42 『えっちぃのはいけないと思いますねぇ!』
「えっちぃのはいけないと思いますねぇ!」
「いきなりどしたの、『ちっちゃな』りりすちゃん…」
わさわさしちゃったのかな?
いきなりの脈絡もない台詞に、ワタシの脈拍だって乱されたのだ。
「ちっちゃな、は余計ですねぇ!」
「ああ、ごめんね。でも、りりすちゃんってどう見ても子供だよね?」
「そりゃあ、生まれ変わって(?)から十年ほどしか経っていませんからねぇ」
りりすちゃんは腕を組んで頬を膨らませていた。子供がそういう生意気そうな仕草をしても、かわいらしさの方が勝っているので微笑ましいとしか思えない。
けれど、ワタシとしては聞き逃せない台詞を、りりすちゃんは口にしていた。
「生まれ変わった、の…りりすちゃんが?」
だとすれば、それは、ワタシたちと同じ『転生者』といっても差し支えは、ないはずだ。
そして、何よりも…それは、りりすちゃんがワタシたちと同じ人間ということになるのでは、ないだろうか。
「ああ、生まれ変わりというのは、少し違うのかもしれませんねぇ…いえ、りりすちゃん自身にも、よく分からないのですが」
「りりすちゃんにも…分からないの?」
大きなリリスちゃんを攫われた後、ワタシたちは場所を変えて話をしていた。といっても、あの廃教会からそれほど離れていない原っぱだったけれど。
そして、唐突というかお粗末ともいえるあの顛末の混乱を、全員が引きずっていた。
「分からないことだらけですよぅ…どうして、あのカルガがりりすちゃんの端末を盗んだのか、その理由も分かりません」
「りりすちゃんにも、分からないんだ…」
何の前触れもなく現れ、何の説明もないままにディーズ・カルガはリリスちゃん(大)を連れ去ってしまった。しかも、ご丁寧に煙り玉まで投げつけてきたのだ。往年の二十面相みたいなことをしやがって。
…というか、あの人が出てくる時っていつも前触れなんてないよね。
「ええ、恵まれたリリスちゃんの肢体を玩ぶために持ち去ったとしか考えられませんねぇ。だから、えっちぃのはいけないと思いますなんですよねぇ」
「けど、さすがにそれはどうなんだろ…大でも小でも、りりすちゃんの体形ってそんなに変わってないし、それはないんじゃないかな」
「変わってますぅ。センセーよりは凹凸に優れてますぅ!」
「凹凸ならワタシの方がありますー!どっちのりりすちゃんにも絶対に負けてませんー!」
こうして、ワタシとりりすちゃん(小)のホッペの抓り合いが始まった。
勿論、ワタシもりりすちゃんもお互いに手加減をしている…はずだ。
…結局、りりすちゃんが大でも小でも、ワタシたちのやっていることに変わりはなかった。
安心したのと同時に、なぜか、ほんの少しの寂しさも感じてしまった。
「そもそも、あのディーズ・カルガって人は…ううん、今のりりすちゃんって、何者なの?」
一頻りの小競り合いの後、ワタシたちは一時休戦となった。
そして、ワタシはディーズ・カルガよりも先に、りりすちゃんのことについて尋ねた。あの人よりもずっとずっと、りりすちゃんの方が優先度が高いからだ。ワタシの中では。
「りりすちゃんですか…今は、多分、人間ですかねぇ」
「…人間、なの?」
本当、に?
悪魔では、なく?
