13 『そう囁いたんだよ、ワタシのゴーストが』
「そう囁いたんだよ、ワタシのゴーストが」
とりあえず、意味のないことを意味深に呟いてみた。
本当に意味はないし、なんだったら意味深ですらない。
「なるほど…さすが花子先輩ですね」
エルフちゃんたちが、神妙に頷いた。
いや、君たちよく分かってないよね?
ワタシだって分かってないんだよ?
ここは、ワタシたちの家である三刻館で、今この場にはワタシと繭ちゃん、そして三人ほどのエルフちゃんたちがいた。エルフちゃんたちは伝承などに語られるように容姿は端麗で、あらゆる美辞麗句を並べたところで、それらの賛辞の方が霞んでしまうほどの美少女たちだった。
だが男だ。
それも三人ともなぁ!
この王都にいるエルフちゃんたちは繭ちゃんの女装に感銘を受け、自分たちも女装を始めてしまった。現在、繭ちゃんは女装エルフちゃんたちのカリスマと化している。
…ていうか、エルフちゃんたちに匹敵するくらいかわいい繭ちゃんって何者なの?
そして、そんな繭ちゃんをアイドルとしてプロデュースしたワタシのことも、エルフちゃんたちは一目置いてくれていた。ただ、この子たち、ワタシのことも女装の先輩だと思ってる節があるんだよね。
怒らないから、どこを見てそう判断したのか具体的に言ってみなさい。
絶対に怒るけどなぁ!
なので、現状この部屋は女装率が八割を超えていた。本来なら、ワタシこそが紅一点となるはずの男女比なのだが。
というか、なんでこの子たちこんなにフローラルなの!?
「…………」
…などという、天国だか地獄だかよく分からない状況ではあったが、事態は深刻だった。
先ほど、ギルドから繭ちゃんに『念話』を飛ばしたのだけれど、その時、繭ちゃんはエルフちゃんたちとダンスのレッスン中だった。そんな繭ちゃんに、ワタシは伝えた。
『もしかすると、繭ちゃんも狙われてるかもしれない』と。
『危険かもしれないから、一度、帰って来て』と。
『一人だと危ないかもしれないから、誰かと一緒に』と。
焦燥感から、言葉を上手くまとめられなかったワタシは、矢継ぎ早に要点だけを掻い摘み『念話』で伝えた。
繭ちゃんはダンスの練習を早々に切り上げ、エルフちゃんたちに守られながら、この家に戻ってきた。当然、ワタシもギルドを早退だ。もちろん、慎吾にも同様の内容で『念話』を飛ばしてある。
「繭ちゃんは、誰かに後をつけられていましたよ」
繭ちゃんが「ただいま」を言う前に、エルフちゃんたちの一人がそう教えてくれた。
…悪い予感が、現実になった瞬間だった。
けど、さすがは魔法に長けたエルフ族だ。不審者の存在を察知して繭ちゃんを守ってくれた。感謝の言葉しかない。
「どうして、花子先輩は繭ちゃんが狙われてることが分かったんですか?」
「…そう囁いたんだよ、ワタシのゴーストが」
という流れが、冒頭のやりとりだ。
こんな不誠実な返答で誤魔化したのにも、一応の理由はある。
繭ちゃんが狙われていた理由を説明するためには、転生者についてエルフちゃんたちに語らなければならなかったからだ。
繭ちゃんを護衛してもらっておいて不義理だとは思うが、転生者のことは、おいそれとは話せない。
この世界では、転生者という存在は一般的に知られていないんだ。
そして、知られても、おそらくいいことはない。
「繭ちゃんたちが転生者だからですね」
…ん?
