41 『ちっちゃくないですよぅ!?』
「ホンモノの、りりすちゃん…こっちの、ちっちゃいのが?」
「ちっちゃくないですよぅ!?」
りりすちゃん(小)は小さな体をぴょんぴょんと弾ませながらかわいらしく否定していたが、ワタシとしてはそれどころではなかった。
大きなリリスちゃんが、端末で?
小さなりりすちゃんが、本当のりりすちゃん?
…じゃあ、大きいリリスちゃんは、ニセモノだとでも、言うのか?
「リリスちゃん…」
ワタシは、大きなリリスちゃんに声をかけた。
『…………』
リリスちゃんは虚ろな表情で俯いていて、ワタシの声には反応しなかった。
リリスちゃんの虚ろな瞳は、ワタシをひどく不安にさせる。
同時に、ワタシの脳裏にフラッシュバックしていた。ワタシと一緒に買い食いをしたり、一緒に散歩をしたり、一緒に謎に頭を悩ませていた、万華鏡のように目まぐるしく変化するあのリリスちゃんの表情が、浮かんでは消えていく。
軽い喧嘩をしたこともあったけれど、軽口や憎まれ口だっていっぱい叩き合ったけれど、それでも、ワタシと一緒にいたリリスちゃんは、足し引きをすれば怒った時よりも笑っていることの方が遥かに多かった。よく笑うリリスちゃんは、女の子のワタシから見ても魅力的だった。けれど、今は無色だ。今のリリスちゃんには、何の色もなかった。
「リリスちゃん!」
今度は、少し大きな声で呼びかけた。
ここで呼びかけなければ、二度とリリスちゃんの友達を名乗れない気がした。
…そう、ワタシは、リリスちゃんの友達だ。
だから、呼びかけるんだ。
「無駄ですよぅ」
小さなりりすちゃんはため息をつき、面白くなさそうにアヒル口をしていた。
「今、『リリス』としてのリソースの大半はりりすちゃんが握っていますからね。そっちのリリスは抜け殻みたいなものですよぅ」
「こっちのリリスちゃんが…抜け殻?」
確かに、ワタシの目に映るリリスちゃんは心ここにあらずといった…いや、ただただ、虚無だった。心、精神、魂といったものが軒並みお休みをしていた。
…容姿が端麗ななだけに、ひどく出来のいいお人形さん、みたいだった。
「ねえ、リリスちゃん…リリスちゃん!」
ワタシは、リリスちゃんの肩に手を触れて揺さ振った。
…リリスちゃんからは、体温が、感じられなかった。
「だから、今のりりすちゃんはこっちなんですよぅ」
小さなりりすちゃんが、ワタシの裾を引っ張っていた。
小さな子供が、お母さんの気を引くように。
「でも、リリスちゃんは…」
「何度も言いますけどね、先生…そっちはあくまでも『端末』でしかないんですよぅ」
「でもね、リリスちゃんは、でもね…」
なにがなんだか、分からなかった。
ワタシの心臓が早鐘を打ち、平静なんて保てない。
心のざわつきが、無秩序に加速度を増す。
口の中が、異様に乾く。
ワタシは、さらにリリスちゃんを揺さ振った。
ワタシの動揺とは反比例をするように、リリスちゃんは動かなかった。
「だから、りりすちゃんはこっちなんですってば…だから、先生はこっちのりりすちゃんの相手をしないといけないんですよぅ!」
小さなりりすちゃんも、ワタシの裾を掴む手にさらに力を入れいていた。
りりすちゃんも、懸命だった。
…そのことに、ワタシは気付かなかった。
「だけどね、ワタシは、リリスちゃんと約束を…」
約束を、したんだ。
良い悪魔として復活させてあげる、と。
そしたら、ずっと、リリスちゃんとも一緒にいられるんだ。
これからも、ずっと。
「りりすちゃんの先生は、先生だけなんですから…りりすちゃんだけを見ていればいいんですよぅ!」
「でも、ワタシのリリスちゃんは大きな方のリリスちゃんなんだよ!?」
「だから、そっちはりりすちゃんが復活するまでの代用品なんですよぅ!体の小さなりりすちゃんの代わりに動くための操り人形なんですよぅ!」
「いきなりそんなことを言われても、ワタシだってそんな簡単には受け入れられないよ!?」
オレがアイツでアイツがオレで、みたいなことを言われても困るよ?
