43 『歯を食いしばってください、ワタシの最弱はちょっとばかし響きますからね!』
「…………」
あまりに振る舞いが泰然としていて、全体像が掴めない。
言動は道化そのものだが、ダレカを楽しませる意思は微塵もない。
だからこそ、道化めいていても、その意図が見えない。
意図が見えないのだから、その目的も見えない。
何もかもが、靄の向こうだ。
「…………」
本当に何者なのだろうか、あの、ディーズ・カルガという怪人物は。
軽妙な語り口でこちらの警戒心を削ぎ落とし、いつの間にか、ぬるりと懐に潜り込んでくる。いかにも自分は人畜無害ですよ、と素知らぬ顔をして。
そして、無遠慮にこちらの内側を根掘り葉掘りと探るくせに、自分は欠片もその素性を見せない。見せているように見せかけて、その実、手札は一枚も晒していなかった。
「…………」
ディーズ・カルガは、リリスちゃんの婚約者を名乗っていた。
言葉巧みに、リリスちゃんに近づいていた。
その時点で、ワタシもリリスちゃんも、ディーズ・カルガという人物をもっと警戒するべきだった。
あの人は、リリスちゃんが悪魔だと知っていて、近づいていたんだ。
「…そんな人間が、まともなわけはないよね」
可憐な少女の姿をしているとはいえ、遊び半分で首を突っ込んでいい相手ではないんだ、リリスちゃんは。古い物語に描かれる悪魔そのものなんだから。
にもかかわらず、ディーズ・カルガはリリスちゃんの物語にずかずかと足を踏み入れてきた。おそらくは、土足のままで。
…そして、悪魔であるりりすちゃんを、出し抜いた。
りりすちゃん(小)の端末だというリリスちゃん(大)を攫うという暴挙に出た。しかも、それが軽挙による衝動的な行動ではなかった。おそらくは事前に計画を練っていた。練れば練るほど、という具合に。
その証拠に、今現在もディーズ・カルガの所在は分かっていない。逃げ遂せているんだ。この王都の憲兵や騎士団に、御触書が出回っているにもかかわらず。
「大丈夫かな…リリスちゃん」
攫われた大きなリリスちゃんのことを思うと、胸が苦しくなった。
ただ、それでも、こう考えるワタシがいた。
あの人は、リリスちゃんを傷つけたりはしないのではないか、と。
本来なら、そんな甘い思考をするべきではない。けれど、なぜかそう思ってしまっていた。
…あの人に対する謎の信頼感のようなモノが、ワタシにはあった。
「いやいや…それこそ、目を覚ませ、ワタシたちの世界が侵略されてるぞ!って話なんだけどね」
などという独りよがりな独り言を呟いている間に、目的の場所に到着していた。潔癖ともいえるほどの白い外観に覆われたそこは、病院だった。異世界とはいえど、病院のような医療施設は白色を基調としているらしい。おそらく、その理由もワタシたちの世界と同じなんだろうね。
ただ、ここに来たのは、ワタシの具合が悪いから…というわけではない。ワタシがこの場所を訪れたのは、人と会うためだ。
「…緊張するなぁ」
誰ともなしに呟き、小さくため息をついた。
シャルカさん経由で、面会の許可は取ってくれているはずだ。それでも、心臓は落ち着きなく騒いでいた。
何しろ、これからワタシが会おうとしているのは、大企業センザキグループの代表である…ジン・センザキ氏だ。
本来なら、ワタシなどが会える相手ではない。
それに、どうして、昏睡状態から目覚めたばかりなのに冒険者ギルドの職員が面会に来た…?