「元々、りりすちゃんは悪魔でした。けど、あの廃教会のある場所で封印されたのですよねぇ」
「…それは、前に聞いたよ」
シスターであるクレアさんが教えてくれた。
それは、一人のやさしい悪魔が人間たちに裏切られた、悲しいお伽話だった。
「リリスちゃんが人間たちとの約束通りにあの教会を建てたのに、その人間たちがリリスちゃんを裏切った…んだよね」
ワタシは詳細を掻い摘み、りりすちゃんに尋ねる。
りりすちゃんは、即座に答えてくれた。
「人間全部というか、一部の人間が、ですねぇ…りりすちゃんが本当に教会を建てるなんて思っていなかった一部の教会側の人間たちが、りりすちゃんを封じたんですよぅ。あの教会を完成させる頃には、りりすちゃんは村の人たちの信頼を勝ち得ていました。悪魔にもかかわらず。なので、教会側の人間からすれば、りりすちゃんの存在がよっぽど邪魔になったようですねぇ」
りりすちゃんはシニカルに笑っていた。
ただ、りりすちゃんの声は、悲しいくらいに乾いていた。
「で、りりすちゃんは長い間、深い眠りについていたのですけれど…十年ほど前に目覚めたのですよねぇ、普通の人間の、子供として」
「だから、生まれ変わり…なんだね」
「でも、りりすちゃんとしてはなんでそんなことになっているか、これっぽっちも分からないのですよねぇ…」
「でも、でも…りりすちゃんが人間として、生まれ変わったんならさ」
ワタシは、そこでりりすちゃんの手を握った。
サイズ感は違うけれど、それは確かに、りりすちゃんの手だった。
分かるんだよ…たくさん、手をつないだからね。
「…なんですかねぇ?」
いきなり手を握られて、りりすちゃんは驚いたようでもあった。それでも、ワタシの手を振りほどいたりは、しなかった。
だから、ワタシは言った。
ワタシと、りりすちゃんをつなぐ糸となる言葉を。
「これからも、りりすちゃんは…ワタシの友達、だよね?」
「それは…保証しかねますかねぇ」
小さなりりすちゃんは、小さく目を伏せて、小さく俯いた。
りりすちゃんの小さな言葉は、ワタシの心を小さく刺した。
「りりすちゃ、ん…」
縋るように、りりすちゃんの手を握る手に、力を入れていた。
りりすちゃんは、その手を、邪険に振り払ったりはしなかった。
…握り返したりも、しなかったけれど。
「確かに、りりすちゃんは人の子として生まれました。先ほども言いましたが、その理由は分かりませんねぇ。そして、今のりりすちゃんには、人間の父親も母親もいるのですが…でも、悪魔としての存在理由や本能も失っていないのです。こうして何年か『人間』をやっていますが、自分が先生たちと同じ生き物だとは、どうしても思えないのですねぇ」
「そう…なんだ、ね」
寂寥感と共に、ワタシは相槌を打った。
りりすちゃんは暗に語っていた。どこまでいってもワタシとりりすちゃんは相容れないんだよ、と。
「…りりすちゃんは、どうしても、悪魔として復活したいんだね」
ワタシは、確認の言葉を口にした。
それがりりすちゃんの存在理由なのだとすれば、ワタシにはそれを否定することはできない。
「復活できでなければ、今のりりすちゃんは消えてしまうでしょうからねぇ」
「消える…?」
りりすちゃんの言葉に、ワタシは息を呑む。
そんなワタシを見たりりすちゃんは、慌てたように説明を始めた。
「ええと、物理的に体が消えるというわけではなくて、今のりりすちゃんの心が消えるのですよ…そして、人間としてのりりすちゃんの心が残る、ということでしょうかねぇ」
「ええと、それは…?」
りりすちゃんの言葉を、理解したかった。ワタシの友達が、懸命に説明してくれているからだ。けど、立て続けに起こる不可解な出来事に振り回され、ワタシのキャパシティが限界を超えている。脳の処理が追い付かないんだ。
「先生にも分かりやすく説明しますと、今、この体には悪魔としてのりりすちゃんと、人間としてのりりすちゃんの二つの心が同居している状態…ということでしょうかねぇ」
「一つの体に、二つの心…ってこと?」
二重人格とか、そういうことだろうか。
「ああ、いえ、りりすちゃんとしても説明が難しいのですが…その二つのりりすちゃんの心が混ざり合っている感じ、と言えばいいのでしょうかねぇ」
「二つの心が混ざり合ってるなら…りりすちゃんの心は、一つじゃないの?」
「本当に言葉にするのは難しいのですが…心は一つなのですが、完全に一つというわけではなくて、双方の心に指向性があるのですよねぇ。今のりりすちゃんは、やはり、悪魔としての復活を求めているのですよ。けれど、心のどこかでは、それを望んでいないりりすちゃんもいるのですねぇ」
身振り手振りを交えながら、りりすちゃんはそう説明していた。そして、そのまま話を続ける。遮るものが何もない原っぱで、ワタシとりりすちゃんだけの世界が展開されていた。
「でも、今のりりすちゃんはやはり悪魔としての復活を望んでいますし、その意思が強いというか…その意思を優先しているのですねぇ」
「りりすちゃんには悪魔と人間の二つの心があるけれど、それは一つに融合しているわけじゃなくて、二つの心がくっ付いて癒着している…みたいな状態なのかな。そして、りりすちゃんの意志としては悪魔の方の意向が強い、と」
混乱する頭で、ワタシは情報の整理をしていた。キレイに整頓できていたわけではないが、とりあえず、ワタシ自身が理解できるくらいには整った。
「まあ、大体は先生の言う通りでしょうかねぇ。悪魔としての心が強いのも、僅かですけれど悪魔の力が扱えているからかもしれません」
りりすちゃんは、そこで紅葉のように小さな手の平に視線を落としていた。
そんな、小さなりりすちゃんにワタシは問いかける。
「りりすちゃん…その、悪魔の力っていうのはもしかして」
「はい、あの端末のリリスちゃんですねぇ」
それは、ワタシと一緒に街中をふらふらしたりしていたリリスちゃんだ。
あのリリスちゃんが、悪魔の力の一端?