既にこっちだって、ワタシが花子でアイツも『花子』で、みたいな不条理なことになってるんだからね?
「とにかく、先生はりりすちゃんとだけ仲良くしていればいいんですよぅ!」
駄々っ子のように、小さなりりすちゃんは叫ぶ。
正誤の判断なんて、二の次にして。
けど、駄々っ子というのは、駄々っ子なりに必死なんだ。
伝えたいことがあるから、駄々をこねるんだ。
…病魔に蝕まれていたあの頃のワタシだって、何度も同じように駄々をこねたはずなのに。
今のワタシは、そんなことも分からなかった。
「ワタシが仲良くしてたのは、あっちのリリスちゃんなんだよ!?」
だから、ひどく無神経なことを、口にしてしまっていた。
「うあぁ…うああああぁ!」
りりすちゃんは、泣き出した。
小さな子供の体躯で、大きな声を上げて。
りりすちゃんが泣くところなんて、初めて見た。
リリスちゃんはいつも、シニカルに笑っていたから。
だから、喧嘩をすることはあっても、リリスちゃんが泣くことなんて、なかった。
そんなりりすちゃんが、今、ワタシの目の前で泣いている。
…遅蒔きながら、ワタシは自分の愚かさに気が付いた。
「ごめんね、りりすちゃん…ごめんね」
りりすちゃんを抱きしめて謝りながら、ワタシも泣いていた。
ワタシも、駄々をこねてお母さんたちを困らせたことを、思い出していたから。
海水浴に行って海で泳いでみたいと、駄々をこねたことがあった。
お母さんにもお父さんにも、あのおばあちゃんですらどうにもできないことで、駄々をこねていた。
きっと、あの時は、お母さんたちも辛かった。
ワタシのような病弱な子には猛毒でしかなかったはずだ、真夏の太陽なんて。お医者さんにも止められていたのかもしれない。
それでも、お母さんたちは自分を責めたはずだ。
娘の些細な願いすら、叶えられないのか、と。
…お母さんたちにそんな思いをさせてしまったのは、ワタシなのだけれど。
「本当に、ごめんね…りりすちゃん」
泣き出すくらいに、辛いこと。
それは、自分ではどうしようもない限界を迎えた時、だ。
そんな思いをさせてしまったのは、他ならぬワタシだ。
だから、謝って、抱きしめた。
ここで抱きしめないと、どこかに零れて消えてしまうかもしれない。
その瞬間は、いつ、どこで、誰に訪れるか、誰にも分からない。神さまにだって分からないんだ。
そのことを、『転生者』であるワタシたちは身をもって知っている。
「先生…りりすちゃんのこと、無視しないでくれますかねぇ?」
「ごめんね、無視なんてしないよ…ちゃんと、りりすちゃんの話を聞くよ」
「先生…やっぱり先生はりりすちゃんの初めてのお友達ですねぇ」
小さなりりすちゃんは、顔を埋めるようにワタシに抱き着いた。
…ヤバい、ちっちゃなりりすちゃん半端ないって!
かわいさが半端じゃないよ。大きなリリスちゃんと違ってやけに素直だし、これはこれでアリかもしれない。
「ワタシも、リリスちゃんが初めてのお友達なんだよ」
抱き着いてきたリリスちゃんの耳元で、ワタシも囁いた。
勿論、慎吾や雪花さん、繭ちゃんたちも大切でかけがえのない存在だ。
けど、ワタシにとってあの三人は家族ってカテゴリに入るんだよね。
そして、猫耳娘のサリーちゃんは、同じギルドで働く同僚で先輩という感じだった。
だから、ワタシにとっても、リリスちゃんは初めての対等な友達だった。
え、ナナさん?
あの人は、お姉さん…かな?
…かなり手のかかるお姉さんだけど。
「先生…」
「…りりすちゃん」
ワタシは、まだまだりりすちゃんたちのことを知らない。知らないことだらけだけど、それはこれから知っていけばいい。
と、そんなことを考えていたワタシの視界の端に、いた。
あの人が…あの女性が、いた。
そして、あの古びた郵便受け…『願い箱』を、漁っていた。
「え…?」
その光景に、ワタシは目を丸くしていた。
なんで、あの人がここにいる…?
というか、なんで『願い箱』の中身を漁ってるの?
