46 『何度も出てきちゃって恥ずかしくないんですか!?』
「あの日、アルテナさまに何があったのかって?」
ジン・センザキさんは、無造作に伸びた顎髭をさすっていた。
記憶も曖昧な、昏睡状態から目覚めたばかりだというのに、センザキさんはワタシの問いかけに答えてくれたんだ。
「そうだな。私が襲われたあの日、私はアルテナさまと共にいた…で、二人で街中を歩いていたんだけど、その時、アルテナさまはダレカに声をかけられたんだ」
それは、誰ですか?
ワタシは、ベッドの上で胡坐をかいていたジンさんに、そう尋ねた。
…というか、女神であるアルテナさまと、知り合い?
「いや、あの人が誰だったのかは、私も知らない。アルテナさまよりは若くて、花子さんよりは年上の女性といった感じだったかな…私はその女性のことを知らなかったけれど、アルテナさまは、その女性と面識があったようだったよ」
アルテナさまが知っていた人物、ですか。
ワタシがそう呟くと、ジンさんが続きを語ってくれた。
「それから、アルテナさまとその女性は何か話し合っていたね」
どんな話をしていたんですか?
ワタシは、さらに問いかける。
「いや、私はその会話の内容を知らないんだ。アルテナさまからは『秘密の内緒話なので禁則事項です(ハート)』と言われてね、アルテナさまたちは二人だけで話をしていたよ。けど、そこで二人だけにしたのは間違いだったかもしれない」
どういうことですか?
ワタシがそう投げかけた疑問に、ジンさんは答えてくれた。
「いくら待っても帰ってこなかったんだ、アルテナさまは。だから、私はアルテナさまを探しに行った。そしたら、人気のない路地裏で意識を失って倒れていたんだよ、アルテナさまが」
ジンさんは、やや焦った口調で語る。その時の光景がフラッシュバックしているのかもしれない。
けど、そうか。
アルテナさまは、その女性と話していた時に倒れたのか。
…そして、アルテナさまは、その時から、一度も目を覚ましていない。
「私も、誰か人を呼びに行こうとしたんだが、そのすぐ後であの暴漢に襲われてしまい…今まで眠っていた、というわけだよ」
ジンさんは、目覚めたばかりだというのにワタシに疑問や質問に丁寧に答えてくれた。
しかし、さすがにこれ以上の長居はジンさんの体に障るだろうと、ワタシはその後、すぐに退室した。ジンさんも、ワタシに色々と聞きたいことはあっただろうけど、それはまた次回に持ち越すしかない。あ、勿論、別れの挨拶はちゃんとしたからね?
けど、よくよく考えればお見舞いの品とか持って行っていなかったね。バタバタしていたとはいえ、ギルドの看板娘として、そこは失敗だったかもしれない。
「んー…でも、食べ物とか持って行っても、今は食べられないか」
お見舞いの定番といえばリンゴやバナナなんだろうけど、それすら食べられないよね。何日も眠っていたはずなんだから。
いや、でもあの人、病み上がりなのにお店のお姉さんを呼び出してお酒を飲んでたんだっけ…。
「そういえば…」
お見舞いの品ではないけど、ワタシが風邪で寝込んだ時、雪花さんが「少しは食べた方がいいでござるよ」って夕ご飯を持ってきてくれたことがあったんだよね。唐揚げ定食だったけど。
…いや、そこはお粥とかだよね?
