48 『あー、そういうことね。完全に理解したよ(理解していない)』
「ワタシが言うのもなんですけど…あの、今ここちょっと危ないですよ、ドロシーさん」
唐突に現れたドロシーさんに、ワタシは注意喚起をした。『おまいう』なのは文字通りの骨身に染みて分かっていたけれど。
現在、リリスちゃんは何者かに操られたような催眠状態、もしくは暴走状態にある。標的はディーズ・カルガ一人のようだけれど、リリスちゃんの暴走がどこで飛び火をするか知れたものではない。
「この場で一番、危なっかしいのはあなたですよ、花子さん」
ドロシーさんは、ワタシの傍に歩いてきたかと思うと、そっとワタシの両腕に触れた。
「…ぅ!?」
先ほどまでリリスちゃんの怪力に締めあげられていたワタシの両手は、もしかすると骨にヒビくらいは入っていたかもしれない。ドロシーさんのような華奢な女性に軽く触れられた程度でも、熱を帯びた痛みが走る。
「そういう無鉄砲は、男の子にやらせておけばいいんですよ。花子さんのような細腕の女の子がやることはありません」
「でも、ドロシーさん…」
リリスちゃんは、ワタシの友達なんだ。たとえ、それが『端末』と呼ばれる状態のリリスちゃんであったとしても。
「大丈夫です、男の子なんてぶっ壊れるまでこき使ってあげればいいんですよ!どうせ、男の子なんて最後には裏切るに決まってるんですから!というか裏切られましたから!陰で私のことを地雷女とか呼んでいましたから!私が知らないとでも思っていたんでしょうねえ!?」
「今は男の子の話をしているわけではないのですが…」
…というか、どれだけ手酷い裏切りにあえば、そこまでの男性不信になるのだろうか。
などという、愚痴とも告発ともつかない叫びを上げていたドロシーさんだったけれど…いつの間にか、ワタシの腕からは痛みが消えていた。
「ワタシの手…あれ、痛くない?」
「痛みはなくなりましたか?」
小首を傾げていたワタシに、ドロシーさんがそう言った。
「そうです…ね?」
先ほどまでワタシを苛んでいた両腕の痛みが、きれいさっぱりと消えていた。
「それはよかったですけれど、無茶はしないでくださいね。痛みを感じなくなったとはいえ、花子さんの怪我そのものが完全に治ったわけではないんですから」
「ええと、麻酔…みたいなものなんでしょうか?」
本当に、痛みは感じられなかった。しかし、違和感のようなものが、しこりとして残っていた。なるほど、怪我自体が完全に治療されたわけではないのか。
「麻酔というよりは、ほぼほぼプラシーボですね。平たく言えば思い込みです。ただ、無理に動かしたりしなければ、怪我の治りは早いはずです」
「プラシーボ…」
なるほど、それで思い込みか。
見たことも聞いたこともないが、スキルや魔法の一種なのだろうか。
…いや、そもそも、この人は何者だ?
初めて会った時などは、目を閉じたまま歩いていて転んでいた、ちょっとやんちゃなだけの人だったのに。
「あの、ドロシーさ…」
「さて、あちらの女の子は…よくない『流れ』の中にいるようですね」
ワタシはドロシーさんに声をかけようとしていたが、ドロシーさんはリリスちゃんを眺めていた。
…というか、よくない『流れ』?
「それじゃあ、お嬢さん。ちょっとお体に触りますよ」
ドロシーさんはゆっくりとリリスちゃんに近づいていく。けど、リリスちゃんはそんなドロシーさんを認識すらしていな…いや、リリスちゃんは小さく後ずさりをしていた。
なぜだ?
さっきワタシが近づいても、全く意に介していなかったのに?
…リリスちゃんは、ドロシーさんを警戒している?
