44 『推し(じゃない人が)、燃ゆ』
「私とアルテナさまは、『魔女』について調べていたんだよ」
病室のベッドの上、鷹揚な姿勢で胡坐をかきながら、ジン・センザキさんは不敵な微笑みを浮かべていた。
今、この病室にはワタシとセンザキさんの二人しかいない。元々ここはセンザキさんの個室だったようで、他に患者さんはいなかった。
ワタシは、りりすちゃんと別れた後ですぐここに向かった。シャルカさんと『念話』で話した時に、センザキさんが目を覚ましたと報告を受けたからだ。繭ちゃんたちは、その時に家に戻ってもらっている。『花子』に繭ちゃんたちの護衛を頼んで。
だから、今、この病室にはワタシとセンザキさんしかいない。ここでの話し合いは、表沙汰にできないものになることは分かっていた。
そして、センザキさんの口から出てきたのは、『魔女』という不穏な言の葉だ。木組みの椅子に、ワタシは座り直した。そして、呟く。
「…『魔女』、ですか」
それは、お伽噺などでは耳慣れた名称だった。『魔女』とは、昔話におけるジョーカーとも呼べる存在だ。主人公を魔法を助けてくれることもあれば、逆に、主人公を魔法で苦しめる存在として描かれることもしばしばだった。なので、魔女とは、物語上では非常に利便性のあるキャラクターともいえる。だからこその、ジョーカーだ。
けれど、お伽噺がそのまま具現化したようなこの異世界にもかかわらず、ワタシは『魔女』という俗称を聞いたことがなかった。これだけ、魔法や奇跡といったトンチキなインチキに溢れ返った世界だというのに、だ。
けれど、それもつい先日までの話だ。『魔女』という呼称を聞いたことは、あった。
それは、かつてこの世界を滅ぼしかけた存在なのだそうだ。
その『魔女』について、センザキさんは調べていた?
…しかも、女神であるアルテナさまと二人で?
「腑に落ちない、といった表情だね」
ワタシの面持ちから、センザキさんはそう察した。ワタシは「いえ…」と口籠もっただけで、すぐに否定できなかった。なので、代わりの言葉でお茶を濁した。
「センザキさんは…アルテナさまと親しいんですか?」
この人も、『転生者』だった…と、聞いている。なので、アルテナさまとの付き合いは、ワタシたちよりも古いはずだ。その分だけ、ワタシの知らないアルテナさまを知っている可能性は高い。センザキさんは、無精髭に軽く触れながらワタシの問いかけに答えた。
「それなりに、かな。といっても、アルテナさまと直接、会うことはできないし…ただ、アルテナさまからは毎年、年賀状が送られてきてるよ」
「アルテナさま年賀状とか出してるんですか!?」
女神さまなのに何してんの!?
変なところで律儀なんだよね、あの人(?)。
「アルテナさまは年賀状をくれるよ。去年はソロキャンプの写真を年賀状にしてたかな」
「多分、ソロキャンプが流行ってるからとかじゃなくて、一緒に行く相手がいないからこそのソロなんでしょうね…」
「その前の年は…氷バケツリレーをしてる瞬間の年賀状だったかな?」
「また微妙に炎上しそうなネタを…」
よくもまあ、そこまで怒られそうなものにばっかり手が出せるものだ。
まあ、炎上はもう何回も経験してるんだったね、アルテナさまは。ワタシとしても、『推し(じゃない人が)、燃ゆ』って感じなんだよなあ。当然、推しではないので燃えていようが焦げていようが知ったこっちゃないのだ。アルテナさまの自業自得だからね。
「いや、アルテナさまから聞いていた通り、花子さんは面白いね」
センザキさんは、軽く笑った後で頬を引き攣らせていた。傷口でも開いたのだろうか。
「大丈夫ですか、センザキさん」
「まだ、完全に傷口が塞がっていなかったのかな。でも、大丈夫だよ。それと、私のことは『ジン』と呼んでくれていいよ。センザキだと紛らわしいと思うから」
「そ、そうですか…」
センザキさんはワタシよりもかなり年上だし、そんな人を名前で呼ぶのは緊張するのだけれど。
「でも、ワタシたちのこともアルテナさまから聞いてるんですね」
「君たちのことを話す時、アルテナさまは本当に楽しそうにしていたよ」
「そう…なんですね」
そう言われて、面映ゆくなってしまった。なんだかんだで、アルテナさまがワタシたちのことを大切にしてくれているようで。
「ああ、慎吾くんの作る野菜はとても美味しいとか、雪花さんはとても絵が上手だとか、繭ちゃんはかわいくて人気者だとか、花子さんはガッツがある、とかね」
「ガッツ…ですか」
それは褒められているのだろうか、女子として。いやまあ、どうせワタシの胸が小さいとか言ってオチに使うと思ってたから肩すかしを喰った気分だけどさ。「ヘイトスピーチにもほどがあるだろ、あのくそ女神ー!」ってツッコミを入れる準備もしていたのだ。
「アルテナさまと話していると、花子さんの名前が一番よく出てくるんだよ」
「え、ワタシ…ですか?」
自慢じゃないけど、ワタシじゃあ、慎吾たち三人に勝てるところなんてないんだよ?