エルフちゃんの一人が、さらっと口にした。
転生者、と。
しかも、繭ちゃんたち、と。
「繭ちゃん…自分が転生者だってエルフちゃんたちに話したの?」
ワタシたちは、一応あの女神さまに釘を刺されていた。自分たちが転生者だということは、秘密にしておいた方がいい、と。
「ううん、ボク、誰にも話したりしてないよ」
繭ちゃんも不思議そうに首を振る。
「話さなくても分かりますよ。だって、アイドルなんて存在はこのソプラノには今まで一人もいなかったんですよ?歌だって、この世界には讃美歌とか吟遊詩人が弾き語りをするような叙事詩しかなかったんですよ?それなのに、いきなりあの完成度で歌やらダンスやらを持ち込んできたりしたら、繭ちゃんはどこか別の世界から来たんじゃないか、って考えますよ」
エルフちゃんは整然と語る。平然とした表情のまま。
「まあ、そうか、そうだよね…」
その通り、だ。
ワタシも、似たようなことを考えていた。
雪花さんが誘拐されたのは、雪花さんが転生者だったからではないか、と。
転生者だと勘繰られたからではないか、と。
雪花さんも、この異世界に漫画という異次元の文化を持ち込んだ。
この世界には影も形もなかったはずの絵物語を、ある日いきなり、何の前触れもなく叩きつけた。
繭ちゃんと、同じように。
どう考えても、それらは不自然だった。
この世界においては、異物でしかなかった。
「…………」
文化というものは地続きで、本来は飛躍をしない。
唐突に飛躍をしたように見えても、それらはどこかで先人たちが積み上げたモノを踏襲している。
そうした先人たちが残した下地があるからこそ、文化は真っ当に進化、進歩、枝分かれをする。
それが、文化の継承というものだ。
そして、そうした下地があるからこそ、周囲も新しい文化を受け入れることができる。
けど、雪花さんも繭ちゃんも慎吾も、本来のそうしたプロセスを無視していた。
本来この王都が歩むはずだった文化の歴史に、異なる世界から横やりを入れたんだ。
「…………」
当初、この王都の人たちも、繭ちゃんたちには随分と混乱させられていた。それは、繭ちゃんたちを受け入れられるだけの下地が、まだこの世界にはなかったからだ。
まあ、雪花さんに限っては今でも受け入れられているとは言い難いが。
…それでも元気なんだよなぁ、アノ人。
「…………」
当然、そんな当人たちが目立たないはずはない。
そして、もう一つ付け加えるのならば、名前だ。
ワタシはアリア・アプリコットと名乗っているし、目立つこともしていないが、慎吾たちは名前からして違う。
桟原慎吾、月ヶ瀬雪花、甲田繭。
どれも、日本での名前だ。
この異世界で一般的な名前では、ない。
そこに違和感を覚えないはずは、ない。
繭ちゃんや雪花さんたちが転生者として目を付けられたのは、こうした理由があったからだ。
…ただし、それは転生者という異物の存在を事前に知っていた場合、に限られるけれど。
「それに、花子先輩も転生者ですよね」
「ええ、と…それは、ね」
エルフちゃんの一人に尋ねられ、口ごもるワタシだった。
「今さら隠しても遅いですよ。先輩はあの『念話』を使ったんですから」
エルフちゃんの声は、ワタシに有無を言わせなかった。なので、観念せざるをえない。
「知ってるんだね…『念話』のこと」
「噂で聞いたことがある程度ですけどね」
「もしかして、『念話』ってそんなに有名なの?」
確かに、便利なスキルだとは思うが…。
ああ、でも、この世界には電話に代わるような魔石はなかったっけ。声を録音、再生ができる魔石はあったけれど。
「確かに『念話』も有名なんですけど…それ以上に名もなき魔女が有名、という感じでしょうか」
「名もなき魔女…?」
何度か、その名は耳にしたことがあった。いや、名もなき魔女だから、本当の名は知らないけれど。
「兎に角、そんな魔女と同じスキルが使える人なんて、転生者以外にいませんよ」
「そうなの?」
シャルカさんも、『念話』は希少だと言っていたけれど。
「そうですね…この世界の住人といえど、本来は、既に存在するスキルしか覚えられないんです」