と、向こうからすれば思うはずだ。
「…あと、単純にワタシ、病院は苦手なんだよね」
たくさん泣いた記憶しかないから。
…だから、足も竦んでしまうのだ。
「けど…会わないと、いけないよね」
センザキさんには、色々と聞かなければならないことがある。
センザキグループが…というか、その中の過激な一派の人たちが、こともあろうに『世界征服』などという子供じみたお題目を掲げているのだそうだ。
正直、そういうのは日曜日の朝にヒーローを相手にでもやってくれと思わなくもないけれど、その人たちは本気でこの世界を牛耳るつもりだという話だ。そのことを教えてくれたのは、ジン・センザキさんの秘書を勤めているスージィさんという女性だった。
「世界…征服か」
そんなものは、現実味のない夢物語でしかない。少なくとも、小市民代表ともいえるワタシにとっては。
けど、スージィさんは、その世界征服が妄想でも空想でもないと語っていた。センザキグループには、それを可能とするツールがある、と。
それが、遠距離通話型の魔石機…『テレプス』だ。
その『テレプス』で人々を洗脳することで世界征服が可能になるのだと、教えてくれた。
「それが本当だとすれば、勿論、ギルドとしても放置していい案件じゃないけどさ…」
けど…ワタシとしては、聞きたいのはそこじゃないんだよね。
センザキグループが世界征服を企んでいようが目論んでいようが、それよりも聞きだしておきたいことが、ジン・センザキさんにあった。世界征服の方は、騎士団や王族であるアイギスさんたちにでも任せておけばいい。
ワタシがジン・センザキさんに聞きたいのは、別のことだ。
「…センザキさんは、アルテナさまと会っていた」
アルテナさまが、休眠状態になる直前に。
どうやら、ジン・センザキ氏はワタシや慎吾たちの…『転生者』の先輩なのだそうだ。
「なら、少しぐらいは話が聞けるよね」
アルテナさまが休眠状態に陥る前に会っていたのは、ジン・センザキ氏だ。
しかも、その日だけではない。
その前日にも会っていたと、雪花さんが教えてくれた。
「だとしたら、分かるかもしれないよね」
アルテナさまが眠りについた、理由が。
アルテナさまが天界に戻れなくなったのは、世界に蓋がされたから、だそうだ。
シャルカさんの説明では、世界にその蓋がされたことで他の世界…天界とのつながりが断たれ、エネルギーの補充ができずに力を失い、アルテナさまは眠りについた、ということだった。
けど、そんなにいきなりエネルギーが枯れるものだろうか。
アルテナさまには、まだ幾許かの余裕がありそうだった。
にもかかわらず、アルテナさまは唐突に眠りについた。
「その日、アルテナさまと一緒にいたのは、センザキさんだ」
だとすれば、あの人が何かを知っている可能性は、ある。
アルテナさまが眠りについたその日、何があったのか。
…ただ、その日は、ジン・センザキ氏が、刃物で刺されて昏睡状態になった日でもあった。
「刺したのはディーズ・カルガだけどね…」
本当にろくなことしかしないな、あの人。
というか、いくつ容疑があるんだよ、あの人。
ただ、ディーズ・カルガ本人が言うには、あそこでセンザキさんが負傷していなければ、あの人は世界征服を企むセンザキグループの過激派たちの手で秘密裏に殺されていた…ということだったけれど。
「…………」
ディーズ・カルガのこの主張は、あながち誇張ではなかったようだ。
センザキさんの秘書であるスージィさんが語っていたのだが、過激派の人たちは実力行使でセンザキさんを排斥し、何食わぬ顔でその後釜に居座ることも平気の平左でやってのけるような連中だと教えてくれた。
…まさか、大企業の裏側がこんなに真っ黒だとは思わなかった。
なまじリアリティがあるだけに、悪の秘密結社なんかよりもよっぽどブラックに感じちゃうよ。
などと、そんなことを考えながら二の足を踏んでいたワタシに、背後から声がかけられた。
「花子さん…」
そこで、ワタシに声をかけてくれたのは、スージィさんだ。
やや遠目にだったが、彼女の姿を見かけたワタシは小さく安堵の息を吐いた。
「もしかして、花子さんもジン代表のお見舞いに来てくださったのですか?」
軽く、駆け足でスージィさんがワタシの元に来てくれた。いや、走っていたのはここだけじゃないようだ。スージィさんは、少し息切れをしていた。そのスーツのような服では、走りにくかったはずなのに。
「ええと…そうですね」
スージィさんにそう返答したワタシだったけれど、スージィさんの膝頭に目がいっていた。
「スージィさん…怪我、してるじゃないですか」
大怪我というほどではないけれど、それでも、膝からは軽く血が流れていた。
「ええと、実は…ここに来る途中で転倒してしまいまして」
「それだけ急いでいたんですね、スージィさん」
「いえ、ここに来る途中でスカイフィッシュを見かけてまして」
「この世界にはスカイフィッシュもいるんですか!?」
というかよく見えましたね!?あれって時速300キロくらいで飛んでるんですよね?
