天使であるシャルカさんは健在だ。シャルカさんならば、その『神さま』とやらにも心当たりがあるかもしれない。
「そもそも…あなたはいつ、どこで、どうやってその『神託』というのを授かったんですか?」
ワタシは、ディーズ・カルガに問いかける。
「いつ、となると細かいところは憶えてはいないね。大体、一月とか二月くらい前になるかな。それに、どこで、というのもあまり意味がないよ。『神託』は私がどこにいても届けられるしね。あとは、どうやって『神託』を授かるようになったかだけど…これも、理由は分からない。私が何かをしたから『神託』を授かるようになったのか、それとも、何もしていなかったけど『神託』を授かるようになったのか」
「…要するに、何も分からないということですね」
一言でまとめればそういうことになる。大して期待はしていなかったけど、それでも想像以上に何も分からないことになる。
ただでさえ、この王都では今、よく分からない事態がドミノ倒し的に起こっているというのに。
「仕方ない…かな」
「どうかしたのかい、花子くん?」
小さく呟いたワタシに、ディーズ・カルガがそう反応した。
「『巫女』…というその存在に、心当たりはあります」
ワタシは、そのことを告げた。
そして、ディーズ・カルガとリリスちゃんを連れて、王都で唯一の神社である、あの『水鏡神社』へと向かった。
…この場当たり的な選択が正しいのか間違っているのか、それすら分からないままに。
「ここですよ」
ワタシは、何度か足を運んだ水鏡神社の境内に足を踏み入れた。
神社というのは、神さまのお家だ。当然そこは神域となり、俗世とは隔絶されている。ちょっとした風の流れさえ、この場所では厳かに感じられた。
「王都にこんな場所があったんだね」
神社という存在そのものを知らなかったディーズ・カルガは周囲を見回しながら歩いていた。対して、リリスちゃんは無言だった。ディーズ・カルガをこの境内まで案内したワタシに呆れているのかもしれない。
「この神社に、巫女さんはいるはずですけれど…」
玉砂利の上を歩きながら、ワタシも周囲を見渡した。この神社にはシャンファさんという巫女がいるはずだ。今日もいるかは知らないけどね。そもそも、あの人がちゃんとした巫女なのかも知らないけどね、ウサ耳だしね。
『なんだか落ち着く場所ですねぇ』
人のいない境内をゆっくりと歩きながら、リリスちゃんはそんな言葉を口にしていた。確かに、この場所は周囲の雑踏なども届かない。静謐といえる雰囲気なんだけど、『悪魔』であるリリスちゃんが落ち着くっていうのもどうなんだろうね?
「ええと、シャンファさんは…」
とりあえず、ワタシは社務所(らしき建物)に向かって歩き始めたが、そこでふと気付いた。
ここにシャンファさんがいたとして、ワタシ、何を話せばいいのだろうか?
だって、言えないよね?「こんにちは、『神託』を授かったんでシャンファさんに会いに来ました!」とか。
いや、向こうからしたらちょっとした恐怖だよ?
あ、やせいのふしんしゃがあらわれた!ってなるよね?