そう語るエルフちゃんは理知的だなと思っていたら、いつの間にかこの子は眼鏡をかけていた。
いや、話が頭に入らなくなるから突発的なイメチェンはやめれ。
「たとえば、攻撃系のスキルなら威力の大小はあっても、『粉砕』とか『旋風』といった、この世界の既存のスキルしか覚えられません。どれだけの経験値を獲得したとしても、どれだけの魔物やモンスターを倒したとしても、既に存在するスキルしか覚えることができないんです」
エルフちゃんのスキル講義に、ワタシは耳を傾ける。これまで、あまり真剣にスキルというものについて向き合ったことはなかった。
「けれど、まれにそうした既存のスキルの枠を超えて、存在しないはずのスキルを発動するモノが出てくるんです。『特異者』なんて呼ばれてますけどね。ただ、そうした存在しないはずのスキルが扱えるのは、特異者当人だけなんです」
当人にしか扱えないスキル。つまりはユニークだ。
そして、それは、世界に存在しないはずのスキルだ。その当人が、いなくなった後ならば。
「しかし、その特異者以外で、特異者にしか扱えないはずのスキルを扱えるモノが、極めてまれにですが、現れることがあります」
「…その例外が、転生者なんだね」
ワタシたちはあの女神さまから、その存在しないはずのユニークスキルを授かってこの世界に降り立った。
そして、今になって思い出したのだが、その時に説明を受けていた。
ユニークスキルというのは非常に強力で、世界に与える影響が大きく、二人以上の人間が同じ世界で同じユニークスキルを発動させることはできない、と。
そんなことをすれば、世界のキャパシティを超え、スキル自体が起動できなくなる、と。
それが、ユニークスキルと呼ばれる所以だ、と。
「はい、あのくそ女神が送ってくる転生者です」
「…………」
エルフちゃんは辛辣なコメントを発していた。
ワタシとしてはコメントし辛いなぁ、事実だけに。
「本当にろくなことをしませんからね、あのババア」
「ちなみに…うちの女神さまが何をしでかしたのか、聞いてもいいですか?」
聞かない方がいいことは、百も承知だったけれど。
「焼かれたんですよ、エルフの森が」
「…それはくそ女神ですね」
いくらエルフの森が焼かれることが多いと言っても、女神さまに焼かれた実例は少ないのではないだろうか。
「ボクたちも伝え聞いただけなのですが…」
エルフちゃんは、そう前置きをして語り始めた。
どうやら、アルテナさまとエルフたちには過去に親交があったようで、最初はその関係も良好だったそうだ。
ただ、ある日、アルテナさまがエルフさんたちに送ったオーブが…このオーブとは、魔石の上位版というか、強い魔力を持った秘宝のことなのだが、このオーブの所為で悲劇は起こった。
「…………」
当時、エルフさんたちは冬の寒さが厳しい森の奥に住んでいたのだそうだ。そんなエルフさんたちに、アルテナさまは『春の木漏れ日』と呼ばれる、周囲の気候を少しだけ温暖にできる温熱系のオーブをプレゼントしたのだそうだが…。
そのオーブが発火し、エルフさんたちの森は全焼してしまった。
死者が出なかったのが奇跡だったらしい。
その火事の理由を、苦々しげにエルフちゃんは語った。
「しかも、その引火の原因というのが…オーブの隙間に大量の埃が入り込んでいたから、だったんですよ」
「…冬場の火事とかでよく聞く話だね」
冬になると、そこそこ頻繁に注意喚起のアナウンスが流れてくる。
「後で聞いたら、そのオーブはあの牛乳女の部屋の中で何年も放置されていたものらしくて、埃まみれだったそうなんですよ…そんなモノを熱源にしたら引火するに決まってますよね!?そんな埃まみれのモノを贈り物になんて普通はしませんよね!?」
「返す言葉もございません…」
そういえば、あの女神さまは汚部屋に住んでいるとシャルカさんに聞いたことがあった。
…ホント、女神の定義ってなんだろうね?
「その後、あのくそ女神は免停になって、エルフの担当からは外れたそうなんですが…」
「女神さまが免停!?」
いや、森を焼いておいて免停で済むのか?