慎吾みたいに野菜だって上手に作れないし、雪花さんほど絵が描けるわけではない。繭ちゃんのような人気者でもないのだ。
「多分、アルテナさまは花子さんのことを誰よりも認めているんだよ」
「そんなこと…あるんでしょうか」
アルテナさまは、あれでも女神だ。不用意に炎上とかをやらかしていても、女神さまだ。そして、あれで仕事に私情を挟む人ではない。意外とドライなんだよ、アルテナさまは。
だから、ワタシたちには内緒でジンさんと二人だけで『魔女』について調べていたんだ。ワタシたちでは、最悪、足手纏いになる可能性もあるから。
…そんなアルテナさまが、ワタシのことを誰よりも認めている?
ありえない、よね。
「あるよ、きっと」
ジンさんは、軽く微笑む。雑味のない微笑みで。
「だけど、それならワタシにも声をかけてくれたんじゃないでしょうか…その、『魔女』の調査を」
ことがそれだけ大事なら、ワタシにできることなんてほぼないかもしれない。それでも、声くらいはかけて欲しかった。ワタシのことを、信用しているというのなら。
「アルテナさまは、こんな風に私に言っていたよ。もし、自分にナニカがあった場合は…後を花子さんに頼む、と」
「…アルテナさまが?」
ワタシに、頼む?
自分にナニカがあった、場合?
「それ…本当なんですか?」
「ああ、本当だよ。だから言ったんだ。アルテナさまは花子さんのことを信用しているって」
ジンさんは、またも軽く微笑む。その笑みが、その言葉に深みを与えていた。
「アルテナさま、が…」
ワタシの中で、幾つもの感情が綯い交ぜになる。ワタシは、そこまでアルテナさまに信じてもらえていたのか、と。そこまで、アルテナさまがワタシのことを評価してくれていたのか、と。驚きと共に、ワタシの中で歓喜にも似た感情が、隆起する。
それと同時に、不甲斐ない気持ちが湧き上がった。
現在、アルテナさまは、休眠状態にある。それだけの事態がアルテナさまの身に起こった、ということだ。
それなのに、ワタシは何もできなかった。
もっと、ワタシがアルテナさまのために動いていれば、アルテナさまの手助けができれいれば、その結末が別のものになった可能性は、あったはずだ。
「教えてください…アルテナさまの身に、何があったのか」
ワタシは、拳を握った。大した握力なんてないし、迫力なんて微塵もない。それでも、決意くらいはあった。アルテナさまが追っていた『魔女』の影を、ワタシも追う、と。
「そうだね、花子サンには知る権利がある…といっても、私もアルテナさまと四六時中、一緒にいたわけではないからなあ」
「そういえば…『テレプス』の件でお忙しいはずですもんね」
ジンさんは『テレプス』…携帯型遠距離通話魔石機の開発で多忙だったはずだ。新作発表会を行ったが、それはうまくいかなかった。突如として停電が起こったり、肝心なところで『テレプス』に不具合が出てお披露目は失敗したからだ。いや、何者かの妨害があったかもしれない、という情報もあった。
「まあね…『転生者』である花子さんなら分かるはずだ。『テレプス』の価値を」
「そうですね…あの『テレプス』って、ワタシたちの世界で言うところの携帯電話ですから、普及するのは間違いないでしょうし、波及効果も絶大でしょうね」
幾つかの変遷を得た後、携帯電話は世界中に広まった。そして、先ほどの言葉通りに世界を塗り替えた。具体的には情報の伝達速度が段違いに上がったんだ。個々が行う通話の回数は格段に増え、ネットから情報も得ることができるようになった。気が遠くなるほど長い人類史の中でも、そこそこ上位に入る革命ではないだろうか。
その革命が、この異世界でも起こるはずだった。
「その『テレプス』を悪用しようとしている連中がいるようだけれどね」
ジンさんはまたそこで微笑みを見せたが、その瞳は微塵も笑っていなかった。
「本当に、センザキグループの中にいるんですか…『テレプス』を使って世界を征服しようとしている人たちが」
「残念ながら、いるようだ」
ジンさんの声は、乾いていた。嘆きとも怒りともつかない、声だった。
「でも、ジンさん…『テレプス』で洗脳なんて、そんなことが本当にできるんですか?」
全人類を洗脳しての世界征服など、SFの中でしか見たことがない。そもそも、催眠術では本人が本気で拒否したいことは強要できないと聞いたこともある。
「正直、そこは私も半信半疑なのだけどね…『テレプス』の開発には私も参加していたからスペックは把握しているし、把握しているからこそ、『テレプス』で人間を洗脳するという発想には疑問を持たざるを得ない」
「ジンさんでもそう考えてるんですね…」
それなのに、センザキグループ内にはその洗脳が可能だと考えて動ている人たちがいる、と。
「おそらくは、何らかの魔法や魔石を使っての洗脳…ということになるんだろうけど、『転生者』である私では、その何らかの魔法や魔石の心当たりがない」
ジンさんは、そこで軽く眉をひそめていた。