熱のある病人にそんな胃もたれしそうなものを持って来るなよ、ってツッコミたかったけど、そんな元気もなかったんだよね。
「…まあ、普通に美味しかったけどさあ、あの時の唐揚げ定食」
とまあ、そんな非常識な雪花さんではあるんだけれど、その日はワタシと一緒に寝てくれたんだよね。
…ワタシ、その時はすっごい泣き虫モードだったから。
「でも、熱で朦朧としてたら思い出しちゃったんだよね…こっちに転生してくる前に、病院のベッドの上で辛い思いをしていた、あの頃のことを」
だから、本気で考えちゃったんだ。
…また、このまま病気で死ぬんじゃないかって。
どんどん衰弱して、どんどん腕や足も細くなって、そのうちまた、起き上がることすらできなくなるんじゃないかって。
それを察した雪花さんは、ワタシが不安がらないように、一緒のベッドで寝てくれた。風邪がうつるかもしれなかったのにね。
…まあ、ワタシが風邪をひいたのって、深夜まで雪花さんの原稿の手伝いをさせられてたからなんだけど。
「でも、雪花さんが抱き枕になってくれたお陰か、風邪の方は一晩で治ったんだよね」
具体的にどこが、とは言わないけど反発力がものすごかったし、すっごい肉厚な抱き枕だったよ。もしくは、唐揚げ定食が意外と風邪の特効薬になってくれたのではないだろうかと本気で考えたね、ワタシは。
うん、思考が横道にそれたね。ドリフトかってくらい横滑りしたね。溝落としだね。
「…………」
現在、ワタシはジンさんのお見舞いからの帰り道だった。色々と無理をさせてしまったかもしれないが、ジンさんたちからは幾つかの有益な話が聞けた。
アルテナさまが倒れる直前、アルテナさまが一人の女性と話をしていたこと。
アルテナさまとジンさんは、『魔女』について調べていたこと。
センザキグループの代表であるはずのジンさんと交流を持っている源神教徒もいるということ。
「これは、別れ際にジンさんから聞いた話なんだけど…」
センザキグループの本社に侵入して『テレプス』を持ち出したのは、ハッシュさんたちだったそうだ。勿論、それはジンさんの部下の人たちの手引きがあったからできたことだった。
ジンさんは、自分に何かあった時のために、『テレプス』をセンザキの外に持ち出すことを考えていた。自分に何かあれば、グループ内のジンさんに敵対する人たちが『テレプス』の全てを独占すると分かっていたからだ。そうなる前に、ジンさんはハッシュさんたちに『テレプス』とそれに関する資料を持ち出すように頼んでいた。それが、あの『センザキグループ襲撃事件』の真相だった。
「あとは…『邪神』が『邪神』に身を窶したことに魔石が関係していたっていうのも忘れちゃいけないかもね」
どちらかといえば、こちらの方がワタシにとっては大事なことだったかもしれない。
ワタシの中で眠っていた『邪神の魂』と呼ばれている存在は、現在、『花子』という人の姿を取っている。本人が言うには、何らかの心残りがあるということで、その心残りが解消されれば元の『邪神の魂』に戻るのではないか、と話していた。けれど、その心残りは『花子』本人にも分からず、何の手がかりもない。
「でも、もしかすると、その魔石が『花子』の心残りの手がかりになるかもしれないね」
無表情がデフォルトの『花子』ではあるけど、時折り、寂しそうに見える表情をする時がある。あんな顔をされると、放っておけなくなるのだ。たとえ、『花子』が『邪神の魂』だったとしても。
あとはまあ、『花子』がワタシと似てるってのも放っておけない理由だね。さすがに寝覚めが悪くなっちゃうよ、このまま見捨てたりしたら。
「…………」
でも、我ながら本当に、何に首を突っ込んでるんだろうね。あちこちで起こってるトラブルに片っ端から首を突っ込んでる気がするよ。花子ちゃんはキ〇グギドラではないのだ。
その中でもワタシを悩ませてるのは、やっぱりあの人だ。あの、ディーズ・カルガとかいう怪人物だ。ワタシが関わってるトラブルの半分くらいにはあの人も関与している。
ジンさんを襲ったのもあの人だし、『花子』が人化する切欠にもあの人は関わっていた。悪魔であるりりすちゃんのフィアンセも自称していたし、さらにはリリスちゃん(大)を誘拐するという大罪も犯している。ああ、本気ではなかったみたいだけど、ワタシとナナさんも襲われかけたんだったね。
「…………」