「…………」
そんなことを考えていると、ワタシの足取りは鈍くなった。
けど、そういうことを考えている時に限って対象と接触したりするみたいだね。
ワタシたちは、そこでシャンファさんと顔を合わせた。シャンファさんは、今日も今日とて袴姿の巫女服だったけど、頭にはウサ耳のカチューシャをつけていた。このこだわりもなんなんだろうね。
…でも、そこにいたのはシャンファさんだけではなかった。
「え…なんで、あの子がいるの?」
そこには、ふわふわもこもこ尻尾の…白ちゃんがいた。
「え…なんで、あの子がいるの?」
大事なことなので、ワタシは二回も繰り返した。
『あ、花子お姉さん!?』
こちらに気付いた白ちゃんが、ワタシの傍に駆け寄ってきた。
…うん、白ちゃんは今日もかわいい。
犬耳、犬尻尾の白ちゃんが走るとそれだけで絵になるね。雪花さんなどは、これだけでご飯三杯はいけてしまうのだ。
『どうしたの、花子お姉さん』
白ちゃんは、お尻の尻尾をパタパタと振っていた。しかも、この子は繭ちゃんと同じく女の子の服を着てるんだよね。
女の子の服、白い耳、白い尻尾…うん、倒錯的だね。それなのに本人が健全な微笑みを浮かべているのが、なお倒錯的だね。
…うん、ワタシもヤバイね。思考が雪花さんの嗜好に侵食されてるね。
「ええとね、ワタシたちは…」
ワタシはそこで口籠ってしまった。本当のことなんて言えないからね。ワタシまで『電波』扱いをされてしまうのだ。
けど、そこでディーズ・カルガが口を開いた。助け舟でも出すように。
「私は知らなかったのですが、花子くんから、こちらに『巫女』さんという神さまにお仕えする伝統的な女性がいるという話を教えてもらってね。後学のためにお話を聞かせてもらえればと思って、足を運ばせてもらった次第なんです」
ディーズ・カルガが、口から出任せをペラペラと喋っていた。この人にこういう嘘をつかせたら、右に出る人なんていないよね。
…いや、まったくの嘘というわけでもないけどさ。それでも、ここまでの二枚舌を持ってる人はそうはいないよ。
でも、ディーズ・カルガはここからどうするつもりなんだろうか。
というか、そもそもこの後はどうなるのだろうか?
たしかに、ワタシたちは『神託』に従った。探せと言われたから、こうして『巫女』であるシャンファさんに会いに来た。
「…………」
それで、何かが変わるのか?何かが起こるのか?
もう少し、『神託』について細かく聞いておくべきだったかもしれない。結局、ワタシは『神託』そのものをそれほど信じていなかったんだ。信じていなかったから、そこまで真剣に話を聞いてはいなかったんだ。
「そうなのですか…まあ、それほど大きなお社ではありませんけれど、見学は自由になさってください」
シャンファさんは、突然の来客にも丁寧に応対をしていた。所作そのものが洗練されていて、小さな動きの一つ一つが、何らかの儀式のようにも感じられた。
…なんでこの人、頭にウサ耳を乗っけてるんだろうね。
あ、白ちゃんがこの人に懐いてるのって、もしかして動物耳つながりなの?
「ありがとうございます。それでは、神社という文化についてお話をお聞かせ願いたいのですが…」
と、ディーズ・カルガはシャンファさんに話しかけていた。言動だけなら完全に異文化を学びに来た来訪者だよ。
「ところで、白ちゃんはどうしてここにいたの?」
やや手持ち無沙汰になったので、白ちゃんに話しかけた。
『僕、たまにここにお散歩に来るんだよ』
白ちゃんは、無垢な瞳で答えてくれた。
「へえ、そうだったんだ」
『うん、そうだったんだよ。この神社って、なんだか落ち着くんだよね』
白ちゃんは、真っ白な尻尾を楽しそうにスイングさせていた。どうやら、この場所でリラックスができるというのは本当のようだ。
「最近は、白さんは神社のお手伝いもしてくださっているんですよ」
そこで、シャンファさんがそう教えてくれた。
「え、そうなんですか?」
意外な台詞に、ワタシは驚いた。
そういえば、ワタシって白ちゃんのプライベートってそこまで知らないかも。繭ちゃんと一緒にいることが多いけど、、当然、それ以外の時間だってあるわけだよね。けど、お手伝いか。「偉いね、白ちゃん」と、ワタシは白ちゃんの頭を軽く撫でた。『くすぐったいよ、花子お姉さん』と、白ちゃんは恥ずかしそうにしていたけれど、目を細めてちょっと気持ちよさそうだった。うん、やっぱりかわいいね、白ちゃんは。
ワタシは基本的に猫派ではあるけれど、犬だって本命なのだ。
「ところで、お手伝いって何をしてるんですか?」
ワタシはシャンファさんに尋ねた。うちの白ちゃんがお世話になっているのなら、きちんと把握しておく必要がある。
シャンファさんは、そんなワタシの問いかけにも丁寧に応じてくれた。
「そうですね。簡単に言うと、儀式のお手伝いでしょうか」
「…儀式?」
「ええ、『神さま』にご降臨していただくための儀式です」
「シャンファさん…それ、って」
神さまを、この場所に呼ぶってこと?
ちょっとタイムリーなんですけれども!?