ワタシたち『転生者』には、元の世界で得た知識というものがある。その知識を活用…または悪用すれば、この異世界でも大きなアドバンテージを獲得することができる。
ただし、それは逆に、ワタシたちはこの異世界ソプラノでの知識が乏しい、ともいえる。
当たり前だ。この異世界で生きた経験が少ないのだから。相対的に見ればワタシたちはこの異世界ではディスアドバンテージを抱えている、ともいえる。要するに、ワタシたちが知らない魔法的な裏技がある可能性は否定できない、ということだ。
「でも、ジンさんが倒れてからも、センザキグループは『テレプス』については何も発表をしていませんよ」
「発表がないからといって、進展がない、ということにはならないよ。大っぴらにできないことなら、裏でを進めている可能性は高い」
「確かに…そうですね」
後ろ暗いことなのだから、表舞台でやるとは思えない。この街の裏側で、悪事が進行している可能性は捨て切れない。それでも、やはり堂々巡りのこの疑問が浮かぶ。
「本当に、『テレプス』で洗脳なんてできるのでしょうか…?」
「可能性は低い、としか言えないけど…『テレプス』には、とある拡張性があるんだ」
「拡張性…?」
小首を傾げたワタシに、ジンさんが答えた。
「ああ、けど…拡張性といっても常識の範囲内だよ。より遠くの相手と通話ができるとか、複数の相手と同時に通話ができるとか、その程度なんだ。それで世界征服なんて、できるはずがないんだけどね」
「そうなんですね…」
ジンさんも開発に参加したと言っていた。そのジンさんが言うのなら間違いはなさそうだ。
「ただ、『テレプス』を悪用しようとしている連中の中にアイツがいたら、分からないかな」
ジンさんは、軽く腕を組みながら独り言のように呟いた。それを見たワタシに
「アイツっていうのは、シカイという技術者だよ。変わり者ではあるんだけど、すごく優秀でね。『テレプス』の基礎設計もそのシカイが構築したんだ」
「その優秀な技術者さんが、『テレプス』を悪用しようとしているんですか?」
「いや、それは分からない。シカイは私が連れて来た人材だし、世界征服なんかには興味はないはずなんだけど…ただ、変わり者だから、向こうについていたとすればかなり厄介なことにもなりかねない」
「ジンさんがそこまで言う人なんですね…」
この人だって、大企業でのし上がった傑物のはずだ。その人物が、そこまで評するとは。
「まあ、さっきも言ったけど、シカイは相当な変わり者だからね。そう簡単に靡かせることはできないはずだよ」
「それを聞いて、ちょっとホッとしました」
これ以上、問題をややこしくしたくはないのだ。
「けど、シカイが相手側についていないとしても、この世界そのものがなくなってしまえばそれまでだけどね」
「それ、は…」
「『魔女』がこの異世界を崩壊させてしまえば、世界征服も何もあったものじゃない」
自嘲するように笑うジンさんだった。この人には、何の落ち度もないというのに。
「あの、ジンさんはアルテナさまと『魔女』のことを調べていたんですよね…何か、分かったことはあるんですか?」
「あまり目覚ましい成果はなかったから、得意気に語れるわけじゃないんだが…『魔女』というのは、大昔、この異世界ソプラノを滅ぼそうとしていたんだ。けれど、先代の女神さまが命を賭してその滅亡から守ってくれた…ただ、その時の記録なんかが殆んど残っていなくてね、調べ物をするのに随分と難儀したよ」
ジンさんは、この異世界ソプラノにおける『魔女』について語る。
「ただ、アルテナさまや天使さんたちと調べていて幾つかのことは分かった…『魔女』というのは、『世界の裂け目』と呼ばれる場所からこの世界を崩壊させるんだそうだよ」
「…『世界の裂け目』ですか」
ワタシが知る限り、どの世界も球体で、そこに裂け目などない。
なのに、『魔女』と呼ばれる存在は、その裂け目から世界を崩壊させるというのか。
…そもそも、世界を壊して、何になるんだよ。
そんなことしたって、友達がいなくなるだけじゃないか。
「センザキの方には幾つか手を打っていたけど…『魔女』に関してはほぼお手上げなんだよね、私は」
と、ジンさんが言ったところで病室の扉がノックされた。そろそろスージィさんが戻ってくる頃だろうか。
しかし、扉を開けて入ってきたのは、スージィさんではなかった。
そこにいたのは、一人の見知らぬ青年だ。
…いや、どこかで見たような?
「ご無事でしたか、ジンさん」
青年は、心配そうにジンさんの名を呼んでいた。センザキグループの従業員なのだろ…。
…違う。この人は、センザキの人間、ではない。
ワタシは、そこでこの青年のことを思い出していた。
この人とは、二度ほどニアミスしている。
「…………」
以前、ワタシはこの青年を街中で見かけたことがあった。
その時、この青年はカバンの中から落としたんだ。
まだ、市場には出回っていないはずの、『テレプス』を。
そして、それ以前に街で見かけた時、この青年は黄色い装束をその身にまとっていた。
…つまり、この青年は『邪神』を崇拝する、『源神教』の教徒だということだ。