そろそろ、ワタシにはあの人に対してこう言う権利があるはずだ。「何度も出てきちゃって恥ずかしくないんですか!?」と。いや、ホントに一回くらいシメても問題ないはずなんだよね。あの人からは色々と聞き出さないことがたくさんあるんだから。などと、やや物騒なことを考えながら歩いていたワタシだった。
けど、そこでふと気が付いた。
空気の匂いが、変わったことに。
先ほどまでは昼だった。晴天で、王都の街中は活気にあふれていた。行き交う人たちにも活力があり、人々の往来がこの街の闊達な景色を形作っていた。
しかし、いつの間にか夕刻へと変わりつつあった。人々の流れも一段落し、数も減った。もう少しすれば景色は夕暮れへと変わり、そうなれば、家路につく人の流れでまた往来は活気づく。ただ、今はその隙間の時間で、通行人も疎らだった。
ワタシは、この時間帯も、嫌いではなかった。
人通りの多い昼の時間も好きだし、夕刻のごった煮状態の街中も好きだ。
でも、人の流れが途切れた夕刻へのつなぎのこの時間帯も、好きだった。
どうやら、ワタシは街中の光景を眺めることが、思いのほか好きだったようだ。
…こちらに転生してくる前は、ゆっくりと街の中を散歩することもできなかったしね。
うん、なんか今日の花子ちゃんはおセンチだね。
久方ぶりに病院に行ったからかな。
「…………」
そんなセンチメンタルな花子さんは、さらに人通りの少ない裏の通りを歩いていた。
ちょっとだけ、遠回りをして帰りたいと思ったからだ。
けど、そんな感傷的なワタシの目の前に、人影が吹き飛んできた。人影は、そのまま勢いよく地面を転がる。土埃を巻き上げながら。
…けど、そんなことある?
え、なに?ジャッ〇ーでも飛んできたの?
「あの、大丈夫で…す?」
最初は面食らい、棒立ちだったワタシだったけれど、すぐに倒れ伏していたその人物に駆け寄った。近づいて分かったが、それは男の人だった。割りとしっかりした体格だったようだけれ…ど、この人には、見覚えがある、ような?というか、これって?
「ディーズ・カルガ…さん?」
ワタシの前で倒れていたのは、件の問題児であるディーズ・カルガだった。
…いや、何してんの、この人?
なんか、出てくるたびにこのセリフを言っている気もするけど(言ってないけど)。
「そこにいるのは、花子くんか…花子くんとは、何度も会うな」
「それはワタシの台詞なんですけどね…」
もしかして、また何かやらかしてるのか、この人?
「そうか。とりあえず、私からは離れておいた方がいい…あ、その前に手を貸してくれるとありがたいんだが」
「いやですよ…あなた、誘拐犯じゃないですか」
リリスちゃん(大)を攫ったよね?
他にも余罪がたくさんあるよね?
「なら、本当に私からは離れてい…」
ディーズ・カルガが言い終わる前に、ワタシはこの人から距離を取った。とりあえず、この人の巻き添えなんて冗談ではないのだ。
…と、そこに。
一つの影が、流れるようにディーズ・カルガに向かって来た。
本格的に日没が始まる直前の、狭間の時間に、その影は現れた。
そして、ディーズ・カルガに飛びかかる。
「運動会にしたって、もう少し…インターバルくらいあってもよさそうなんだけどねえっ!」
減らず口を叩きながら、ディーズ・カルガは後方に飛び退き、影から身を躱していた。いや、躱したけれど、足を縺れさせて再び転倒していた。
え、これ、ガチのやつ?
…人が、死んじゃうやつ?
「誰か…呼んた方が、いひですか?」
ワタシは、問いかけた。口内からは一気に水分が失われたように、うまく言葉にできなかった。それなのに、額からは冷たい汗が滴る。暑いのか寒いのかすら、判断できなかった。
「…すぐに来てくれるなら、そうしてくれると助かるんだけど」
台詞としては普段通りに余裕のあるものだったが、ディーズ・カルガの声そのものには余裕など感じられなかった。
…この人、そこそこ強かったはずだよね?
ワタシは、恐る恐る、この人を追い込んだ張本人に視線を向けた。
それまでは、意識してか無意識か、先刻の人影を直視することを避けていた。
そして、そこにいたのは。
「リリス…ちゃん?」
ワタシが見間違うはずは、なかった。
そこにいたのは、まぎれもなくリリスちゃん(大)だった。
…けど、誘拐されていた、はずだよね?
「え…ワタシ、どっちを応援すればいいの?」