「あの…何をしているんですか?」
名残り惜しかったけれど、りりすちゃんとの仲良しはそこで切り上げ、ワタシはあの女の人に声をかけた。先ほどからあの人と呼んでいるのは、まだ彼女の名前を知らないからだ。
「え、ああ、お構いなく。続きを楽しんでいてください」
あの人…前に街中で転倒していたあの女性は、ワタシたちには興味がなさそうに『願い箱』の中の願い事が書かれた手紙を読み漁っていた。
「いえ…そうは、いきませんよ?」
そりゃ、ワタシだって、もう少し小さなりりすちゃんとの抱擁を堪能したかったけど、目の前で『願い箱』を探られていたら気が気でない。
それは、リリスちゃんが復活するために必要なモノでもあるからだ。
だから、あまり他の人に触られたくは、ないのだ。
過去に二度ほど面識がある人とはいえど、それは王都の街中だった。人の多い雑踏の中だった。だから、あまり印象には残らなかった。
けれど、今は、違った。
この場所は、ワタシとリリスちゃんにとっては、ある意味で聖域だ。
「そうですか。でも、私の用事はもう終わりました」
あの人…あの女性は、涼しい顔をしていた。
本当に、一仕事を終えたように。
「何を…していたんですか?」
こんな場所でなければ、あんなことをしていなければ、あの人とは世間話くらいはしたいところだった。前に会った時も、悪い印象は受けなかったからだ。
けど、この場所で出会ったあの人は、率直に言って、少し…怖い感じがした。
いや、暴力的というわけではないし、威圧的というわけでもない。それでも、得体の知れなさが今の彼女にはあった。
「ちょっとした探し物です。まさか、ここで手に入るとは思っていませんでしたけれど」
そこで、彼女は微笑んだ。
以前にも、ワタシはその微笑みを見ていた。
あの時は、「何事も経験です」みたいなことを言っていただろうか。
けど、その笑みの質が、違っているように感じられた。
場所が違うだけで、こうも印象が異なるものなのだろうか。
「では、私はこれで」
彼女は、この場から立ち去ろうとしていた。何事も、なかったように。
「あの…あなたの、お名前は?」
何を言えばいいのか分からなくなったワタシは、そんなことを尋ねてしまっていた。
名前を聞くにしても、タイミングは今ではなかったはずだ。
それでも、ワタシはそんなことを口走っていた。
…妙に、彼女のことが気になったから。
「私の名前…ですか?」
不意に名前を聞かれたことに驚いたのか、そこで彼女は少しの間だけ固まっていた。けど、すぐに口を開いた。
「私の名前は、ドロシーですよ」
「ドロシーさんですか…あ、ワタシは花子です」
「はなこさん…いいお名前ですね」
ワタシの名前を褒めてくれたドロシーさんは、そこで微笑んだ。
ワタシも、つられて笑おうとして…うまくいかなかった。
またも、視界の端にとんでもない光景を見てしまったからだ。
「カル…ガ?」
最初に異変に気付いたのは、小さなりりすちゃんだった。
ワタシがりりすちゃんの視線を辿ると、そこにはりりすちゃんが呟いたように、リリスちゃんのフィアンセを自称するディーズ・カルガがいた…のだけれど。
「なにしてんだあのオッサン!?」
ワタシがはしたなく叫んでしまったのも、無理はなかった。
前触れもなく現れたディーズ・カルガは、リリスちゃん(大)を肩に担いでいた。大きな米俵でも担ぐように、きわめて大雑把に。
…いや、ホントになにしてんの、あのオッサン!
「ええと、何をしてるんですか…?」
よくよく考えれば、今まで、この人には迷惑しかかけられていない。しかも、どれも洒落ではすまないものばかりだ。
それでも、今回は今までの迷惑の中でも群を抜いていた。
…リリスちゃんを、どうするつもりだ?
『…………』
ディーズ・カルガに担がれたままのリリスちゃんは、無反応だった。自分が雑に扱われていることにも、まるで頓着していない。
「もう一度、聞きますよ…何をしているんですか」
ワタシは、また問いかけた。
「ああ、お構いなく。ただの誘拐だよ」
ディーズ・カルガは、そこで笑って、それを実行した。
…大きなリリスちゃんは、その宣言の通りに、まんまと攫われてしまった。
頓馬なワタシは、指をくわえることもできず、ただただ棒立ちだった。