そもそも、あの女神さまがどうして免許を取れたんだ?
とりあえず、アルテナさまとエルフちゃんたちの確執は分かった。擁護できないわ、これ。
その後、エルフさんたちはアルテナさまの手助けもあり、もっと住みやすい土地に移住することができたそうだが、エルフさんたちからすればそれで手打に…ともいかなかった。現在でも、エルフちゃんたちの間ではアルテナさまの悪行は語り継がれているらしい。
「だいたい、転生の秘術だって元々はあの女神のものじゃないんですよ、それなのに…」
エルフちゃんはそう言いかけていたが、ワタシは思わず割って入ってしまった。
「ちょっと待って、転生が元々はアルテナさまのものじゃないって…」
「そうらしいですよ。本来は、どこかの魔法使いの一族だけが使えた秘術だったんです、転生術は。それを、あの女神もどきがパクったというか、真似しているんです。そういう、スキルなんかに関することには長けているんですよ、あの人たち。この世界に存在する全てのスキルや魔法、その全部を把握していて、コピーもできるそうです」
「スキルのコピー…だから、アルテナさまはワタシたちにスキルを授けたりできたんだね」
あんな女神さまだが。
あんな、女神さまだが。
「どうしたの、繭ちゃん?」
そこで、ワタシは気付いた。繭ちゃんが浮かない表情をしていたことに。
「みんなだけ、スキルとか使えてズルいよね」
「繭ちゃんも、アルテナさまからスキルをもらってるんでしょ?」
けど、待てよ。
ワタシは見ていない。繭ちゃんが、スキルを使っているところを。
…まあ、スキルなんかなくてもこの子は無敵なのだが。
「ボク、最初は、女の子になれるスキルが欲しいって言ったんだけど、『それを捨てるなんてとんでもないですよ!』とか言われて、そのスキルはもらえなかったんだよね」
…これはくそ女神グッジョブと言っていいかもしれない。
この子が女の子になったら、マジでこの世界にどんな影響が出るか。傾国どころじゃない騒ぎが起こってもワタシは驚かないぞ。
「それでね、別のスキルをもらったんだけど…ボクがそれを使おうとしてもね、エラーが出て使えないんだよ」
「スキルにエラーが出る…?」
そんなことが、あるのか?
「いつ使ってもダメなんだよ」
繭ちゃんはぷんぷん怒っていた。
ワタシは、繭ちゃんのスキルについて尋ねようとしたのだが、そこで気付いた。
「…………」
慎吾が、まだ、帰って来ていない。
という、ことに。
繭ちゃんに『念話』で帰ってくるように連絡した後、ワタシは慎吾にも『念話』を飛ばしていた。
慎吾も、すぐに帰ると言っていたのだが。
その慎吾が、まだ、帰って来ていない。
「ごめん、繭ちゃん…ちょっと慎吾に連絡を入れるね」
ワタシは、即座に『念話』を発動させた。
ワタシの胸中に疑念が浮かぶ。
なぜ、連中は雪花さんを狙ったのか。なぜ、繭ちゃんを狙ったのか。
どうして、転生者を狙うのか。
『慎吾…慎吾…慎吾!』
ワタシは、慎吾に呼びかける。
何度目かの呼びかけで、慎吾は応答してくれた。
「あぁ、花子か…」
『慎吾、今どこ?』
ワタシの声が、震える。
聞こえてきた慎吾の声が、消え入りそうだったからだ。
「すまない、もうそっちには帰れないかもしれない…」
『うそ…だよね?慎吾は、ワタシに嘘なんてつかないよね?』
…なのに、なんでそんなことを言うんだよ。
「雪花さんと繭ちゃんのこと、頼んだ…」
『すぐ帰ってくるよね!?これからも、美味しい野菜を食べさせてくれるんだよね!?』
約束した、はずだよね?
ワタシが、ずっと元気でいられるようにしてくれるって。
それ、なのに。
「すま、ない…」
…それ、なのに。
慎吾との『念話』は、そこで途切れた。