あと、UMAとの遭遇率が高すぎない、この人?
前はツチノコを見たって言ってたよね!?
「まあ、軽く擦りむいた程度ですのでこのまま行きましょう」
スージィさんは、自分の怪我には頓着せずにそのまま歩き出した。前向きというか前のめりなその姿勢は、それだけジン・センザキさんを心配している気持ちの裏返しだ。
そして、ワタシはスージィさんの後ろを歩きながら目的の病室に辿り着いた。この病院は木造で築年されてからそこそこの年数が経過しているようだったけれど、古めかしいという印象はなかった。この異世界では、木材などを魔法でコーティングする技術が確立されているからだ。
そして、スージィさんは控え目に病室の扉をノックして扉を開ける。
そこには、センザキさんと思しき人の姿があった…のだけれど。
「お、スージィじゃないか、どうしたんだい?」
「どうしたはこちらの台詞なのですが…」
スージィさんが唖然としていたのは当然だ。ワタシだって目の前の光景を疑った。
この人、病室の窓枠に指を引っかけて懸垂をしていたのだ。
…いや、昏睡状態から目覚めたばっかりなんだよね?
「ちょっと眠りすぎていたみたいでね、体が鈍っているんだ」
「そりゃあ鈍っているでしょうけれど…リハビリならもう少し段階を踏んでください、ジン代表」
スージィさんがお小言を口にするのも無理はない。この人、一時は本当に三途の川を渡りかけていたんだ。
「あと、ジン代表、なんだかこの病室…お酒の匂いがしませんか?」
「ああ、さっきまでここでクラブのお姉さんたちと吞んでいたんだ」
「何をしてるんですかぁ!?」
ついにスージィさんによる雷が落ちた。
…いや、病室に女の子を連れ込んで酒盛りしてたら、そりゃ雷だって落ちるよ?
「仕方なかったんだよ、スージィ。あの子が指名できる割引きクーポンの期限が、今日までだったんっだ」
「クーポンを使われた上に瀕死だった患者の相手をさせられるクラブの女の子の気持ちを考えたことはあるんですか!?」
スージィさんの言うことは一々もっともだった。ツッコミ役の素質がありそうだな、この人。
というか、あのジン・センザキさんが破天荒すぎるんだよ。あの人も『転生者』だって話だけど、ワタシと同郷だったりしたら嫌だなと、思ったり思わなかったりしていた。
「あまり怒らない方がいいよ、スージィ。美容にも悪いから」
「だったら振る舞いに気を付けてくださいよ!」
多分、スージィさんはこれまでにも気苦労の絶えない生活を送ってきたんだろうなぁ。
「本当に…どれだけ心配したと、思っているんですか」
そんなスージィさんは、俯き、嗚咽混じりの声で呟いていた。
きっと、これまで抱え込んできたモノが、ここで零れたんだ。
それを見たジン・センザキさんは、困ったような微笑みを浮かべてスージィさんに謝罪した。
「ああ、すまないね、スージィ…色々と、心配をかけてしまった」
「すまないと思うなら…これからは、あまり心配させないでください」
「ああ、本当に、すまないね」
「本当にすまないと思うなら、もう少し給料も上げてください」
「…できるだけ善処しよう」
センザキさんは、給料の賃上げを確約(?)させられていた。
…けっこうちゃっかりしてるな、スージィさんも。
「…………」
色々と難儀もしているようだけど、センザキさんとスージィさんの関係は、強固な絆で固定されているようだ。理想…とはかけ離れているかもしれないが、上司と部下として、それなりに良好な均衡がとれているようにも思える。