「ああ、逃げないでください。今、あなたに降りかかっているモノを私が払ってあげますから」
ワタシの言葉には殆んど反応をしなかったリリスちゃんだったのに、ドロシーさんの言葉には明確に反応していた。ワタシには目の焦点も合わせてくれなかったのに…という謎の嫉妬心が湧いてきた。
「よしよし、いい子ですね。もう少しの辛抱ですよ」
ドロシーさんは、空中で軽く手を振るような仕草を見せた後、リリスちゃんの肩を二度三度と叩いていた。いや、払っていた。肩についた埃でも軽く払うように。
「リリス…ちゃん!?」
ドロシーさんに肩を払われたリリスちゃんは、糸の切れた操り人形のようにパタリと倒れ込んだ。
「リリスちゃんに何をしたんですか、ドロシーさん!」
倒れたリリスちゃんに駆け寄りながら、ワタシはドロシーさんを睨みつけた。ドロシーさんは、小さく微笑みながら口を開く。
「大丈夫ですよ。よくない『流れ』に囚われていたようですので、その『流れ』を断ち切っただけです」
ドロシーさんは、そう説明した。ただ、ワタシとしてのその『流れ』というのがそもそも馴染みのないものだのだけれど。ワタシにとっては、ひもかわ饂飩くらい馴染みのないものだったけれど。
「…じゃあ、リリスちゃんは元のリリスちゃんに戻るってことですか?」
「ええ、目を覚ませば元通りだと思われますよ」
「あともう一つ聞かせてもらいたんですけれど…リリスちゃんがどうしてこうなったのか、ドロシーさんにはその理由が分かりますか?」
先ほどまでのリリスちゃんは、明らかに常軌を逸していた。その原因がドロシーさんに分かるなら、教えて欲しかった。原因が分かれば、ワタシにも対処ができるかもしれない。というか、リリスちゃんを助けるのは、やはりワタシがいい。
「そうですね、具体的な原因となると私にも分からないのですが…どうも、この辺りに悪い『流れ』が充満しているようです」
「あの…さっきから言っている悪い『流れ』って何ですか?」
そもそも、ワタシにはその『流れ』とやらが理解できていないのだ。「あー、そういうことね。完全に理解したよ」とか言えないのだ。
「ええ、『流れ』は『流れ』ですよ。この世界に満ちている人々や動植物、大地や空の意志ですよ」
「え、ええと…」
やばい、思っていた以上に理解が及ばない話だった。「あー、そういうことね。完全に理解したよ(理解していない)」状態だった。
そんなワタシに、ドロシーさんは忠告めいた言葉を投げかける。
「現在、この辺りは何者かの強い意志に支配されているようですね」
「何者かの…強い意志?」
「ええ、人々を不安にさせ、狂暴化させようとしている悪趣味な意思ですね」
「狂暴化の…意思?」
ワタシとしては『なるほど、分からん』状態なので、オウム返しをするのが関の山だった。
…けど、分からないなりに分かることもあった。
その何者かは、ろくなやつではない、ということだ。
「その何者かは、強い意志でその悪い『流れ』を垂れ流しにしています。ただ、強い意志でとは言いましたが、その悪い『流れ』は普通の人には何の影響も与えられません。というか、どれだけ強い意志があろうと、本来は他人を狂暴化なんてさせられるはずはないのです。彼女はよほど感受性が強いのでしょうね」
ドロシーさんは、少しだけ感心したようにリリスちゃんを眺めていた。
「そ、そうです…ね」
ワタシとしては、できる限りの作り笑いで相槌を打つのが精いっぱいだった。だって、言えるわけはなかった。このリリスちゃんが、悪魔であるりりすちゃんに生み出された『端末』だとは。
…けど、ワタシからすれば、何者なんだ?はこの人も同じだ。
ここら一帯に満ちた強い意志を感じ取れたり、ワタシの痛みを忘れさせてくれたり、リリスちゃんの暴走状態を治めてくれたり、と。
「では、私はこれで行きますね。少し野暮用もありますので」
「あ…ありがとうございました、ドロシーさん」
足早にこの場から立ち去ろうとしたドロシーさんに、ワタシは慌ててお礼を言った。
しかし、その後でドロシーさんに問いかける。やはり、このまま聞かずにはいられなかった。
「あの…ドロシーさんって、何者なんですか?」
ワタシは、冒険者ギルドの職員だ。仕事柄、色々とスキルや魔法についての情報も耳に入ってくる。
それなのに、ドロシーさんが先ほど使用したようなスキル(?)、魔法(?)というのは一度も聞いたことがない。目にしたこともない
ここら一帯に悪意をばら撒いていたという何者かと同じレベルで、この人の正体が分からないのだ。
「ん、ああ…私は『 』ですよ」
その言葉を残してドロシーさんは立ち去って行った。
けど、肝心なところが聞こえなかった。いや、聞こえなかったというか、ワタシは別のことに気を取られてしまった。
「何を…しているんですか」
ワタシの目の前で、リリスちゃんにディーズ・カルガが触れようとしていたからだ。
「何もしやしないよ。ちょっとリリスの脈を測っていたんだ」
ディーズ・カルガは、リリスちゃんの首筋に指を当てていた。そして、「問題はないようだ」などと口にしていた。それを聞いたワタシとしては、激昂寸前まで感情が沸騰する。
「そもそも、あなたがリリスちゃんを誘拐なんてするからじゃないですか!」
ドロシーさんが助けてくれなければ、リリスちゃんがどうなっていたか…。
「あれは、仕方が…なかったんだよ」
珍しく、しおらしく言い訳をするディーズ・カルガだった。
けど、ワタシはそんな言葉で言いくるめられたりはしない。
「何が仕方ないんですか!どんな理由があれば誘拐が正当化されるっていうんですか!そもそも、あなたはいつも無茶苦茶なんですよ!リリスちゃんやワタシ、それに他の人たちにどれだけの危害を加えれば気が済むんですか!」
感情の爆発したワタシは、一気にまくし立てた。ここ最近の立て続けに起こっている異変の元凶がコイツなのではないかとさえ思えてきたからだ。
「確かに、私としても悪いとは思っているんだが…」
「悪いんで済んだら騎士団はいらないんですよ!」
実際、この人はとんでもない犯罪を犯している。このまま騎士団の人たちに突き出すべだ。
「そもそも…あなたは何者なんですか!?」
そういえば、この人も正体不明だった。
…というか、ワタシの周り正体不明の人が多すぎない?