本物の人間と、何が違ったんだ?
蜂の子とか食べてたんだぞ。
「りりすちゃんは、端末のリリスちゃんを創生して悪魔として復活するための力を集めていました。けど、端末のリリスは、りりすちゃんの代わりに動いているだけで、本当に何の力もないのですよぅ」
「それなのに…ディーズ・カルガは、あっちのリリスちゃんを攫った、と」
りりすちゃんの表情から察したワタシは、りりすちゃんの代わりにそう言った。
「正直、りりすちゃんにも意味が分かりません…あれを盗んだところで、何ができるわけでもないはずなのですがねぇ」
「ねえ、りりすちゃん…そもそも、あの人って何者なの?」
ディーズ・カルガという人物と出会ってから、それなりに時間は経った。けど、時間が経過すればするほど、看過できない事態ばかりを引き起こすのだ、あの不審人物は。
最初の出会いは、センザキグループの新作発表会の会場だった。そこで、リリスちゃんから『婚約者』だと紹介をされた。その後、ジン・センザキさんを襲ったのがディーズ・カルガだったと発覚したり、源神教徒たちの集会に一緒に潜り込んだりと、敵だか味方だか分からない立ち位置を行ったり来たりしていた。そして、最後にはリリスちゃん(大)の誘拐だ。ほぼほぼ愉快犯だとしか思えなかったが、もしかすると何らかの意図があるのかもしれない。
「何者…なのでしょうねぇ」
「りりすちゃんでも分からないんだね…というか、よくそれで『婚約』をオーケーしたよね」
悪魔だとしても、少し迂闊だったのではないだろうか。
「正直どうでもよかったといいますか、ちょっと利用できればいいかな、という感じだったんですよねぇ…リリスちゃんに結婚を申し出てくるようなロリコンなのですから、ボロ雑巾のように使い倒して捨ててやる!という感じになっても罪悪感とかありませんからねぇ」
「それ、最終的には和解するヤツじゃないかな…」
台詞だけ見れば悪魔的ではあるけれど。
しかし、これ以上、ディーズ・カルガについて考えたところでその正体には迫れそうになかった。それだけ、行動が支離滅裂だったからだ。なので、ワタシは別の提案をした。
「あのさ…あっちの大きなリリスちゃんがりりすちゃんの端末なら、遠隔で動かしたりできるんだよね?りりすちゃんの意思で戻ってくるように命令できるんじゃないの?」
この考えには、先刻から至っていた。なので、リリスちゃんは意外と簡単に連れ戻せるのでは?と高を括っていた。
「いえ…無理ですねぇ」
「無理…なの?」
「さっきから動かそうとしているのですけれど、あっちのリリスがうんともすんともいいません…りりすちゃんたちのつながりが閉じられているようですねぇ」
「それって…あの人がやってるの?」
「…おそらくは、そうですねぇ」
りりすちゃんは、苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべていた。りりすちゃんとしても、かなり想定外のことが起こっている、ということだ。
「本当に…何者なの、あの人?」
軽薄な上っ面に騙されていたが、もしかすると、ディーズ・カルガというのは予想以上に危険な人物なのかもしれない。
「…ちょっと待っててね、りりすちゃん」
ワタシの中で、ディーズ・カルガの危険度が確実に上昇していた。
なので、そこでシャルカさんに『念話』を飛ばした。
騎士団などに連絡してもらい、ディーズ・カルガを探してもらうために。
その連絡は恙なく終了したが、そこで、シャルカさんからもワタシに報告が届いた。
昏睡状態だったジン・センザキ氏が、目を覚ました、という一報が。