ワタシとシャルカさんは、上司と部下としてはどうだろうか。
…考えるまでもなかった。
あの人、二日酔いのままギルドに来たりするからね。
まあ、ワタシもお客さんにお出しするお茶をそのままお客さんにぶちまけたりしてるからお互いさまかもしれないけど。
「ところで…そちらの人は?」
考え事に現を抜かしていたワタシに、ジン・センザキさんが声をかけてきた。
「あ、すみません、申し遅れました…冒険者ギルドの田島花子です」
そういえば、ワタシは自己紹介もしていなかった。社会人として、アイサツはとても大事なのだ。
でも、センザキさんとスージィさんが二人の世界(固有結界)を構築していたから声をかけられなかったということも考慮して欲しいのだ。
「ああ、君が花子さんか。うん、シャルカさんからちゃんと聞いているよ。ギルドの看板娘(笑)なんだって?」
「…カッコも笑いもいりませんけどね」
ワタシのことをどんな風に説明したんだ、あの呑兵衛め。
というか、それをそのまま口にできるこの人も大概、図太いな。
「お、そういえばそうだった…すまないけど、スージィ、受け付けに行って来てくれないか?」
そこで、センザキさんはスージィさんに頼みごとをしていた。
「受け付け…ですか?」
「ああ、色々と入退院の手続きとかをしないといけないし、今後のことについてドクターからも説明があるらしいんだ」
「なるほど…分かりました」
スージィさんは「では、行ってまいります…あ、もうお酒は飲んじゃダメですよ!あと、病室で女遊びはもっての外ですからね!」と、最後に釘を刺して病室を出て行った。
後には、ワタシとセンザキさんの二人だけが残された。
…正直、気まずいな。
ワタシとスージィさんは友達で、センザキさんとスージィさんも友達だけど、ワタシとセンザキさんは友達ではないのだ。
というか、センザキさんとは初対面みたいなものなんだよね。『テレプス』の新作発表会の時とかは、ワタシが一方的に遠くから見ていただけだからね。
「花子さん…ようやく、二人っきりになれたね」
「さっきスージィさんに釘を刺されたばっかりでしょ!?」
いきなりワタシのことを口説くのやめてもらえます!?
いくら、ワタシが魅力的なおにゃの子だとはいえ!
「いやいや、緊張を解すための冗談だよ」
「…随分と失礼な冗談ですよね」
「そもそも、私の好みはバインバインのお姉さんだからね」
「よし、歯を食いしばってください、ワタシの最弱はちょっとばかし響きますからね!」
とりあえず、この人を引っ叩くくらいの権利はあると思うのだ。
「聞いていた通り、元気なお嬢さんだね、花子さんは」
センザキさんは、涼し気な微笑みを浮かべていた。
「聞いていたって…シャルカさんですか」
ろくなこと言わないな、あの人。
「いや、アルテナさまだよ」
「アルテナ…さま」
この人の口からアルテナさまの名が出たことで、解れかけたワタシの中の緊張が、再び高まった。
…そうだ、この人も、『転生者』だ。
そして、センザキさんは、語り始めた。
「私とアルテナさまは、調べ物をしていたんだ」
「何を…調べていたんですか?」
それも、女神であるアルテナさまと。
「私たちが調べていたのは、『魔女』だよ」
センザキさんは、その名を口にした。
お伽話などでは、割りと頻繁に語られるその不吉な名を。