「さすがに、そろそろ花子くんには話さないといけないか」
ため息交じりに、ディーズ・カルガが勿体ぶった口調でそんなことを口にしていた。
…なんか、腹の立つ物言いだった。いや、もうこの人が何をしてもワタシはイライラするんだろうね。寧ろ、そうなるのが遅すぎたくらいだけど。
ディーズ・カルガは神妙な表情で口を開いたが、そんな仕草にさえ苛立ちを感じていた。
「花子くん…私はね、『正義の味方』なんだ」
「なるほど、ワタシは遠回しに侮辱されていたんですね」
真面目くさった顔で何を言うのかと思えば、バカにするにもほどがある。
しかし、ディーズ・カルガはその言葉を撤回しない。寧ろ、補強してきた。
「いや、違うんだ…本当なんだよ。私は『正義の味方』なんだ」
「あなたが正義の味方なら、この世界の殆どの人が正義の味方で聖人君子ですよ」
「いや、ええとね…花子くん」
珍しく、ディーズ・カルガは言い淀んでいた。どんな場面でも口八丁の手八丁で乗り切ってきたこの人からすれば珍しいリアクションだった。
…けど、この人のどこが正義の味方なんだ。
正義の味方っていうのは、騎士団長のナナさんみたいな…いや、ええと。
正義の味方っていうのは、この大地の地母神さまであるティアちゃん…も、ちょっと違うか?
あれ?模範的な正義の味方が思い浮かばないのだが?
「確かに、私に『正義の味方』だと告白されても花子くんは混乱するかもしれないが」
「混乱はしてないんですよ。最初から信じていないんですから」
ない袖には振れられぬ、といったところなのだ。
白々しいといった面持ちをしていたワタシに、ディーズ・カルガは言った。
「しかし、本当に私は『正義の味方』なんだ…その証拠に、私は『神託』を受けている」
「…『神託』?」
ええと、それは…神のお告げ的な?
…というか、思っていたのと別のベクトルでヤバイのではないか、この人。
「どうやら、少しは興味を持ってもらえたようだね、花子くん」
「いや、あなたに興味を持ったというか…」
たった今、あなたとは物理的に距離を置きたいと思い始めたところだよ。あと、心の距離は最初から一歩も近づいてないからね。
「これまでの私の行動も、全てはその『神託』によるものなんだ」
「…『神託』って、本当にそんなものがあるんですか」
いきなり『神託』とか言い出されても、ワタシからすれば世迷言の類にしか感じられない。
…けど、ディーズ・カルガのその声は、普段よりも深刻だった。
「ああ、その『神託』があるから、私は『正義の味方』なん…」
と、言いかけたところでディーズ・カルガは片膝をついた。
「え…どうしたんですか?」
これ以上、ふざけた事態にワタシを巻き込まないで欲しい…と思っていたが、どうも様子がおかしかった。片膝をついたこの人は、軽く震えながら額に汗をかいていた。
「どうやら、このタイミングで…『神託』が来たようだよ」
「本当に…『神託』なんてあるんですか」
何度も質問してしまって悪いが、到底、ワタシとしても信じられないのだ。
「ちょうどいい。それじゃあ、花子くんにもその証拠を見せてあげるよ…私が『神託』を受け取っている時、私の瞳にとある変化が起こるんだ」
「…とある変化?」
「ああ、『神託』を授かっている間、私の瞳が光るんだ」
「…………うわ!?」
本当に、ディーズ・カルガの両目が光り始めた。しかも、ディーズ・カルガは額に脂汗を浮かべている。
…というか、光る眼のおっさんとか不気味にもほどがあるんですけれど!?
「あの、その光るヤツ、止められないんですか…?」
こんなところをご近所さんに見られたら意味不明な噂になってしまうのだ!
「なんか、ワタシ今日はあなたに振り回さっぱなしなんですけど…さっきだって、あなたがちょろちょろしてたから、ドロシーさんの最後の台詞が聞き取れなかったんですよ」
ワタシは不平というか愚痴というか、そういうものをディーズ・カルガにぶつける。もうこの人に対しては遠慮も配慮も必要ない。
「ドロシーさんっていうのは、さっきの女の子だろ?それならこう言っていたじゃないか。『私は『魔女』ですよ』って」
「え…『魔女』?」
ワタシは、そこで言葉を失った。
…本当に、ドロシーさんは、そう口にしていたのか?
自分が、『魔女』だと?
というか、『魔女』…見つかったの?
え、いいの…?
こんな、棚ぼたで?